新興国・地域債務への懸念
「債務の罠」という用語は、近年、中国が「一帯一路」政策を通じて、港湾、鉄道などのインフラ輸出とそれに関連した信用供与を実施した相手国・地域が債務返済困難に陥ることにより、港湾など重要インフラ資産を中国に事実上差し押さえられる事態を指す意味で、用いられるようになりつつある。
世界銀行が6月6日に公表した最新の「世界経済見通し(Global Economic Prospects)」においては、経済成長減速とグローバルな金利上昇の下で、過去に累積した新興国・地域の債務の履行が危ぶまれる状況となり、そうした国や地域における金融面のストレスが増大するリスクに警鐘を鳴らしている。新興国・地域の信用リスクが高まり、その中で中国に対し債務を抱える新興国・地域が債務不履行に陥った場合、まさに、「債務の罠」が現実化する可能性もあると言える。
しかし、「債務の罠」を意識しなければいけないのは、むしろ中国自身であり、しかも、二重の意味において中国が今後債務の罠に陥るリスクが増大している可能性を指摘しておきたい。
第一の意味は、中国の対外債権が仮に債務不履行に陥った場合、その悪影響を被るのがむしろ中国自身になりうる可能性である。元来、一帯一路の下で、中国が対外信用供与とインフラ輸出の拡大を展開した動機は、外交、安全保障上の影響力拡大と同時に、中国国内において過剰となりはじめた建設業や建設・土木資材製造業の供給能力の調整弁としての意味もあったはずである。この場合、中国の対外信用の弁済が滞ることの被害者は、インフラ輸出に関わった中国企業自身でもある、ということになり得る。
第二の意味は、一帯一路を通じた対外信用とインフラ輸出の同時拡大の動機の一つとなった、インフラ関連産業の生産能力拡大と連動して、中国国内において累積した債務そのものが不履行となったり、債務不履行を回避するための投資抑制などの問題を引き起こしたりする可能性である。特に、このところ注目度が高まりつつある、地方政府の過剰債務は、こうした図式の下で累積されてきた可能性が高い。
中国経済の「日本化」懸念
一般化してみると、第二の意味での「債務の罠」は、短期間に急速な経済成長・発展を遂げた国が、成長の転換点を迎えた際に負う宿命のようなもの、との見方も可能であろう。
高度経済成長期を過ぎた日本が、1987年に累積債務のリストラ(再編)の一環として実施された旧国鉄の民営化を経て、90年以降、バブル崩壊に伴う大規模な過剰債務問題に苦しんだ経緯と、現在の中国経済を重ねてみることは不可能ではないだろう。
このところ、中国国内の投資家、海外メディアを中心に、「中国経済の日本化」に対する関心が高まっている。中国が本格的な人口減少時代と高成長期の終焉を迎えると同時に、90年代以降に日本経済が苦しんだ様々な構造調整と同様の経験を経るのではないかとの懸念が浮上している。
2022年末のいわゆる「ゼロコロナ戦略(厳格な感染症抑制策)」解除後、中国経済の持ち直しが鈍い状態が長引いている。
その一因として、感染症禍収束と連動したグローバルな電子・情報通信機器需要の減速や半導体等電子部品・デバイスの在庫調整が指摘される。逆に、こうした電子機器・部品の在庫調整が一巡すれば、経済の回復が加速するとの期待は根強い。また、当局による金融緩和や財政出動による景気テコ入れに対する期待も大きい。6月中旬には、中国人民銀行が一連の政策金利引き下げ措置を既に決定している。中国経済は徐々に持ち直しに向かう、とするのが現時点での野村のメインシナリオであり、市場でも一般的な見方となっている。
しかし、中国経済の弱さの背景に、先述の2つの「債務の罠」の現実化が作用していたとしたらどうだろうか。グローバルな金融引き締めや金利上昇の帰結としての新興国・地域の累積債務問題が本格的に顕在化してくるとすれば、債務の罠に起因する中国経済悪化は、むしろここから本格化する恐れがあることになる。高度成長からの国内経済の局面転換を背景とした国内債務問題が中国において現実化しはじめているとするならば、過去の日本の例に従った場合、その影響は極めて長期化する恐れがある、ということにもなる。
この点で、ゼロコロナ戦略後の中国経済低迷の原因と背景については、電子機器関連の在庫調整に起因する循環的な現象と過度に楽観視することなく、世銀が懸念事項として指摘した新興国・地域の累積債務問題と並行して、さらに注視していく必要があると考えられる。
(野村證券経済調査部 美和 卓)
※野村週報 2023年7月24日号「焦点」より
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