金融市場に政策転換との見方

 7月10日投開票の参議院議員選挙では、自民党、公明党の与党が過半数を維持し、議席を増やした。その直前の7月8日には、安倍元首相が銃撃を受け、死去するという衝撃的な事件が起こった。金融市場ではこの二つの出来事をもとに、今後、岸田政権の経済運営の姿勢が転換するとの見方が出ている。(1)安倍元首相が主張していたような、財政拡張と日本銀行の金融緩和政策継続を要請する政治的圧力が弱まるという見方と、(2)参院選での大勝により政治基盤を固めたことを受け、岸田首相が、財政再建に積極的で、日銀の金融緩和見直しに寛容な「本来の姿勢」に戻るという見方である。

 7月以降、日本の長期国債の利回りが上昇する中で、「円安の進行もあり、日銀は金融緩和策を中止せざるを得なくなる」というシナリオが海外投資家の中で有力視されているため、岸田政権が参院選後に緊縮的な経済運営姿勢に転換するという見方は、もっともらしく映る。6月上旬に、黒田日銀総裁が、「家計の値上げ許容度」に関する発言で批判を受けたことも、そうした見方を補強した面があるだろう。

 しかし、第2次安倍政権以降の与党の経済政策や、岸田首相が打ち出している経済政策を踏まえると、そうした見方には看過されている点や矛盾が多い。以下に五つの矛盾点を挙げてみる。

 第一に、岸田政権が経済運営の姿勢を短期間に何度も転換するとは見込み難い。岸田首相は、「新しい資本主義」について参院選を前に軌道修正した。政権発足当初は、再分配重視で規制強化と受け取られかねない政策が市場の警戒を呼んでいた。しかし、6月に閣議決定した骨太の方針や参院選での自民党の選挙公約では、市場機能を活用して国内の資金を投資に誘導し、経済成長、景気刺激を重視する方向が示され、市場に安心感を与えた。これらを反映した政策を実行しないまま、選挙が終った途端に財政再建や日銀の金融緩和見直しの容認という方向に再転換する可能性は低い。

 第二に、安倍元首相と同様の主張をする与党議員は安倍派を中心に多い。また、今秋の内閣改造や自民党役員人事で安倍派の影響力がにわかに後退するとも考え難い。

岸田政権は目先景気刺激策を重視

 参議院議員選挙後の内閣改造や自民党役員人事は、主に、選挙結果を受けた参議院議員の閣僚や役員の入れ替わりが中心になるのが通例である。

 第三に、黒田日本銀行総裁の責任問題を取り上げ、足元の物価上昇を理由に、日銀の金融緩和の転換を参院選で主張したのは野党である。与党からは日銀に政策転換を迫る議論や黒田総裁の退任を求める声は出ていない。まして参院選で大勝した自民党が、主張の異なる野党の要請をそのまま受け入れるとは考え難い。岸田政権が、来年4月の黒田総裁の任期満了に伴う次期総裁の人選において、あえて金融緩和転換に前向きな候補を選ぶ可能性は低いだろう。

 第四に、年末から来年にかけて米国の景気後退に入り、日本経済にも少なからず影響が及ぶことが見込まれる状況にある。今秋の臨時国会に提出予定の2022年度第2次補正予算の編成において検討されるのは、燃料などの物価対策が中心になると見られるが、年末にかけて与党では、景気後退リスクを背景に財政出動と日銀の金融緩和継続を求める声が高まるだろう。岸田首相が与党の要請に反した政策を主導するとは考え難い。

 第五に、中長期的な財政再建・社会保障制度改革と短期的な景気対策が混同されている。岸田首相との対比を際立たせるためなのか、安倍元首相は、財政・金融政策を通じた景気刺激策を重視する一方で、財政再建・社会保障制度改革を軽視していたという単純化した見方がある。もっとも、安倍元首相は、第2~4次政権の8年間(12~20年)に、延期こそしたものの消費税率を2回引き上げている(14、19年)。さらに、「全世代型社会保障」を掲げて社会保障制度改革を推進した。こうした実績を看過すべきではないだろう。

 一方、岸田首相は、財政再建・社会保障制度改革を重視しているとされるが、上記のような安倍元政権の取り組みや、菅前政権の政策を踏まえると、むしろこれまでの政策を転換するというよりも引き継いだと見た方が妥当だろう。一方、岸田首相が、景気刺激には消極的だという見方も誤解だろう。岸田首相は、参院選前の通常国会で22年度補正予算を成立させている。さらに、参院選後の7月11日には、「必要に応じて、適切なタイミングで次の経済対策も考えていく」と発言している。第2次補正予算の編成を検討していることが窺え、短期の景気刺激策を軽視している訳ではない点に留意したい。

(経済調査部 吉本 元)

※野村週報2022年8月1日号「焦点」より

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