人的資本情報の法定開示が始まる

 人的資本とは、人の持つ能力や知識などを付加価値を生み出す源泉、すなわち「資本」としてとらえたものである。岸田政権下における「新しい資本主義」を実現していく上で、「人への投資」は重要な鍵とされており、その「可視化」や「比較可能性」への関心が高まっている。このような状況下で、人的資本情報の開示議論が進められている。

 2021年6月に改訂されたコーポレートガバナンス・コードでは、上場企業に対し、①人材の多様性の確保の方針やその施策、②自社の経営戦略や課題を意識した人的資本への投資等に関する情報の開示・提供、③人的資本をはじめとする経営資源配分や事業ポートフォリオの実行に対する実効的な監督、④人的資本を含む経営資源配分に関し、株主への明確な説明が求められた。

 さらに、人的資本などの「非財務情報」はこれまで任意開示が基本であったが、金融庁金融審議会のディスクロージャーワーキング・グループは22年6月に報告書を公表し、この中で「人的資本、多様性に関する開示」が取り上げられ、法定開示に関する以下の提言が行われた。

 まず、法定開示書類である有価証券報告書の中にサステナビリティ(持続可能性)情報の「記載欄」を新設した上で、①中長期的な企業価値向上における人材戦略の重要性を踏まえた「人材育成方針」(多様性の確保を含む)や「社内環境整備方針」を開示項目とする。

 また、②それぞれの企業の事情に応じ、上記の「方針」と整合的で測定可能な指標を設定し、その目標及び進捗状況について、サステナビリティ情報「記載欄」の開示項目とする。

 さらに、③女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女間賃金格差について、中長期的な企業価値判断に必要な項目として、有価証券報告書の「従業員の状況」の中の開示項目とする。

 今回のディスクロージャーワーキング・グループ報告書を受けて、22年内を目標に内閣府令を改正し、人的資本を含む非財務情報に関する開示ルールを策定する。そして、早ければ23年3月期決算に係る有価証券報告書から実施される方向である。

人的資本への関心の高まりとその理由

 人的資本を含む非財務情報に対する関心は、日本だけではなく世界的に高まっている。その背景には、①企業価値に占める無形資産の割合の上昇、②企業経営や投資判断におけるサステナビリティ情報の重要性の高まり、③特に日本においては、「新しい資本主義」における「成長と分配の好循環」に向け、「人的資本投資」、「人的資本経営」が注目されている、などがあろう。

 それに伴って、人的資本の情報開示への要請も国際的にも強まっている。例えば米国では、人的資本の情報開示を義務化する法案(Workforce Investment DisclosureAct)が現在審議されている。

 人的資本を重視して経営戦略の中核に据え、事業価値の向上と持続的成長を目指す「人的資本経営」を実践する企業が魅力的に映るのは投資家だけではない。例えば、従業員は、人を大切にし、その能力向上に力を注ぐ企業に対してロイヤルティ(忠誠心)を高める。その結果、定着率の向上や企業文化の浸透等による組織力強化につながるであろう。また、就職先を求め労働市場に存在する人にとっても、人を活かすことを重視する企業は魅力的であるため、企業にとっては、優秀な人材を労働市場から獲得することが可能となり、企業競争力の更なる強化にも資することにつながると期待される。

 人的資本経営を真に実現するためには、「経営戦略と連動した人材戦略をどう実践するか」とともに、情報開示、すなわち「情報をどう可視化し、投資家に伝えていくか」の両輪での取り組みが重要である。

 一方、開示された人的資本に関する情報を投資家として評価する上での要点としては、各企業が人材をどのように生かして企業価値を高めようとしているかという観点から「人材戦略」を経営戦略の中に明確に位置づけられているか、また、自社の人材戦略における強みや弱みを認識しつつ、戦略の進捗状況をしっかり把握できているか、などを挙げることが出来る。

 人的資本の情報開示に関する議論と関心の高まりを人的資本経営構築の好機と捉える企業は、自社の人材戦略や企業価値向上ストーリーを構築し、有価証券報告書における法定開示と、サステナビリティ報告書などによる任意開示を組み合わせることで、投資家をはじめとしたステークホルダー(利害関係者)から理解と信頼を勝ち得ることが出来る。株式市場では「人的資本経営」を実践できる企業に対する評価が一段と高まるであろう。

(野村資本市場研究所 西山 賢吾)

※野村週報 2022年10月3日号「焦点」より

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