「寅」に割り当てられた動物の虎は、「密林の王者」とも形容される。美しい縞模様の毛並みをまとう堂々としたたたずまいは古くから勇壮さの象徴となり、時には畏怖の対象にもなった。中国では「白虎」として、龍などとともに四神の一つに数えられる霊獣でもある。

 虎にまつわる故事成語も多い。例えば非常に大切なもののことを「虎の子」というが、これは虎が自分の子どもを非常に大切にすることに由来する。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という故事成語もここから来ていて、危険を冒さなければ成功を収めることもできないことのたとえとして今でも耳にすることがあるだろう。

 さて、吉例の「壬寅」縁起談。

 二回り前の壬寅は明治35年(1902)。この年は1月の日英同盟締結から幕を開けた。勢力拡大に向けて南下を進めるロシアに対抗したい日本と、ロシアの勢力拡大を警戒する英国の利害が一致。この同盟が2年後の日露戦争や、その後の第一次世界大戦で重要な役割を果たすことになる。国内では日本興業銀行(現・みずほ銀行)が設立。長期資金の融資などを積極的に行い、日本の近代工業の発展に大きく貢献した。また、小学校への就学率が男女平均で9割を突破したのもこの年。教育への理解が急速に深まり、近代化への土壌が整っていくことになった。

 一回り前の壬寅は昭和37年(1962)。この年は10月にキューバ危機があった。ソ連(当時)がキューバにミサイル基地の建設を進めていたことが発覚し、冷戦状態にあった米国とソ連の緊張状態が急激に高まる。世界が固唾を吞んで見守る事態となったが、米国のケネディ大統領とソ連のフルシチョフ第一書記が直接交渉を行い、最悪の事態は回避。この反省から米ソは緊張緩和の道を模索し、直接対話ができるホットラインが翌年開設された。

 日本は、前年から始まった所得倍増計画などによる高度経済成長のまっただ中。この年から新たに「オリンピック景気」が始まった。東京1964オリンピックに向け交通網や競技施設の整備が本格化し、12月には京橋~芝浦間で首都高第1号線が開通。戦後初の国産旅客機YS-11も完成した。好景気の中でテレビの受信契約者も1,000万人を突破し、本放送開始から9年で、全国世帯数の半分にまで普及している。東京の人口が1,000万人を超えたのもこの年だ。

 スポーツでは7月に田中聡子が女子背泳200mで世界新記録、9月に国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の金田正一投手が、対巨人戦で3,509奪三振の世界記録を樹立。10月にはプロボクシング世界フライ級で挑戦者のファイティング原田が史上最年少で世界チャンピオンに。世界の記録を塗り替える快挙が続き、日本中が沸き立った。

 文化面では、米国で流行したツイストが若者を中心に大ブームに。日本でのヒットはもう少し先だが、この年はビートルズが英国でデビューした年でもある。海外の若者文化が次々に日本へ上陸する、その始まりの時期といえよう。

 「壬」(みずのえ)は十干では9番目に位置し、原字は「紝」。糸を巻きつけ次第に膨らんでいく様子から、「孕(はら)む」を意味する。種子の内側に新しい生命を孕んでいるイメージをとらえると分かりやすい。一方で「寅」はもともと、矢を両手で引っ張る姿をかたどって生まれた字。みみずにも通じ、ぐっと伸びる前に体を縮めている状態を指している。このことから、「壬寅」は新たな動きを内に孕んだエネルギーに満ちている状態が導けるだろう。

 1年遅れで開催となった東京2020オリンピック・パラリンピックを終え、日本経済は新たな段階へ向かう途中。新型コロナウイルスにより一変した日常は、いまだ先が見通せない。しかし収束と拡大を繰り返す中で、状況は確実に変わってきた。経済も、一部ではあるが活気を取り戻しつつある。目まぐるしく変化し続ける中で、「虎」視眈々と勝機をうかがいたい。

(紙結屋小沼亭)

※野村週報2022年新春号「壬寅」縁起より

ご投資にあたっての注意点