執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部
   シニアフェロー 石井 良一(2024年9月10日)

はじめに 

 世界及び我が国の食料をめぐる情勢が大きく変化していることを受け、25年ぶりに2024年6月に改正「食料・農業・農村基本法」が施行された。「食料安全保障の確保」、「環境と調和のとれた食料システムの確立」、「人口減少下における農業生産の維持・発展と農村の地域コミュニティの維持」等を主題に掲げている。これを受けて、年度内に概ね5年程度の農政の指針となる「食料・農業・農村基本計画」の改定が予定されている。

 我が国において農林水産行政の舵取りを担うのは農林水産省である。2011年の省庁再編で発足した農林水産省においては、これまで、食糧庁の廃止、輸出・国際局の新設などを除き、大きな組織変更は行ってこなかった。「食料・農業・農村基本法」の改正、「食料・農業・農村基本計画」の改定を契機に組織の再編強化をすることも検討されよう。

 本論は、諸外国の農業構造、組織構造との比較を行い、今後のあるべき方向についての一考察を試みるものである。

1.諸外国における農林水産行政の体制の特徴

 図表1は、2021年(一部2020年)時点での世界の農産物輸出国トップ9と我が国の農地面積、農業生産額、農産物輸出額、輸出割合を比較したものである。我が国の農産物輸出額は過去最高値を更新している[1]ものの農産物輸出額の農業生産額に対する比率はわずか14%に過ぎず、オランダ696%、ドイツ241%などと比較すると輸出小国であると言わざるを得ない。各国を類型化すると、図表2に示すように、①輸出重視タイプ(オランダ、ドイツ、カナダ、フランス、スペイン、イタリア)、②国内生産輸出均衡タイプ(ブラジル、アメリカ)、③国内生産重視タイプ(日本、中国)となる。我が国においては、国内消費が先細る中で、輸出を拡大することで国内生産を維持し、まずは国内生産輸出均衡タイプをめざすことが食料安全保障の点からも重要であると考えられる。

図表1 主要農産物輸出国の現状

(注)農地面積は永年採草・放牧地を除く。輸出額は林・水産物を除く。オランダ・スペインは2020年。
(出所)農林水産省 主要国・地域別の農業概況HP https://www.maff.go.jp/j/kokusai/kokusei/kaigai_nogyo/

図表2 主要農産物輸出国の類型化

(出所)図表1より野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成

 図表3は、当該国の農業、農産物輸出政策を司る政府省庁の部局体制を示したものである。各国の行政体制、規模が異なるため、厳密な比較はできないが、「輸出重視タイプ」、「国内生産輸出均衡タイプ」の各国政府省庁には次のような共通の特徴が見出される。

①省庁名に「食料」が入っている

 輸出重視タイプの国の省庁名にはすべて「食料」が入っている。省庁名は政策の対象を国民に向けて端的に示すものである。農業生産、食料生産・確保、輸出を一体的に政策対象としていることがわかる。

②「食料」、「食品安全」、「環境」を所管する部局を置いている場合がある

 オランダ、スペインでは、農業生産と食品生産を一体的に所管する部局を有している。ドイツでは、食品安全・動物の健康を所管する部局がある。オランダでは気候変動や環境汚染を所管する部局がある。

図表3 各国の農政体制

(出所)各国HP等より野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成

 

 一例として、国内農業生産と農産物輸出をほぼ均衡させている米国の事例をより詳細に見ることとする。米国では概ね5年ごとに農業法(Farm Bill)と呼ばれる法律を制定し、主要な農業政策を定めている。現行法は、2018年農業法(Agriculture Improvement Act of 2018)[2]であり、その概要は図表4のとおりである。全12編からなり、農業生産、農業経営、農村振興に関する項目の他に、貿易、栄養、エネルギーが含まれているのが特徴的である。栄養プログラムは総支出の約76%を占めている。低所得者が適切な食料を入手できるよう経済的な支援を行うものであり、農業と食料の安定供給を一体的に考えていることがわかる。

 農政を司るのは農務省であり、その組織体制は図表5のとおりである。総務系部局を除くと、①農地生産・農地保全、②食品・栄養・消費者サービス、③食品安全、④マーケティング・ 規制プログラム、⑤天然資源・環境、⑥農村開発、⑦研究・教育・経済、⑧貿易・国際関係の8部局がある。農業法の項目と突合すると、農業法を実行する体制になっていると推察できる。

図表4 米国2018年農業法の概要

(出所)(株)アットグローバル(2024.3)「令和5年度食産業の戦略的海外展開支援事業(米国の農業政策・制度の動向分析委託事業)」農林水産省委託

図表5 米国農務省(USDA)の組織体制図

(出所)米国農務省HPに野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部追記

2.我が国の農林水産行政体制の特徴

 旧「食料・農業・農村基本法」(以下、旧法と呼ぶ)は1999年7月に施行されており、2001年1月の中央省庁再編で発足した農林水産省は旧法に基づく農政の実現を図ってきたといえよう。図表6に示すように、その後、これまで3回にわたって組織変更が行われたが、食糧庁の廃止と消費・安全局の新設、輸出・国際局の新設を除き、大きな組織変更は行われていないと思われる。

図表6 農林水産省の組織体制の主な推移

(出所)農林水産省HPより野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成

 農林水産省が示す農政の方向性に沿って、地域特性に対応した形で、地方自治体の農政が展開されている。我が国の農産物生産額トップ3の都道府県である北海道庁、鹿児島県庁及び茨城県庁の農政部門の組織体制の現状は、図表7のとおりである。農林水産省の政策を実行し、各種補助金を円滑に執行できる体制となっているものと推察されるが、地域の特性に対応し、下記に示すいくつかの新たな試みも見られる。

①食品の販売戦略を支援する部局の存在

 各道県とも食品産業を重視しており、北海道庁では経済部に食関連産業局、鹿児島県庁では商工労働水産部、茨城県庁では営業戦略部に、販路拡大等の担当課を設置している。

②カーボンニュートラル、環境保全を推進する部局の存在

 北海道庁では農政部に「食の安全・みどりの農業推進局」、水産林務部に「森林海洋環境局」を置いている。鹿児島県庁では、環境政策を担う部局(環境林務部)において森林・林業政策も行っている。

図表7 我が国の地方自治体農政体制の例

(出所)各地方自治体HPより作成

3.新政策推進のための農林水産行政体制再編強化の考察

 改正「食料・農業・農村基本法」(以下、改正法と呼ぶ)が2024年6月に施行された。改正のポイントは図表8のとおりであり、「食料安全保障」、「食料システム」、「環境負荷低減」などの新たなキーワードが盛り込まれている。

図表8 「食料・農業・農村基本法」の改正のポイント

(出所)農林水産省(2024)「食料・農業・農村基本法改正のポイント」より作成

 改正法は、国民一人一人の食料安全保障、貿易の重視、農業を食料システムとして捉えなおすこと、環境との調和など前述した米国農業法の考え方に近い。改正法は、世界及び我が国の食料をめぐる情勢が大きく変化していることを受け大きく見直されている。改正法の実現を図るために、農林水産省の組織体制も大きく見直すことが必要ではないだろうか。

 図表9は一案であるが、まず名称に「食料」を加え「農林水産・食料省」とし、農業生産から国民一人一人の食料安全保障に関与することを明確にすることが望まれる。部局の名称も改正法の施策の方向に合わせて変更し、役割も見直すことを提案したい。提案の主なポイントは次のとおりである。

①食料安全局(仮称)の設置

 安全な食料の安定供給は国の重要な役割である。近年でも、ヨーネ病(牛)、豚熱、鳥インフルエンザなどの家畜伝染病の発生、養殖における魚病の発生、野菜等における病害虫の異常発生、食品における健康被害、産地偽装問題などが頻繁に起こっている。また、関係省庁との連携による国民一人一人への食料の安定供給も課題である。食料確保やフードロスに対する国民の意識の改革も必要である。消費・安全局の業務を継続しつつ、施策を充実強化してほしい。

②みどりの食料システム局(仮称)の設置

 2050年カーボンニュートラルの実現に向けて、他省庁や国際機関等と連携して、農業・食品産業分野で総合的、包括的に施策を実行するためには、本省において司令塔となる部局の創設が必須である。現状では「みどりの食料システム戦略」(R3年策定)の所管は大臣官房みどりの食料システム戦略グループであり、局になることで推進力が格段に上がることが期待できる。農政全体の課題である農機、林業機械や船舶などの脱炭素燃料化、施設園芸などにおける化石燃料からの脱却、農業用や漁業用プラスチックの削減・再生利用、農地、森林や海における炭素貯留などにもこれまで以上に総合的、積極的に取り組んでほしい。

③農業経営局(仮称)の設置

 我が国の基幹的農業従事者(個人経営体)の平均年齢は68.7歳(2023年)で、今後5年間程度で担い手の高齢化等から家族農業が離脱を余儀なくされ、国内農業生産を維持するための正念場を迎えることとなる。改正法26条1項で示された「国は、効率的かつ安定的な農業経営を育成し、これらの農業経営が農業生産の相当部分を担う農業構造を確立するため、営農の類型及び地域の特性に応じ、農業生産の基盤の整備の推進、農業経営の規模の拡大その他農業経営基盤の強化の促進に必要な施策を講ずるものとする。」を実現するために、従来の経営局と農産局の機能を併せ持つ部局を創設し、「農業経営」をキーワードに、生産力・経営力の強化、経営者の育成、農地の集積等に強力に取り組んでほしい。

 なお、業務範囲が大きくなることが想定されるため、農業経営局(仮称)と畜産経営局(仮称)に分けることも検討されよう。

④食品産業・国際局(仮称)の設置

 食の安全保障の確立に向けては、輸入の安定化、食品産業の強化、輸出の拡大、食品流通システムの維持強化が重要である。フードバリューチェーンを考慮し、食品加工、食品流通、輸出入を所管する部局を設置し、国別のきめ細かいブランディング、マーケティング等を通じて農産物・食品輸出を飛躍的に拡大し、国内生産と輸出が均衡する国づくりを目指してほしい。

⑤農村コミュニティ局(仮称)の設置

 中山間地の振興にあたっては、地域コミュニティの維持が重要である。若者の移住やインバウンドの増加など大きな変化も生じている。農村振興局を農村コミュニティ局(仮称)に衣替えし、共同活動の促進、農村関係人口の増加、農福連携、鳥獣害対策、都市農村交流などに取り組んでほしい。

⑥農林水産・食料イノベーション局(仮称)の設置

 現在、農林水産技術の研究開発に関しては、農林水産省設置法による、国家行政組織法上の「特別の機関」として農林水産技術会議が設置されている。技術会議は、会長及び委員6人で構成され、独立性の高い組織となっている。農林水産技術会議は、農林水産技術の研究開発を司り、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構(職員数約3,200人)等を所管している。

 これまでの多くの技術開発は育種や生産技術に比重が置かれ、農業の生産性向上に寄与してきたが、食農分野の技術開発においてロボティックス、AI、植物工場、陸上養殖、ゲノム編集、代替タンパク、バイオ、カーボンニュートラルなどの新技術を早期に実装化するために、異業種やスタートアップとの連携も必要になっている。

 そこで、「特別の機関」ではなく、本省の一部として位置づけ、本省との政策の連動性を高めるとともに、大学等研究機関、国内外の民間企業、スタートアップ等とのオープンイノベーションを重視し、「農林水産・食料イノベーション局」(仮称)として再出発することが期待される。

図表9 農林水産省の組織再編の一考

(出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部

おわりに 

 農林水産行政について深い知見がない中で、このような考察を行い、浅薄であると批判を受けると思うが、食料・農業・農村基本法が25年ぶりに改正されたことを千載一遇の好機と捉え、農林水産省が自ら体制強化を図り、我が国の農業、食料政策の真の司令塔になってほしいと強く願っている次第である。新生「農林水産・食料省」は、環境と調和しながら農業生産力を強化し、国民一人一人の食料安全保障を確立する組織になるというメッセージを国民に向けて強く伝えることができるのではないだろうか。

今後、議論が始まることをおおいに期待したい。


●文中注釈

[1] 2023年の輸出実績は、1兆4,541億円(対前年同期比+2.8%)と過去最高を更新した。2013年の5,505億円から10年で2.6倍となった。

[2] 当初、期限は2023年9月末であったが1年延長されており、現在、新法について議会で審議が開始されている。

   

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