野村ホールディングス ファイナンシャル・ウェルビーイング室SCO(シニア・コミュニケーションズ・オフィサー)の池上浩一が、NISA(少額投資非課税制度)や投資に関する疑問にお答えする本連載。2回目となる今回は、第1回でもお答えした「なぜ新NISAという制度がつくられたのか。国の狙いは何か」という疑問について、別の視点から説明します。

英国のビッグバンで、ロンドンが国際金融市場に

「なぜ新NISAという制度がつくられたのか。国の狙いは何か」という問いに対するもう1つの私の答えは

日本政府が国際金融センターの創出を目指しつつ、個人の金融資産を「貯蓄から投資へ」振り向けることを促しており、日本の経済が活力を取り戻す局面に入ったからです。

初めに、英国初の女性首相、マーガレット・サッチャー氏の「サッチャー革命」とも呼ばれる、英国証券取引所が実施した金融改革ビッグバン (Big Bang) について説明します。

19世紀に世界を支配した英国は20世紀に衰退局面を迎え、1970年代には経済政策が行き詰って「英国病」と呼ばれるほど経済状況は悪化しました。

1979年に首相に就任したサッチャー氏は「あらゆる産業の中で、最も多くの富を生み、最も多くの雇用を創出するのは金融業界ではないか」と考え、金融業界に英国の未来を託すそうと決断し、いくつもの「改革」を実行しました。

主な改革の内容は、

  • 株式などの売買手数料の自由化
  • 取引所の会員権の開放による銀行資本の市場参加
  • 取引所集中義務の撤廃
  • 株式取引税の引き下げ
  • 株式売買にコンピュータを導入

など、当時としては画期的なものでした。

そして、ロンドンは世界最先端の金融都市の一つとなり、英国経済は復活を遂げました。

当時、英国の復活は「ウインブルドン現象」と呼ばれました。英国人の誇りの一つともいえるテニスの「ウインブルドン」は、世界四大大会の一つとして広く知られる存在です。

しかし、出場する強豪選手に英国人選手はあまりおらず、例年、外国人選手が多数を占めます。

金融ビッグバンは、米国系を中心とした外資系の金融機関が、時代遅れになりつつあった英国系金融機関を買収し、米国などからロンドンに最先端の金融人材が流入してきました。そして、ロンドンの金融市場は国際的な競争力を持つようになり、見事に発展を遂げたのです。

つまり、外資系企業と外国人労働者の活躍によって英国が復活したことから、テニスの大会になぞらえて「ウインブルドン現象」と呼ばれたのです。

日本版ビッグバンで改革が進展

そこで英国を範に取り、1996年から橋本龍太郎元首相が着手したのが、「フリー」(市場原理が働く自由な市場に)、「フェア」(透明で信頼できる市場に)、「グローバル」(国際的で時代を先取りする市場に)を改革の三原則とした「日本版金融ビッグバン」です。

日本版ビッグバンには、バブル崩壊などによって空洞化しつつあった日本の金融市場を、ニューヨークやロンドンと並ぶ国際市場へと地位を向上させ、日本経済を再生させる狙いがありました。

1997~1998年起こったアジア通貨危機やロシア危機によって、世界経済は混乱していましたが、日本版ビッグバンによって国内の金融システム改革は着実に進展。政府も「国内的には評価できる」と総括しています。

10年以上たった後に再び前に進みます。2012年12月の衆院選で自民党は選挙公約に「日本をアジアの金融・運用の中心地にすべく、企業の活力ある経済行動と国民資産を適切に運用できる公正な競争条件の確保かつ十分競争できる活発な金融資本市場を構築する。まずは金融セクターの対GDP比を英国並みの10%台に押し上げ、『業』としての金融を育成する」と宣言しました。

並行して「家計の安定的な資産形成の支援」と「企業への成長資金の供給」を目的として、2014年から英国のISA(Individual Saving Account)をモデルとした日本版ISA「NISA」が導入されました。

さらに、2014年12月の衆院選で自民党は重点政策に「金融・証券市場の活性化・資産運用市場の強化を図ること等により、国際金融センターとしての地位を確立して、アジアナンバーワンの金融・資本市場の構築を目指す」ことを掲げていました。今も政府は、東京と大阪、福岡の3都市を「国際金融都市」に発展させるとしています。

「国際金融都市」創出に向けた日本の本気度

国際金融都市には英語を話すことができる優秀な人材が不可欠です。そこで、2017年3月に法務省は、一定の要件を満たした研究者や技術者などの外国人の高度人材に対して、条件を満たせば最短1年の在留期間で永住ビザの許可を認めることができるよう、制度を改めました。

先進国では永住権(グリーンカード)取得に必要な在留期間は10年程度としているケースが多く、日本の制度改革の「本気度」がうかがえます。

法務省は永住権の付与について「ポイント制度」を導入しました。

外国人が大学院修士課程を卒業すると20点、博士課程を卒業すると30点、年収が1,000万円以上だと40点なので、博士課程を卒業して年収が1,000万円以上だと、30点+40点=70点となり、最短3年で永住権を得られます。さらに細かい条件により、5~10点が加算されます。そして、合計で80点以上になると最短の1年で永住権を得られます。(詳しくは、出入国在留管理庁のウェブサイトをご覧ください)

日本では少子高齢化や、経済の成熟化による人々の「ハングリー精神」の喪失で、経済成長率が低下する傾向にあります。私は海外から高度人材を受け入れるこの改革によって、日本が新たな時代へと移行するチャンスをつかむかもしれないと考えています。

日本が海外の人材を積極的に受け入れて金融業界などで活躍できるよう土壌を整えることを、世界の投資家たちは期待しているのではないでしょうか。

日本は米国に追いつけるか

上の図は、2023年3月時点の日本と米国の個人金融資産の構成を比較した図です。日本は依然として半分以上が現預金であるのに対し、米国は半分以上が有価証券となっています。

日本人の金融資産に現預金が多い理由について、日本に住む人が「投資は怖い」と感じ、消極的であるため、と説明されることもあります。

1980年頃、米国の家計の金融資産の現預金比率は2割程度でした。ただ、前述した通り、1985年のプラザ合意で米国政府は円高ドル安を日本政府に認めさせることで、輸出の多かった日本企業の国際競争力を弱めようとしました。しかし、ドル安が進んだ場合、米国に住んでいる人のドルの現預金が多いと、結果的に在住者の生活コスト上昇につながりかねません。

一方、米国は1978年に「確定拠出年金」(401K)を導入し、米国在住者が税のメリットを受けながら、現預金から有価証券へと投資をしやすくする制度を導入していました。さらに、1980年代から米国の小学校で金融教育が浸透し始めたようです。

私が米国の友人から聞いた話では、当時米国では「Get Rich Slowly」という言葉を合言葉にして金融教育が始まったそうです。「Slowly(ゆっくりと着実に)」「Get Rich(金融資産を増やして豊かになろう)」。そういった理念のもと、金融教育も浸透し、現在の米国では個人の金融資産の現預金比率は10%強にまで下がったのです。

日本の個人の金融資産は、米国に次ぐ世界2位の規模です。これは国にとっても大切な資産と言えます。そして、日本政府もNISAや企業型確定拠出年金、iDeCo(個人型確定拠出年金)などを導入し、株式や投資信託への投資に税メリットを与えることで、日本に住む人の「貯蓄から投資へ」の流れを作ろうとしています。

そして2022年度から高校の教育課程に金融・経済教育が導入されました。

国家が衰退局面を迎え、ドル安が進んだ時に米国が始めた政策を、少子高齢化や円安の進行などで経済力の低下が懸念される現在の日本が始めているのです。

私は数十年前に米国で起こったことが、日本でも同じように起こると私は期待しています。そして数十年後、日本の個人金融資産における有価証券の比率は、米国のように大きくなるとみています。

現預金から有価証券へのシフトが始まると、日本の企業や自治体にも資金が流入する可能性があります。これにより、日本経済の活性化につながるかもしれません。2024年からのNISAが、日本に住む人たちの未来を明るくすることを願ってやみません。

第3回に続く

【池上 浩一】
野村ホールディングス株式会社ファイナンシャル・ウェルビーイング室SCO(シニア・コミュニケーションズ・オフィサー)。1979年野村證券株式会社入社、人事部に配属。英ロンドン大に留学後、海外投資顧問室、第一事業法人部、国際業務部を経て、法人開発部長やIR室長、グループ本部広報部長兼宣伝部長などを歴任。2011年から名古屋大客員教授も務める。2023年4月から現職。社内では、日本版金融ビッグバンの際に講演をしていたことから「ビッグバンおじいさん」と呼ばれて親しまれ、社内サイトでの連載コラムは約1000回を数える。

※本稿は、2024年1月現在の情報に基づくものです。
※掲載している画像はイメージです。

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