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06/22 10:00
グローバルサウスの台頭とフード&アグリビジネスの可能性(前編)- グローバルサウス諸国のフード&アグリ分野の課題 -
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 コンサルタント 中村 圭吾(2025年6月18日) はじめに 昨今のニュースなどでグローバルサウス(以下、GSと呼ぶ)という言葉を耳にする機会が増えた。GSには明確な定義があるわけではないが、いわゆる新興国・開発途上国を指し、多くの新興国・開発途上国が地球の南半球に位置していることに由来している。近年、欧米などのいわゆる先進国に属さない第三勢力のGS諸国が、国際的な影響力を高めている。本レビューでは、GS諸国を今後の世界経済を牽引する新興国・開発途上国の総称と定義し、その台頭の背景と、特に同地域のフード&アグリ分野の可能性に関して、2回にわたりシリーズ化する。 前編にて、フード&アグリ分野にて、台頭するGS諸国が共通して直面する課題を整理するとともに、それらの課題の解決に挑むスタートアップを数社紹介する。 その上で、後編にて、GS諸国間の文化・社会的な違いから生じる課題やニーズに対する解決策が求められる中、グローバルな食料安全保障や環境問題の解決に挑戦する日本企業の事例と、それらの取組を支える日本政府、政府系機関、自治体のスキームなどを取り上げ、GS諸国を対等なパートナーとして捉え、共同で新たな価値を創出していく「共創」のあり方を考察する。 1. 国際社会の混乱とグローバルサウス諸国の台頭 GSに括られるアジア、アフリカ、ラテンアメリカの多くの国々は、豊富な天然資源や人口増加を背景とした経済成長を続けており、2050年には、GS諸国の人口は、世界人口の3分の2を占めるとも言われている(図表1-1)。また、経済面でも、既にG7[1]を上回る規模となっており、その後もその経済規模はさらに拡大していくと見込まれている(図表1-2)。 GS諸国では、イノベーションへのニーズが大きく、先進国に比べて法律や制度も十分に整備されていないことから、規制を受けることなく新技術の実用化が比較的早く進む点も特徴である。そのため、多くのGS諸国は、最先端技術を導入することによって、既存技術で成長を遂げてきた先進国よりも更なる発展を遂げる現象、いわゆるリープフロッグ型に経済発展する可能性を秘めている。 図表1-1(左) 人口予測 図表1-2(右) GDP対世界比(購買力平価換算)シェア (出所)国際連合「World Population Prospects 2024」(左)、IMF「世界経済見通し」(右)の各統計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 一方、GS諸国の歴史的・文化的な背景は多様であり、経済的には一定程度発展しているものの都市化や高齢化などの社会課題に直面する国、インフラ、公衆衛生や教育に問題を抱える国、食料や医療の不足に苦しむ国、難民の発生や気候変動の影響等に苦しむ国など各国に共通する課題とその国・地域特有の課題が存在する。GS諸国のニーズが、経済成長だけでなく社会課題の解決にシフトする中で、この地域の企業を「共創」のパートナーとして日本企業が捉え、グローバルな課題を共に解決することが重要になっている。 2. グローバルサウス諸国のフード&アグリ分野における課題 GS諸国では、それぞれフード&アグリ分野のおかれている自然条件や社会条件は様々であり、各地域の特性に応じた課題を把握することが重要である。本章では、その中でもGS諸国(及び一部の先進国)で共通する課題として5つの分野を取り上げたい(図表2-1)。 図表2-1 GS諸国(及び一部の先進国)で共通する5つの課題 (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (1)食料安全保障の脆弱性 国連食糧農業機関(FAO)は、食料安全保障を、「すべての人がいかなる時も、活動的で、健康的な生活に必要な食生活上のニーズと嗜好を満たすために、十分で安全かつ栄養ある食料を、物理的、社会的及び経済的にも入手可能であるときに達成される状況」と定義[2]している。この食料安全保障を構成する4つの要素として「供給可能性」、「安定性」、「適切な利用」、「物理的・経済的入手可能性」が挙げられるが、GS諸国は、これら4つの不安定さにより、食料不足や飢餓に苦しみやすい。例えば、ウクライナからの輸出品のうち、特に小麦は、一部のアジアおよびアフリカ諸国にとって極めて重要で、これらの国々は、ロシアによるウクライナ侵攻前の2016年から2021年まで、ウクライナで生産する小麦の約9割を輸入していたが、ロシアによる黒海港の封鎖により、小麦の供給減少と価格高騰で大きな食料安全保障上の危機に直面した。現在は、世界的に良好な小麦の収穫量を背景に、一時期に比べると価格は安定しているが、今後もウクライナの世界市場への穀物の輸出能力が回復しなければ、GS諸国を中心とした穀物の供給力は不安定な状態が続くと予想される。 このように食料不安は経済的に脆弱な国々への負荷が大きい。「世界の食料安全保障と栄養の現状(SOFI)2024年報告」によると、2023年の栄養不足人口は、中央値で7億3,300万人と推定されており、2019年に比べて、2023年には飢餓に直面した人が1億5,200万人増加している(図表2-2)。また、同年の栄養不足人口を地域別で見ると、アジアとアフリカが、それぞれ3億8,450万人と2億9,840万人を占めており(図表2-3)、多くのGS諸国では、気候変動や自然災害、経済的制約などを背景とした農業生産性の低下や不安定な食料供給を背景に、食料安全保障が確保されていない状況が続いている。 図表2-2(左) 世界の栄養不足人口の推移 図表2-3(右) 地域別の栄養不足人口 (出所)FAO等「SOFI2024年報告」の統計データより野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2)温室効果ガス排出と気候変動への対策不足 多くのGS諸国では、経済成長の進展にともない、大気汚染、水資源の枯渇、生態系の喪失などの問題が表面化している。これらの国々は、経済発展を優先するために、環境問題への対策を後回しにする傾向にあり、これにより温室効果ガス(GHG)排出量が増加し、結果としてインフラ整備や新技術導入が遅れ、災害に対する回復力・耐久力が乏しいGS諸国において気候変動による被害が特に深刻化している。実際に、1990年には、温室効果ガスの累積排出量は先進国が41%、開発途上国が42%でほぼ同じ割合であったが、2022年にはGS諸国がGHG総排出量のうち65%を占めている(図表2-4)。一方で、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)では、開発途上国が先進国に対して、現在進行する地球温暖化の主な原因を作ったのは、環境対策を無視して経済発展を遂げてきた先進国だとして、率先してGHG排出を減らすことや開発途上国への巨額の資金支援を求めている。このことで、開発途上国と先進国の間で対立が生じ、今後のGHG排出の目標やエネルギーの発電、消費方法等に関して交渉が難航する場合が多い。 図表2-4 先進国とグローバルサウスのGHG排出量の割合 (出所)「Climate Watch[3]」の統計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 私達人類は、産業革命以後、大量の化石エネルギーを消費し、GHGを発生させてきた。しかし、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)[4]によると、現在のままGHG排出が継続すると、地球の温度は2030年前後に、産業革命前から比べて1.5度上昇する危険性が指摘されている。さらに、2025年1月の欧州連合(EU)の気象情報機関「コペルニクス気候変動サービス」の報告[5]では、すでに2024年の平均気温は産業革命前と比べて約1.6度高かったと報告されている。2015年のCOP21にて採択された、気候変動対策の国際枠組み「パリ協定」では、上記の1.5度の気温の上昇幅は、単年の数字ではなく、複数年の平均で判断するとされているが、地球温暖化への対策は一刻の猶予も許されない状況である。 GHGは、大気中に存在するCO2やメタン、フロンなどのガスの総称で、世界のGHG排出量は、CO2換算で590億トンあると推定されている(図表2-5)。このうち、農業に起因するGHG排出は、排出全体の約11%で約65億トンを占める。農業は数千年にわたり人類文明の中心的役割を果たしてきたが、これらに起因するGHG排出も、今後のGS諸国を中心とした人口増加と食料需要の高まりに伴い、適切な対策を講じない限り、更に増加すると予測されている。このように、GHG排出と気候変動は、開発途上国の経済発展と密接に繋がっており、国際的にGHG排出削減が求められていることを背景に、近年、GHGの削減量や排出権を企業間で売買できるカーボンクレジットの市場が成長してきている。しかし、クレジットの制度設計や認証体制等に関してグリーンウォッシュ[6]として非難されるなど、発展途上期でもあり、現在のところ、先進国を含め気候変動に対して十分な対策は講じられていない。 図表2-5 世界の農業由来のGHG排出量 (出所)IPCC第6次評価報告書第3作業部会報告書(2022)及びFAOSTATより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (3)労働力と人的資源の制約 2050年には、GS諸国の人口は、世界の人口の3分の2を占めると予想されており、農業関連市場は高いポテンシャルがある。一方、広大な国土を有する一部の国を除き、GS諸国の多くの農家は1ha未満の面積で農業を営む小規模農家であり、かつ不毛な土地で灌漑などの設備もなく、低賃金かつ厳しい労働環境下で働いている。農業労働の人口比率は、東南アジア・大洋州54.4%、南アジア50.5%、サハラ以南アフリカ56.5%[7]となっており、特に低所得国で高い傾向にある。 また、インド、タイ、ブラジル、サハラ以南アフリカ、東南アジア諸国を中心に、農業従事者の高齢化問題も深刻化している。これら国・地域では、農業が地域経済の中心である一方で、若者の都市部への流出や農業離れなどを背景に、若年層の農業従事者が減少しており、高齢者が農業の担い手として中心的な役割を担っている。そのため、開発途上国では、先進国同様もしくはそれ以上に、農業分野での後継者不足が深刻で、新たな技術や知識を持った人材育成が急務とされている。 農業分野におけるジェンダー不平等もまたGS諸国の農業生産の低い成長率の要因の一つとされている。例えばアフリカ諸国では、女性は農業労働人口の大部分を占めているが、土地の配分に関しては多くの障壁に直面している。また、女性は男性に比べて金融サービスやそれに付随する支援サービスへのアクセスも厳しい傾向にある。 (4)技術導入のための資金力不足 GS諸国の農業の近代化を阻害する要因として資金的および技術的な制約も存在する。多くのGS諸国に共通する課題として、農業に関する教育や技術が不足しているため、農家が最新の農業技術を学びそれらを実践する機会が限られている。また、金融機関などから資金調達することも困難であるため、新たな技術の導入や農業の効率化が進みにくい。 さらに、アフリカや中東では、水不足による干ばつ被害が深刻で、効率的な灌漑技術の導入が進まない状況にある。広大な土地があるラテンアメリカでは、土地所有権が複雑で、農業技術の導入が進まない要因となっており、技術に関しても、最新技術にアクセスできる大規模農家とそうでない小規模農家との間での技術格差が広がっている。東南アジアやラテンアメリカで行われているプランテーション・モノカルチャーは、砂糖、コーヒー、ゴムなどの単一作物を大規模に栽培する農法で、効率的な生産が可能である一方、土壌劣化や害虫繁殖を招きやすく、また周辺地域の生態系への悪影響や労働環境の問題も指摘されている。 (5)市場アクセスの困難さ 多くの開発途上国では、農産物の流通システムが近代化されておらず、多段階で複雑な構造であるため、農家は市場へのアクセスが難しく、生産コストを回収できる価格での販売が困難となっており、低賃金の要因の一つになっている。例えば、多くの東南アジア諸国では、経済発展に伴い、中間層の拡大と若年層の消費増加により食品市場が拡大しているものの、輸送インフラやコールドチェーンは未整備な部分が多く、生産者は高品質で安全な農産物を栽培しても、サプライチェーンの途中におけるフードロスも大きい。さらに、農家共同体による共同販売や生産体制も未確立な場合が多く、中間流通業者に対する農家の価格交渉力が低いという課題もある。 3. グローバルサウス諸国のフード&アグリテック市場とスタートアップ ここまで、GS諸国の可能性と同地域の農業分野に関連した課題について整理した。このような成長著しいGS諸国では、多くのフード&アグリテック系スタートアップが、農業分野における課題の解決を目指して、食料増産、農家の生計向上、金融アクセスの改善などの事業を展開している。 本章では、リープフロッグ的に経済発展を遂げているGS諸国のフード&アグリテック分野におけるスタートアップ市場の概況と代表するスタートアップをいくつか紹介したい。 (1)グローバルサウスのフード&アグリテック市場 世界のスタートアップへの投資額は、2010年代半ばから2021年にかけて、各国の金融緩和政策による余剰資金の増加と、2015年の「持続可能な開発目標」(SDGs)の採択を背景に、増加の一途を辿ってきた。しかし、その投資額は、2021年をピークに、2022年、2023年と大幅な減少に転じ、2024年は復調の兆しは見せたものの3年連続で減少している。なお、グローバルなフード&アグリテック業界と日本企業のビジネス機会に関する詳しい考察は、NOMURA フード&アグリビジネス・レビュー Vol.2[8]をご参照いただきたい。 一方、2024年のGS諸国におけるフード&アグリテック分野のスタートアップへの投資額は、増加に転じている(図表3-1)。米国・AgFunder[9]によると、2024年の世界のフード&アグリテック市場の資金調達額は、160億米ドルと、前年同期比で4%減少する中、GS諸国の同分野への投資額は、37億米ドルと、2023年と比較して63%増加している。長期的にみても、2015年当時10%強であったGSの全世界投資に対する割合は2024年度には23%と上昇しており、GS諸国のシェアが拡大している。また、欧州や中国での市場減退を背景に、2024年の世界全体での投資件数は、前年同月比で22%減となっている中、GS諸国の投資件数は前年同期比で8.4%の減少にとどまっている。 図表3-1 フード&アグリテック市場での全世界及びグローバルサウスへの投資状況 (出所)AgFunder「Developing Markets AgriFoodTech Investment Report 2025」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2)事例紹介 ここからは、日本の公的機関や民間企業との間で接点がある、または今後協業が考えられるGS発のフード&アグリテック系のスタートアップを5社紹介する。これらの企業は、GS諸国の課題を解決するソリューションをそれぞれ有する事例であり、日本企業が「共創」を考えるうえで有益なスタートアップと考えられる。 1)自動化された農産物の生産システム Agrilogiq社(アグリロジック社)[10]は、2017年に南アフリカ共和国にて設立されたアグリテック企業であり、農業バリューチェーン全体の最適化を目指し、アグリテック分野における先進的なソフトウェアとハードウェアの開発を通じて、生産者と栽培施設を結びつけるプラットフォーム事業を展開している。具体的には、リアルタイムで取得したデータをクラウドベース上でのソフトウェアプラットフォームと連携させ、自動化されたシステムにより、各地域の気候に最適化した温室での農産物栽培に関する管理システムを提供している。同社は、国際協力機構(JICA)が、2024年に南アフリカ共和国で実施したNext Innovation with Japan (NINJA) [11]アクセラレーター・オープンイノベーションプログラムで採用された、ICTソリューションのアフリカの主要なインテグレーターである。日本電気株式会社(NEC)のアフリカ・サブサハラにおけるグループ会社であるNEC XON社とマッチングし、3か月にわたる実証実験(PoC)を経て、2025年に、NEC XON社の公式ベンダーとして正式に採用されている[12]。これから、NECのAI・データ分析技術や国際的なネットワークを活用することで、更なる国際的な展開が期待されている。 図表3-2 各気候に最適化した温室栽培システム (出所)Getty Images 2)中間流通を介さないマーケットプレイス index01Zowasel社(ゾワセル社)[13]は、2017年に設立されたナイジェリアのアグリテック系スタートアップであり、小規模農家の課題解決に特化している。ナイジェリアの農業市場において農家が直面する課題として、マーケットアクセスがある。創業者自身も小規模農家出身であり、その経験を活かして農家と企業を結ぶプラットフォームを立ち上げた。 Zowasel社のビジネスモデルは、農家(売り手)と企業(買い手)を直接結ぶマーケットプレイスを中心に展開しており、農家は中間業者を介さずに直接取引を行うことができる。同社によると、このアプローチにより、農家の平均収益をおよそ3割向上させることに成功している。その他にも、主な事業として、作物栽培に関する栽培指導や農機器のレンタル、クレジット・スコアリングサービスが含まれている。同社は、200万人以上の小規模農家と約5,000社の企業とのネットワークを有しており、主なパートナーにはシンガポールのOlam社、南アフリカのPromasidor社、アイルランドのGuinness社などが含まれている。また、Zowaselはナイジェリア三菱商事やJICAとの連携を通じても、農機導入や金融アクセスの向上を図っており、同社のビジネスモデルは、ナイジェリアの農家の「マインド変革」を通じて、農業の効率化と持続可能性の向上に貢献し、同国の農業関連の状況を根本から変える可能性を秘めている[14]。 図表3-3 収穫した農産物の情報を入力する農家 (出所)Getty Images 3)農業労働者の貧困撲滅とフェアトレード Endiro Coffee社[15]は、2011年に子どもたちの未来を奪う児童労働を終結させるというビジョンのもと、ウガンダの女性起業家によって設立されたウガンダ最大のコーヒー企業である。同社は、単純に利益だけを考えずに、貧困削減やフェアトレードを重視し、地元農家から調達した高品質でオリジナルなコーヒーを特徴としている。現在は、ウガンダ・ケニア・米国で17のコーヒーショップを運営している。2021年にウガンダで実施されたNINJA アクセラレータープログラムに参加し、日系企業との事業連携にも成功し、日本での販売経験も持つ。同社は現在、ウガンダだけではなく、他のアフリカ諸国のコーヒー農家と世界中のバイヤーを直接つなぐコーヒーEコマースプラットフォームの運営も計画している。 図表3-4 ウガンダ産のコーヒー豆 (出所)Getty Images 4)多面的な収益機会の提供 AGRO AGAPE社(アグロアガぺ社)[16]は、2018年に設立されたカンボジア発のスタートアップである。 「Farm to Table, Table to Farm(農場から食卓へ、食卓から農場へ)」をモットーに、カンボジアのコーヒー農家への質向上のための研修や機器の提供、質の高い豆の買い取りや卸売販売、カフェでの提供、そしてコーヒー豆の残渣からできるバイオ炭の肥料製造や販売等を行っている。カンボジアでは、多くの農産物を輸入に頼っており、コーヒーに至っては9割が輸入品となっている[17]。カンボジアでは、コーヒー豆が大量にベトナムに輸出され、ベトナム企業がコーヒー粉末を作り、ベトナム産コーヒーとして、カンボジアに再度輸出する不均衡な構造となっている。創業者で女性起業家のSreypouv Tan氏は、彼女の叔父の経営するコーヒー農園において、市場がないためにコーヒー豆が収穫されず、破棄されている現実を目の当たりにし、農家を支援するために本ビジネスを立ち上げた。また、Sreypouv Tan氏は、起業家として様々な障壁に直面しながらも、他の女性零細企業家を支援することにも情熱を注いでおり、女性起業家への支援プログラムにも参加している。同社は、2024年に開催された特定非営利活動法人ARUN Seed主催のCSI チャレンジ5に参加し、デロイトトーマツ賞金賞を受賞している[18]。 図表3-5 コーヒー農園 (出所)Getty Images 5)バイオスティミュラントによる農業生産性の向上 M4Life社(“Microbes For Life”(エムフォーライフ社)[19]は、2023年にアルゼンチンで設立されたバイオテクノロジーのスタートアップであり、微生物を活用した持続可能な農業改善を目指している。微生物の専門家と投資銀行出身者が共同創業しており、両者の専門性を活かして、農業の生産性向上に寄与する独自の技術を開発している。同社の主な特徴は、ストレス環境下で育つ植物の根から隔離した微生物を選択し、バイオ・トレーニング技術を用いて、気候変動や干ばつなどの非生物的ストレスに対する耐性を高めることにある。この独自の技術により、従来のバイオスティミュラントの効果を飛躍的に向上させることに成功しており、農業の生産性向上に寄与している。 図表3-6 土壌から微生物を単離する様子 (出所)Getty Images 同社は、すでに世界各地で圃場試験を実施しており、多くの実験で、当初の期待を超える高い成果を出しており、グローバル企業とのパートナーシップにも積極的で、大手企業と共同で新たなビジネスチャンスを模索し、付加価値を高めるソリューションを展開している。シリコンバレーの著名なベンチャーキャピタル投資家であるTim Draper氏が立ち上げた起業家育成プログラムで優秀賞を受賞したことで、国際的な知名度も上がり、将来の成長が大いに期待されている。 おわりに GS諸国は、豊富な資源、起業家精神が旺盛な国民性そして革新的技術の導入を背景に、リープフロッグ的に経済発展を遂げている。一方で、気候変動や地球温暖化の影響や地政学的なリスクを背景に、GS諸国はまだまだ社会課題が山積している。混沌とする現在の世界情勢において、日本が引き続き経済発展を遂げていくためには自社、自国の成長のみを考えるのではなく、GS諸国の企業をパートナーとして「共創」していくことが重要だ。 後編では、フード&アグリ分野において、日本の強みや個性を活かし、実際にGS諸国をパートナーとして捉え、海外展開を行っている日本企業を紹介するとともに、これら活動を後押しする日本政府や政府関係機関、そして各自治体の支援メニューについて紹介、考察したい。 [注釈] [1] フランス、米国、英国、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7か国及び欧州連合(EU)が参加する枠組み。 [2] 「食料安全保障」FAOHP (https://www.fao.org/fileadmin/templates/faoitaly/documents/pdf/pdf_Food_Security_Cocept_Note.pdf) [3] Climate Watch HP (https://www.climatewatchdata.org/) [4] 「IPCC 第 6 次評価報告書 第 3 作業部会報告書の概要」環境省HP (https://www.env.go.jp/content/000155004.pdf) [5] 「2024年は産業革命前の平均気温を1.5℃以上上回った」コペルニクス気候変動サービスHP (https://climate.copernicus.eu/2024-track-be-first-year-exceed-15oc-above-pre-industrial-average) [6] 環境に配慮したかの様に見せかける、 実態が伴わない行動や表現 [7] 「JICAグローバル・アジェンダ(課題別事業戦略) 5. 農業・農村開発(持続可能な食料システム)」JICAHP (https://www.jica.go.jp/Resource/activities/issues/agricul/ku57pq00002cubgq-att/agricul_text.pdf) [8] 「フード&アグリテック・スタートアップのグローバル事業環境と今後の展開シナリオ - 国内大手企業の新規グローバル参入機会 -」野村證券HP (https://www.nomuraholdings.com/jp/sustainability/sustainable/fabc/data/20240611_2.pdf) [9] 「Developing Markets AgriFoodTech Investment Report 2025」 AgFunder HP (https://agfunder.com/research/agfunder-global-agrifoodtech-investment-report-2025/) [10] 会社HP (https://www.agrilogiq.com/) [11] JICAによる開発途上国のビジネス・イノベーション創出に向けたスタートアップエコシステム構築支援プログラム [12]「南アフリカ初のNINJAアクセラレーターの成果として、スタートアップ2社がNEC XONの公式ベンダーに」JICA HP (https://www.jica.go.jp/activities/issues/private_sec/project_ninja/news/2024/20250317.html) [13] 会社HP (https://www.zowasel.com/) [14] 「デジタル農協化」するアフリカ×アグリテック・スタートアップ」新潮社Foresight HP (https://www.fsight.jp/articles/-/49333) [15] 会社HP (https://www.endirocoffee.com/about-us-1) [16] 会社HP (https://agro-agapecambodia.com/) [17] 「【女性起業家の挑戦】起業を通じた社会課題解決 第二回 – カンボジア産コーヒーにかける思い」笹川平和財団HP (https://www.spf.org/gender/women_entrepreneurs/20231124.html) [18] 「CSIチャレンジ5最優秀企業は、侵略的外来植物のランタナから象のアートを製作するインドのスタートアップに決定」ARUN HP (https://www.arunseed.jp/info/20240517.html) [19] 会社HP (https://www.microbesforlife.com/) ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 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06/21 15:00
生物多様性と今後の企業の在り方(前編)
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニアコンサルタント 遠藤 暁(2025年6月18日) 1.はじめに 2023年9月に自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)が正式なフレームワークを公表したことを受けて、上場企業における非財務情報の開示に、生物多様性が盛り込まれるようになってきた。今後、この動きは、投資家はもとより、社会全体からの要請により、加速していくと考えられる。 生物多様性と言ったときに大前提となるのは、企業活動は自然資本(Natural Capital)の上に成り立っているという考え方である。これは、図表1のハーマン・デイリーのピラミッドの通り、水や空気、土壌などの自然を利活用してビジネスが成り立っており、それら全体を自然資本として尊重していかなければならないということである。現代社会に欠かせない電気ひとつをとって見ても、発電に自然資本が使われていることは明白である。公害などは言うまでもなく、自然資本をないがしろにする企業経営は、自社のレピュテーション低下や利用できる社会資本を傷つけ、回りまわって業績が悪化し、自社の企業価値を毀損することになり、逆に、自然資本を尊重し、利活用する企業は自社の企業価値を持続的に上げていくことができるのである。 その考えを自社の経営においてどのように落とし込んでいくのか、あるいは何を開示すべきなのか、についてTNFDでは、LEAPアプローチという手法で、自然関連の課題を特定して評価することを推奨している。LEAPは、Locate(発見)、Evaluate(診断)、Assess(評価)、Prepare(準備)の各ステップを表している。自社のサプライチェーン/バリューチェーンの全てを一気にということではなく、まずは少数の重要性の高いプロダクトやサービスに限定してLEAPアプローチを取ることが可能であり、また、LEAPの一部を取り上げて開示することも可能である。例えば、キリンホールディングスのTNFD報告では、自然関連への事業の依存度と事業が自然に与えるインパクトから、コーヒー豆、ホップ、紅茶葉、大豆が優先対象として選ばれ、その中で具体的な活動が行えるスリランカの紅茶葉農園にフォーカスし、2023年度はLocate(発見)とEvaluate(診断)について、2024年度はAssess(評価)とPrepare(準備)について開示を行っている。 なお、TNFDは、2015年に設置され既に多くの企業が対応している気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の4つの柱(ガバナンス、戦略、リスクとインパクトの管理、測定指標とターゲット)と11個の開示提言に自然特有の3つの開示提言を追加(ガバナンス、戦略、リスクとインパクトの管理の各々に1つずつ)したものとなっている。TCFDからTNFDへ拡張していく、という考え方で開示内容を検討すると、実務的に取り組みやすく、且つ投資家にとっても分かりやすいだろう。 図表1 ハーマン・デイリーのピラミッド (出所)2014年6月18日旭硝子財団「2014年(第23回)ブループラネット賞受賞者」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2.生物多様性に関する歴史 15世紀以降、大交易時代(大航海時代)を迎え、世界各地の交易が盛んになると、新たな土地への外来種の侵入や珍しい動植物の乱獲も同時に進み、多くの種が絶滅した。これは、生態系内で行われる生存競争や災害などによって起こる自然由来の種の絶滅とは根本的に異なる人為的なもので、そのスピードは早い。最も有名な例の一つとして、乱獲によって絶滅したドードーが挙げられる。ロンドンの自然史博物館に全身骨格のレプリカがあるが、既に全身標本は失われており、わずかに頭部と左脚のみ標本がオックスフォード大学に残されている。ニホンオオカミも、1905年に絶滅したと言われており、これが現在のシカによる農作物等の食害の拡大につながっているとも言われている。人為的な自然破壊は、回りまわって自らに跳ね返ってくるのである。 1892年に米国でシエラクラブ、1895年にイギリスでナショナル・トラストが設立され、産業革命によって引き起こされた自然破壊に対する保護運動が始まった。また、1872年には、米国のイエローストーンが世界初の国立公園として指定され、その保護が開始されている。二度の世界大戦を挟み、1948年には、国際NGOとして、スイスのグランに本部を置く国際自然保護連合(IUCN)が立ち上がり、さらに1961年にIUCNの資金調達部門として世界自然保護基金(WWF)が設立された。その後、1962年にレイチェル・カーソンによる「沈黙の春」が著され、環境問題は市民の間でも広く知られるようになる。欧州で国立公園が設置されるのは、大半が第二次世界大戦後のことである。 また、国際的には、1971年に、湿地とその上に生息する動植物の保全等のために、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(いわゆる「ラムサール条約」)が採択された。ラムサール条約の対象となる日本国内の湿地数は徐々に増え、現在、53か所が指定されている。加えて、1972年には、米国政府とIUCNが主体となって、「絶滅のおそれがある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(いわゆる「ワシントン条約」)が採択されている。 日本国内では、1949年に尾瀬原ダムによる尾瀬の自然破壊を止めるために「尾瀬保存期成同盟」が立ち上がり、1951年に日本自然保護協会へ名前を変え、1960年に財団法人化しIUCNに加入、2011年に公益認定された。また、公害問題を機に1971年に環境庁(現 環境省)が発足し、環境行政と自然保護行政を担うこととなった。 これらの20世紀半ばから後半にかけての国内外の動きは、現在の生物多様性保護につながるが、どちらかというと公害や都市化などによる自然破壊を食い止める動きであった。一方で、20世紀末からの自然保護活動は、保護だけではなく、より積極的に生物多様性を増加させていこうという動きと捉えることができる。その先駆けとなるのが、1992年に採択された生物多様性条約(CBD)である。2025年3月現在、194か国と欧州連合、パレスチナが締結しているが、米国は遺伝情報の保護に関して不十分であることを理由に、未締結となっている。 CBDは、ワシントン条約とラムサール条約を補完する形の内容となっており、3つの大きな目的を定めている。一つ目が生物多様性の保全、二つ目が生物多様性の構成要素の持続可能な利用、三つ目が遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分である。この三つ目の目的に関連して、2010年に名古屋議定書が採択されている。また、CBD第8条(生息域内保全)及び第19条(バイオテクノロジーの取扱い及び利益の配分)第3項に関連して、「バイオセーフティに関するカルタヘナ議定書」が2001年に採択され、さらに世界目標として「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が2022年12月に採択されている。これらの条約等の関係は、図表2の通りである。 図表2 生物多様性条約と関連する条約等の関係 (出所)外務省および環境省HPの情報により、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 図表3 自然保護・生物多様性に関する国内外の主な出来事 (出所)公開情報により、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 3.生物多様性と森林・林業・木材産業 生物多様性を考える際に、分かりやすい例の一つが森林生態系である。森林は、様々な動植物が一定の生息域に存在し、相互作用によって成り立っている。生態系内のプレーヤーは、無機物から有機物をつくる植物を中心とした生産者、生産者が生産した有機物を取り入れる消費者、消費者のうち有機物を無機物に分解する過程に関与する分解者の大きく3つ分けられる。植物(生産者)が光合成によって生み出したエネルギーにより葉や枝が生長し、それらを食べる昆虫が集まり、さらに昆虫を食べる鳥類や小型哺乳類が集まり、それらを捕食する、より大型の哺乳類が生息域に存在する。昆虫や鳥類、哺乳類の死骸や落ち葉などは、微生物や細菌類によって分解された後に、植物が根から養分として吸収し、枝葉が生長するサイクルに戻る。生産者から消費者、分解者そして生産者へ戻るサイクルが健全に維持されることで、有機物生産が豊富な森林では自ずと生態系も豊かになる。 日本では、古くからこの森林生態系の豊かさに畏怖の念を抱き、山岳信仰が根付いてきた。今でも、マタギたちは、山に入る前に山の神に祈りを捧げ、山言葉を用いる。山は神聖な地であり、汚れた里の言葉を使わないためとされている。これらの信仰は、自然保護的な考え方に基づいており、むやみに獲物を獲らないことを徹底していることは、その考え方を端的に表している。山岳信仰は、北海道から沖縄まで日本全国に存在しており、アニミズム的信仰に基づいているため、起源は縄文時代初期までさかのぼると考えられている。氷河期に覆われた欧州では樹種が少ないことは言うまでもなく、動物種においても、日本と比較すると少ない。万物に神が宿ると考える日本人の精神性と自然保護あるいは生物多様性というのは、元来馴染みがあると言える。 生物多様性が木材の生産量にどう影響するのかを明らかにしたのは、カナダの森林生態学者のスザンヌ・シマード博士である。2023年に日本語版が出版され、ベストセラーとなった「マザーツリー―森に隠された「知性」をめぐる冒険」(ダイヤモンド社)の著者である。シマード博士は、様々な樹種の間で、根から土壌中の菌類を通じて生態系内にネットワークが張り巡らされており、様々な樹種間でコミュニケーションが行われていることを、放射性同位体を用いた実験により実証した。特に、森林生態系内に存在する高樹齢の「マザーツリー」が、幼木へ栄養分などを送ったり、食害に対する警告を送ったりしていることが分かっている。そして、様々な樹種が存在することで、このようなコミュニケーションが活発になり、最終的な樹木の生長にもプラスの影響があることを明らかにした。 また、九州大学の榎木勉准教授の「長期間にわたる下層植生の除去が森林生態系の機能に及ぼす影響の評価」においても、下層植生の除去がカラマツ人工林の成長量減少につながる結果を示している。さらに、ミズナラ二次林とカラマツ人工林を比較した影響調査では、下層植生の変化に対する生態系機能への影響は、ミズナラ二次林よりもカラマツ人工林において大きいことが分かり、人工林における下層植生の重要さを示唆している。さらに、国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所、地方独立行政法人北海道立総合研究機構森林研究本部林業試験場、アメリカ地質調査所の研究グループは、北海道のトドマツの人工林の中で、少量の広葉樹をトドマツ伐採時に残すことで、鳥類の個体数が増加することを実証した。haあたりわずか20~30本の広葉樹を維持することで、皆伐よりも鳥類の個体数が統計的に優位に維持できるとしており、経済性を少しだけ犠牲にすることで、生態系が保全できることが分かっている。カーボンクレジットのように、この生態系保全による得られる様々な効果を証書化して経済価値として見える化し、木材価格に折り込む、あるいは証書だけを取引できるようになれば、この経済性の犠牲に関しても外部化して、コスト負担をサプライチェーンの下流側でも負ってもらうことが考えられる。 具体的な生物多様性を保全した森林の構想として、愛媛県久万高原町の「黄金の森プロジェクト」を前編の最後に紹介したい。プロジェクトをリードする久万造林は、創業1873年の150年以上に亘って、久万高原町で林業を営んできた。創業者である井部栄範がスギの苗木を植樹したのが、この地の林業の始まりとされている。今では、久万高原町はスギの名産地として知られ、愛媛県の林業研究センターが設置されるなど、県内の林業の中心地の一つとなっている。 黄金の森プロジェクトでは、皆伐した見晴らしの良い南向き斜面に、100年後を見据えた多様性を確保した森づくりを行っている。特徴的なのは、植樹する樹種の選定や植え付け場所などに、庭師の考えを取り入れていることである。日本庭園は、自然の美を狭い範囲に再現することを目的としており、元々は、自然の山の植生から何をどこに植えるかなどの技術が生まれている。その庭師の技術を逆輸入する形で、山に適用したのが、黄金の森プロジェクトである。スギやヒノキといった造林樹種だけではなく、広葉樹を含めた幅広い樹種を植栽している。 また、80年生を超えるスギが生えている林分(樹種や樹齢などが同じ森林を指し、森林管理の最小単位)では、下層植生の生育を促す間伐を定期的に行い、森林セラピーやキャンプ場として利用する計画、間伐や施業を直接見ることが出来るエリアを設ける計画など、林業関係者以外の人々が森に親しみを持ってもらうことも考えられており、オープンイノベーションが生まれる場を提供しようと考えられている。黄金の森プロジェクトが実施されているエリアは、全てドローンによるレーザー計測が終わっており、山全体の3Dデータや施業実績が整備されていることから、どのような施業を行うとどういった状態になるのか、というバックデータがあることも強みである。 後編では前編の内容を踏まえた企業の社会的責任と生物多様性に配慮した今後の企業の在り方について、まずはメセナ、ESG、SDGsといった企業の社会的責任の変遷を追う。そしてプロジェクトファイナンスにおける国際的なコンセンサスであるエクエーター原則や世界銀行EHS(環境・衛生・安全)ガイドラインなどを取り上げ、生物多様性保全の考え方を解説した上で、投資家の間で関心が高まっている非財務情報の開示にも触れて、今後の企業経営における生物多様性の重要性を強調したい。 以上 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 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05/25 16:00
欧米における営農型太陽光発電の動向
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニアフェロー 石井 良一(2025年5月20日) はじめに 営農型太陽光発電とは、一時転用許可を受け、農地に簡易な構造でかつ容易に撤去できる支柱を立てて、上部空間に太陽光を電気に変換する設備を設置し、営農を継続しながら発電を行う取組である。2013年3月に農林水産省が通知として「支柱を立てて営農を継続する太陽光発電設備等についての農地転用許可制度上の取扱いについて」を発出して以降、その許可件数は増加している。2018年5月には、担い手が下部の農地で営農する場合等について、一時転用期間をそれまでの3年以内から10年以内に延長した。図表1に示すように、2022年度末までで、全国で5,341件、下部農地面積1,209haになっている。件数は増えているものの、下部農地面積は平均23a/件、発電出力はほとんどが数十KWと、10数年経過しても未だ小規模に留まっている。また、2024年8月には、経済産業省は農地法違反で342件20事業者に対し、FIT・FIP交付金を停止するなど、適切に営農事業、発電事業が行われていない事例も見られる。[1] 図表1 我が国における営農型太陽光発電設備の許可件数等の推移 (出所)農林水産省(2025.4)「営農型太陽光発電について」 2025年2月に閣議決定された「第7次エネルギー基本計画」[2]では、再エネ電力の中で太陽光発電が主要電源と位置付けられており、太陽光発電については2022年度における全体電源の9%のシェアを2040年度には23~29%まで高める計画となっている。太陽光発電の今後の発電適地は限定的であり、営農型太陽光発電が期待されているもののスケール化には至っていないのが現状である。 海外でも気候変動対策として太陽光発電の拡大が期待されている中で、欧米においては近年急速に規模の大きな営農型太陽光発電が増加している。本論では、既存公開資料を基に、欧米の最近の動向を概観し、我が国への示唆をまとめたい。なお、営農型太陽光発電の名称については、一般的に、欧米ではAgrisolar(アグリソーラー)、Agrivoltaics(アグリボルタイクス)を使用している。 第1章 欧州における営農型太陽光発電の状況 1. 発展の経緯 営農型太陽光発電のコンセプトは1981年にドイツの物理学者であり太陽光発電技術のパイオニアであるAdolf Goetzberger氏が提唱したのが最初と言われている。[3] 2004年にドイツで最初のシステムが実証され、2011年にドイツで規模の大きなシステムが稼働した。その後、太陽光発電への期待が高まるとともに、欧州各国で営農型太陽光発電の設置が相次ぎ、施設あたりの規模も次第に拡大しつつある。欧州全体に拡大しているが、発電出力20MWを超えるような大規模なものはスペイン、イタリア、フランスに多い。 営農型太陽光発電の近年の急速な拡大は、欧州を取り巻く気候変動、エネルギー政策と強く関連している。この数年、欧州は何度も深刻な熱波に見舞われ、各地でこれまでにない健康被害、干ばつを記録している。一方、ロシアのウクライナ侵攻に端を発するロシアからの石油・天然ガスの輸入削減、エネルギー価格の上昇は、待ったなしで石油エネルギーから再生可能エネルギーへの移行を迫っている。 2022年5月に、欧州委員会は「REPowerEU Plan」を発表し、EUは太陽光発電全体を2021年の162GWから2025年には380GWに、2030年には750GWまで増加させるとした。熱波をいくらかでも遮り農業生産を持続的にするとともに、政策に対応し太陽光発電を増加させることが営農型太陽光発電の拡大を後押ししているのである。 図表2 欧州における営農型太陽光発電の分布(2024年) (出所) Solar Power Europe(2024) ” Agrisolar Handbook ” (掲載サイト) https://www.solarpowereurope.org/insights/thematic-reports/agrisolar-handbook-1 2. 法制度・支援制度 EUは、加盟国27カ国で共通して講じられる農業政策であるEU共通農業政策(CAP)を策定している。EU予算を財源としてEU全体で運営されている。それは、(ア)農業者の所得を保障するための「価格・所得政策」、(イ)各加盟国が農業部門の構造改革、農業環境施策等の農村振興プログラムを実施する「農村振興政策」の二本柱からなっている。2023年1月に発効した改正CAP(2023-2027)は、より環境に優しく、より公平でより持続可能な農業の実践というコンセプトに基づいている。CAPに基づき、国レベルで戦略計画を策定しているが、営農型太陽光発電については、ドイツ、イタリア、オランダ、スロベニアの4ヶ国の戦略計画で推進することを位置付けている。[4] 営農型太陽光発電をきちんと法令に位置付けた国はまだ多くはない。フランスでは、2023年3月に「再生可能エネルギー生産加速法」[5]を施行した。その中で、農地での地上設置型太陽光発電を禁止し、営農型太陽光発電を定義し、農林業や牧畜業と両立可能な再生可能エネルギー生産を推進する方向性を明確に打ち出した。2024年4月に法令第2024-318号[6]を発表し、営農型太陽光発電の開発および規制を明らかにした。法令は、土地の農業利用を保護することに特に重点を置いており、最長40年間の許可を与える代わりに、収量は近隣と比較して90%以上を確保すること、架台の設置によって耕作できない面積は総面積の10%以内にすること、10 MWを超える設置の場合は遮光率[7]が40%未満であること、架台の設置の高さと間隔は通常の農業活動を可能にする必要があること、稼働前の事前検査を受けること、農地への原状回復が可能なこと、事前に供託金の納付を求め、違反の場合、原状回復費用に充当することとしている。 ドイツでは、「再生可能エネルギー法」(EEG2023)において、通常の太陽光、陸上風力、洋上風力、バイオマスと並んで、営農型太陽光発電の入札枠[8]が設けられている。2022年2月に、経済・気候保護省、環境・自然保護・原子力安全・消費者保護省、食料・農業省の3省が「太陽光発電拡大の方策についての3省による合意事項」を発表し、全ての農地での営農型太陽光発電を支援することとし、発電による土地の農業利用への影響が15%までの場合、CAPの支援を受けることも可能とした。ドイツでは、営農型太陽光発電システムの規格であるDIN SPEC91434で、枠組みと支援制度の概要を公表している。農業収量については非設置エリアと比較して66%以上にするという評価基準がある。 イタリアでは、2024年5月に「農地での地上設置型ソーラーパネルを禁じる緊急政令」を発布した。地上2.1メートル以上の高さを持つ営農型太陽光発電は除外している。すなわち、農地においては、営農型太陽光発電以外は設置できないこととした。 3. 営農型太陽光発電の特徴 ⑴ 営農型太陽光発電のメリット 欧州では、営農型太陽光発電のメリットは次のように捉えられている。[9] このうち、③農作物の保護、④持続可能な農業方法の支援、⑤気候変動への適応力向上、⑦先進的な再生可能エネルギー技術へのアクセスについては、我が国ではまだ強調されていないが、近年長期間の猛暑を記録しており、営農型太陽光発電のメリットとして再認識する必要がある。 ①農村経済に貢献 雇用を創出し、地域の収入や税収を生み出し、エネルギーの安全保障と農家や土地所有者に多様な収入源を提供する。 ②再生可能エネルギーの自家発電 農家は自分たちで再生可能エネルギーを生成することで、エネルギーコストを削減し、グローバル市場の混乱によって著しく上昇した不安定なエネルギー価格に対する脆弱性を軽減できる。 ③農作物の保護 干ばつ、直射日光、洪水、雹などの厳しい気象から農作物を保護する。 ④持続可能な農業方法の支援 水管理の改善を通じて再生可能な農業などの持続可能な農業方法を支援できる。具体的には、蒸発散量の低下により灌漑目的の水使用を削減し、太陽光パネルの下での温度低下により農作物の水需要を減少させること、雨水収集システムを設置して雨水の再利用を行うなどである。 ⑤気候変動への適応力向上 太陽光発電設備の設置により、農作物の気候変動による物理的リスク(気温上昇、洪水、極端な気象イベント)に対する耐性を強化できる。 ⑥土地の二重利用 農業とエネルギー生産の両方のために土地を二重利用することを可能にし、土地の効率を最大化し、農作物生産を犠牲にすることなく利用可能な資源をより良く活用する。 ⑦先進的な再生可能エネルギー技術へのアクセス 農家に現代的な再生可能エネルギー技術へのアクセスを提供し、スマート農業ツール、スマート灌漑システム、エネルギー効率の高いシステムを活用することで、生産性をさらに向上させることができる。 ⑵ 営農型太陽光発電のタイプ 欧州においては、一般的に、図表3に示す10タイプがある。生物多様性タイプや牧草発電タイプなど我が国よりも多様な活用がされている。 図表3 営農型太陽光発電ビジネスのタイプ (出所)Solar Power Europe(2024)”Agrisolar Handbook”より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 ⑶ ビジネスモデル 営農と発電事業を両立させるために、図表4に示すようにいくつかのビジネスモデルが存在する。農家の同意の下で発電事業者がソーラーシステムを所有運営するモデルが一般的である。この場合は、農地を所有する農家は、その農地の一部を発電事業者に賃貸し、具体的な合意に基づいて農業活動を行う。農地所有者と農家が別の法人である場合、農地所有者は土地を賃貸し、農家は発電事業者との具体的な合意に基づいて農業活動を行う。 図表4 営農型太陽光発電のビジネスモデル (出所)Solar Power Europe(2024)”Agrisolar Handbook”より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 4. 注目すべき事例 欧州においては、図表5に示すように、近年、農地面積数十~数百ha、発電出力20MW以上の大規模な営農型太陽光発電が増加している。特に、2022年5月の欧州委員会「REPowerEU Plan」発表以降の事例が目立っている。事業主体のほとんどは大手の再生可能エネルギー発電会社であり、農家から農地をリースし、共同で事業を行っている。 図表5 欧州における大規模営農型太陽光発電の事例(発電出力20MW以上) (出所)SolarPower Europe “Agrisolar Digital Map” https://agrisolareurope.org/map/ より作成 このうち、我が国でも参考になる事例を紹介する。 ⑴ 羊の放牧 大規模な営農型太陽光発電では、羊の放牧をしている事例が多い。欧州には、もともと耕作に向いていなく、羊の放牧をして、羊毛、チーズ、肉などを生産している地域も多い。発電事業者にとっては大規模な面積を確保できることが最大のメリットである。羊はおとなしく草を食み、手間があまりかからなく、設備などへの損傷が少ないことも牛や馬と比較してのメリットである。一方、農家にとっても、経済的なメリットの他、①日陰により羊に休息や繁殖の場を与えることができる、②水分の蒸発を抑え、土壌の乾燥を抑えることができる、というメリットがある。 図表6 営農型太陽光発電での羊の放牧のイメージ (出所)Getty Images ⑵ ブドウ栽培 近年の猛暑は欧州のぶどうの生産に大きな影響を与えている。2023年、フランスのボルドーでは「ヒートドーム」現象が発生し、一部の地域で気温が40度を超え、猛暑と洪水が重なり、真菌(カビ)による病気が大発生し、ブドウ畑全体の約90%が被害を受けた。 図表7 営農型太陽光発電でのブドウ生産のイメージ (出所)Getty Images こうした中で、営農型太陽光発電下でブドウを栽培することが始まっている。農家にとっては、経済的なメリットの他、①水分の蒸発を抑え、散水を抑えることができる、②適度な日陰が生まれ、熱波をいくらかでも和らげ、ブドウの収穫時期を遅らせ成熟度を上げることができる、というメリットがある。 実際、イタリアのワインメーカー、Svolta Srl社が自社のブドウ畑に営農型太陽光発電設備を導入した結果、大幅にワインの品質が向上し、高品質のワインが生産できたとのことである。[10] 第2章 米国における営農型太陽光発電の状況 1. 発展の経緯 米国においては、NREL(国立再生可能エネルギー研究所)が2010年から営農型太陽光発電に関するフィールドリサーチを行っており、2015年以降、全米各地の研究サイトで研究を行ってきた。現在でも営農型太陽光発電に関する研究開発、情報発信、情報交流の全米のハブとなっている。[11] 営農型太陽光発電の本格的な商業展開は2021年以降のことである。2015年以降、太陽光発電は拡大をしていたが、2020年で米国全体の電力構成のわずか約2%に過ぎなかった。バイデン前大統領は、2021年1月、大統領就任後、「パリ協定への復帰」、「2050年までにGHG排出量ネットゼロ」など気候変動対策に積極的に取り組むことを発表した。2021年11月には、「温室効果ガス排出量を実質ゼロにするための長期戦略」[12]を発表し、「インフラ投資・雇用法」[13]を制定した。前者は、電力の脱炭素化、運輸部門でのクリーン燃料への転換、省エネの推進などを掲げ、後者はそのために5年間で5,500億ドルを支出し、技術の実用化、雇用の拡大を進めるものであった。。さらに、2022年8月には「インフレ削減法」[14]を制定し、気候変動対策に今後10年間で3,910億ドルを支出するとした。 この結果、電力構成に大きな変化が生じた。化石燃料の割合が下がり、再生可能エネルギーの割合が増加している。2023年では太陽光発電は米国全体の電力構成の約4%と2020年から倍増した。営農型太陽光発電についても2021年以降、大規模な事例が相次ぎ、全米各地に広がっている。(図表8参照) 2025年1月、 トランプ大統領は大統領就任後すぐに前政権の気候変動対策を大幅に転換し、「パリ協定からの離脱」、「化石燃料を中心とする国産のエネルギー資源の開発の加速化」などを表明した。しかしながら、太陽光パネルの米国内での生産能力の増加もあり、米国エネルギー環境局(EIA)によると、2050年には太陽光発電が石油・天然ガスをしのぐ主要電源になると予測[15]しており、土地を有効に活用する営農型太陽光発電への期待はますます高まるものと推察される。 図表8 米国における大規模営農型太陽光発電の分布(発電出力10MW以上:2024年) (出所)National Renewable Energy Laboratory (NREL)(2025)InSPIRE ”Agrivoltaics Map ” https://openei.org/wiki/InSPIRE/Agrivoltaics_Map 2. 法制度・支援制度 米国における営農型太陽光発電に関する法制度や支援制度は、州や地域によって大きく異なり、連邦政府の明確な規定は存在しない。州の制度の一例として、マサチューセッツ州の例を紹介する。ここでは、2018年に州エネルギー資源省は、「ソーラー・マサチューセッツ・リニューアブル・ターゲット(SMART)プログラム」を開始した。その中で、営農型太陽光発電を位置づけ、規定に合うものに対して、財政的インセンティブを与えている。主な規定は、①最大発電出力は5MW未満、②パネルの高さは固定式で約2.4m以上、追尾式で約3m以上、③遮光率は50%未満、④20年間の継続的営農の実施、⑤年次報告の義務(生産性、農作物管理)であり、それを満たしたものは0.06$/kwhを追加で得ることができるといった内容である。 3. 営農型太陽光発電の特徴 ⑴ 営農型太陽光発電のメリット 営農型太陽光発電のメリット、トレードオフ項目については、図表9のように整理されている。米国においても、植物や家畜の生態面、水管理のメリットが強調されている。 図表9 営農型太陽光発電のメリット (出所)”Agrivoltaics Basics” https://www.nrel.gov/docs/fy25osti/91638.pdf ⑵ 営農型太陽光発電のタイプ 欧州と同様に、農作物生産、家畜生産、植生管理を通じた生態系サービスの提供、及び ソーラーグリーンハウスがある。これらのタイプは、特定の場所で複数の活動が同時に行われることがあり、同じ地域内で異なる季節に実施されることもある。 図表10 営農型太陽光発電のタイプ (出所)the National Renewable Energy Laboratory (NREL) ” The 5 Cs of Agrivoltaic Success Factors in the United States: Lessons From the InSPIRE Research Study “ https://www.nrel.gov/docs/fy22osti/83566.pdf 4. 注目すべき事例 2025年4月現在、営農型太陽光発電は、全米で599サイト、発電出力10,310MW(平均17MW/件)、農地面積26,179ha(平均44ha/件)となっている。ほとんど発電事業者が事業主体である。1件あたりの農地面積は我が国の0.23haの約200倍と大規模である。 発電出力150MW以上の大規模営農型太陽光発電は、図表11に示すとおりであり、羊の放牧の事例が多い。テキサス・ソーラー・シープ社のように、各地の営農型太陽光発電事業者に羊を貸し出すビジネスまで登場している。 図表11 アメリカにおける大規模営農型太陽光発電の事例(発電出力150MW以上) (出所)National Renewable Energy Laboratory (NREL)(2025)InSPIRE ” Agrivoltaics Map” より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 おわりに 2020年代に欧米で急速に拡大している営農型太陽光発電の現状を概観したが、我が国への示唆をまとめて本論を締めくくりたい。我が国においては、太陽光発電の拡大が求められているものの、もはや適切な土地はあまりなく、丘陵地における発電所の災害の危険性への懸念、平地における野立て発電所の景観性などからその拡大に対する国民の理解は高まっていない。実際に、非住宅設置の新規の太陽光発電量は2012年7月のFIT開始後の2014年度の837万KWをピークに、年々減少し、2023年度は175万KWに留まっている。エネルギー基本計画に基づき太陽光発電を拡大し、2050年カーボンニュートラルの実現を達成するためには、建築物の壁面、道路などのインフラ空間、農地などの活用が真剣に検討されるべき状況になっている。 農業生産者にとって、営農型太陽光発電は経営を安定させるだけでなく、欧米の事例で見たように、猛暑からの農作物や家畜の保護、農作物の水需要の削減、発電した電力を活用したスマート農業への展開などメリットも大きい。我が国において、今後、飛躍的に営農型太陽光発電を拡大するために望まれる事項は次の通りである。 ⑴ 営農型太陽光発電の法律への位置づけ 営農型太陽光発電の設置に関しては、2024年4月にそれまで通知であった一時転用許可基準等を農地法施行規則第30条に定めた所である。今後、フランスの「再生可能エネルギー生産加速法」 での取り扱いのように、法律の中で営農型太陽光発電の推進を位置付けることが検討される。また、フランスやイタリアのように、農地での野立ての太陽光発電は、農業振興地域に指定されている農地を転用しての建設も含めて、一切禁止することも検討すべきである。法的位置づけをしっかりすることで、推進する政策や規制及び設置条件をより明確にすることができる。 ⑵ 営農型太陽光発電に関するプラットホームの形成 米国においては、エネルギー省に属するNREL(国立再生可能エネルギー研究所)が研究開発、情報発信、情報交流の全米のハブとなっている。我が国においても、農林水産省と経済産業省が連携し、我が国における営農型太陽光発電に関するプラットホーム(民間企業、研究機関、農業者などが連携し、 営農型太陽光発電の普及を加速させるための場)を構築することが望まれる。そのハブとして全国に研究センターや農場等を有している農研機構(国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)が担うことが期待される。 ⑶ 農作物の避熱効果に関する実証研究の推進 現在の営農型太陽光発電の下部農地での栽培作物は、さかき、しきみ、みょうが、ふき、うど、キノコ類などの日陰で手間をかけずに育つ陰性作物が約5割を占めている。決して否定するものではないが、営農と発電の両立という趣旨からするとそれが多くを占めるのは好ましくはないだろう。 欧米では、太陽光パネルの遮光効果が近年の熱波から農作物や家畜を守るという認識が共有されている。2024年の我が国の夏の平均気温は過去最高を記録した[16]。コメ、豆類、イチゴ、トマト、果樹、花卉等に広範な影響が報告されている。[17] 農研機構等がリードし、各地の農場や各道府県の農業試験場などで営農型太陽光発電による農作物の避熱効果の実証を進めることが期待される。 ⑷ モデルプロジェクトの組成 大規模営農型太陽光発電の普及にあたっては、農林水産省と経済産業省が協力し、公募で次世代営農型太陽光発電プロジェクトを募ったらどうであろうか。先駆的事例として、植物工場の黎明期に両省がワーキンググループを設置し検討を進め、農林水産省が主導し、2013年度より全国10箇所で自治体、生産者、実需者等がコンソーシアムを形成し、次世代施設園芸拠点の整備を進めたことが参考となる。その後の植物工場の大規模化の契機になった。 我が国においても、営農の継続と再生可能エネルギーの拡大を図り、生産者の所得向上にも寄与する営農型太陽光発電の拡大をおおいに期待している。 ⑸ わかりやすい名称の検討 営農型太陽光発電の名称について、一般的に、欧米ではAgrisolar(アグリソーラー)、Agrivoltaics(アグリボルタイクス)を使用している。「営農型太陽光発電」という名称は、太陽光発電の1形態として営農型があるというような意味と捉えられやすく、営農と発電を両立させるという本来の意義が伝わりにくい。特定非営利活動法人環境エネルギー政策研究所は、 Solar Power Europe(2023)「Agrisolar Best Practice Guidelines」を翻訳するにあたって、「営農ソーラー」を使用している。愛称でもいいが、「営農ソーラー」というようなわかりやすい名称の使用を官民で検討してほしい。 (参考文献) AgriSolar Clearinghouse(2025)”Best Practices in AGRISOLAR” Solar Power Europe(2024)”Agrisolar Handbook” Solar Power Europe(2023)「営農ソーラーベストプラクティスガイドライン第2版 日本語版」 U.S. Department of Agriculture(2024)”Trends, Insights, and Future Prospects for Production in Controlled Environment Agriculture and Agrivoltaics Systems” [1] https://www.meti.go.jp/press/2024/08/20240805002/20240805002.html [2] https://www.meti.go.jp/press/2024/02/20250218001/20250218001-1.pdf [3] 日本では長島彬氏が2003年末にソーラーシェアリングとして発案し、2009年に自ら実証実験農場を設け、研究を重ね、2015年9月に「日本を変える、世界を変える!「ソーラーシェアリングのすすめ」」を出版する等、全国への普及に努めている。 [4] Solar Power Europe(2023)「営農型太陽光発電ベストプラクティスガイドライン第2版 日本語版」(特定非営利活動法人環境エネルギー政策研究所訳) [5] JETRO(2023)「フランス、再生可能エネルギー生産加速法を施行」2050年までに、太陽光発電の発電容量を100ギガワット(GW)超まで増やす目標を設定。https://www.jetro.go.jp/biznews/2023/03/b1b61052873729b0.html [6] Décret NO.2024-318 https://www.legifrance.gouv.fr/jorf/id/JORFTEXT000049386027 [7] 農地に対する架台の最大投影面積 [8] 入札制度とは、特定の発電容量に対して、複数の事業者が価格を提示し、最低価格を提示した事業者が選ばれる制度。発電方式ごとに増設目標枠が設定されている。 [9] Solar Power Europe(2024)”Agrisolar Handbook” [10] PV magazine (September 18, 2024)” Agrivoltaics postpone harvest, improve wine quality” https://www.pv-magazine.com/2024/09/18/agrivoltaics-postpone-harvest-improve-wine-quality/ [11] 地域経済とエコシステムと統合された革新的太陽光発電の実践InSPIREホームページ https://openei.org/wiki/InSPIRE [12] “Pathways to Ne-Zero Greenhouse Gas Emissions by 2050” [13] “Infrastructure Investment and Jobs Act” [14] “Inflation Reduction Act” [15] https://www.eia.gov/outlooks/aeo/pdf/AEO2023_Release_Presentation.pdf [16] 気象庁によると、2024年夏(6〜8月)の日本の平均気温の基準値(1991〜2020年の30年平均値)からの偏差は+1.76℃で、1898年の統計開始以降、2023年と並び最も高い値となった。日本の夏(6〜8月)平均気温は、様々な変動を繰り返しながら、長期的には100年あたり1.31℃の割合で上昇している。 [17] 農林水産省「令和6年夏の記録的高温に係る影響と効果のあった適応策等の状況レポート」 https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/ondanka/attach/pdf/report-76.pdf ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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05/25 12:00
自主流通による酪農市場の成長に向けて -自主流通が酪農市場に与える影響とポイント-
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニア・アソシエイト 谷 和希(2025年5月20日) はじめに 日本国内の酪農業界では、年々酪農家の離農が進んでいる。特に最近では、物価高や円安の影響を背景とした生乳の生産コストの上昇に伴い、1989年に66,700戸存在していた酪農家数は、2024年には11,900戸とこの35年で8割以上減少し、過去最低を記録した。食品業界ではインフレに対応するために、多くの企業が値上げを進めているが、生乳については酪農家が自ら生乳の価格を決めることができない。これは、生乳が傷みやすい、季節や気候によって生産量・需要量が変動しやすいなどの特性を持っているためである。また、生産される生乳のほとんどを指定生乳生産者団(以下、「指定団体」という)が集乳している。この流通構造は高度経済成長期から続いており、現在も大きな変化はない。 しかし、生産者の構造には変化がみられる。酪農家の離農が進んでいる一方で、酪農家の大規模化の進展に伴い、求められる流通構造も少しずつ変化しはじめている。昨今、指定団体の他に、生乳流通事業を行う民間の自主流通事業者が生まれており、筆者はこの存在が酪農市場を成長に導くきっかけになると考えている。本稿では、酪農市場において自主流通事業者が酪農市場に与える影響について考察する。 1. 生乳の業界構造の現状 酪農家が生産した生乳は、各地域の農協(単位農協・県連合会など)が集乳し、全国に10存在する指定団体(ホクレン農業協同組合連合会、東北生乳販売農業協同組合連合会、関東生乳販売農業協同組合連合会、北陸酪農業協同組合連合会、東海酪農業協同組合連合会、近畿生乳販売農業協同組合連合会、中国生乳販売農業協同組合連合会、四国生乳販売農業協同組合連合会、九州生乳販農業協同組合連合会、沖縄県酪農農業協同組合)を通じて、各乳業メーカーに販売される。現状では、国内で生産される生乳のほとんどがこの仕組みで集乳・販売されている(図表1)。 生乳の価格(乳価)は、飲用向けと加工用向けの二つに分類される。加工用の中でも、仕向ける種類によって価格が細分化され、酪農家には仕向けた割合に応じた乳価と、それに対する加工原料乳生産者補給金を合わせた金額が支払われる。ただし、生産者は用途を指定することができず、乳業メーカーがどの商品にどの量を仕向けるかによって、酪農家に支払われる乳価が変動する仕組みとなっている。 図表1 生乳の流通構造 (出所)一般社団法人Jミルク「生乳の生産・流通構造」、株式会社MMJ「生乳流通に関する提案」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 この仕組みが確立されたのは、1966年に遡る。指定団体が設立される以前は、小規模な生産者団体が数多く存在していた。生乳は毎日乳牛から生産され、傷みやすく貯蔵性がない特性を持つため、集乳後は短時間のうちに取引することが求められ、取引ができない場合には廃棄せざるを得ない。また、需要や供給量は季節や天候などに左右される。小規模な生産者団体は乳業メーカーに対して価格交渉力が弱く、不利な条件を受け入れざるを得ない状況が続いていたため、政府は「加工原料乳生産者補給金等暫定措置法(不足払い法)」を施行し、全国に10の指定団体を設立した。これにより、多くの酪農事業者から一元的に集荷を行うことが可能となり、乳業メーカーに対する価格交渉力が強化された。これが酪農家にとって大きなメリットとなっており、今後も酪農家が安心して生乳を卸すためには、指定団体は必須の存在であると言える。 2. 自主流通事業者の役割 一方で、昨今存在感が増しているのが、民間の生乳自主流通事業者である。酪農乳業速報によると、生乳の国内生産量の半分以上を占める北海道において、自主流通事業者の道外移出量は2019年度に6万7,899トンであったのに対し、2024年度には20万トンを超えることが見込まれているなど(北海道で生産された生乳は2024年度で約420万トン)、ここ数年間での存在感が急速に高まっている。 自主流通事業者のビジネスモデルは、指定団体と同様に酪農事業者が生産した生乳を集乳し、乳業メーカーに販売するものであるが、その役割は異なる(図表2参照)。 図表2 自主流通と指定団体の比較 (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 図表2に示したとおり、自主流通の担う役割は指定団体とは異なる。自主流通は、民間の事業会社や生産者が集まった協同組合などが運営主体となるため、指定団体のように全酪農家から生産される生乳を集乳する義務はない。そのため、仕入先(契約農家)も任意で決めることが可能である。例えば品質に基準を設けることも可能となる。また、販売先についても、どの企業に販売をすることも自由であり、条件に見合う顧客のみに限定して販売することも可能である。 特に重要な乳価については、当事者間で自由に契約することができるため、生産者としては経営の選択肢が広がり、収益性を向上させるチャンスとなる。また、乳業メーカーにとっては、「いつ」、「どこで」、「誰が」生産した生乳か、追跡しやすく(トレーサビリティが比較的容易)、産地指定の商品なども容易となる。昨今は、消費者の有機農業やカーボンファーミングなどへ関心も高まっており、これに則した生産方法などに限定した仕入及び商品開発も容易となる。自主流通事業者は、民間企業(協同組合含む)であるため、価格、取引先に制限がないことが最も大きな特徴と言える。 3. 酪農市場の成長に向けた課題 日本の酪農市場はさまざまな課題に直面している。第一の課題として、酪農家の販売先の選択肢が少ないことが挙げられる。最近では大規模化した酪農事業者や生産技術の向上によって高品質な生乳の生産が可能になるなど、多様な事業者が存在する一方で、販売先の選択肢は限定的である。販売先が少ないことで、価格競争が生まれない場合、価格が適正に設定されにくくなることが想定される。生乳を買い取る事業者が多数存在すれば、事業者間で価格競争も生まれ、生産者にとっては収益性を高める機会に繋がる。 第二の課題は、自社の経営努力により品質の良い生乳を生産しても、販売価格(乳価)が変わらない点である。乳価は仕向けられた用途によって決定するため、餌や飼育環境に資金を投入して品質の良い生乳を生産した場合でも乳価は変わらない。自助努力で乳価が変わらないため、生産者としては経済的なインセンティブがなく、持続的に成長させる必要性がなくなってしまう。さらに、昨今は生産コストも上昇しているが、そのコストを乳価に転嫁することができない。このような状況下では、設備投資や人材の確保など更なる投資の意欲を失ってしまい、長期的には生産量が減少し、酪農市場の衰退に繋がると考えられる。 上記のような課題に直面しているからこそ、酪農市場では新たな選択肢が求められている。その一つとして、自主流通の存在がある。新たな流通構造が構築されることで、生産者にさまざまなインセンティブが生まれ、市場の成長につながる可能性がある。 4. 自主流通事業者の先進事例とそこから得られる示唆 自主流通事業者の数はまだ多くはないと考えられるが、その中でも特に存在感を持つ事業者は、酪農市場の活性化に向けて独自の取り組みを行っている。本章ではその事例を取り上げたい。 (1) 高付加価値化商品の開発 【名称】 株式会社MMJ(以下、「MMJ」と記載)【所在地】 群馬県伊勢崎市【設立年】 2002年【代表者】 茂木 修一 MMJは、民間企業として日本で初めて酪農家から生乳を直接買い付け、乳業メーカーなどの各種事業者へ販売を行う生乳卸事業を始めた企業である。北海道をはじめ、東北、関東、中国、四国など日本各地から生乳を仕入れている。その独自に仕入れた生乳を活用することで、例えば2017年には大手食品スーパーのベイシアと協業して「別海のおいしい牛乳」という商品名のPBブランドを開発・販売している。これは、自主流通の特性を活かして、北海道別海町という特定の地域から仕入れた生乳のみを活用したブランドである。 第2章でも述べた通り、自主流通はどの酪農家から仕入れ、販売したかが明確であるため、生産者の顔が見える商品として人気を博している。その原料を活用して、牛乳のほかにもバウムクーヘン、飲むヨーグルト、あんドーナツ、ソフトキャンディーなど、幅広い商品の開発も行っており、「別海の美味しい牛乳シリーズ」として消費者に広く受け入れられている。 また、2020年頃からは、加工用として仕入れた生乳の高付加価値化にも取り組んでいる。先述の通り、加工向けの乳価は飲用よりも安いとされているが、MMJは通常と同じ価格で酪農事業者から生乳を買い付け、その付加価値を高めることで新たな事業の可能性を見出している。その一例として「フリーズドライ牛乳」がある。従来の粉乳とは異なり、より生乳に近い風味となるように加工しており、料理や菓子などにも活用できる。最近では海外からの輸出の引き合いも高まっており、価格は一般的な粉乳の5〜10倍程度で販売されている。 (2) オリジナルブランドの立ち上げと商品製造・販売 【名称】 ちえのわ事業協同組合(以下、「ちえのわ」と記載)【所在地】 北海道野付郡別海町【設立年】 2014年【代表者】 島崎 美昭 ちえのわは、酪農が盛んな北海道別海町で酪農業を営む4名の事業者が集まり、自分たちが生産した生乳の販売先や用途に選択肢を持たせたいという意向で事業をスタートした。現在では、根室地域だけでなく、釧路やオホーツクなど道東エリアの多数の酪農事業者がこの方針に賛同し、組合員も増加している。 ちえのわも、自主流通の特徴を活かして、特色のある牛乳の製造を行っている。例えば、商品のひとつである「浜中のおいしい牛乳」は神奈川県を中心に、「北海道別海の特選牛乳」は兵庫県を中心に販売されており、地域ごとに特色やパッケージ、ブランドを変えて製品を製造できていることは自主流通事業者の大きな特徴のひとつと言える。 また、当組合員が生産した生乳を活用してオリジナルブランド「NOWA」を立ち上げており、高品質な生乳のみを使用したソフトクリームやカップアイス、プリンなどを製造している。これらの商品は各小売スーパーへ販売されているほか、ふるさと納税でも人気を博している。また、他の取り組みとして、道内の円山牛乳販売店(株式会社ATTAKAIDOが運営)と協力し、菓子類の製造にも着手している。これらの商品はいずれも単価が他よりも高く設定されており、高付加価値商品の位置づけとなっている。 同組合に所属する全組合員がJGAP認証の取得を前提としており、品質も担保することで、消費者に対して、安心・安全な製品を届けることを実現している。 (3) 品質の保証による適正な価格による取引 【名称】 株式会社Milk Net(以下、「Milk Net」と記載)【所在地】 北海道釧路市【設立年】 2019年【代表者】 福田 貴仁 Milk Net代表の福田氏は自身も酪農業を営んでおり、酪農事業者、自主流通事業者のどちらの立場でもあり、生乳の生産から販売までの流通過程を最適化したいという思いの中で同社を設立している。同社の取り組みは商品開発の観点ではなく、前述の2社とは異なる視点での特徴を有する。 乳価については、乳業メーカーに対して柔軟に交渉を行っている。2022年には世界情勢の不安定化を背景に飼料費などの生産コストが暴騰したため、酪農事業者の生産活動を持続させることを目的に、乳業メーカーに対して乳価の値上げ交渉を行った。これは道内の自主流通事業者の中では初めての試みとなる(1kgあたり15円の値上げ)。 また、品質向上に対しても取り組みを行っている。同社は2022年に生乳の品質を自主検査するための機器を導入している。通常は乳業メーカー等が生乳の受け入れ時に検査をすることが一般的と言われる中で、自主的に検査をすることで品質を保証している。またその検査結果をもとに酪農事業者に対して餌の改善等の助言も行い、取り扱う原料の更なる品質向上に取り組んでいる。同社は生産者の持続的な発展、乳業メーカーに対しても安全性を担保することで、事業を拡大させている。 このように、自主流通事業者はそれぞれ独自の取り組みを行うことで、酪農事業者、乳業メーカー、消費者それぞれに対して今までの流通では実現することができなかった新たな価値を提供している。酪農事業者に対しては、経営の新たな選択肢を提供できる。生産者が安定的に高い乳価での販売を実現できれば、収益性が高まり、更なる事業拡大に繋がる。乳業メーカーに対しては、高品質でトレーサビリティが確保できるため、安全な原料の提供や、新たな商品開発による他社との差別化、仕入先の分散によるリスク回避などの機会を提供できる。消費者に対しても、乳業メーカーと協業することで、新商品や高品質な商品の選択肢、トレーサビリティを活かした安心・安全な商品を提供することができる。年々衰退していると言われる酪農市場であるが、自主流通の台頭により新たな価値提供がなされることで、市場が活性化し、成長の可能性を秘めている。 自主流通事業者の存在が酪農市場を活性化させると考えるが、指定団体は酪農市場においては非常に重要な役割を担っており、今後も欠かすことができない存在であることに変わりはない。自主流通事業者は民間企業であるため、生産された生乳を引き取る義務はないため、高い品質や事業における効率性を重視して取引を決めることができる。そのため、依然として小規模で家族経営の生産者が多く存在する中で、自主流通事業者の求める条件に合わなければ、生産した生乳を簡単には引き取ってもらえない可能性がある。このような状況になってしまうと、酪農市場全体として生乳の供給が不安定になり、消費者への乳製品供給が困難になるリスクが生じる可能性がある。そうならないためにも、指定団体が生産された生乳を引き取り、乳価交渉など一酪農家ではできない役割を担うことで、酪農家は安心して生産活動を行うことができる。今後の流通のあり方としては、自主流通事業者と指定団体が相互に補完し合い、酪農事業者に様々な選択肢を提供し、ともに酪農市場を支え、成長させることが重要であると考える。過去に青果や鮮魚において、生産者が価格を交渉できない農協及び卸売市場経由の取引から、民間の卸や流通事業者との直接取引に移行していった経緯があるが、今でも双方の取引が残り相互補完関係が残っている現状は、生乳流通においても参考になると思われる。 おわりに 本稿では深くは触れていないが、生乳から製造される製品は多岐にわたる。生乳は殺菌すると牛乳になり、遠心分離をすると生クリームと脱脂乳になる。更に生クリームから水分を抜けばバターが作られる。牛乳以外は何かの製品を作ると副次的に別の製品ができるため、それぞれの需要を踏まえて仕向ける割合を考慮する必要がある。また、前述の通り牛乳は季節や気候によって需要が変動する。しかし、生乳は毎日乳牛から生産されるため、工業製品のように需要が少ない時期だけ生産を減らすことはできない。そのため、すべてが価格の高い飲用に偏ってしまうと、需要の変動に対応できず、需給バランスを崩す原因となる。 また、日本は人口減少が進んでいるため、酪農市場の成長のためには海外市場の取り込みが必要不可欠である。ジーリーメディアグループが台湾人・香港人向けに実施した日本で飲みたいノンアルコール飲料のアンケート[1]では、牛乳が第1位という結果が出ており、海外市場にはまだ成長の可能性があると考えられる。 今後の酪農市場においては、指定団体が今まで培ってきたノウハウと自主流通が持つ新たなノウハウをうまく組み合わせて、新たな取り組みを実践することで、日本の酪農市場を成長させることに期待したい。 [1] ジーリーメディアグループ 「日本旅行で飲みたいノンアルコールの飲み物」に関するアンケート (掲載サイト)https://geelee.co.jp/11991/ ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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05/24 16:00
文化的共感を生む香りのフード・マーケティング - 焼き芋と現代中国フードブランドに見る「五感ブランディング」の可能性 -
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニア・コンサルタント 周旋(2025年5月20日) はじめに 現代のマーケティング戦略は、製品の機能や価格による競争から脱却し、体験価値(experiential value)や情動的つながり(emotional bonding)の創出に向かっている。その中で注目されているのが「五感ブランディング」である。特に嗅覚は、他の感覚に比べて人間の記憶や感情と深く結びつく性質を持つ。「香り」は、消費者の感情・記憶・文化的アイデンティティに働きかける非言語的チャネル(non-verbal channel)として、再注目されている。それゆえ、香りを用いたブランド体験は、消費者との情緒的な関係構築において大きな可能性を秘めている。 本レビューでは、香りによる文化的共感とブランド構築の可能性について、食に関する事例を通じて論じる。具体的には、日本の焼き芋文化、中国の伝統的な焼き芋文化、そして中国の新興ティーブランド「喜茶(Heytea)」などに注目し、香りがどのように消費者との関係を構築し、文化的共鳴を生み出すか、特にZ世代を中心とする現代の消費者が重視する「意味」「物語性」「自己表現」といった価値に香りがどう貢献しているのかを、ブランド論・感覚マーケティング・消費者心理学の視点から論述する。 1. 嗅覚とブランドの記憶 ― 理論的背景 香りは、視覚や聴覚に比べて非言語的かつ潜在的な記憶を喚起する力がある。嗅覚刺激は、大脳辺縁系を経由して感情や記憶の処理に関与する扁桃体や海馬に直接働きかける。このため、ある香りを嗅いだ瞬間に過去の出来事や情景が鮮明に思い出される現象、いわゆる「プルースト効果」が生じる。 ブランド研究においても、香りは「ブランド記憶(brand memory)」や「ブランド・アフェクト(brand affect)」に影響を与える要素とされている。さらに、文化的共感(cultural resonance)という概念において、香りは個人の文化的ルーツや社会的背景とブランド体験を結びつく役割を果たす。 2. 日本の焼き芋文化 ― 香りによる安心と郷愁 日本で焼き芋を食べる文化は、戦後から高度経済成長期を経て、現在に至るまで人々の暮らしに深く根ざした存在となっている。とりわけ冬には、石焼き芋の炭火の香りが街角に漂い、それが季節の移ろいを感じさせるトリガーとなってきた。 2003年に静岡県のマックスバリュ東海株式会社が、傘下のスーパーでオーブンによる焼き芋の販売を開始して以来、現在では多くのスーパーや一部の百貨店のスイーツ売り場でも焼き芋が販売されている。これらの店舗では、香りを意図的に拡散する設計が施されており、例えば換気ダクトを調整して「店外に香ばしさを漏らす」といった空間設計まで実施されている。この香りは、単なる「おいしそう」という印象にとどまらず、「子供の頃の帰り道」「家族との時間」といった記憶と結びつき、消費者の深層的な安心感を喚起する。 このように、焼き芋は香りを通じて「自己の過去」や「文化的安心感」を再確認させる装置として機能している。ブランド側が能動的に語る物語ではなく、消費者が自身の物語を投影する“受動的共鳴”を生み出している点に特徴がある。 3. 中国の焼き芋文化 ― 都市化の中で香りがつなぐ記憶 中国においても、焼き芋は冬の季節に街角で見かける代表的な食べ物であり、その香りには文化的意味が宿っている。特に都市部においては、昔ながらのドラム缶型焼き芋屋台が出現すると、多くの人々がその場に足を止める。香りは一瞬で「寒い日」「祖母の家」「帰省の道中」といった情景を呼び起こし、消費者へ一時的に情緒的な帰属感をもたらす。 このような香りの体験は、都市化と核家族化が進行する中で、急速に失われつつある「人間関係」「共同体」「手作り感」といった文化的価値に対するノスタルジーを喚起する。とりわけZ世代にとっては、物理的には体験したことのない記憶であっても、物語として共有された文化的記憶(cultural memory)として香りが共感を呼び起こすという現象が起きている。ここでは、焼き芋の香りが「文化的ルーツ」と「都市的日常」のギャップを埋めるメディア(情報媒体)となっている。 4. 中国のフードブランド事例 ― 戦略的に活用する先進的事例 香りを用いた文化的ブランディングは、焼き芋に限らず、一部のフードブランドが活用することを模索している。ここでは、喜茶(Heytea)、三頓半(SANDUNBAN)、柒香茗(Qi Xiangming)、王小鹵(Wang Xiaolu)という四つの異なるタイプのブランドを取り上げ、それぞれが香りをどのように設計・運用し、文化的共感やZ世代との関係性を築いているのかを考察する。 ① 喜茶(Heytea) ― 都市的文脈における香りの再設計 喜茶は、2012年に広東省で創業された中国の新興ティーブランドである。同ブランドは、茶葉・フルーツ・ミルク・フレーバーなどを組み合わせたドリンクを主力とし、都市部の若年層、とりわけZ世代を中心に爆発的な人気を獲得した。 喜茶の香り戦略は、焼き芋のような「自然発生的な香り」ではなく、意図的に設計された香り体験である。例えば、茶葉の抽出温度、フレーバーの配合比率、カップの形状、パッケージの開閉設計に至るまで、香りが最適に拡がるように調整されている。特に、商品の開封時や飲用直前といった決定的な瞬間に香りが最も強く立ち上るよう、容器設計や包装技術を工夫している。また、熱いお湯を注ぐことで香り成分が瞬間的に揮発するようにブレンドされた素材の選定が挙げられる。これにより、消費者は自分の選んだ「タイミング」と「場所」で香りの体験を最大化でき、日常の中に自発的なリフレッシュの瞬間を作り出すことが可能になる。香りを楽しむ「タイミング」や「場面」を精緻にコントロールすることで、消費者の五感に訴えるブランド体験を創出している。 喜茶の香りは「パーソナルな共鳴」ではなく、都市の文脈での“新たな意味付け”として機能している。たとえば、紫芋ドリンクは“懐かしい味”を想起させると同時に、“冬限定の自分へのご褒美”というメッセージとして再定義されている。 さらに、喜茶は「限定性」と「参加性」を香り体験と組み合わせることで、ブランド共創(co-creation)の構造を築いている。消費者は香りだけでなく、パッケージ・SNS投稿・店舗空間の写真などへの発信を通じて、「自分自身が意味を付け加える体験」を共有している。 ② 三頓半(SANDUNBAN/サンドンバン)― 香りで都市の情緒を届けるコーヒーブランド 三頓半は、インスタントでありながら高品質なスペシャルティコーヒーを提供する中国ブランドである。ブランド戦略の中核には「開封時の香り体験」があり、各フレーバーには都市の風景や特徴が反映された香りの物語が付随している。例えば「林間の朝」や「午後の書斎」といったネーミングにより、香りと生活の情緒をリンクさせている。 この香り戦略は、「忙しい都市生活の中にある静寂な瞬間」を演出し、消費者が日常に文化的意味づけを与える行為を支援している。ここでは香りは、リラクゼーションや自律的生活感のシンボルとして機能している。 ③ 柒香茗(Qi Xiangming/チシャンミン)― 香りで古典と日常をつなぐ現代茶ブランド 柒香茗は、伝統的な中国茶文化の美意識を継承しつつ、現代生活に適合するプロダクトデザインと香り体験を融合させているブランドである。使用する茶葉には竹、桂花や茉莉花(ジャスミン)など、古典詩にもしばしば登場する芳香素材が採用され、香りそのものが「香茗」(香茶)の象徴として機能する。 ここでの香りは、都市生活に取り込まれた伝統文化を想起させる役割を果たし、Z世代に「自分は古典を知っている」という文化的自己効力感を与える。 ④ 王小鹵(Wang Xiaolu/ワンショウルー)― 香りで郷土の記憶を蘇らせるスナックブランド 王鹵は、中華スパイスを効かせた卤味(煮込み系スナック)の香りで強い訴求力を持つブランドである。封を開けた瞬間に広がる花椒(ホアジャオ)や八角の香りは、四川地方の料理文化や家庭的な記憶を呼び起こす。特に都市部に住む若年層にとっては、「幼少期に家族と過ごした食卓」「田舎に帰省した時の空気」を思い出させるトリガーとなっている。 このように王小鹵の香りは、家庭・郷土・郷愁といった文化的レイヤーを即座に呼び起こす装置として設計されており、非常に強い“感情の再生効果”を持っている。 5. 香りを通じた消費者関係構築の比較 ― 心理・共感・文化レゾナンス(共鳴) 香りという切り口を通じて、焼き芋と上記ブランドがそれぞれどのように消費者との関係を構築しているかを以下に整理する。 図表1:焼き芋及び中国フードブランドの比較表:香りによる文化的レゾナンスとブランド関係性の分析 (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 このように、香りは単なる嗅覚刺激にとどまらず、ブランドごとに異なる文化的文脈(レイヤー)や心理的価値に働きかけており、消費者との関係構築における設計思想そのものに差異をもたらしている。たとえば焼き芋の香りは、「郷愁」や「家庭」といった情緒的な文化記憶を喚起し、消費者に安心感や懐かしさをもたらす。一方、喜茶では、香りが「モダン」「限定」「自己演出」といった都市的意味と結びついており、より能動的に自己表現するZ世代の心理に対応している。ここでの香りは、単なる付加価値ではなく、「ブランドとの共創体験を構成する要素」として機能している。さらに、三頓半は「香りと都市の詩的瞬間」を、柒香茗は「古典の美意識と現代生活の橋渡し」を、王小鹵は「郷土料理の記憶と都市生活の再接続」を、それぞれ香りによって実現している。これらのブランドは、香りを「商品の匂い」としてではなく、消費者の文化的アイデンティティや記憶、社会的自己像に働きかける“意味と物語の媒体”として扱っている点が共通している。 つまり、香りは“感じるもの”ではなく、“解釈し、語るもの”になっている。そして、その香りに込められた意味が、ブランドの世界観や価値観と接続されることで、消費者は自分の感性や人生観と重ね合わせてブランドと関係を築いていく。このような高度な香り活用は、今後のブランディングにおいて単なる差別化手法ではなく、“物語と共感を設計する戦略装置”として位置づけられていく可能性を示しており、焼き芋や喜茶、そして三頓半・柒香茗・王小鹵のようなブランドは、その先進的な実践例であるといえる。 6. 結論と実務的示唆 ― 香りは文化的共感と消費者関係を媒介する戦略装置 本レビューでは、日本・中国それぞれの焼き芋文化と、複数の中国の現代フードブランドに着目し、嗅覚を通じたブランド体験がどのように消費者の感情・記憶・文化的共感と結びつき、ブランドとの関係性を構築しているのかを分析してきた。 その結果、香りは商品属性だけではなく、消費者の内面(記憶・感情・文化的ルーツ)とブランドを接続するメディアとして機能することが明らかになった。焼き芋は「記憶を喚起する香り」、喜茶は「意味を構築する香り」として、いずれもZ世代の感性と高い親和性を示している。 このような視点は、訪日外国人を対象とした小売・免税業態においても活用可能である。特にZ世代を中心とした中国人インバウンド顧客に対しては、単なる“商品購入”ではなく、“意味を伴った体験”の提供が重要であり、ここに香りが大きな役割を果たすと考えられる。 日本で免税店を展開する企業へのヒアリングによれば、「訪日中国人にとって、香りは文化的記憶を呼び起こす要素であり、特に抹茶や焼き芋の香りは“日本らしさ”として強く認識されている。」との見解が示された。また、「香りによって顧客が空間に安心感や心地よさを感じることで、店内滞在時間が自然と延び、結果として商品との接触機会や衝動購買の可能性が高まる。」と指摘された。 さらに、「香りがSNSへの投稿や口コミ行動にも影響を与える可能性がある。」との観点から、リアル空間での香り体験が、オンライン上でのブランド接点の創出にもつながるという期待も語られた。香りは視覚や価格訴求では届かない“感情的満足”を提供する手段であり、特に短期滞在型の訪日観光客にとっては、記憶に残る購買体験を形成する鍵となる可能性がある。これらは中国人や日本人だけでなく全てのインバウンド客を対象にして、香りを体験化できる食品や飲料に特有のブランディング手法である。 以上より、インバウンド客向け食品や飲料の販売戦略における実務的示唆をAIDMA(RA)モデルとしてまとめる(図表2)。 図表2:インバウンド客向け食品・飲料の販売戦略におけるAIDMA(RA)モデル (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 おわりに 香りは、空気に混ざる一過性の刺激ではなく、記憶を呼び起こし、文化を想起させ、感情を動かす「戦略的感覚資源」である。だからこそ、香りは単なる演出ではなく、ブランドの“意味”を構築し、消費者との感情的つながりを形成するための有力なブランディング手法となりうる。こうした香りの特性を意識的に設計し、ストーリーや空間、商品体験と統合できるブランドや事業者こそが、感性主導の時代において他との差異化を実現し、文化的共感を通じた強固なブランド構築を成功に導くだろう。 参考文献Hera, C. (2004) 「Sensory marketing: the role of the senses in marketing and consumer behavior」Krishna, A. (2012) 「An integrative review of sensory marketing: Engaging the senses to affect perception, judgment and behavior」(Journal of Consumer Psychology)Herz, R. S., & Engen, T. (1996) 「Odor memory: Review and analysis」(Psychonomic Bulletin & Review)Lindstrom, M. (2005) 「Brand Sense: Build Powerful Brands through Touch, Taste, Smell, Sight, and Sound」(Free Press)Hultén, B. (2011) 「Sensory marketing: The multi-sensory brand-experience concept」(European Business Review)許志強, 張珊珊(2020) 「感官営銷在中国茶飲市場的応用研究」戸谷圭子(2015) 「感性価値創造のためのマーケティング戦略」(同志社商学)Schmitt, B. (1999) 「Experiential marketing. Journal of Marketing Management」(Journal of Marketing Management)小阪裕司(2004) 「感性のマーケティング」久保田進彦(2011) 「感性価値のマーケティング」 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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04/20 16:00
「再編期」を迎える外食産業- マーチャンダイジングとM&Aの巧拙が持続成長と企業命運を左右 -
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 エグゼクティブ・ディレクター 佐藤 光泰(2025年4月11日) 1. 2000年以降最長の好況期にある外食産業 現在、外食産業は好況に沸く。日本フードサービス協会が毎月、加盟企業の全店売上高の集計データを公表しているが、仮に前年同月比プラスを「好況期」、同マイナスを「不況期」と定義付けすると、コロナ禍終盤の2021年12月から最新値の2025年2月まで、実に39ヵ月連続で好況期が続いている(図表1-1)。 2000年以降、これまでの好況期の連続記録は、世界的な好景気に沸いた2005年3月~2008年3月の37ヵ月であるが、現在はそれを抜いて最長となる。2025年2月の全店売上高は前年同月比106%と依然高水準にあり、この傾向は当面続くことが予想される。 このような環境下、店舗数にも歴史的な変化が生じている。外食の全店舗数は2019年7月以降、64ヵ月連続で前年同月比マイナスであったが、2024年11月、実に5年半ぶりにプラスに転じた(図表1-2)。その後、2025年2月までプラスは4ヵ月継続しており、当面、大きな落ち込みは予想しづらい。 (出所)一般社団法人日本フードサービス協会の統計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2. 好調なマクロ環境と「値上げ」戦略が奏功する外食産業 昨今の外食産業の好況をもたらしている要因として、主に、①インバウンド需要の拡大、②外食消費支出額の増加、③外食経営者によるマーチャンダイジング(商品政策)の見直しなどが考えられる。 まず、インバウンド需要は、2023年5月、世界保健機構(WHO)がコロナ禍の事実上の収束宣言を発表して以降、急回復した。コロナ前の訪日外国人数(外客数)の単月の最高は2019年7月の299.1万人だったが、2024年3月に初の300万人を超え、2025年1月には過去最高の378万人を記録した(図表2-1)。 観光庁の「訪日外国人消費動向調査(2023年)」によると、外国人観光客が訪日前に最も期待していたことの第一位は「日本食を食べること(36.0%)」であり、第二位の「自然・景勝地観光(11.5%)」と第三位の「テーマパーク(8.5%)」を大きく上回る。そのため、訪日外国人数の急増は、国内外食需要に大きな影響をもたらしている。実際、同調査の推計値では、訪日外国人による飲食消費額の合計は2019年の10,397億円に対して、2024年は17,460億円に拡大した(図表2-2)。直近5年間の増加幅は約1.7倍に達する。 (出所)日本政府観光局(JNTO)「訪日外客統計」(左)、観光庁「訪日外国人消費動向調査」(右)の各統計・推計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 また、国内消費者による外食の支出額も増加している。総務省「家計調査」によると、コロナの第5波のピークであった2021年8月の1世帯あたりの外食支出額は8,185円であったが、第7波のピークであった2022年8月は同11,168円(前年同月比136%)、コロナ収束宣言後の2023年8月は13,412円(同120%)、そして2024年8月は15,289円(同114%)と、同支出額は年々増加している(図表2-3)。 この背景としては、コロナ明けの反動や消費者のライフスタイルの変化などの影響もあるが、2000年以降の世界的な物価高も大いに関係している。国際通貨基金(IMF)によると、2022年の世界の消費者物価上昇率は前年比8.6%と、1996年以来26年ぶりの伸びを記録している。この物価高は日本への影響はもちろん、国内外食産業にも波及している。実際、総務省統計局の「消費者物価指数」を分析してみると、コロナ前の2019年(2018年7月~2019年8月平均、以下同じ期間)の一般外食の同指数を100とした場合、2022年以降の指数は、105(2022年)、111(2023年)、116(2024年)と、外食の物価は年々上昇していることが分かる(図表2-4)。 (出所)総務省「家計調査」「消費者物価指数」統計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 こうした中、2020年以降、外食企業のマーチャンダイジングには大きな変化が見られている。コロナ禍では、デリバリーに対応した中食商品・メニューの開発がテーマであったが、コロナが収束しはじめた2022年以降のテーマは「値上げ(高単価商品・メニューの開発などを含む)」である。背景には、世界的なインフレの進行に伴う外食の2大コストである原材料費(Food)と人件費(Labor)の上昇がある。 帝国データバンクの「『上場外食主要100社』価格改定動向調査」によると、2022年に値上げをした外食企業は100社中58社にのぼる。1メニュー当たりの値上げ幅は平均50円であり、ファストフード/ファミリーレストラン業態の客単価を考えると小さくない。また、翌2023年に値上げを実施した企業は同42社であり、このうち約9割の37社が前年に値上げした企業という。同様に当時の調査で、2024年中に値上げを計画している企業は同26社であり、前年に続く値上げを検討している企業は約3分の2の17社であった。 一般的には値上げをした場合、「客単価」は上昇するが「客数」は減少する。その上下の差分が売上高の増加に寄与する(場合によっては減少につながる)。日本フードサービス協会の2022年以降の統計データを見る限り、値上げの影響で客単価は前年同月比を大きく上回って推移しており、客数は、客単価と比較すると値上げの影響で乱高下はあるものの、一度も前年同月比を下回ることなく推移している(図表2-5)。これまでのところ、2022年以降の外食各社における断続的な値上げ戦略は功を奏している。 (出所)一般社団法人日本フードサービス協会の統計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 3. 「二極化」が進展する外食産業 コロナ収束以降の外食産業が歴史的な景気拡大期に入っている一方、業況感において、主に2つの「二極化」の進展が昨今、浮き彫りになっている。 まず、最も深刻な二極化は「企業規模」による業況格差であり、言い換えると、大手企業と中小企業(個人事業主含む、以下同じ)の間の業況格差である。大手企業が良好なマクロ環境を背景とする値上げ戦略と新規出店で業容を拡大している中、帝国データバンクの「『飲食店』の倒産動向調査(2024年)」によると、2024年度の飲食店の倒産件数は894件で過去最高となった(図表3-1)。飲食店を含む全産業の2000年以降の倒産件数でみると、「リーマンショック」が起きた2008年度が未だに過去最高である。2008年度当時の飲食店の倒産件数は634件、全産業に占める割合は4.8%であったが、その後、同割合は上昇を続け、2024年度の割合は9.0%となった。この間、消費増税やインフレが進行した時期であり、中小企業が大多数を占める飲食店の物価に対する感応度が、他産業と比べて高い様子が伺える。 負債規模別にみると1,000~5,000万円未満が全体の77.4%で最多となり、1~5億円未満が同10.4%、5,000~1億円未満が同10.3%で続く。1億円未満の負債額による倒産が全体の9割弱を占めるなど、中小企業の苦境が目立つ(図表3-2)。 この背景には、コロナ禍の休業・時短営業に伴う国・自治体の各種協力金が縮小・終了したほか、関連する「ゼロゼロ融資」の返済が開始されたこと、そして、物価高に伴う原材料や人件費、光熱費などのコストの高止まりなどがある。大手企業は、値上げによる価格転嫁やブランド・業態転換、サプライチェーン・店舗運営の効率化、本社経費の引き締めなどで物価高に対応しているが、ヒト・モノ・カネが圧倒的に不足する中小企業によるこれら対応は容易ではない。 (出所)帝国データバンク「「飲食店」の倒産動向調査(2024年)」、各年「倒産集計」データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 そして、もう一つの二極化は、「業態」による業況格差の進展である。日本フードサービス協会の業態分類では、外食産業は「ファストフード」、「ファミリーレストラン」、「パブレストラン/居酒屋」、「ディナーレストラン」、「喫茶」、「その他」の6つに分けられる。その他業態を除く5つの業態の2024年以降の全店売上高(前年同月比)を比較すると、ファストフード、ファミリーレストラン、喫茶の3業態は全体平均を上回る、もしくは全体平均付近で推移しているが、パブレストラン/居酒屋、ディナーレストランの2業態は全体平均をほぼ下回って推移していることが分かる(図表3-3)。この傾向は店舗数の増減でも同様である。コロナ前の2019年から直近2025年2月までの業態別の全店舗数(前年同月比)の推移を見てみると、パブレストラン/居酒屋、ディナーレストランの両業態は、全体平均を大きく下回って推移している(図表3-4)。 中でもパブレストラン/居酒屋業態は深刻である。2022年からの3年間はコロナの反動もあり、全店売上高は他業態同様に前年同月比を超えているものの、年単位でみると、実は2009年から2021年まで13年連続で全店売上高は前年割れを続けていた。前述した飲食店の倒産件数においても、直近5年間(2020~24年)で最も多い業態は、いずれも居酒屋を主体とする「酒場・ビヤホール」であり、飲食店全体に占める倒産件数の割合(5年平均)は約3割に達する。 2010年代から続くパブレストラン/居酒屋業態の不振は、業態を取り巻く構造的な変化が関係している。例えば、2010年代前半から顕著になった若年層のアルコール離れや「家飲み」需要の拡がりという消費需要の変化に加えて、ファミリーレストランの「ちょい飲み」にも客を奪われた。また、年々厳しさを増す外食のパート・アルバイト人材の獲得競争においても、特にロードサイドの郊外型が多い居酒屋業態は苦戦した。さらに、規制強化もあった。直近では、2020年4月に全面施行された「改正健康増進法」があり、受動喫煙を防止する対策が義務化された。この法律では、喫煙・禁煙に関するルールが定められ、例外は設けられたものの居酒屋などは原則屋内禁煙となり、喫煙者も多い居酒屋経営には大きな影響を及ぼした。 このように、全店売上高は外食産業全体でみると絶好調だが、業態間では二極化が進展している。昨今の業況を牽引しているのは、主にファストフード、ファミリーレストラン、喫茶の3業態であるが、共通しているのは、「低価格」、「都心・商業施設立地」である。物価高が顕著な最中、消費者の安価な食事需要の受け皿になっていると同時に、都心もしくは近郊で宿泊するインバウンド需要の恩恵も受けていると推察される。 (出所)一般社団法人日本フードサービス協会の統計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 4. 「再編期」を迎える外食産業 ここまで、外食産業の足元の事業環境や動向を概述した。本章では、それらを踏まえた外食産業の今後の経営環境を展望し、持続成長におけるポイントをまとめる。 (1) 断続的に減少する飲食店舗数 世界的な物価高に伴う原材料価格の高騰や人件費、物流費、エネルギーコストなどの上昇は、当面、収束する気配はない。また、2024年3月、日本銀行が17年ぶりにゼロ金利を解除し、同年7月と2025年1月に追加利上げを実施するなど、日本にもようやく「金利のある世界」が訪れた。食材費や人件費だけでなく、借入金利も経営を圧迫する要因となった。外食経営の損益分岐点は既に高止まりしているが、未だ「上げ止まり」感はなく、今後も持続的に上昇していくと考えていた方が良い。 昨今の外食産業における経営環境は、実は、世界的な穀物価格の高騰に端を発する原材料高に見舞われた2005~08年、そして、円安と慢性的な人手不足による原材料・人件費高に直面した2015~19年の状況に近い。しかし、原材料高を取ってみても、牛肉や豚肉などの輸入食材だけでなく、これまで国内で生産過剰と言われ続けてきた米価格の急騰(高止まり)は、「平成の米騒動」といわれた1993~94年以来、およそ30年ぶりのことである。2025年3月26日から政府が2回目となる備蓄米の入札(放出)を行ったが、米価格は一向に下がる気配がなく、依然として需給のひっ迫は続いている。また、人件費高については、時給を引き上げても採用が困難な人材採用難の時代など、これまであっただろうか。さらに、ゼロ金利解除に伴う借入金利の上昇局面は、2006年以来、およそ20年ぶりのことである。 そのため、直近の飲食店舗数は5年半ぶりに前年同月比でプラスになったものの、筆者は今後の飲食店舗数の断続的な減少を予想する。実際、日本フードサービス協会の飲食店舗数の前年同月比データや厚生労働省の飲食店舗数に関する統計データを長期のトレンドでみると、いずれも減少傾向であることが分かる(図表4-1、4-2)。2000年度に154万店舗あった飲食店舗数は、その後、五月雨式に減少を続け、2023年度には、2000年比89.6%の138万店舗となった。 飲食店舗数の2021~23年度のCAGR(年平均成長率)は△0.76%であり、昨今の経営環境を見据えると、年に応じてバラつきはあるとしても、筆者はこの減少率が今後も続くものと推察する。 (出所)一般社団法人日本フードサービス協会統計データ(左)、厚生労働省「生活衛生関係営業施設数」統計データ(右)より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2) 拡大する外食産業の市場規模 飲食の店舗数はこの20年で約1割減少したが、実は外食産業(中食を含む広義の外食産業、以下同じ)の市場規模は拡大傾向にある。2000年以降の同市場規模を俯瞰すると、まず、2000年の市場規模は32.0兆円で、その後、緩やかな上下を繰り返しながらも減少を続け、2011年には28.6兆円まで低下した。しかし、その後は増加に転じ、コロナ前の2019年には33.5兆円にまで拡大した。コロナ禍で市場は一旦激減したが、2022年より復調し、2023年には31.8兆円にまで回復した(図表4-3)。 外食産業の市場規模が2011年を底にして反転した理由は、主に、「中食市場」と「インバウンド需要」の拡大、そして「物価(客単価)」の上昇の3つでほぼ説明がつく。インバウンド需要と物価(客単価)は本稿で述べてきた通りであるが、2000年以降の中食市場の持続拡大は無視できない。実際、2000年の中食市場規模は5.7兆円であったが、その後、CAGR1.6%で伸長し、2023年には8.1兆円にまで拡大した。この間の単純な市場増加額は2.4兆円にのぼり、外食産業に与えた影響が読み取れる。拡大を続ける中食市場(需要)を獲得するため、2010年になる頃から、外食各社の中食分野への商品・サービス、業態などの開発が本格化したことは周知のとおりである。 ちなみに、中食市場を含まない外食市場単体でみても、2000年の26.3兆円に対して、コロナ前の2019年の同市場規模は25.7兆円であり、この間のCAGRは△0.1%に留まっている。外食産業は1997年に市場規模のピークを付けて以降、2011年までじりじりと縮小を続けていたこともあり、その当時、筆者を含む多くの産業アナリストやリサーチャーが、外食産業における将来の断続的な市場縮小を予想した。その後、これらの予想に反し、外食産業の市場規模は伸長した。振り返ってみると、日本で長く続いたデフレからの脱却と持続的な物価高、旺盛なインバウンド需要到来の3点の予見が困難であったと分析している。 人口動態をはじめとする国内の社会構造や世界のマクロ環境を中期展望した際、中食市場とインバウンド需要、物価の伸長は当面続くことが予期される。筆者は、今後の外食産業の市場規模はCAGR1.8%で伸長し、2030年には36.2兆円(外食市場26.8兆円、中食市場9.4兆円)に達するものと予想している。 (出所)一般社団法人日本フードサービス協会、公益財団法人食の安全・安心財団の推計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (3) 市場占有率が高まる大手企業 このように、今後、飲食店舗数は減少する一方で、外食産業の市場規模は伸長が見込まれる。今後、外食産業全体のプレーヤー数は減少し、大手プレーヤーが市場シェアを高めるシナリオを想定する。 実際、大手企業の市場シェアは年々拡大している。日経MJ「日本の飲食業調査」における2000年度以降の「店舗売上高ランキング(上位100社)」のデータと、前述した外食産業の市場規模を使って各年における上位企業の市場シェアを集計したところ、2000年度の上位30社の市場シェアは9.5%(店舗売上高合計:3.0兆円)であったが、2023年度には17.2%(同5.5兆円)まで拡大している(図表4-4)。この間のCAGRは2.6%であるが、外食産業の市場規模が増加に転じた2011年度以降のCAGRは3.8%に達する。物価高に伴う値上げや業態転換などの戦略が打ち出しにくい中小企業の統廃合が進んでいる様子が分かる。 今後も大手企業による市場シェアの上昇が続くと考えられ、筆者は、2030年度の上位30社によるシェアは21.0%まで拡大するものと予想している。 (出所)一般社団法人日本フードサービス協会、公益財団法人食の安全・安心財団の推計データ、日経MJ「日本の飲食業調査(2000-23年度)」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (4) 変動する大手企業の趨勢 大手企業の市場シェアが高まる一方で、大手企業間の競争は激化し、今後も趨勢は変動していくものと考える。日経MJ調査による2000年度と23年度の店舗売上高ランキングを比較・分析してみると、この四半世紀に及ぶ大手企業の趨勢や外食産業の潮流が見えてくる(図表4-5)。企業の「規模」「業態」「ネーム(顔ぶれ)」の3つの変化に注目し、以下レビューする。 1点目は「規模」の変化である。2000年度と23年度の上位30社を比較すると、「一千億円企業」が倍増した。つまり、店舗売上高が1,000億円以上の企業数は2000年度が11社であったのに対して、23年度は22社に及んだ。いずれのランキングも首位は日本マクドナルドHDであるが、店舗売上高は4,811億円から7,777億円に拡大した。また、2000年度の第30位企業は壱番屋であり、当時の店舗売上高は432億円であったが、23年度には884億円へ倍増した。大手企業の市場シェアが上昇している様子が伺える。 日経MJ「日本の飲食業調査(2000-23年度)」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2点目は「業態」の変化である。2000年度の店舗売上高ランキング上位30社のうち、「パブ/居酒屋」業態を展開する企業は5社あったが、23年度はワタミの1社のみである。前章で詳述の通り、この23年間の同業態における厳しい経営環境が推察される。 一方で、2000年度のランキング表にはなく、23年度に新たに登場した業態が「回転ずし(寿司)」である。上位30社に2社ランクインしている。まず、23年度の店舗売上高ランキングの第6位に入ったFOOD & LIFE COMPANIESは、回転寿司の「スシロー」、「回転寿司みさき」、持ち帰り寿司専門店の「京樽」などを店舗展開する企業グループであり、23年度の店舗売上高は2,059億円であった。連結売上高(2023.9期)で9割を占める主要ブランド「スシロー」の2000年度の店舗売上高は173億円、同ランキングは93位であったことを考えると、回転寿司業態、そして当社の成長ぶりが理解できる。 もう一社は23年度ランキングで第9位のくら寿司である。「無添くら寿司」を国内外で展開する当社の23年度の店舗売上高は1,638億円であるが、2000年度は同調査ランキングの上位100社にすら入っていない。当社IR資料によると、2000年度(2001.11期)の売上高は111億円であることが分かり、この23年間で売上高は15倍に拡大した。 その他、業態の変化で目立つのは「多業態」であるが、以下3点目と合わせて概述したい。 3点目は企業の「ネーム(顔ぶれ)」の変化である。2000年度の上位30社にランクインした企業のうち、引き続き23年度にも登場している企業数は14社である。言い換えると、残り16社は2000年度時点には上位30社に入っていなかった企業であり、その中には当時、独自のビジネスモデルや戦略で急成長していた新興企業が複数含まれる。 その代表企業は、まず、23年度のランキングで第2位と第3位のゼンショーHDとコロワイドである。「すき家」、「なか卵」、「ココス」、「はま寿司」などの店舗ブランドで知られるゼンショーHDの2000年度の店舗売上高は203億円であったが、23年度には当時比31倍の6,214億円に拡大した。一方のコロワイドは、「牛角」、「かっぱ寿司」などの代表的な店舗ブランドを有する。2000年度の店舗売上高は225億円であったが、23年度は3,815億円のため、この間の成長率(倍率)は17倍に及ぶ。 また、これら16社のうち、23年度までの成長率が最も高かったのは、23年度のランキングで第10位、「丸亀製麵」、「コナズ珈琲」などの店舗ブランドを展開するトリドールHDである。2000年度の調査では上位100位に入っていなかったため、当時の店舗売上高データはないものの、当社IR資料より、2000年度(2001.3期)の売上高は16億円であることが分かる。23年度の店舗売上高は1,433億円のため、驚くことに、この23年間で売上高は89倍に拡大した。 トリドールHDに次ぐ成長率を誇る企業は、23年度のランキングで第22位、「かごの屋」、「しゃぶ菜」などの店舗ブランドを展開するクリエイト・レストランツHDである。当社も2000年度の調査で上位100社に入っていなかったが、公表資料より、2000年度(2001.2期)の当社売上高は39億円であった。23年度の店舗売上高は1,158億円であり、2000-23年度の成長率は30倍に達する。 成長率の第3位で、23年度の店舗売上高ランキングで第12位にあるのが、「焼肉きんぐ」、「丸源ラーメン」などのブランドを運営する物語コーポレーションである。当社も2000年度のランキングでは上位100社にランクインしてなく、公表されているデータで最も古い2002年度(2003.6期)の当社売上高は64億円であった。23年度の店舗売上高は1,320億円のため、この間の成長率は21倍にのぼる。 このように2000年度以降、急成長し、今や国内外食産業を代表する大手企業となった上記5社の共通戦略は、「マルチブランド・多業態戦略」と「M&A戦略」である。つまり、単一ブランド・業態ではなく、消費者の利用シーンや店舗の立地に合わせた様々なブランド・業態を展開し、その開発手段としてのM&A活用である。 これらの戦略が2000年度以降、合致した背景には、国内外食産業の構造的な変化がある。日本の外食産業は、1970年代前半から単一ブランド・業態のチェーンストア化が進展し、消費者の外食利用のすそ野拡大に貢献した。しかし、バブル崩壊後の景気後退、人口減少時代を迎える中、外食店舗のオーバーストア化が課題になり、磨き込まれた極少数の店舗ブランドを除き、ブランドの陳腐化(短命化)が顕著になりはじめた。また、人口動態や社会環境の変化に伴う消費者需要の多様化も進んだ。そのため、2000年以降、コンセプトや利用シーン、立地毎に対応するそれぞれの店舗ブランド・業態を開発する新興企業が頭角を現してきた。その手法として、自社開発に加え、M&Aによって他社ブランドを獲得する企業も登場した。それらの代表的なパイオニアが上記5社である。 その後、このような戦略を採る新興企業が急成長を遂げる中、また、人口減少による国内外食産業が成熟期へ突入する中、これまで単一ブランド・業態を展開していた多くの企業もこれらの戦略を採用し、次第に外食産業における主要な成長手段として根付いていった。言い方を変えると、今やマルチブランド・多業態戦略、M&A戦略は一般化し、2000年代前半までとは異なり、それ自体は差別化要素ではなくなった。今後はさらに大手企業間の競争は激化し、結果としての企業の趨勢は大きな変動が予想される。 (5) 緻密なマーチャンダイジングがより問われる環境へ それでは、外食各社の差別化要素、または昨今の経営環境で必要な取り組みは何か。多岐に及ぶが、ひと言でまとめるならば、緻密なマーチャンダイジングの実践であろう。 物価高の上げ止まりが見えない中、引き続き、各社は既存メニューの値上げや高単価商品の導入、新ブランド・業態開発による単価向上の戦略が求められる。一方で、昨今、値上げによる「客単価」の増加以上に「客数」が減少し、既存店の売上高が大きく減少する事例も散見されはじめた。物価高を背景とする消費者の節約志向が目立つ中、単純な値上げは客離れを誘発し兼ねない。値上げ以上の価値を消費者に訴求する必要があり、使用原料やメニュー自体の改良、セットメニューの開発、値下げ商品の組み合わせによるミックス戦略なども有効であろう。今後、外食経営者におけるマーチャンダイジングの巧拙が企業の命運を左右するといっても過言ではない。 今後のマーチャンダイジングの参考として、2000年以降の外食産業のマーチャンダイジングの潮流を振り返ってみる。大掴みにまとめると、その時代のマクロ環境や消費者需要などを背景として、「客数」を取りに行く低価格戦略と、「客単価」を狙う高単価戦略、それらを組み合わせたミックス戦略を繰り返してきた。それらは、日本フードサービス協会の全店「客数」と「客単価」の前年比推移を追うことで、概ねその変遷が理解できる(図表4-6)。 いつの時代も巧みなマーチャンダイジングで外食産業を代表する企業は日本マクドナルドHDである。当社はデフレ下で消費者の財布のひもが固かった2000年に「平日半額プログラム」を開始したが、2002年には平日半額セールを打ち切り、ハンバーガーを65円から80円に値上げした。その後、2005年には低価格な「100円マック」の導入と同時に、既存メニュー6割の値上げを発表するなど、ミックス戦略へ移行した。2010年代半ば以降の円安に伴う原材料高騰時には、期間・数量限定メニューである「グランド ビッグマック」、「ギガ ビッグマック」 (2016年)、そしてパティを倍にした「夜マック」(2018年)などの高単価&付加価値メニューの開発・導入を進めた。コロナ後の2022年以降、物価高への対応として4年連続で値上げを実施している。最新の2025年3月には全体商品の約4割を値上げしたが、同時に、「ハンバーガー」のバリューセット(セット500)を10年ぶりに500円でラインアップに加えるなど、価格(客数)にも配慮したミックス戦略が採用されている。ちなみに、ハンバーガーの現在の単価は190円であり、2000年(65円)と比較とすると、25年間で約3倍の水準となった。 このように、2000年以降、持続的な業容拡大を遂げてきた日本マクドナルドHDの業績は、そのときどきの時代の風潮に合わせた巧みなマーチャンダイジングに支えられていることがわかる。 ※MD:マーチャンダイジング(商品政策) (出所)一般社団法人日本フードサービス協会、日本マクドナルドHD公表資料より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (6) M&Aの活況と「再編期」へ向かう外食産業 外食企業によるマーチャンダイジングの巧拙が命運を左右することを述べたが、もちろん、「言うは易く行うは難し」である。経験やノウハウを持つ人材などの経営資源が求められることはもちろん、新メニュー開発やブランド・業態転換の観点からは、一定の企業体力(財務力)も必要となる。「客単価」の上昇を軸とする外食市場の規模拡大の予想から、値上げ余地のあるブランド力やマーチャンダイジング力を有する企業の業容はいっそう拡大する一方、それらが乏しい企業は淘汰される可能性がある。2024年の飲食店の倒産件数が過去最高であったように、今後、外食各社の間の二極化はこれまでにないペースで進展し、外食産業はM&Aによる「再編期」へ突入するものと推察される。 実際、外食産業のM&Aは活況を呈している。株式会社レコフ「レコフM&Aデータベース」によると、2024年の外食産業におけるM&A件数は過去最高となった(図表4-7)。 (出所)株式会社レコフ「レコフM&Aデータベース」の公表データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 背景には、前章の飲食店舗の倒産件数の増加で述べた物価高などの要因があるが、換言すれば、その打開策としてのマーチャンダイジングが道半ばであった点も否めない。その一方、足元の業績が好調にも関わらず、M&Aによる他社へのグループ入りを決めた企業も少なくない。例えば、事業承継問題を抱える企業の経営譲渡がある。外食産業に限らず、後継者問題はどの産業でも深刻化しており、少子高齢化で後継者が見つからず、黒字でも事業をやめざるを得ない中小企業は増加している。実際、帝国データバンクによると、2024年に休廃業・解散した企業6.9万社のうち、その半分強が直近の決算期で黒字であったという。 それに加えて昨今では、M&Aを選択する理由に「事業ビジョン(創業ビジョン)の早期実現」を挙げる若い経営者が増加している。そのような経営者は、構想から事業が立ち上がり、資金が安定的に回りはじめたアーリー/ミドルステージの段階で早々に経営を譲渡し、グループ入りした企業の経営資源をフル活用した創業ビジョンの実現、引いては持続成長プロセスを選択している。通常のベンチャー経営者は、ベンチャーキャピタルからの成長資金を調達し、段階的な成長と調達を繰り返して株式上場を短期目標とすることが多いが、その成長プロセスとは対照的である。 早期の経営譲渡を選択する経営者は、事業ビジョンの早期実現による社会への貢献意識が高い。誤解を恐れずにいうと、そのような経営者は、ビジネス自体は事業ビジョンを実現する手段と捉えており、それを最短で実現する選択肢として、株式上場とトレードセール(他社へのグループ入り)を天秤にかけ、後者が最適と判断すれば躊躇なくM&Aを選択している。もちろん、そのような経営者だけではなく、昨今の厳しい経営環境を乗り越えるための早期決断を行う経営者も少なくない。 このように成長ステージに入った早期から、M&Aを持続成長の手段に位置づける経営者は、2010年代後半以降、確実に増加している。背景には、M&Aの社会的な認知度の向上と、M&Aを専門的に支援するプレーヤーのすそ野が拡がった影響などがあろう。外食産業の原材料高や人件費の高止まりなどに伴う経営環境の悪化、後継者難を背景とする事業承継問題の深刻化、そして、事業ビジョンの早期実現や持続成長を遂げる主要な戦略手段として、外食産業のM&A件数は引き続き増加していくものと推察される。筆者は、2030年の外食産業のM&A件数は、少なくとも2024年比で約1.3倍の年間90件程度まで拡大するものと予想している。 M&Aがベンチャーや中小企業の経営者にも広く浸透しはじめた一方で、M&Aに関連するトラブルは多発している。中小企業庁によると、売り手側創業者の個人保証の解除や退職慰労金の支払いが契約にもとづいて履行されない事例や、買い手側の資金力に大きな疑念があるにも関わらず、売り手側に買い手候補先として紹介し、クロージング後に仲介手数料の支払いはしたものの買い手企業から売り手側に株式譲渡代金が振り込まれない事例などが相次いでいる。 同庁は、2024年8月末、「中小M&Aガイドライン」を改訂し、仲介者・FA(ファイナンシャル・アドバイザー)の手数料やプロセスごとの提供業務の具体的説明、ネームクリア(売り手側企業名の買い手候補先への開示)前の売り手側の同意の取得、テール条項(契約終了後の一定期間における同様な取引や契約を制限する条項)の対象の限定範囲、専任条項がない場合の取り扱いの明確化、不適切な仲介者・FAの排除などを明記した。M&Aが社会インフラになりはじめた中、このようなガイドラインの厳格化を通じて、買い手と売り手が安心してM&Aを決断できる仕組みづくりが重要なのはいうまでもない。 こうしたガイドラインの改定などで、M&Aのプラットフォームは次第に洗練されていくものと推察されるものの、経営譲渡を検討する売り手側の本質的な視点では、M&Aを仲介者やFAに「丸投げ」するのは控えた方が良い。プロセスを開始する前に、M&Aの目的や方針・戦略をはじめ、事業ビジョンや中期経営計画などの方針と合致する買い手候補先企業の洗い出し、そして、プロセスの各段階における情報の開示内容や方法などを、売り手側が「腹落ち」するまで、仲介者やFAなどと膝詰めでじっくりと協議しておくべきである。M&Aが一般的な経営の選択肢になりはじめたとはいえ、特に売り手側の創業者にとっては大きな決断であり、また、従業員の生活やモチベーションにも大きな影響を与える点も再認識しておく必要がある。 また、買い手側の経営者の視点では、M&Aは成長の「目的」ではなく「手段」である点を、今一度確認する必要がある。言い換えると、M&Aによる売上高の拡大は目に見えて理解できるものの、重要なのはトップライン(売上高)ではなく、ボトムライン(利益/キャッシュ)、そしてシナジー(相乗効果)である。安易なM&AでPMI(M&A後の統合効果の最大化)に苦労するだけでなく、既存顧客や主要幹部・従業員が離反してしまう「負のM&A」事例は、外食産業に限らず他産業でも枚挙にいとまがない。肝要な点は、まず、確固たる事業ビジョンとそれを実現する戦略の構築にあり、その上で、それを実践する手段としてのM&A活用の検討である。M&Aを検討する判断に至った場合、経営者が作成したそれらの素案をもとに、外食産業やM&A戦略に長けている仲介者やFAを慎重に吟味し、彼らから適切なアドバイスを求めるのがよいと思われる。 こうした昨今のM&Aの活況と外食産業を取り巻くマクロ環境やミクロ環境、消費者の動向を見据えると、外食産業は次第に「再編期」へ突入していくものと筆者は考える。本稿で述べてきたように、その際の企業各社における持続成長の主要ポイントは、「緻密なマーチャンダイジング戦略」と「巧みなM&A戦略」だと考える。そのような再編を通して、外食産業のプレーヤーは、次第に、国内外で市場シェアを高める巨大外食企業グループと、特定の小商圏で常連客をつかむ強固なブランド(知名度)を有する「町の個店」への二極化が進展するものと予想する。 (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部 おわりに 外食産業の「近代化元年」は、外食産業への外資規制が前年に解禁された1970年といわれている。それまでは外食といえば個人事業主が経営する町の「個店」を指していたが、同年以降、米国式のチェーンストアオペレーションを導入した国内外企業による出店が進んだ。1970年に「すかいらーく」、「ケンタッキーフライドチキン」、翌1971年に「マクドナルド」、「ロイヤルホスト」、「ミスタードーナツ」、1972年に「ロッテリア」、「モスバーガー」など、今や日本の外食産業を代表するチェーン店舗の1号店がそれぞれ開店した。チェーンストア理論に基づく単一ブランドのナショナルブランド化は、「3S」と呼ばれる標準化(Standardization)・単純化(Simplification)・専門化(Specialization)の手法を用いて、高品質かつ低価格なメニュー・サービスを、どこの店舗でも同じように提供することで、外食産業の市場形成はもちろん、高度成長期における消費者の食文化の醸成・浸透に大いに貢献した。 外食産業の近代化から今年で55年を迎える。ロシア(旧ソビエト連邦)の経済学者であるニコライ・コンドラチェフが提唱した「コンドラチェフ・サイクル(Kondratieff Wave)」によると、物価水準と景気の変動が50~60年の周期で到来して景気循環を生み出すという。2020年以降の国内外食産業は、未曽有のコロナ禍における消費者の購買行動の変化や「マインドセット」を通じて、新たなビジネスモデル(サービスや技術)を受け入れる風土が形成された。また、その後の世界的な物価高を経て、外食のコスト構造、引いてはマーチャンダイジングのあり方が根本から変わりはじめた。M&Aも社会に浸透し、外食経営者の成長手段、もしくは事業承継の選択肢として定着した。 コンドラチェフ・サイクルでは、景気循環を生み出す背景の一つに「イノベーション(革新/新機軸)」を掲げている。外食産業における2020年以降の変化は、ビジネスモデルや技術の「革新」とまで呼べるものではないが、外食産業の「新機軸」を打ち出した点については疑いようがない。今から5年後の2030年における外食産業の「近代化60周年」の節目に向けて、「緻密なマーチャンダイジング戦略」と「巧みなM&A戦略」を用いて、新たな食文化の醸成に寄与する外食企業の活躍に期待したい。 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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04/19 16:00
食農体験型返礼品が切り拓くふるさと納税の可能性
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 コンサルタント 増子 桃子(2025年4月11日) 1. 拡大を続けるふるさと納税―その背景と発展 ふるさと納税は、2008年に総務省の主導で導入された制度であり、「地方で生まれ育ち、都会に移り住んだ人が、税制を通じてふるさとや応援したい地域に貢献する仕組みを作る」という想いのもと創設された。地域を支援する新たな選択肢として導入されたこの制度について、総務省は次の三つの意義[1]を提示している。 ① 納税者が寄付先を選択することで、税の使われ方を考えるきっかけとなる② お世話になった地域やこれから応援したい地域の力になれる③ 自治体が取組をアピールすることで、自治体間の競争が進み、地域のあり方をあらためて考えるきっかけとなる このように、「納税者と自治体が、お互いの成長を高める新しい関係を築いていく」という理念のもとで始まったふるさと納税は、2011年の東日本大震災を契機とする被災地支援への寄付が広がることで認知度が高まった。さらに、2012年には国内初のふるさと納税専門のポータルサイト「ふるさとチョイス」が開設されて利便性が向上したほか、2015年には控除上限の引き上げとワンストップ特例申請の導入によって手続きが簡素化されるなどで、利用者が一気に拡大した。この結果、寄付者数と寄付総額は急増し、2023年度には寄付総額が1兆円を超え、ふるさと納税利用者と言える住民税控除適用数も1,000万人を突破するなど拡大を続けている(図表1)。 現在では、ほとんどの自治体が寄付の「御礼」として返礼品を提供しているが、導入当初は、返礼品を送る自治体はごく一部であり、寄付金の使途を提示することで寄付を募ることが主流であった。2012年のポータルサイト開設以降、寄付する自治体を「返礼品で選ぶ」という文化が徐々に浸透し、返礼品の内容や形式も多様化している。こうした中で、寄付者の動機は「返礼品」が大半を占めるようになり、自分にゆかりがある「ふるさと」を応援するという当初の理念が十分に実現されているとは言い難い状況となっている。また、自治体間の寄付獲得競争が激化する中で、地域振興と直接結びつかない返礼品も見受けられるようになり、制度の在り方が問われる場面が増えている。 図表1 ふるさと納税受入金額と住民税控除適用者数の推移 (出所)総務省「令和6年度ふるさと納税に関する現況調査について」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 しかしながら、「返礼品」をきっかけに寄付先の地域やその魅力を知り、地域支援の輪が広がるというポジティブな側面も見逃せない。ふるさと納税の導入当初に掲げられた意義を再確認し、地域振興や地方創生へと繋げるためには、返礼品を単なる物品提供にとどめるのではなく、地域の持続可能な発展を促進する仕組みへと進化させることが求められる。筆者がその一例として注目したいのが、「食農分野」における返礼品の影響であり、この分野が地域経済に与える影響や課題を掘り下げていきたい。 2. 食農分野に見るふるさと納税の効果と課題 ふるさと納税返礼品の中でも、食品や農産物は人気の高いカテゴリであり、寄付件数の6割強が食農分野に関連している(図表2)。2023年度の寄付受入金額は1.1兆円であり、このうち返礼品調達額は約3割であるため、食農分野の返礼品調達額は1,980億円(1.1兆円×0.6×0.3)と推定される。農業・食料関連産業の国内生産額(概算値)が114兆円(2022年)[2]であることを考えると、規模は小さいものの、食農産業が主要産業となっている地方自治体では、非常に大きな影響力を持つと考えられる。 例えば、2022年および2023年にふるさと納税受入額が第2位となった北海道紋別市は、2022年に194億円の受入額を記録しており、このうち食農分野の返礼品調達額はおよそ35億円[3]と推計される。この金額は市の農業産出額(79.7億円[4])の44%に相当し、地域経済を支える重要な財源となっている。また、宮崎県都城市では、宮崎牛や豚肉、焼酎を返礼品として戦略的に活用し、寄付額全国1位を記録した。市では寄付金を子育て支援や教育施設の整備に充てるなど、地域経済の好循環を生み出している。 図表2 ふるさと納税 返礼品カテゴリ別寄付件数の推移 (出所)総務省「令和6年度ふるさと納税に関する現況調査について」および、ふるさと納税ガイド「ふるさと納税 人気返礼品 ジャンル(https://furu-sato.com/magazine/9440/)」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 一方で、現行の食農分野の「物品型返礼品」には以下のような課題が存在している。 ① 特産品の有無による寄付額格差特産品が地域間競争を左右する状況が続いており、特産品に恵まれない自治体では寄付が伸び悩む傾向にある。特産品の提供が難しい自治体では、寄付者を引き付ける手段が限られ、競争力の格差が拡大している。 ② 自治体と寄付者の繋がりの希薄化と「官製通販」化の懸念1章でも触れたように、寄付の主な動機が「返礼品取得」となっており、寄付先自治体への関心が薄れている。ふるさと納税の本来の目的である「ふるさとを応援する」という意義が薄まり、制度が「官製通販」化しているという批判も存在する。 こうした課題を解決していくために、筆者が注目しているのが、「体験型返礼品」である。近年、寄付件数が増加傾向にある旅行券やギフト券を軸とした体験型返礼品は、物品型返礼品の課題を解決する糸口となり得る。特に、人気の高い食品・農産物と組み合わせた「食農体験型返礼品」は、地域の持続可能性を高めるとともに、寄付者との繋がりを深める有効な手段となり得る。 3. 「食農体験型返礼品」の可能性 近年、消費者の価値観は「モノ消費」から「コト消費」へ移行している。物理的な商品を購入して得られる満足感よりも、心に残る体験や感情的な価値に重点を置き、形として残らない「経験」を求める傾向が強くなっている。この動きは、ふるさと納税返礼品の新しい選択肢として「体験型返礼品」の普及を後押ししている。また、レッドホースコーポレーション株式会社が実施したアンケート調査[5]によると、体験型返礼品利用者の9割が「寄付で訪れたまちにまた訪れたい」と回答しており、寄付者が地域に対して継続的な関心を持つきっかけとなり、体験型返礼品が地域の交流人口だけでなく、関係人口の創出に寄与することも示唆されている。 体験型返礼品の中でも、食農体験型返礼品は、地域独自の農業や食文化を活用し、寄付者が地域を訪問して体験することで、物品返礼品の課題を補完する可能性があると筆者は考える。図表3でまとめるように、食農「物品型」返礼品は、寄付者の利便性や地場産業の短期的な売上増加に繋がるという利点はある一方で、食農体験型返礼品は、返礼品に留まらず、寄付者が寄付先自治体へ訪問することでの地域経済への波及効果や地域住民との交流による関係構築・リピーターや関係人口の創出に繋がり、また、ふるさと納税返礼品以外への展開も可能性があると考えられる。 図表3 食農物品型返礼品と食農体験型返礼品の比較 項目食農物品型返礼品食農体験型返礼品提供内容地域の特産品(食品、農産物等)を寄付者へ送付地域に関連する農業や食文化等の体験やサービスを提供寄付者の利便性寄付手続き後、返礼品の発送を待ち、受け取るのみであるため、寄付者の利便性は高い寄付手続き後、寄付先自治体へ訪問するための交通の手配、宿泊予約が必要であり、手間と時間を要する地域への経済効果返礼品調達先である地場産業の売上増加に貢献寄付者が寄付先自治体へ訪問することで、体験・サービスを提供する地場産業の売上増加の他、宿泊・飲食業等の地域経済への波及効果寄付者との繋がり返礼品の提供後の、継続的な関係構築が難しく、短期的な繋がりとなる寄付先自治体を訪問し、地域住民との交流することで、地域との繋がりが生まれ、リピーターや関係人口を創出ふるさと納税以外への展開・波及地元特産品の知名度向上による販路拡大やブランド力強化食育への展開:都市部の学校のフィールドワーク・教育プログラム化。企業の福利厚生として農業体験導入インバウンド観光への展開:アグリツーリズムやグリーンツーリズム等の地域資源を活用した訪日外国人向けのプラン設計へ波及 (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 それでは、実際にはどのような体験やサービスが食農体験型返礼品として考えられるか。ふるさと納税のポータルサイトで紹介されている返礼品を例に整理を行った(図表4)。いずれの体験においても、地域の魅力や価値を向上させ、寄付者の地域や食農分野に対する理解醸成に繋がり、寄付者と地域の新たな関係性を構築する可能性がある。 図表4 食農体験型返礼品の例一覧 返礼品の種類 内容期待される効果 対地域期待される効果 対寄付者具体例農業体験野菜や果物等、地元特産品の収穫体験畑や田の区画、茶やオリーブの樹のオーナー制度等農業の魅力をアピールし、地域農業の理解と支援を促進休耕地や耕作放棄地等の有効活用普段口にしているものを自らの手で育て、収穫することで、食べ物の価値や生産者の努力を理解新潟県糸魚川市「農業体験+お米の定期便『米主』プロジェクト」愛知県安西市「レンコン掘り体験」漁業体験漁船に乗り、魚を捕る体験を行い、地域の海産物を楽しむ地域漁業の活性化地域の海産物の認知度向上漁業の魅力や海産物の価値を直接体験し、地域の海洋資源への関心が深まる高知県中土佐町「上ノ加江漁港の漁業体験」和歌山県串本町「沖釣り体験」酪農体験酪農現場で牛の飼育や乳搾り等を体験チーズやバター等乳製品の加工体験地域酪農の魅力を発信乳製品のブランド力を強化酪農の現場を知り、食品の生産過程を学ぶ 沖縄県大宜味村「自然の中で酪農&バターづくり体験」北海道広尾町「広尾町の魅力を楽しむ酪農漁業体験ツアー」地元食材を使った料理教室地元食材を使った料理や郷土料理を学びながら、地域の食文化に触れる体験地域の食文化や郷土料理の認知度を向上地元食材のブランド力向上地元食材の魅力や地域ならではの食文化や郷土料理を学ぶことで、地域の歴史も垣間見ることができる新潟県新潟市「新潟強度料理教室」千葉県四街道市「農家キレド 畑と野菜の料理教室体験」酒造り体験地元特産品である日本酒や焼酎等の製造工程を学ぶ体験 地域酒文化の発信観光資源としての価値向上日本酒や焼酎の製造過程を学び、地域の伝統的な酒文化を学ぶ長野県佐久市「KURABITO STAY 蔵人体験」奈良県大和郡山市「中谷酒造 酒造り体験」農村民泊体験農村に宿泊し、農作業や地元の日常生活を体験地域住民との交流を促進し、関係人口を創出地域の日常生活の体験を通じて、地域文化への理解が深まる宮崎県高千穂町「農村民泊」大分県宇佐市「安心院農村民泊」(出所)ふるさと納税ガイド(https://furu-sato.com/)およびふるさと納税なび(https://myfuru.jp/)より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 例示した以外にも、食農体験型返礼品の種類は多岐にわたっている。また、既存のサービスから展開も可能であり、肉や魚介類といった特産品がなくとも、各自治体の工夫次第で、魅力的な体験やサービスを企画することができる。各地域が持つ特性に応じた食農体験型返礼品を開発することは、地域の価値・魅力の再発見する機会に繋がる。 さらに、食農体験型返礼品は、クラウドファンディング型ふるさと納税と組み合わせることで、ふるさと納税の三つの意義を最大限発揮することができるのではないかと筆者は考える。クラウドファンディング型ふるさと納税とは、地方自治体が目標金額・募集期間等を定め、特定の事業・プロジェクトにふるさと納税を募るものであり、寄付者は共感・支援したいプロジェクトに対し、直接応援できる仕組みである。地域の食農産業の課題解決を目的としたプロジェクトも多数存在し、クラウドファンディング型ふるさと納税についても、返礼品を受け取れることがほとんどである。その返礼品をプロジェクトに関連した食農体験型返礼品とすることで、寄付者自らが支援したプロジェクトの現場を体験し、課題解決に寄与したという実感を得ることができる。結果として、寄付先自治体とのより深い関係性を構築し、地域への愛着や継続的な関心へと繋がるのではないだろうか。 おわりに ふるさと納税は、筆者が取り上げた課題以外にも、都市部の税収減少や公平性の問題、制度運営上の課題等、さまざまな課題が議論されている。それでもなお、地方が持つ独自の魅力や価値を再発見し、その魅力や価値を都市住民に向けて発信し、都市住民との関係人口や交流人口といった新しい関係性を築くきっかけとなるこの制度は、都市への人口集中が進み、地方の人口減少や経済的疲弊が進む状況下において、地方創生に繋がる重要な打ち手になると考える。 本稿で取り上げた「食農体験型返礼品」が、現行の制度の課題を解決する一助となり、本来目指している理念や意義を十二分に発揮できるような制度へ進化していくことを期待したい。 [1] 総務省「ふるさと納税ポータルサイト ふるさと納税の理念」(https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_zeisei/czaisei/czaisei_seido/furusato/policy/) [2] 農林水産省「令和4年 農業・食料関連産業の経済計算(概算)」(https://www.maff.go.jp/j/tokei/kekka_gaiyou/keizai_keisan/r4/index.html) [3] 194憶円の受入額のうち、返礼品調達額を3割、食農分野の返礼品の割合を6割と仮定し推計 [4] 農林水産省「令和4年 市町村別農業産出額(推計)」(https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/sityoson_sansyutu/) [5]レッドホースコーポレーション株式会社「【ふるさと納税に関するアンケート調査】“コト消費”返礼品が拡大。寄附者の90%が「また、訪れたい」と回答。」(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000385.000048395.html) ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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03/16 16:00
「日本ワイン」の持続成長と発展に向けて
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニア・アソシエイト 鈴木 拓実(2025年3月13日) はじめに 2024年は日本ワインにとって快挙の年であった。同年6月、イギリスで開催された世界最大級の国際ワインコンペティション「DWWA(デキャンター・ワールド・ワイン・アワード)」において、サントリー登美の丘ワイナリーが製造した「登美 甲州 2022」が日本ワインとして初めて最高賞(Best In Show)を受賞した。このワインには白ブドウ品種の「甲州」が原材料に使用されているが、甲州は日本独自の品種として、2010年に国際ブドウ・ワイン機構(以下、「OIV」と記載)に認定されている。この受賞は正に日本ワインがグローバルで認められた瞬間であり、グローバル展開に向けた黎明期を迎えたと筆者は考えている。本レポートでは、国内のワイン市場の現状を確認し、課題について考察する。 1.国内のワイン市場 本論を進める前に、まず、「日本ワイン」と「国内製造ワイン」の定義について述べる。2018年に国税庁は「果実酒等の製法品質表示基準」で日本ワインおよび国内製造ワインの定義を定めており、「日本ワイン」は国産ぶどうを原材料として、日本国内で製造された果実酒であり、「国内製造ワイン」は海外から輸入した濃縮ぶどう果汁等を使用して、国内で製造されたワインとしている。本論では両者を合わせて「国産ワイン」と表現する。 図表1に記載の通り、国内のワイン消費量は2010年ごろに安価で高品質なチリ産等のワインが輸入されたことや国産ワインの消費量が増えたことにより上昇傾向に転じ、2015年に過去最高の380千KLを記録した。それ以降は横ばい傾向で、2023年には363千KLと概ね360千KL台で推移している。そのうち、国産ワインの消費量も同様に、2015年に112千KLを記録した後、2023年に至るまで横ばい傾向である。 一方でワイナリー数は大幅に増加しており、2015年の国内ワイナリーは280箇所であったが、2024年には493箇所となっている。国産ワインの消費量が大幅に増加しているわけではないため、新規参入のワイナリーは比較的小規模事業者であると推測される。 国産ワイン消費量のうち、日本ワインと国内製造ワインの内訳は公表されてはいないが、国税庁の「酒類製造業及び酒類卸売業の概況(令和6年アンケート)」によると、日本ワインは14千KL、日本ワイン以外が67千KLと推計されている。そのため、国内のワイン市場のうち、日本ワインが占める割合は4%程度(14千KL/363千KL)である。国内ワイン市場における日本ワインの存在感はまだまだ薄いというのが現状であるが、換言すると、今後の“伸びしろ”は大きいと言える。 図表1 国内のワイン消費量推移 (出所)国税庁HP「統計情報」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 それではグローバルでみたときの日本ワインの存在感はどうか。OIVによると、2023年における全世界のワイン生産量は2,367万KLであり、日本ワインの生産量は14千KL程度であるため、全世界で生産されるうち日本ワインの生産量のシェアは僅か0.06%程度である。ただし、日本のワイン産業が発達していない理由を単純に「日本人のワイン消費量が少ないから」と片付けることはできない。事実として、日本のワイン消費量は世界で16番目に位置し、アジア地域では中国に次ぐ第2位の消費量を誇る。このことから、日本は世界的に見ても消費大国とまでは言えないものの、十分な市場規模を持つ国であることがわかる。 2.日本ワインの課題 本章では、日本におけるワインの消費量が少ない背景を原材料供給の観点から考察する。図表2は農林水産省が発表した「特産果樹生産動態等調査」に基づく、ぶどうの生食用品種および加工用品種ぶどうの栽培面積の統計値である。生食用ぶどうの栽培面積は年々減少しているが、醸造用ぶどうの栽培面積は増加している。 図表2 ぶどう栽培面積(加工用品種・生食用品種) (出所)農林水産省HP「特産果樹生産動態等調査」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 農林水産省の作況調査によれば、ぶどう全体の収穫量は16.7万トンに達しているが、生食用と加工用の仕分けは行われていない。仮に生食用と加工用の反収が同程度であると仮定し、前述のぶどう栽培面積(加工用品種・生食用品種)を基に計算すると、加工用ぶどうの生産量は約1.8万トンと推測される。また、OIVのデータによると、ワインの一大生産地であるフランスとイタリアのぶどう生産量はそれぞれ628万トンと590万トンである。このうち、生食用ぶどうはフランスで4.1万トン、イタリアで86万トンとなっており、日本とは正反対の状況が見受けられる。日本では生産されるぶどうの大半が生食用であり、フランスやイタリアでは生産されるぶどうの多くが生食以外の用途に使われている。 こうした事象は、日本古来のアルコール飲料である日本酒や焼酎等が愛飲されてきた背景もあるが、それ以上に日本の豊かな土壌と生産者の高い生産技術によって、ぶどうを加工することなく、生食用ぶどうとして高い価値を提供することができた表れであると筆者は考えている。 次に、生食用品種と加工用品種のぶどうにおける反収および取引単価について確認する。前提として、反収を論じる際には、栽培地域の気候、品種の特性、栽培方法(棚栽培や垣根栽培等)によって数値が大きく異なることに留意する必要がある。 山梨県農政部が公表した「仕立てや整枝・剪定方法の違いが白ワイン用ブドウ『シャルドネ』の特性に及ぼす影響」によると、日本で一般的な生食用ぶどうの栽培方法である「棚仕立て」の反収が1,930kgであるのに対し、欧州のワイナリーで一般的な加工用品種ぶどうの栽培方法である「垣根仕立て」の反収は1,168kgである。また、長野県農政部が公表した「作物別経営指標(一覧表)」によれば、生食用品種である巨峰の反収が1,700kgであるのに対し、加工用品種のぶどうの反収は1,000kgである。いずれのデータからも、加工用品種の反収は、生食用の6割程度であることがわかる。 また、取引単価であるが、加工用品種のぶどうは200円後半/kgで取引されることが多い(単価に糖度加算するケース等取引形態において異なる)。一方、生食用品種は、長野県農政部が公表している「作物別経営指標(一覧表)」に基づくと、露地のシャインマスカットは1,587円/kg、巨峰が780円/kgとなっている。もちろん、栽培している品種や労務、コスト等の要因により一概に比較することは難しい。しかし、取引単価だけを基に考えれば、生食用品種のぶどうの方が高い収益を見込みやすい傾向がある。そのため、新規にぶどう栽培に参入する者にとって、経済合理性を感じやすいのは生食用品種であると言えるだろう。 そのような環境において、国内ワイン製造事業者の調達環境は易しくない。国税庁の「酒類製造業及び酒類卸売業の概況(令和6年アンケート)」によれば、ワイナリーが国産生ぶどうを受け入れる形態の構成比は、契約栽培が最も高く50.0%を占め、次いで購入が29.3%、自営農園が18.2%、受託醸造が2.5%という内訳となっている(図表3)。 図表3 国内ワイン製造事業者による国産 生ぶどうの受入形態別の構成比 (出所)国税庁「酒類製造業及び酒類卸売業の概況」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 筆者の推測ではあるが、原材料のうち自社生産が約2割を占めるという水準は、他のアルコール飲料と比較しても高い割合であると推測される。反対に言えば、8割のぶどうは他社から調達されたものであり、ワイン製造におけるぶどうの供給が、ワイナリー自身の農園だけでは賄いきれないことがわかる。 さらに、農業従事者の平均年齢は69.2歳と高齢化が進行しており、加工用品種のぶどう農家への新規参入者が爆発的に増加する可能性は低いと想定される。このような状況を踏まえると、日本ワインを製造するワイナリーにとって、安定的に原材料となるぶどうを調達する仕組みを確立することは、喫緊の課題であると言えるだろう。これはひいては日本ワイン業界全体の持続可能性を左右する重要な要素であり、今後の業界発展において避けて通れない議論である。 3.日本ワインの持続成長と発展に向けて 前章で述べたように、日本ワインの主要な原材料である加工用品種のぶどうの供給量が急激に増加することは難しいと考えられる。そのため、長期的には日本ワイン全体の生産量が伸び悩む可能性が高い。また、少子高齢化が進む日本においては、ワインの生産・消費の両面から市場が縮小する未来も十分に考えられる。日本ワインを持続的な産業として発展させていくためには、地域が一体となってこの産業を支えることが不可欠である。 例えば、日本ワインの生産量が最も多い山梨県では、「醸造用甲州産地育成強化事業」として、醸造用品種である「甲州」を新たに植える事業者に対する補助事業が実施されている。この補助事業では、単に補助金を交付するだけでなく、醸造用ぶどうの安定的な取引を促進するために、情報交換や生産者とワインメーカーのマッチングを行う「醸造用ぶどう安定取引推進会議」等も設置されている。 また、山梨県甲州市では、公営事業として1975年から「甲州市勝沼ぶどうの丘」を運営している。この施設では、市内のワイナリーが手掛ける約100銘柄以上のワインを試飲でき、地域のワインに関する情報発信の重要な観光拠点となっている。甲州市は、日本初の民間ワイン醸造所が設立された地であり、創業100年を超える老舗企業が複数存在している。官民一体となって日本ワインを地域の産業として盛り上げた結果、令和5年12月末時点で山梨県内のワイナリー数は全国1位の89カ所に達している。 さらに、歴史ある山梨県においても新進気鋭のワイナリーが誕生している。例として、2010年代に設立した株式会社ショープルが手掛ける“ドメーヌヒデ”は、創業からわずか数年でDWWAの銀賞を受賞した。同社はSDGsを意識したぶどう栽培を心がけており、肥料はぶどうの搾りかすを堆肥として使用し、土壌の酸性を保つためにぶどうの枝を炭化させて畑に撒く取り組みを行っている。また、クラウドファンディングを積極的に活用しており、現代的な経営手法を試みる事業者でもある。 日本ワインは、供給面や消費面でいくつかの課題を抱えているが、それらを克服するための取り組みが地域ごとに進められている。特に山梨県を中心とした地方自治体や事業者の努力は、日本ワインの可能性を広げ、持続可能な産業としての基盤を築く重要な鍵となる。伝統と革新が共存する中で、地域コミュニティが一丸となり、ぶどう栽培からワイン醸造、観光や情報発信までを包括的に支える取り組みは、他地域へのモデルケースになると考えられる。 これからの日本ワイン産業の発展には、地域社会、官民の協力、そして消費者が一丸となり、その価値を守り育てていくことが不可欠である。日本ワインが持続可能な形で世界に広く認められるためには、伝統を大切にしながらも、常に革新に挑戦し続ける姿勢が求められる。未来に向けてさらなる業界の発展を願い、この文章を締めくくりたい。 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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02/16 16:00
農業と福祉の連携が企業経営に与える示唆 - DEIの観点から-
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 担当部長 西山 政治(2025年2月13日) はじめに 本稿では、筆者の最近の取組分野の一つである農業と福祉の連携、所謂「農福連携」と、ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン(DEI)との関連性、それが企業経営に与える示唆について考察をしたい。また、近年の障害者雇用促進法における法定雇用率の連続的な引上げに伴い、多くの企業で雇用した障がい者向け事業や特例子会社で農福連携が活用されている一方で、福祉関係者から「障がい者雇用代行ビジネス」「雇用率ビジネス」と称される、一部問題視されているビジネスが台頭している。何が問題視されているのか、障がい者雇用で農福連携に取り組む場合の留意点として提示したい。 1.DEIと農福連携 DEIとは、ダイバーシティ(Diversity:多様性)、エクイティ(Equity:公平性)、インクルージョン(Inclusion:受容・包括性)の頭文字をとった言葉である。2021年頃までは企業の持続可能性を高めるための取組みの一つとしてダイバーシティとインクルージョン、すなわち「多様な人材を受け入れ、それぞれの持つ個性や能力を発揮すること」を意味するD&Iが用いられてきた。そしてコロナ禍における働き方の見直し、SDGsの浸透とそのゴール8に含まれるディーセントワーク(Decent Work)[1]「働きがいのある人間らしい仕事、より具体的には、 自由、公平、安全と人間としての尊厳を条件とした、 全ての人のための生産的な仕事」の探求機運の高まりを受け、近年では図表1のようなエクイティ、すなわち「多様な個性や状況に合わせた機会を提供し、公平に活躍できる仕組みを作る」概念を加えたDEIを掲げるケースが増えている。では、この機会を与えるべき「多様な個性」の範囲はどこまでと考えるべきだろうか。 図表1 Equality(平等性)とEquity(機会の公平性) (出所)Shutterstock インターネットで「ダイバーシティとは」と検索すると、様々なサイトが示され、その提示する内容も多様性に富む。検索結果の単語に注目してみると「性別、人種、年齢、国籍、信仰、趣味趣向など」が共通して挙げられており、「障がい」を明示している数が明らかに少ない。勿論「など」に含まれているケースも多いと思うが、障がい者のポテンシャルを制限的に考えるバイアスも否めないのではないかと推察する。障がい者が「全ての人のため」を掲げるディーセントワークの概念に含まれることは論を待たないが、社会的に見ても障がい者の労働参加は不可欠になりつつある。 図表2は我が国における障がい者数の推移とその内訳である。近年においては精神障がいを中心に障がい者の数は増加している。その要因は高齢化や社会環境など構造的なものが複雑に絡み合っていると考えられ、簡単に改善できる性質のものではない。 また、図表3は義務教育年次における在籍児童数と、同じ義務教育年次で特別支援学校及び特別支援学級並びに通級(以下「特別支援学校等」)で教育を受けている児童数の2013年度と2023年度の比較である。特別支援学校等で学ぶ児童の割合は最近10年間で2倍以上に増加している。 こうした障がい者の数や割合の増加には、社会における障がいに対する認知度の高まりや受容性の拡大というポジティブな要因が反映されている面もあるが、社会における働き手やその準備期間にある児童に障がいをもつ人が増えているのも事実である。企業経営において障がい者活用の必要性は、より一層高まっていると言える。 図表2 障がい者数の推移(万人)[左] 図表3 義務教育年次で特別支援教育を受ける児童の割合(万人) [右] [図表2](出所)文部科学省「文部科学統計要覧」及び「特別支援教育資料」より野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成[図表3](出所)内閣府「障害者白書」からの厚生労働省作成資料及び厚生労働省「令和4年生活のしづらさなどに関する調査」の推計値より野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 働き手という観点では、農業における担い手不足は深刻である。図表4は我が国の基幹的農業従事者数の推移であり、1990年の293万人から2024年には111万人にまで減少している。こうした担い手不足に悩む農業の現場では、実際に障がい者が働いて農業生産に貢献してもらう「農福連携」という取組みが10年ほど前から本格的に始まっている。農福連携は文字通り農業と福祉の連携を意味し、農林水産省や日本農福連携協会の掲げる参加対象者は、農家をはじめ障がい者、高齢者、ひきこもり、生活困窮者、受刑者など広範囲に及ぶ。 図表4 基幹的農業従事者数の推移(万人) (出所)農林水産省「農林業センサス」「農業構造動態調査」より野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 本稿では農福連携の対象を障がい者に絞るが、元来は上記のように多様な労働参加者の顔ぶれである点はご承知いただきたい。興味のある方は「農福連携」と検索すると様々な事例が出てくるので参照されたい。なお、官庁がまとめた農福連携のパンフレット には、農林水産省、厚生労働省、文部科学省、法務省の名前が並び、様々な省が農福連携を推進していることがわかる。 ところで、農業の労働内容においては、畑作だけでも種蒔き、間引き、施肥施薬、剪定、収穫など多種多様な作業で構成されている。他の産業に比べて労働負荷も高く、主に農業機械の取り扱いが主因ではあるが、図表5のように労働災害も多く、死亡事故の発生率は建設業の3~4倍、全産業に対しては14~17倍で推移している。 次章では、作業種別が多く労働災害の発生割合の高い農業で、どのように障がい者の「ディーセントワーク」を実現しているのか、その事例と示唆を見てみたい 図表5 農業、建設業、全産業の死亡災害数と発生割合の推移推計 (出所)農林水産省「農作業死亡事故の概要」、総務省統計局「労働力調査」、厚生労働省「労働災害発生状況」より野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2.農福連携の事例と得られる示唆 農福連携の分野では優れた実績を上げている事例が多く存在する。「ノウフク・アワード」などの表彰も行われており、優良事例は「農福連携」と検索すれば比較的容易に検索できる。本章では、筆者が実際に訪問した企業で、「ディーセントワーク」「エクイティ」という観点から印象に残っている2事例を紹介したい。その上で、障がい特性に基づく多様性が生む効用と、事例から得られる示唆についても記したい。 (1) 恋する豚研究所 千葉県香取市にある「株式会社恋する豚研究所」は、しゃぶしゃぶなどのレストランを運営すると同時に、ハムやソーセージの加工販売も営んでいる。香取市にある同じ敷地内には別会社と共に農場や木工所[2]を持ち、レストランと農場が一体感を持った景観でデザインされ、運営されている。使われている豚は香取郡の提携農場のもので、しゃぶしゃぶのたれに使われている醬油も香取市産と、地域産品を積極的に取り入れている。その食味に対するグルメサイト等の評価も高く、2024年12月22日に放映された日本テレビ「ザ!鉄腕!ダッシュ」で鍋の具材になる等、メディアにも度々取り上げられている。 筆者が特筆したいのは、恋する豚研究所の運営参加者の半数以上が障がい者である点である。実際にレストランを訪れても、ホームページを閲覧しても、スタイリッシュなデザインと軽やかな空気感、豚やハムへのこだわりを貫くメッセージが目立ち、障がい者や福祉を感じさせるものは見受けられない。 代表取締役社長の飯田大輔氏は、「障がい[3]のある方も地域の人々とふれあい、地域の風景の中に溶け込んで社会の一員となる」ことを目指して取り組んでおり、それが具現化されている。飯田氏は千葉市にある社会福祉法人「福祉楽団」の理事長でもあり、農食に限らず同様の姿勢に基づく様々な取組みをされており、興味のある方はホームページ[4]を参照願いたい。 図表6 恋する豚研究所における加工関連のマニュアル (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部撮影 レストランや加工品で高評価を得ている恋する豚研究所であるが、その現場では障がい者に誇りをもって働いてもらう機会を与えるための、様々な取組みが見られる。障がい者就労の現場で励行されているあいさつ、計量器具の色分け等による視認性確保、加工時の安全性確保などの施策は基本として導入されているが、特筆すべきは、精緻に定められたマニュアル(図表6)である。このマニュアルは、作業が細かく分解され、写真を多用しながら平易な言葉で文章内の漢字には全てルビを振り、わかり易く説明してある。清潔な控室には作業予定表が見易く掲示され、個人の障がい特性に合った作業分担が割り振られている。こうした数々の仕組みにより障がい者に配慮しつつも高品質な製品を作ることを目指した結果、労働参加者に対する分配、すなわち支払う賃金も、雇用契約の基づく就労が困難とされる就労継続支援B型[5]平均工賃の数倍は払われている。訓練を受けた職員による指導も当然必要であるが、障がい特性に合った作業を細かく割り振り、「言って聞かせ、やって見せる」ことに加えて、何度でも確認のため立ち戻れる原点を作って高いパフォーマンスを実現している点が注目される。 (2)Torch 島根県出雲市にある「合同会社Torch」は、椎茸栽培を主業としており、代表社員の松本頼明氏は、就労継続支援B型福祉事業所も運営している。椎茸栽培は「通年で収穫できるため収入が安定」「ハウス内の温度が通年で比較的安定しており作業者の負担が少ない」「作業が多岐にわたるが比較的軽めの単純労働(但し根気が必要)が多く、作業分解して業務分散することができる」といった特性を持つため、比較的障がい者向きの作業であると言える。一方で安定した品質を保つことは難しく、根気の必要な作業であることから、就労する障がい者の方にどれだけモチベーション高く安定的に働いてもらうかが重要となる。 図表7 Torchの外観(一部) (出所)会社より提示 Torchでは、あいさつや時間を守る生活リズムといった基本的な動作の励行に始まり、作業性を重視したレイアウトや場所の確保、音楽を流すなどの雰囲気づくりに加え、清潔で働きやすい休憩所の設置など、働きやすい工夫を随所に凝らしている。結果として障がい者一人当たりの月間就労回数が増加、継続的かつ安定的な就労関係を構築できている。 そして、最も特筆すべきは評価システムである。「軸切り」「計量」「袋詰め」などの時間当たりの作業量基準を設け、その達成毎に時間給を上げていく仕組みを設けており、その評価フィードバックは松本氏と一対一で、エビデンスを示しながら定期的に丁寧に為されている。この評価の仕組みを設けることで、働く障がい者のモチベーションも上がり、結果として高品質な椎茸の生産にもつながり、それが実績として就労継続支援B型平均工賃の数倍の工賃として返って来る仕組みである。目に見える労働成果と共に工賃が上がることで、本人の自尊心が満たされると共に家族が喜び、自分で稼得したお金を消費することで社会参加の機会も増える。 Torchがある島根県では農福連携が盛んにおこなわれている。繊細な扱いが要求され高級品であるシャインマスカットの農場での作業に障がい者が参加し、袋掛け、適粒、果穂整形(かすいせいけい)やジベレリン処理などの高度な作業を行いつつ、手掛けたシャインマスカットが県の品評会で県知事賞を受賞したこともある。島根県の農家や福祉関係者に理由を尋ねると、「人口減少と高齢化による農業の担い手不足が日本国内でいち早く課題となっているため、労働力確保の多様化に取り組んでいる」という回答をよく得るが、熱意と能力のあるファシリテーターの役割も見逃せない。島根県障がい者就労事業振興センターなどは、農福連携の積極的なマッチングに取組んでおり、地元福祉事業所や農家の協力を得ながら連携を推進している。当該センターの農福連携関係のホームぺージ[6]を閲覧すると、数々の実例掲示と共に実際の動画なども掲載してあるので、興味のある方は参照いただきたい。 (3) 障がい特性に基づく多様性が生む効用 農福連携の現場では、障がい特性と分解された作業特性のマッチングを上手く行うことによって、健常者に勝るとも劣らない、或いは支払い工賃に対して大きな超過付加価値を生んでいる事例が報告されている。例えば以下のようなケースがある。 コミュニケーションが苦手な反面、強いこだわりを持ち感覚が鋭敏になる自閉症スペクトラムの方の性質が、細密な再現を要する作業や検査に活かされてパフォーマンスをあげる事例常同行動[7]の傾向がある知的障がいを持つ方が、無農薬栽培農場の虫取りを丁寧に行い、健常者でも難しい虫害を根絶する事例 図表8 淡路式農作業分析表の一部分 (出所)兵庫県立大学大学院 緑環境景観マネジメント研究科/兵庫県立淡路景観園芸学校園芸療法課程 豊田正博著「2022年改訂版 農福連携 人と作業のマッチングハンドブック」より抜粋 上記のような農作業における作業分解と障がい特性のマッチングは学術的にも研究されている。兵庫県立大学大学院の豊田教授が開発した淡路式農作業分析表(図表8)は、農作業を「パターン化」「作業負担度」「巧緻性」「最多注意配分数」「危険度」「工程数」などに分け、各項目を評点化して分析を行う。さらに、「巧緻性」「最多注意配分数」の2項目から農作業難易度一覧表を作成して能力に応じた適切な作業割当てを行う。この手法は農林水産省主催の農福連携技術支援者育成研修でも教えられており、作業者の能力に応じた支援を行い、生産性向上と自己有用感向上を伴うマッチングの実用化は全国的に始まっている。こうした取組みは、多様な障害特性を高いパフォーマンスに結び付けるための重要な構成要素であると考えられる。 (4) 事例から得られる示唆 本章の事例から得られる、障がい特性という多様性を活用して、社会に関わる形で高いパフォーマンスを得るための示唆として、経営者側の以下の取組みの実践が挙げられる。 a. 挨拶の励行や生活リズムの観察を通じた、日常的なコミュニケーションと行動把握b. 上記aを通じた、障がい特性や環境への適合性に関するするアセスメントc. 従事する業務に対する、適切な作業分解とその多面的評価d. 分解した作業に対するわかり易い解説と指導、色分けや測定具を用いた作業し易い環境整備e. 実施した作業に対するわかり易く適切な評価と継続的なコミュニケーション そして上記a~eは、健常者を対象とした業務指示やチームビルディングに共通した内容と言える。つまり、多様性を活用して社会的にも付加価値の高いパフォーマンスを得るためには、コミュニケーションに基づく個性の把握、深い業務理解と業務内容の分解、環境整備、個性と業務内容の適合、適切かつ継続的な評価といった、基本的な事象を突き詰めることにあるのではないかと考える。 「多様性の尊重と活用」といったキーワードからは、「多様な人材でチームを構成し、自由な環境でフリーに働かせる」という方向性が想起される部分もあると考えられ、それはブレインストーミングなどでは有効な局面もあるであろう。一方で、コミュニケーションに基づく相互理解や、自分たちの拠って立つ業務に対する理解が無い状態で、単なる多様な個性から構成された人材グループが業務遂行を試みたり、プランを作るのは、多様性を謳いながらも閉鎖された、空虚なものになるのではないだろうか。すなわち、多様な個性や状況に合わせた機会を提供し、公平に活躍できる仕組みを作り、自由、公平、安全と人間としての尊厳を条件とした、 全ての人のための生産的な仕事(ディーセントワーク)を作っていくためには、基本的ではあるがより深い、相互理解や業務理解及び多様性に適合した環境整備が不可欠なのではないかと筆者は考える。 名言として伝わる「やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ」という旧帝国海軍司令官・山本五十六の言葉は、多様性の活用においても適用できるのであろう。 3.障がい者を雇用して農業に取り組む場合の留意点 本稿の最後に、障害者雇用促進法の法定雇用率を順守するための障がい者雇用或いは特例子会社で農業を営む場合の留意点について記したい。そもそも障害者雇用促進法で法定雇用率を定め、障がい者に対して所得の公平性を担保しようという取組みの存在は、障がい者の雇用率や平均賃金が未だ低い現状を意味している。雇用される障がい者が有意義に活躍できるようにサポートするビジネスも、勿論あって然るべきであると考える。 一方で、多くの福祉関係者が指摘する「雇用率ビジネス」として語られる典型的な障がい者雇用形態として、例えば以下のようなものがある。 企業が障がい者を雇用、同時に栽培ハウスの地代と建設資金を雇用率ビジネス事業者に支払う雇用率ビジネス事業者は、土地を購入してハウスを建て、監督者を置く。そのハウス内に、企業が雇用した障がい者を受け入れ、野菜の栽培をさせるハウス内の株間や畝幅も広く、ゆったりと栽培されるが収量は少なく安定しない収穫された野菜は、障がい者が持ち帰るか、社員食堂で「当社が雇用している障がい者の皆様が作りました」と提供されるが、残りは少量であったり収穫が安定しないため、販路が確定せず、廃棄される この形態では単純に障がい者を社会から隔離しているだけであり、前述の「エクイティ」や「ディーセントワーク」を重視した障がい者就労形態と比較すると、社会で活躍するための機会を与えられることも、生産的な活動に寄与することもない。であるならば、障がい者を雇用したり特例子会社を保有する企業が、SDGsの目標に沿った施策として掲げる一方でこうした雇用率ビジネスを利用することは、矛盾しないだろうか。 本稿ではどのような企業がこうしたビジネスに携わっているか、或いはその実態はどうか等の解明を目的としていない。但し、第210回臨時国会(2022年10月3日招集)で障害者雇用促進法が改正された際、衆参両院の厚生労働委員会の付帯決議で「単に雇用率の達成のみを目的として雇用主に代わって障害者に職場や業務を提供するいわゆる障がい者雇用代行ビジネスを利用することが無いよう、事業主への周知、指導等の措置を検討すること」と明記されており、そうしたビジネスの存在が前提とされている。「雇用率ビジネス」については、一般社団法人 日本農福連携協会[8]や日本財団助成事業[9]からも研究報告書が出ているので、興味のある方は一読されたい。 時代が進むにつれ、社会的な意識も高まり、以前であれば問題視されなかった事象が大きく問題視される状況は、一定以上の年齢の方なら覚えがあるはずである。障がい者雇用や特例子会社で農業に携わるならば、専門家と相談した上でのフレームワーク策定や意識の高い社会福祉法人等と連携することも一案であると考える。 [注釈] [1] ILO(国際労働機関)において、1999年に開催された第87回ILO総会で提出されたファン・ソマビア事務局長の報告で初めて用いられ、その中でILOの活動の主目標と位置づけられた。その後も戦略目標が設定される等、取組みが強化されている [2] 株式会社日本農林耕社などと共に開発、一体化した農地として機能している [3] 飯田氏が就労機会を与えて地域と一体化させたい対象として、高齢者、受刑者等も含まれ、実際に就労されていることも付記しておく [4] URL:https://www.gakudan.org/ [5] 障害者総合支援法における福祉サービスの区分で、継続雇用が困難であるため請負契約が主体となる。2022年の就労継続支援B型事業所における月額平均工賃(賃金)は、17,031円である(厚生労働省データ) [6] URL:https://shimane-noufuku.net/ [7] 常同行動:外から見ると意図がわからない、繰り返しおこなわれる行動 [8] 「農園型障害者雇用問題研究会報告書 2024年2月」日本農福連携協会/日本農福連携協会HP: https://noufuku.or.jp/chosakenkyu/ [9] 「2023年度 サテライト型(農園型含む)障害者雇用に関する調査研究 実施報告」事業実施団体:社会福祉法人 生活クラブ/掲載元:日本財団図書館(http://nippon.zaidan.info/index.html) ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 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