中東の地政学リスク
10月7日、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスが、イスラエル南部にテロ攻撃を行った。その後、イスラエル軍が反撃のためにガザ地区に侵攻し、戦闘が続いている。
イスラエルに関しては、1947年の建国以降、73年まで、パレスチナ人を支援する周辺のアラブ諸国(エジプト、ヨルダン、シリア)との間で4回に渡り、大規模な戦争(第1~4次中東戦争)が発生している。特に、73年の第4次中東戦争では、サウジアラビアなど湾岸諸国がアラブ諸国を支援した。イスラエルを支援する西側諸国を制裁するため、原油価格を引き上げた結果、第1次石油ショックが発生し、世界の経済や金融市場に多大な影響が生じた。
ハマスの攻撃が発生した直後の金融市場で、イスラエルでの株安、通貨安、米国債利回りの低下、円高といった安全への逃避の動きや、一時的な原油高が見られたのは、そうした過去の反応が思い起こされたためだろう。
戦闘はまだ続いており、犠牲者が増えている。各国で人道的な停戦が協議されてはいるものの、ハマスの再攻撃のリスクを排除したことが確認されるまで、イスラエルがガザ地区への攻撃を停止する可能性は低く、現時点では、大規模戦闘停止の目途は立っていないと考えられる。さらに、大規模戦闘終了後のガザ地区の統治を巡り協議が行われると見られるが、イスラエル、パレスチナ自治政府、欧米諸国、中東のイスラム教国の意見の対立は不可避だろう。
もっとも、現在のガザにおける紛争が、今後、金融市場や経済に与える影響は限定的と見られる。
中東地域における大規模な戦争だったイラン・イラク戦争(80~88年)、湾岸戦争(90~91年)、イラク戦争(2003年)では欧米が紛争に参戦したため、株から債券といった安全資産への逃避が起こり、円高や金価格上昇が見られた。
特に、イラン・イラク戦争では、タンカー攻撃の報復として1987年10月に、米軍がペルシャ湾のイランの石油施設を爆撃したことが、ブラック・マンデーの一因になった。このため、中東の有事は、欧米の投資家の警戒を呼びやすい面がある。
国家間紛争ではなく、産油地帯から遠い
もっとも、ハマスは国家ではない。背後にイランが関係しているとはいえ、国家間の紛争ではなく、米国が安全保障協定を理由に介入する可能性は低い。そして、イスラエルの正規軍と比べ、ハマスは圧倒的に劣勢である。欧米が加勢するまでもないと言える。2006、08、14、21年に発生したイスラエルとハマスの衝突は、イスラエル軍の圧勝に終わった。今回の紛争もイスラエルの単独攻撃になろう。また、イスラエルは事実上の核保有国である。ハマスへの核攻撃を示唆したイスラエルの閣僚の発言が物議を醸している。核による報復のリスクを踏まえると、イランなどのイスラム教国が前面に立ち、正規軍を軍事介入させる可能性は低い。金融市場において、イスラエルや中東の周辺諸国以外の通貨や資産については、安全への逃避が生じる可能性は低いだろう。
原油高の材料にもなりにくいだろう。ガザ地区は、産油地帯ではなく、原油の輸送ルートからも離れている。産油地帯、輸送路にあたるペルシャ湾、ホルムズ海峡で発生したイラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争とは異なっている。産油地帯、輸送路における紛争だからこそ、欧米は軍事介入を行うのであり、そうではない地域では、介入を敢えて行わないと言える。
一方、イランの目論見通り、サウジアラビアなどの湾岸諸国は、ハマスの攻撃以降、イスラエルを批判し始めた。そして、直前まで進めていたイスラエルとの国交樹立交渉などは当面見送るだろう。しかし、1973年の第4次中東戦争の時のように、イスラエルを支援する西側諸国への制裁目的に原油価格を引き上げる可能性は低い。エジプトやヨルダンがハマスを支援している訳ではない。ハマスのテロ攻撃を支持すれば、イランの軍事・外交方針に従わざるを得なくなり、欧米との関係が悪化する。湾岸諸国の対応は平和的で、早期の停戦を呼び掛けたり、カタールのように人質の解放の仲介をしたりと、欧米との関係に配慮した対応に終始すると見られる。
ハマスの背後にいるイランへの制裁強化を原油高の理由に挙げる向きもある。しかし、トランプ前米政権時代に米国は核合意から離脱し、現在も復帰していない。バイデン現政権もイランに対して金融制裁を行っている。この制裁によって各国がイランから正規に原油を輸入することは、既に困難な状態だという点に留意したい。今後の追加制裁が世界の原油供給に影響を与える余地は少ないだろう。
(野村證券経済調査部 吉本 元)
※野村週報 2023年11月20日号「焦点」より
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