「ストラテジスト」は直訳すると「戦略家」。株式投資の戦略を練る「策士」を意味する。野村のベテランストラテジストの小髙貴久(おだか・たかひさ)は、自ら参考銘柄を決定し、投資家向けの月刊誌を編集している。小髙の仕事ぶりを探った。

「あらゆる事象に精通した唯一無二のストラテジストに」

――ストラテジストのお仕事について教えてください。

投資のストラテジー(戦略)を組み立て、マクロ経済の情報や企業、セクターの動向などを調査して株式の採用銘柄を決めています。そのうえで、参考銘柄に関する情報をまとめた「Nomura21 Global(以下、Nomura21)」というお客様向けの月刊誌を編集長として制作しています。

Nomura 21ではマクロ経済、個別銘柄のファンダメンタルズ(基礎的条件)などを総合的に見て、参考銘柄を選定しています。日本株や外国株のストラテジストら10名超が編集にかかわっており、組み入れ銘柄を毎月見直しています。 組み入れ銘柄は国内株、外国株合わせて上限25銘柄としており、私が編集長として最終判断をしています。

このほか、私はセミナーで講師を務めたり、マスメディアに出演したりすることもあります。

例えば、2023年3月に欧米の銀行問題が浮上した際、投資戦略をどう判断したか。事象自体は短期的なリスクとみました。実際に現在(23年4月上旬時点では)では落ち着き、金融システムの深刻なリスクには繋がっていません。

Nomura21の2023年4月号では「一部の欧米金融機関の経営難の問題に目途がつけば、(投資家の)目線がインフレに戻り、インフレの低下が確認され、企業業績の底打ちが視野に入れば、株価は復調するとみられる」と言及しました。

――仕事に取り組む上で大切にしているスタンスはありますか。

やはり「原本に当たる」、そして「自分で考える」ことですね。まずは経済統計や企業の業績など生のデータを見て、分析して結論を出します。他のリサーチャーのレポートなどの「回答例」は結論を出すまで見ないようにしています。知見がない領域について同僚に聞くこともありますが、本当にコアな部分は自分で調べ尽くします。

個別セクターの企業分析を担当する株式のアナリストには個別企業の情報量ではかないませんが、代表的な企業の動向ぐらいはアナリストを打ち負かすほどの深い知識を持っていないと、投資戦略を考えるストラテジストとして本当にいい仕事はできないと思うんです。でも、時間がなくてなかなか分析や勉強ができないのが悩みですね。

部署再編で野村證券に「転籍」

――1999年に野村総合研究所(以下、NRI)に入社しました。当時からストラテジストになることは意識していましたか。

私は営業のような外向きの仕事より、調査のような内向きの仕事のほうが性に合っているのではないかと考え、経済調査の仕事を希望しました。当時、NRIでは経済分析を行うエコノミストなどの職種別採用を行っていたこともあり、応募したところ運よく内定をもらうことができました。ただ、株式のストラテジストの仕事をするとは考えていませんでしたね。

――経済調査は高い専門性が求められる印象があります。入社後に苦労されたのではないですか。

入社当時、良く言えば半年ほど「自由」に、悪く言えば「放置」されていました。今振り返れば特有の教育方針で「自主的に考える訓練」をさせられていたのかもしれません。とにかく様々な官公庁などのデータを見続けていました。そうこうしていると「経済に関するレポートを書いてみなさい」と上司から突然指示され、書いて上司にチェックしてもらったところ、原稿が赤ペンで真っ赤になって戻ってきました。自分で書いた文字が一文字も残っておらず、実力不足と思い、悔しさを感じたことがあります。

――その後、野村證券に出向し、どんなお仕事をされましたか。

日本経済の調査を1年だけやった後、長期のマクロ経済モデルを作る部署に2ヶ月だけ在籍し、すぐに野村證券の金融市場情報管理部(現市場戦略リサーチ部)に出向する辞令が出て、債券市場に近いポジションで、再び日本経済の調査をしていました。

調査内容はあまり変わらなかったのですが、経済の動きが債券市場、金利などとどのように関係しているかを学ぶことができました。金融政策についてもかなり詳しくなりました。2004年に調査部署の再編で野村證券へ転籍し、経済調査部で為替に関する調査に従事しました。

メインで担当していたのは資金フローやカナダ経済の調査でしたが、営業店で行うセミナーでのお客様の関心事は、ドル円などの主要通貨の動向や、米国や日本など主要国の経済についてでした。このため、幅広い分野の調査を行っていましたね。

――その後、リーマンショックが起きますが、リサーチ部門は変わりましたか。

リーマンブラザーズの欧州部門買収という会社が激動する中で、個人投資家向けにリサーチ情報を提供する投資情報部に異動になりました。この間、機関投資家向けのリサーチ部門は、リーマンブラザーズのリサーチ部門と統合され、グローバルな調査体制が新たに構築されるなど、今の野村證券の調査組織につながる大きな変化になりました。

株式のことを「語れる」ようになった時

――長年債券や為替を担当し、2013年にNomura 21の編集長として、株式投資のストラテジストになりました。株式のことを語れるようになったと確信されたタイミングはいつですか。

2016年にトランプ前米大統領が当選した直後に、かつて外資系金融機関の幹部だったお客様とお話しする機会がありました。その際「株式市場は大丈夫なのか」と問われました。自分の中ではその頃、すでに株式というのは企業の業績と金利、リスクプレミアムによって価格が決まるという思考の柱がしっかりとできていましたので、「トランプ氏の大統領就任の株価への影響はほとんど関係がない」と断言できた時でしょうか。実際にその後、株式市場が混乱するようなことはありませんでした。

また、2020年に始まった新型コロナ禍は、当初はさほど長く続くとは思っていませんでした。以前にも、2003年に中国南部で発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)や、2012年のMARS(中東呼吸器症候群)では、全世界がパニックになるほどではありませんでした。このため、医学や生物学の専門家でないにもかかわらず、コロナ禍も楽観的に見ており、平時の状態に移行するのに、3年もの長い時間がかかるとは考えもしませんでした。

コロナ禍で株価は一時、想定外の急落に陥りました。しかし、その後は経済活動が制限される中、金融緩和の追い風もあり、テクノロジー分野の成長加速やパフォーマンスの優位性を見た部分については、マクロ経済のファンダメンタルズ分析を背景とした投資判断が予測通りになったと思います。

――ストラテジストとして、日本企業のことをどう見ていますか。

日本は産業の新陳代謝が進まないとも言われますが、東京証券取引所に上場している企業の時価総額すべて足し合わせると、バブル期のピークだった1989年末の約611兆円を超えているんですよ。東証上場企業の時価総額の合計自体は2023年3月末時点で、約743兆円になっています。

さらに、日本では上場する企業の数が2013年から2022年の間に約400社増えている一方で、米国では減っています。テックジャイアントを中心に、次々に企業買収が行われていることも背景にあると思いますが、欧米ではPER(株価収益率)の低い企業が淘汰されやすいという事情もあるのかもしれません。

――最後に、趣味を教えてください。

写真を撮ることでしょうか。子どもの特別な記念日の写真だけでなく、何気ない瞬間の写真、そのほか、面白いものや気になるものはなんでも撮ってみます。毎年、イルミネーションで美しく彩られた街中のクリスマスツリーも撮影しますし、最近では近くの工事現場なども撮っています。新聞記事をスクラップすることもよくありますね。リサーチャーって、収集癖がある人が向いていると思うんです。収集という行為がリサーチに役立つのではないかと思います。

プロフィール 小髙貴久(おだか・たかひさ)

1999年、野村総合研究所入社。経済研究部で日本経済の分析を担当。2000年に野村證券に出向。2004年に同社に転籍した。マクロ経済とミクロ経済双方の観点から株式市場を分析することを得意とする。

ご投資にあたっての注意点