FINTOS!編集部記事
15件
-
08/23 15:00
シリーズ 「近年の米事情を探る」米価高騰をもたらした要因
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニア・コンサルタント 髙田 健(2025年8月21日) はじめに 近年、米の価格が急激に高騰し、社会的な関心を集めている。その影響はスーパーの店頭にもはっきりと現れ、一時期は5キロあたり4,000円を超える価格で販売される例も見られ、家計に深刻な影響を与えた。しかし、その後、備蓄米の放出等の対策により高値はやや緩和され、現在では3,000円台にまで落ち着いているものの、依然として多くの家計にとって負担が大きい状況となっている。 米価の推移を確認すると、近年の異常な上昇が浮き彫りになる。2020年を基準値100とした消費者物価指数(図表1)では、2021年が96.8、2022年が92.6と緩やかな減少傾向を示していた。しかし、2023年には96.1とわずかに上昇に転じ、その後、2024年には122.8、2025年には195.8と急激な伸びを示しており、2023年以降、米価が安定した増減傾向から異常な急上昇に転じたことが分かる。 これまで比較的安定した価格で推移してきた米価がこれほど急上昇する事態は、前例のない異例の出来事である。米価の高騰は、複数の要因が複雑に絡み合って生じるが、筆者は、近年の米価高騰の主な要因として、国内の米の生産力の低下と2023年に発生した2つの出来事が大きく関係していると考えている。本レビューでは、これらの要因について分析し、整理を行う。 なお、本稿は「近年の米事情を探る」シリーズの第1弾であり、今後、第2弾、第3弾と3回に分けて、近年大きな注目を集めている日本の米事情に関する多角的な整理を行うことを目的とする。 図表1 米の消費者物価指数推移 (※2025年は1月~6月の6ヵ月間の平均)(出所)総務省「消費者物価指数」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 1. 国内の米の生産力の低下 (1)今でも続く実質的な減反政策 減反政策は、生産調整政策として1970年に導入され、米の過剰生産を抑制し、米価の安定と農家の収入を守ることを目的としていた。その背景には、1960年代に深刻化した米の供給過剰問題がある。当時、米価の急落により農家の経済状況が大きく悪化し、社会問題に発展した。政府はこの状況に対応するため、減反政策を導入し、2017年まで約半世紀にわたって実施した。 この政策の効果は、生産量の推移(図表2)に顕著に現れている。1970年には1,253万トンだった米の収穫量は、2017年には782万トンまで減少しており、およそ50年間で37.6%の大幅な減少を記録した。 減反政策は2018年に廃止されたものの、その後も政府は主食用米の需給見通しを毎年発表しており、それを基に各県の農業再生協議会などが生産数量目標を策定している。この目標は各県が主体的に策定するとされているが、実際には米の生産量を抑制する仕組みとして機能している。また、農家には米から麦や大豆、加工用米などへの転作を奨励し、転作には補助金が支給されている。このような政策は、形式が変わっただけで、従来の減反政策とほぼ同じ効果をもたらしている。 実際、図表2に示しているように、減反政策廃止後も米の収穫量は増加しておらず、生産抑制の傾向は依然として続いている。形式上の変化はあったものの、実質的には減反政策の延長ともいえる生産調整が現在も維持されている。 図表 2 米(子実)の収穫量の長期推移 (出所)農林水産省「作況調査」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2)経営体数の減少と高齢化 図表3-1は、米を販売目的で作付けした農業経営体数とその作付面積を、2015年と2020年で比較したデータである。このデータによれば、2015年には95万体あった農業経営体数は、2020年には71万体まで減少しており、わずか5年間で24万体も減少したことが分かる。また、作付面積も131万ヘクタールから128万ヘクタールへと2.6万ヘクタールも縮小している。東京ドーム1個分の面積が4.7ヘクタールであることを踏まえれば、5年間で東京ドーム5,652個分の作付面積が失われた計算になる。 経営体数の減少理由としては、農家の高齢化や離農による個人経営体の減少が挙げられる。一方で、法人経営体の数は増加しているものの、その増加分では個人経営体の減少を補うには至らず、結果として全体の作付面積も縮小している。 さらに、農家の高齢化について、図表3-2に示している2020年の基幹的農業従事者の年齢構成を見ると、60歳以上が全体の83.8%を占め、59歳以下は全体の16.2%となっている。このデータからも、米の生産を担う農業従事者の高齢化が深刻であり、次世代への世代交代が進んでいない実態が読み取れる。 このような状況を踏まえると、今後も個人経営体の高齢化がさらに進むと予測され、米の生産体制の持続可能性には依然として大きな課題が残る。 図表3-1 販売目的で米の作付けを行う農業経営体数 [左表]図表3-2 販売目的で米の作付けを行う基幹的農業従事者(年齢構成割合)[右図] (出所)農林水産省「農林業センサス」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2. 2023年に発生した2つの出来事 (1)「ふるい下米」の減少による加工用原料の主食用米への転用 図表4は、1991年から2020年の30年間の平均値を基準とした国内の平均気温偏差の推移を示したものである。このデータを見ると、国内の平均気温が年々上昇傾向にあることが分かる。 特に2023年は、7月後半から8月にかけて記録的な高温を観測し、夏(6月~8月)の平均気温が1898年の統計開始以来、最も高くなった。さらに、翌2024年には、2023年の記録を上回り、2年連続で観測史上最高気温を更新する事態となった。 こうした異常気象は、2023年産の米に大きな影響を及ぼした。2023年産の米は高温下で育った影響で粒が充実し、作況指数は101と平年並みの収穫量を維持した。しかしながら、品質面では深刻な低下が見られた。例えば、日本有数の米の産地である新潟県においては、1等米の比率が、例年は80%程度であったのに対し、2023年産はコシヒカリ4.9%、うるち米全体で15.7%と過去最低を記録した。また、全国的に玄米を精米にする際に胴割れなどが多発し、精米の歩留まりが悪化した。この結果、国内市場での米の供給に対する懸念が広がった。 図表 4 日本の年平均気温偏差の長期推移 (出所)気象庁「日本の年平均気温偏差(℃)」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 さらに問題となったのが、ふるい下米の発生量の大幅な減少である。ふるい下米とは、収穫後の玄米をふるいにかけた際に生じる、一定の基準以下の小粒米として分別されるものであり、加工食品の原料として広く活用されている。しかし、2023年産の米では、粒が充実していたため、小粒米の発生量が減少し、図表5に示すように、例年50万トン前後で推移していたふるい下米の発生量は、2022年に比べて18万トンも減少した。 この減少の影響で、食品加工業者は原料の確保が難しくなり、本来は消費者向けの主食用米を加工原料に転用する例が増加する事態となった。その結果、消費者への主食用米の供給が減少し、米の需給逼迫を引き起こした。 図表 5 ふるい上米・ふるい下米の発生量 (出所)農林水産省「米をめぐる状況について(令和7年5月)」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2)訪日外国人の増加 ふるい下米の減少によって、主食用米が加工用原料に転用される中で、インバウンド需要による米消費も需給逼迫に影響を与えた。 図表6は、訪日外国人旅行者数の推移を示したものである。訪日外国人は2019年に過去最高の3,188万人を記録したが、新型コロナウイルス感染症の拡大による水際対策により、2020年~2022年の3年間は大幅に減少した。しかし、2023年には水際対策の緩和や円安の進行を背景に、2,507万人まで回復し、2024年にはコロナ禍前を超える3,687万人となった。 訪日外国人の増加に伴い、飲食店や宿泊施設では、訪日外国人向けに提供する食事のための米需要が増加した。農林水産省の推計によると、2022年7月から2023年6月の1年間に訪日外国が消費した米の量は1.9万トンにのぼり、玄米換算で2.1万トンに達している。(この推計は、2022年7月から2023年6月の1年間の訪日外国人1,404万人が、平均8.8泊滞在し、滞在中に毎日2回、合計156g(78g/回)の米を消費したと仮定して算出されている。) こうした訪日外国人の増加は、本来は国内消費者向けに供給されるはずの米が訪日外国人向けに振り分けられたことで、国内市場における米の供給にさらなる圧力をもたらした。 図表 6 訪日外国人旅行者数の長期推移 (出所)日本政府観光局「訪日外国人旅行者統計」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (3)2つの要因と米価上昇の関連 図表7は、米の民間在庫量と相対取引価格の推移を示している。データによると、米の民間在庫量は2022年には218万トンだったが、2023年には197万トンとなり、21万トン減少している。この在庫量の減少は市場での需要の高まりを示しており、それに伴い米の相対取引価格も上昇した。具体的には、2022年の相対取引価格は1俵あたり13,844円だったのに対し、2023年には15,315円と10.6%増加し、さらに2024年には24,500円と大きく高騰している。 2023年に減少した在庫量21万トンという数値は、先に述べた「ふるい下米の減少による主食用米の加工用原料への転用」分の18万トンと「訪日外国人による米の消費」分の2.1万トンの合計である20.1万トンとほぼ一致する。このことから、2023年に発生した「ふるい下米の減少」と「訪日外国人の増加」は、共に消費者への食用米の供給を圧迫し、市場での需給逼迫を引き起こした要因になったと推察される。 一方で、供給不足の背景には国内の米の生産力も影響している。前章の通り、2018年に減反政策は廃止されたものの、実質的には生産抑制の仕組みが残っており、容易に生産を拡大できる状況にはない。さらに、農業経営体数の減少や農家の高齢化も進行しており、大規模な生産体制を短期間で築くことは難しい。このように、国内の生産基盤そのものが脆弱化していることが、需給変動に対する柔軟な対応を妨げている。 これらの背景を踏まえると、2023年の「ふるい下米の減少による加工用原料の食用米への転用」や「訪日外国人の増加」といった新たな要因が、長年にわたり進行してきた国内の生産基盤の脆弱化と相まって、市場での供給不足、ひいては米価高騰を招いたと考えられる。 図表 7 米の民間在庫量・相対取引価格の推移 (出所)農林水産省の統計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 おわりに 本稿では、近年の米価高騰の背景について、国内の米の生産力の低下と、2023年に生じた「ふるい下米の減少」と「訪日外国人の増加」に着目し、米価高騰の要因を整理した。特に、実質的な減反政策の継続や米の作付けを行う農業経営体の減少、農家の高齢化は、安定的な米の生産基盤を大きく揺るがしており、米が一時的な需要の変動や異常気象に対して脆弱になっている現状が浮き彫りになった。 一方、足元では備蓄米の随意契約による放出等の影響もあり、米価は若干の落ち着きを見せ始めているが、まだ先行きは不透明な状況にある。 そこで、本稿に続き「近年の米事情を探る」シリーズの第2弾では、「今後想定される米価の変動要因」について述べていく。また、第3弾では米の流通構造と生産者価格の維持に向けた内容をテーマとし、日本の米事情について多角的に整理を行うこととする。 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
-
08/03 12:00
【#原子力発電】AI抽出15銘柄/三菱重工、四国電力、九州電力など
原子力発電所、14年ぶりに新増設の動き 関西電力は7月22日、美浜原子力発電所の敷地内で新たな原発の建設に乗り出す方針を発表しました。2011年の東日本大震災以降、電力会社が原発の新増設に具体的に動くのはこれが初めてです。2月に改訂されたエネルギー基本計画では、2040年度の電源構成として、再生可能エネルギーを4〜5割、原子力を約2割、残りを火力とする見通しが出されています。原子力は再生可能エネルギーと共に最大限活用する方針で、安定した低炭素電源としてその重要性が高まっています。AI「xenoBrain」は、「原子力発電需要増加」が他のシナリオにも波及する可能性を考慮し、影響が及ぶ可能性のある15銘柄を選出しました。 ※ xenoBrain 業績シナリオの読み方 (注1)本分析結果は、株式会社xenodata lab.が開発・運営する経済予測専門のクラウドサービス『xenoBrain』を通じて情報を抽出したものです。『xenoBrain』は業界専門誌や有力な経済紙、公開されている統計データ、有価証券報告書等の開示資料、及び、xenodata lab.のアナリストリサーチをデータソースとして、独自のアルゴリズムを通じて自動で出力された財務データに関する予測結果であり、株価へのインプリケーションや投資判断、推奨を含むものではございません。(注2)『xenoBrain』とは、ニュース、統計データ、信用調査報告書、開示資料等、様々な経済データを独自のAI(自然言語処理、ディープラーニング等)により解析し、企業の業績、業界の動向、株式相場やコモディティ相場など、様々な経済予測を提供する、企業向け分析プラットフォームです。(注3)母集団はTOPIX500採用銘柄。xenoBrainのデータは2025年7月28日時点。(注4)画像はイメージ。(出所)xenoBrainより野村證券投資情報部作成 ご投資にあたっての注意点
-
08/02 12:00
【#設備投資】AI抽出15銘柄/きんでん、関電工、GSユアサなど
日本企業の設備投資、2年連続で過去最高を更新 日本経済新聞社がまとめた2025年度の設備投資動向調査で、全産業の計画額が前年度実績比12.4%増の34兆2663億円となり、2年連続で過去最高を更新しました。日本企業が成長分野への投資を強化することで、産業構造の転換や国際競争力の向上も期待されます。AI「xenoBrain」は、「企業設備投資増加」が他のシナリオにも波及する可能性を考慮し、影響が及ぶ可能性のある15銘柄を選出しました。 ※ xenoBrain 業績シナリオの読み方 (注1)本分析結果は、株式会社xenodata lab.が開発・運営する経済予測専門のクラウドサービス『xenoBrain』を通じて情報を抽出したものです。『xenoBrain』は業界専門誌や有力な経済紙、公開されている統計データ、有価証券報告書等の開示資料、及び、xenodata lab.のアナリストリサーチをデータソースとして、独自のアルゴリズムを通じて自動で出力された財務データに関する予測結果であり、株価へのインプリケーションや投資判断、推奨を含むものではございません。(注2)『xenoBrain』とは、ニュース、統計データ、信用調査報告書、開示資料等、様々な経済データを独自のAI(自然言語処理、ディープラーニング等)により解析し、企業の業績、業界の動向、株式相場やコモディティ相場など、様々な経済予測を提供する、企業向け分析プラットフォームです。(注3)母集団はTOPIX500採用銘柄。xenoBrainのデータは2025年7月28日時点。(注4)画像はイメージ。(出所)xenoBrainより野村證券投資情報部作成 ご投資にあたっての注意点
-
07/21 15:00
「令和の米騒動」から見た日本酒業界の将来
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニア・アソシエイト 鈴木 拓実(2025年7月15日) はじめに 近年、日本酒業界を騒がせるニュースが数多く報道されている。日本酒の新規の製造免許取得者数が過去70年間で0件である一方で、新たな日本酒の形としてクラフトサケが台頭しつつあるといった内容だ。そして、最も業界を揺るがせているのが、「令和の米騒動」である。主食用米の価格は2024年夏ごろから上昇し始め、2025年5月の時点では連続17週にわたり高値を更新し、前年同月比で100%以上の値上がりを示す場面も見受けられた。この「令和の米騒動」と呼ばれる状況は主食用米にとどまらず、日本酒の原料である酒造好適米(以下「酒米」と表記)にも大きな影響を及ぼし始めている。本レポートでは、日本酒業界の現状を確認しつつ、令和の米騒動が業界に与える影響について考察し、その対策についても一部触れていく。 1.国内の日本酒業界の現状分析 日本酒の起源には諸説あるが、稲作が伝来した弥生時代にはその原型となる形がすでに存在していたとも言われている。古くから日本人に親しまれてきた日本酒であるが、その消費量は減少の一途をたどっている。国税庁が公表している清酒(原料の米に海外産を含むものも含めた総称、以下「清酒」と表記)の販売数量は、図表1に示す通り、清酒の消費数量およびアルコール飲料全体に占める清酒の割合は、1971年の31.5%から2023年には5.2%にまで著しく減少している。近年では健康志向の高まりや若者のアルコール離れにより、アルコール全体の消費量が減少しているのは言うまでもないが、アルコール飲料内での清酒の割合の低下から、清酒の存在感が薄れてきていることが読み取れる。 その一方、減少傾向にある日本酒の中でも、特定名称酒のうち、とりわけ純米酒や純米吟醸酒に限定すれば、消費量は横ばいか増加傾向にあるのが興味深い事実である。図表2に示すように、1992年度における清酒全体に占める純米酒および純米吟醸酒の割合はわずか6%であったが、2022年度には23%まで拡大している。日本酒全体の消費量が減少する中で、比較的高価格な純米酒や純米吟醸酒の消費が横ばいもしくは増加していることは、日本酒が普段飲みの飲み物から嗜好品へとシフトしていることを示していると考えられる。消費者の味覚や品質に対する関心の高まりがあるとみられ、今後もこうした高品質な日本酒の需要は堅調に推移すると予想される。 図表1(左図) 清酒(合成清酒含む)消費数量 およびアルコール飲料全体に占める消費率図表2(右図) 特定名称酒の課税移出数量(左軸)および清酒に占める純米酒・純米吟醸酒の割合(右軸) (出所)国税庁HP酒税統計情報より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 製造の観点に視点を移すと、清酒の消費量減少に比例して酒蔵数も大きく減少している。国税庁が公表している酒税における「製造免許場数及び販売免許場数」では、ピーク時に約4,000件を上回る清酒製造の免許取得先があったものの、2023年度時点では約1,500件とピーク時の半数以下にまで減少している。また、免許取得者が保有する清酒製造場ごとに行った調査(国税庁「令和5年度分 清酒の製造状況等について」)によると、調査に協力した1,534場のうち「実際に清酒を製造した」と回答したのは1,117場に留まった。清酒の製造免許を保有していても、清酒を製造している蔵数はそれ以下となる可能性を示唆している。 また、酒造りの従事者の高齢化も深刻である。日本酒杜氏組合連合会が発刊する令和元年の「日杜連情報」によると、酒造りの最高責任者である杜氏(季節雇用)の平均年齢は61.8歳とされている。これらの状況を踏まえると、清酒業界は消費量の減少と酒蔵数の著しい減少により、今後の存続自体が危ぶまれる深刻な局面に直面していると言わざるを得ない。杜氏の高齢化が進む一方で後継者不足が解消されておらず、伝統技術の継承も危機的な状況にある。このまま現状が続けば、清酒文化の多様性が損なわれる可能性が高く、今後の打開策が見出せなければ、日本が誇る清酒産業はさらなる縮小が懸念される。 2.令和の米騒動が清酒業界に与える影響 業界環境が芳しくない中、追い打ちをかけるように「令和の米騒動」が報道され、清酒業界を騒がせている。冒頭で述べた通り、主食用米が値上がり、それに引っ張られる形で酒米の高騰及び供給量が減少している。本節では酒米の流通経路を確認し、酒米の高騰および供給量が減少する背景および清酒業界が受ける影響について考察していく。 清酒製造において原料となる米は、主食用米とは異なり、山田錦や五百万石といった酒米が使用されるケースが多い。酒米は酒造りに適した品種改良が重ねられ、酒造り以外の用途で使用されることがないため、栽培に際しては契約栽培となる。流通経路は図表3に記載の通り、生産者が生産した酒米は地場のJAや全農を通じ、都道府県の酒造協同組合から酒造業者へと流通する。一部の酒蔵は自社で精米機等を保有し、酒米農家と直接契約する場合もあるが、多くの酒蔵は都道府県の酒造協同組合を経由して酒米を仕入れる。そのため、酒造協同組合への酒米入荷量が需要量を下回ると、酒蔵は当初想定していた生産量を確保できないことが起こり得る。 農林水産省が公表する「酒造好適米等の需要量調査」によれば、近年は毎年需要量(推計値)を上回る生産量が確保されており、地域や品種ごとの供給不足が生じる可能性はあるものの、酒米全体としては十分な生産量が維持されてきた。しかしながら、冒頭で述べた通り、2024年夏頃から主食用米の価格が継続的に上昇した影響で、酒米から主食用米への転作を選択する生産者が出てきた。酒米は主食用米に比べ、手間が増すうえに反収が低くなりやすいため、主食用米よりも高値で取引されてきたが、主食用米の取引価格が大幅に上昇し、酒米の取引価格と逆転する事態が発生している。 その結果、酒米生産の経済的インセンティブが低下し、酒米生産から主食用米生産に切り替える生産者が一定数存在する。これを裏付けるように、一部地域では、2025年度の県内産酒米収穫量が4割減少、酒米の取引価格が3割上昇する等の報道がなされている。酒米の供給不足により、計画していた清酒の生産量が未達になり顧客の元に商品が届かなくなる可能性があるほか、取引価格の上昇は価格転嫁ができない場合、酒蔵経営に圧迫があるのは疑いがない。 国税庁「令和6年 酒類製造業及び酒類卸売業の概況」から足元の酒蔵の経営状況を確認すると、調査に協力した1,140事業者のうち、約半数にあたる541事業者が赤字・欠損または低収益事業者であることが明らかとなっている。原材料費である酒米価格の高騰を販売価格に転嫁せざるを得ない状況にあるものの、清酒の消費量は減少傾向にあり、価格が上がった清酒を消費者が積極的に購入するとはなかなか考えられない。したがって、抜本的な業界の構造改革や経営戦略の転換を行わない限り、業界再編は避けられないと推測される。 図表3 酒米流通経路 (出所)農林水産省 加工用米等をめぐる事情についてより、 野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 3.酒米の自社生産による安定調達の可能性 「令和の米騒動」を契機に明らかとなったのは、酒蔵が外部に依存している酒米の調達リスクの深刻さである。米価の高騰や供給不足は、酒蔵の原料確保を困難にし、生産計画の混乱やコスト増大を招いている。このような不安定な環境下で、酒蔵が持続的に安定した品質の日本酒を醸造し続けるためには、原料である酒米の調達体制の見直しが不可欠である。 その一つの有効な手段として、自社で酒米を生産することが挙げられる。自社生産により、供給の安定化だけでなく、品質管理の強化やコストコントロールも期待できるため、酒蔵の経営基盤を強固にする可能性がある。さらに、自社で育てた酒米を使用することは、地域性や独自性を前面に押し出したブランド戦略にもつながる。自社での酒米生産を通じ、ブランディングに寄与している事例を紹介する。 (1) 白鶴酒造の例 白鶴酒造株式会社は2015年に農業法人である「白鶴ファーム株式会社」を設立し、10年以上の歳月をかけて独自開発した酒米「白鶴錦」の生産に力を入れている。同社が生産した「白鶴錦」を100%使用した日本酒『白鶴 翔雲 純米大吟醸 自社栽培白鶴錦』を上市した。原料である酒米の生産から酒造りまでを自社で一貫して手掛けることで、安定した品質と供給体制を実現していることを消費者に訴求している。 白鶴ファームが丹精込めて栽培した酒米を使用することで、従来の外部調達に頼る酒造りとは一線を画した新たなブランド価値を生み出している。さらに、『翔雲』はフランスで開催される日本酒コンクール「Kura Master」にてプラチナ賞を受賞する等、国内外から高く評価されている。同コンクールはフランス人ソムリエによる日本酒とフランス料理の相性を重視しており、欧州市場における絶好のアピールの場としても注目されている。 筆者が思うに、白鶴酒造の規模を考えると、全ての日本酒の酒米を自社生産に切り替えるのは栽培する土地や人材の確保から現実的ではなく、資本効率等の観点からも必要はないと考える。しかしながら、同社がこの問題を正面から捉え、単なる課題解決にとどまらず、自社のブランド価値向上につながる施策を積極的に展開してきた点は評価に値する。また、白鶴ファームの自社栽培による安定した良質の酒米の確保と、季節変動の大きい酒造業の雇用の安定化、圃場を維持確保することでの農業への貢献を目的としている点も、企業の社会的責任を果たす先進的な姿勢を示している事例だと考えられる。 図表4 翔雲 純米大吟醸 自社栽培白鶴錦 (出所)白鶴HP (2) 関谷醸造の例 白鶴酒造以外にも積極的に自社での酒米生産に取り組む事業者として、関谷醸造が挙げられる。同社は江戸末期の1864年に創業し、酒造りに必要な酒米の約20%を自社で栽培している。2006年に60aの小規模から開始した酒米作りは地域の遊休農地等を預かりながら、現在では約42haの規模にまで生産が拡大している。同社が位置する愛知県設楽町は標高700メートルの山間部に囲まれており、酒米の王様とも呼ばれている山田錦の栽培に向かないほか、中山間部のため栽培の効率化も難しい。こうした状況下であっても、愛知県で育成された「夢山水」を含む3種類の酒米を栽培し、ドローンやICT機器を活用する等、積極的にスマート農業を導入していき、省人化を実現している先進的な企業の一社である。また、同社では商品ごとに適した飲用温度をホームページ上で紹介し、日本酒に合う酒の肴レシピを紹介する等、日本酒の魅力を広く伝えるための広報活動にも力を入れている。 高齢化や後継者不足等の事情により離農する農家から農地を預かりながら、地域の農業を守り、日本の豊かな清酒を提供する同社はこれからの中山間地域で発展していく酒蔵の理想的なモデルと言える。 図表5 摩訶 関谷醸造 自社栽培米 (出所) 関谷醸造HPより 4.M&Aによる事業再編の可能性 第1章および第2章の通り、日本酒業界では事業環境が急速に悪化しつつあり、更には後継者不足が深刻な課題となっている。酒蔵の多くは創業100年以上の歴史を持ち、地域の顔役として長い歴史を誇っている。そんな酒蔵だからこそ、伝統を守りながらも経営継続が困難な状況に直面し、やむなく廃業を選択する酒蔵も増加している。しかしながら、長年にわたり築いてきた蔵元の歴史や、地域のファン、そして先代が大切に守ってきた酒造りの精神を途絶えさせることは、業界全体にとって大きな損失である。 そうした背景から、M&A(企業の合併・買収)は単なる経営戦略の一つにとどまらず、蔵元の伝統や想いを次世代へとつなげるための有効な選択肢として注目されている。新たな経営体制のもとで、これまでの技術やブランド価値を継承しつつ、より安定した経営基盤を築くことで、飲み手の期待に応え続けることが可能となることから、M&Aは先代の志を尊重しながらも未来へと歩みを進めるための重要な架け橋と言えるだろう。本章では、M&A実施時における売り手側・買い手側のそれぞれのメリット、デメリットおよび直近の取引事例を紹介する。 (1) 酒蔵のM&A実施における売り手、買い手のメリット、デメリット 酒蔵のM&A実施における売り手、買い手のメリット、デメリットは大別すると図表6に記載の通りである。 まず、M&Aという言葉を聞くと、売り手側はつい身構えてしまうことが多いが、一般的に多くのメリットが存在することを認識する必要がある。例えば、廃業してしまえば従業員の雇用を守ることは困難であるが、M&Aによって株式あるいは経営権を譲渡すれば、会社または事業という「箱」は存続し続けるため、従業員の雇用を継続できるほか、酒蔵やブランドを後世に残すことが可能である。もちろん、買収先によっては新たな販路の開拓も期待でき、ステークホルダーにとって非常に有益である。 また、経営者にとっても多くのメリットが存在する。具体的には、大手資本の傘下に入ることで個人保証や担保の解除が期待できるほか、株式譲渡に伴う譲渡益が発生する可能性もある。もちろん経営者が変わることになるので、今までの経営方針から大きく変わる可能性も存在する。また、株式譲渡における諸条件(売却金額、役職員の待遇等)が折り合わない可能性も充分にあり得る。しかしながら、こうした諸問題は株式を譲渡する前に買収側との面談を通じ、確りと売却先の選定を行い、諸条件を契約書に盛り込むことによって回避することは可能である。 次に、買い手側にとってもメリットは大きい。冒頭でも触れたとおり、日本酒の新規製造免許は需給の均衡を維持することを目的として、およそ70年にわたり0件である(酒蔵の移転等は除く)。国家戦略特区等の規制緩和に向けた検討はされているものの、仮に規制が緩和されたとしても、酒造りに必要な希少な人材の確保から生産設備の導入、取引先の開拓、ブランディングの対応が必要である等、新規参入のハードルは非常に高い。こうした背景があるため、買い手側にとって既存の酒蔵を買収する最大のメリットは最も迅速かつ確実に清酒業界に参入することが挙げられる。一方でデメリットとしては、全くの第三者が経営権を執ることになるので、従業員や既存の取引先といったステークホルダーから反発が生じる可能性がある。特に清酒造りにおいてキーマンとなる人材が辞めてしまうと、代わりの人材を探すことは非常に困難であるため、買収後の経営が立ち行かなくなる。そのため、売り手側、買い手側の双方から丁寧な説明が求められる。 図表6 酒蔵のM&A実施における売り手と買い手それぞれのメリット、デメリット (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2) 酒蔵の買収事例 上記の通り、酒蔵を買収することにより売り手、買い手の双方にとって多大なメリットが存在するため、近年は酒蔵業界でもM&Aが活発化している。本節では、酒蔵のM&A事例を取り上げ、その背景や狙い、買い手側の戦略について確認する。 (a) 地縁のある総合食品メーカーによる酒蔵の買収 2024年4月に醤油蔵を原点とする総合食品メーカーの株式会社久原本家グループ本社は300年以上の歴史を積み重ねてきた福岡県の蔵元である株式会社伊豆本店の株式を取得し、グループ会社の一社に迎え入れた。公表資料によると、久原本家グループの社主の母方の実家が伊豆本店と元々縁があり、業務上でも純米大吟醸の製造委託を行う等の関係性を構築していた。また、伊豆本店から経営相談を受ける中で、将来の発展的な事業展開が実現できるという点を双方が共有できたため、本件取引に至ったという。今後は久原本家グループの商品開発力を活用し、新規商品開発を目指していく方針である。また、久原本家グループが保有する販売チャネルでの商品展開の可能性も考えられる。 (b) 通信販売事業者による酒蔵のブランド価値向上 2023年6月に通信販売事業を手掛ける株式会社ベルーナは170年以上の歴史を積み重ねてきた岐阜県の蔵元である谷櫻酒造有限会社の株式を取得し、グループ会社の一社に迎え入れた。株式会社東京商工リサーチが実施した2023年度「国内日本酒通販市場シェアに関する調査」にて、ベルーナは通販国内売上高8年連続1位を獲得している。日本酒事業の成長にあたり、谷櫻酒造の子会社化は自社ブランドでの日本酒開発や、グルメ日本酒事業におけるブランド価値向上等、事業戦略の可能性拡大の観点から企業価値を高めるに資すると判断し、買収に至ったとされる。ベルーナの販売チャネルで谷櫻酒造の製品を販売することにより、これまで以上の販売数量の増加が見込まれる。 おわりに 「令和の米騒動」は、酒蔵の今後の経営を左右する重大な環境変化ではあるものの、一つの契機に過ぎない。というのも、もともと農家の高齢化や新規就農者の減少といった問題から、酒米の安定供給が脅かされるリスクは潜在的に存在していたことは充分に予見し得るものであった。一方で、酒蔵経営者が酒米の自社生産に二の足を踏むのは仕方がない側面もあった。過去、食糧管理法が施行されていた時代には生産した米を自由に使用することが出来なかった。同法が廃止された1995年には清酒の消費量が減少基調であったことから、酒米の自社生産を積極的に推し進めるのが難しかった側面がある。だからといって酒米の調達環境は改善することはなく、むしろ、異常気象による作物の生育不順や人件費や農業資材等の生産コストの高騰により、将来の不確実性がより高まっている。 こうした環境の変化を受け、清酒業界は単に現状に甘んじるのではなく、ユネスコの文化遺産登録や「パ酒ポート」、「ミス日本酒」といった新たな試みを通じて、積極的に日本酒の魅力発信や業界活性化に取り組んでいる。日本酒は日本を代表する文化の一つであるため、今後は酒米の入手経路の抜本的な改革や、自社ブランドの売却等、多角的な手段を講じながら、ぜひ後世にその価値を継承していってほしい。 野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部では、こうした酒蔵の経営課題の解決に向けた伴走支援や事業承継、資本・業務提携といった分野において、専門的なサポートを提供できる体制を整えている。業界全体の今後の発展に向けて、ぜひ私たちもお力添えができれば大変嬉しく思う。 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
-
07/20 15:00
グローバルサウスの台頭とフード&アグリビジネスの可能性(後編)- 日本企業とGS諸国の「共創」戦略:持続可能な未来を築く食料×脱炭素イノベーション-
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 コンサルタント 中村 圭吾(2025年7月15日) はじめに 前編[1]では、欧米をはじめとする先進国とは異なる第三の勢力として台頭するグローバルサウス(以下、GSと称する)の背景と、フード&アグリ分野においてGS諸国が共通して直面する課題を整理した上で、それら課題の解決に挑むGS発のスタートアップを紹介した。 本編では、GS諸国間の文化的・社会的多様性から生まれる課題やニーズを踏まえつつ、GS諸国を対等なパートナーとして捉え、二国間が共同で新たな価値を創出していく「共創」を推進するための日本政府や政府系機関の政策や支援スキームと、それらのスキームを活用しながらグローバルな食料安全保障や環境問題の解決に取り組む日本企業の具体的な事例に焦点を当てる。その上で、「共創」の意義と今後の展望について考察を深めていく。 1. グローバルサウス諸国との「共創」を通じた社会課題解決 深刻化する地球規模の課題や紛争への対応は、一国だけでなくGS諸国との協力が不可欠である。GS諸国は、歴史・文化や経済状況が多様で、都市化や高齢化、インフラ不足、食料や医療の脆弱性、気候変動問題等それぞれ異なる課題を抱えている。一方、日本もまた人口減少や労働力不足、資源の輸入依存等の課題が山積しており、GS諸国の成長と活力を活かすことが今後の日本国内の課題解決や成長に直結する。 日本政府は、2024年6月に「グローバルサウス諸国との新たな連携強化に向けた方針」を策定し、①日本の国益増進、②GS諸国との対等なパートナー関係の構築、③国際社会の協調促進を掲げており、具体的な方策として、多様なGS諸国の実情に応じた柔軟なアプローチ支援を明示している[2]。また、2024年12月発表の「インフラシステム海外展開戦略2030」でも、①GS諸国との「共創」による国際競争力強化、②経済安全保障への対応と国益の確保、③GX・DX等の社会変革への機会活用を柱として、GS諸国との「共創」を推進している[3]。 2. 日本政府、政府系機関、地方自治体、民間団体の支援メニュー 日本政府は、政府横断的な体制のもと、日本企業のGS諸国へのビジネス展開を多面的に支援している。2022年に設置された内閣官房・海外ビジネス投資支援室では、各省庁・関係機関と連携して海外ビジネスの準備段階から拡大段階に至るまでの4つのフェーズに対応した支援策を提供しており、日本企業が海外展開に必要な情報や制度を効果的に活用できる体制を整備している(図表2-1)。 図表2-1 海外ビジネス投資支援メニュー一覧 (出所)内閣官房海外ビジネス投資支援室の公開資料より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部一部加工 フード&アグリ分野の日本企業のGS諸国へのビジネス展開を支援する主要なスキームとしては、農林水産省や国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)をはじめとした各省庁・関係機関より、多様な制度が提供されている。ここでは特に支援件数が多い、経済産業省の「グローバルサウス未来志向型共創等事業費補助金(通称、グローバルサウス補助金)」及び国際協力機構(JICA)の「中小企業・SDGsビジネス支援事業(JICA Biz)」について紹介する。 グローバルサウス補助金は、GS諸国が抱える社会課題を、日本企業がビジネスを通じて解決することを支援するための制度である。令和5・6年度補正予算において合計約2,900億円が計上されており、小規模案件を対象とする「FS事業/小規模実証[4]」と、大規模インフラ整備等を含む「大規模実証[5]」の2区分で幅広く支援を実施している[6](図表2-2)。「グローバルサウス補助金」の2024年度の採択状況は、「FS事業/小規模実証」では、計3回の公募で490件の応募に対し226件が採択され、採択率は46%であった。一方、「大規模実証」では、対ASEAN諸国対象事業として年間38件の応募に対し20件が採択され、採択率は52%であった。 これに対し、JICA Bizは、開発途上国の課題解決と日本企業の海外ビジネス展開を同時に支援することを目的としており、企業側の費用負担や調整コストが少なく、JICA選定のコンサルティング会社によるハンズオン支援および対象国・地域のネットワーク活用を特徴としている(図表2-2)。JICA Bizは、企業規模やビジネスモデルの構築段階に応じて「ニーズ確認調査」と「ビジネス化実証事業」のスキームに区分され、「ニーズ確認調査」は1件あたり上限1,500万円、「ビジネス化実証事業」は1件あたり上限4,000万円が支給される。2024年度の採択件数は、両スキーム合わせて計57件で、うち約95%が中小・中堅企業向けの支援となっていた。 グローバルサウス補助金とJICA BizはそれぞれGS諸国とのビジネス連携や「共創」を促進する重要な支援ツールである一方で、支援額や対象企業、負担率、その他の支援内容に相違があるため、応募企業は自社の事業規模、戦略、資金状況を踏まえ、両スキームのメリット・特徴を考慮した最適な支援制度を選択することが重要である。 図表2-2 グローバルサウス補助金とJICA Bizの比較 (出所)経済産業省とJICAHPの公開資料より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 3. GS諸国とのフード&アグリ分野での「共創」トレンド 日本政府は、GS諸国との「共創」において、フード&アグリ分野を重点政策の一つと位置づけ、「グローバルサウス諸国との連携強化」や「インフラシステム海外展開戦略2030」でも、食料サプライチェーンの強化や農業由来の温室効果ガス(GHG)削減、持続可能な農業と農業生産者の所得向上を目指す方針を示している。また、農林水産省は、新たに、2025年5月に「農林水産分野GHG排出削減技術海外展開パッケージ(MIDORI∞INFINITY)」を発表し[7]、日本発の技術を整理・明確化した上で、これらの技術を持つ日本企業や研究機関のグローバル展開を推進している。 フード&アグリ分野の日本企業は、これまで紹介した政府機関の各種公的支援スキームを活用しつつ、GS諸国への進出を積極的に進めており、同分野における「グローバルサウス補助金」や「JICA Biz」の2024年度の採択実績は計76件(「グローバルサウス補助金」59件、「JICA Biz」17件)に上る。本章では、これらのデータから見えてくる同分野の日本企業のGS諸国での進出地域や活用アプローチの傾向を整理した。 (1)フード&アグリ分野における日本企業によるGS諸国の進出地域 東南アジアは経済成長が著しく、日本企業の事業展開が活発であることから、「グローバルサウス補助金」34件、「JICA Biz」8件と両スキームで最多の案件が採択されている(図表3-1)。アフリカも成長ポテンシャルが高く、両スキームで一定数の案件が進んでいる。南アジアや南米は大規模事業を中心に「グローバルサウス補助金」の採択が多い一方、「JICA Biz」の採択は少数である。両スキームは地域の経済状況や企業活動に応じて柔軟に活用されており、GS諸国への進出において補完的な役割を果たしている。 図表3-1 「グローバルサウス補助金」と「JICA Biz」のフード&アグリ分野におけるエリア別採択件数(2024年度) (出所)経済産業省とJICAHPの公開資料より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2)日本発イノベーションの主要トレンド フード&アグリ分野における日本企業のGS諸国への主要なアプローチを以下5つの【A】から【E】のカテゴリーに整理し、さらに、前編にて取り上げたGS諸国の共通する5つの課題(【1】食料安全保障の脆弱性、【2】GHG排出と気候変動への対策不足、【3】労働力と人的資源の制約、【4】技術導入のための資金力不足、【5】市場アクセスの困難さ)に対する貢献度を示した(図表3-2)。 図表3-2 GS諸国への主要なアプローチとGS諸国の社会課題に対する貢献 (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 【A】 スマート/デジタル技術導入 IoT、AI、ドローン、ナノバブル発生装置等の先端技術を農林水産業分野に導入し、作物の生育状況や家畜の健康状態をリアルタイムで詳細に観測・解析することで、生産性や品質の安定化を図っている。本アプローチは、例えば、ウクライナでのナノバブル技術を用いた農業再生支援や、ベトナムでの水田用自動抑草ロボット「アイガモロボ」の導入、インドネシアのAI解析による水産資源管理等、各国の多様な農業生産の環境にて適用されている。 【B】 持続可能な農業と気候変動への適応強化 地球温暖化対策として節水農法や農業廃棄物を利用したバイオ炭の生産等、低炭素農業への技術導入も活発である。また、これに関連して、導入した技術によるGHG排出削減を評価し、その削減量の取引を可能とする二国間クレジット制度(JCM)[8]も含めたカーボンクレジットに関する取り組みも注目されている。実際に、フィリピンではJCMを活用した節水稲作、タイではバイオ炭活用による水田のGHG排出削減、ブラジルでは下水汚泥を活用したバイオ炭活用に関する調査がそれぞれ行われている。これらの取り組みは、気候変動への対応策や適応策となるだけでなく、グリーントランスフォーメーション[9](GX)推進の一環として、持続可能な農業の推進にも貢献する。 【C】 バリューチェーンの構築・強化 農産物や畜産物の品質向上と加工・流通の効率化に対する取り組みも重要である。例えば、タンザニアにて、コメ及び穀物の品質向上・収穫後ロス低減の為の高精度水分計の導入調査が進められている。また、ベトナムでの農業機械導入による水田間作[10]の促進も挙げられる。バリューチェーンの構築・強化関連では、ベトナムの高品質・低炭素米、ブラジルの大豆・トウモロコシやタイでのバナナに関する事業も実施されている。これらの活用は、農業生産者の所得向上や地域経済の活性化、そして日本企業の現地との連携促進による新たな市場の創出にも貢献することが期待されている。 【D】 未利用資源・食品廃棄物の資源化促進 未利用資源や食品廃棄物をアップサイクル[11]し、バイオ燃料や肥料、更には工業用の新素材に再生する取り組みも注目されている。具体的には、マレーシアにおける食品廃棄物の低温炭化装置の開発やパーム農業残渣のバイオマスへの利用、モザンビークでのジャトロファ[12]を活用したバイオ燃料のサプライチェーン構築、ネパールでの有機廃棄物のコンポスト[13]への再資源化に関する取り組み等が実施されている。農業由来の廃棄物を単なるゴミとして捉えるのではなく、価値ある資源として循環利用することは、環境負荷の軽減、地域経済の活性化、そして循環型の持続可能な農業システムの構築に貢献している。 【E】 バイオテクノロジーや新技術の活用 バイオテクノロジーを活用した農業生産性の向上や新資材や代替製品の開発が進んでいる。例えば、ベトナムでの植物成長促進剤(バイオスティミュラント[14])を使用した環境ストレス耐性のあるコメ生産に関する調査が行われている。また、タイでは、非可食糖を利用した人工タンパク質粉末の製造、微細藻類を用いた産業排ガスのCO2固定化技術の開発も実施されている。また、これらの新技術は、農業生産を支援するだけでなく、食料の多様化や環境負荷の軽減にも貢献し、イノベーションへのニーズが大きく、先進国に比べて法律や制度も十分に整備されていないGS諸国でこそ実用化が早く進む可能性が高く、新産業への発展としても期待されている。 4. GS諸国が抱えるフード&アグリ分野の課題解決に挑戦するスタートアップの事例紹介 前章にて、GS諸国が抱えるフード&アグリ分野に関連した課題解決に挑戦する日本発の技術やアプローチのトレンドを整理した。本章では、実際に自社が持つ技術・製品を通じて、GS諸国との「共創」に取り組む日本発のスタートアップを3社紹介する。 (1)高機能バイオ炭で拓く持続可能な農業と地球・宇宙の未来 株式会社TOWINGは、「サステナブルな次世代農業を起点とする超循環社会を実現する」をミッションに、2020年2月創業の名古屋大学発のグリーン&アグリテックスタートアップである。地域の未利用バイオマスの炭化物に独自に選別・培養した土壌由来の微生物群を付与する技術を用い、高機能バイオ炭「宙炭(そらたん)[15]」を開発・製造・販売およびそれに関連する技術サービスの提供を行っている。宙炭は農地の土壌肥沃度向上や作物の品質改善、収穫量増加に貢献するほか、GHG排出削減や資源循環の促進にも寄与する。同社は、これまで累計約29.5億円の資金調達を実現し、高機能バイオ炭に関する更なる研究開発および国内製造拠点の拡充、そして海外事業拡大に向けた体制構築を進めている。 同社は、グローバルでも存在感を強めている。2025年4月には、International Biochar Initiative(IBI)[16]と共同で、日本国内で初となる国際的なバイオ炭カンファレンスを主催し、グローバルで盛り上がりを見せる「農業×バイオ炭市場」を主導している。また、GS諸国における事業展開では、「グローバルサウス補助金」を活用し、タイにて微生物培養プラントの現地実装及び大型化プロジェクトを開始している。また、ブラジルではJICAや農林水産省と連携しながら、劣化牧草地の再生に向けた高機能バイオ炭の適用可能性や実証栽培の検証を行い、現地の研究機関との連携強化を図っている。これら国内外の活動を通じて、同社は、現在グリーン&アグリ領域のプロフェッショナルカンパニーとして、グローバルな食料問題の解決に挑戦している。 図表4-1 タイ・カセサート大学との研究協力の調印式 (出所)株式会社Towing提供 (2)衛星×AIで環境負荷削減の推進と農家の所得向上に挑戦 サグリ株式会社は、2018年に設立された岐阜大学発のスタートアップとして兵庫県丹波市に本拠を置き、衛星データと人工知能(AI)を活用して農地解析と営農支援を行っている。創業者の坪井氏は、2016年にルワンダで親の手伝いのために農業に従事し学校に行けない子供たちの現状に衝撃を受け、宇宙分野の知識を活かして非効率な農業生産の課題解決を 目指し同社を設立した。現在、同社は、国内外で衛星データや土地区画データをもとに独自技術で農地の見える化を実現し、耕作放棄地の検出、作物分類の推定、農地と人をつなぐマッチング、といった4つのサービスを軸とした農地の効率的活用や営農支援を行っている。 特に持続可能な農業と食料生産体制の構築、そして脱炭素社会の実現に向けて、海外でも、これまでアジアやアフリカ等、14カ国で事業を展開し、計10万を超える農家にサービスを提供してきた。AIにより収集・解析した衛星データをもとに、化学肥料から有機肥料への転換による亜酸化窒素の排出削減や、間断灌漑技術[17](AWD)を用いた水田からのメタン排出削減を通じたカーボンクレジット創出事業にも着手している。2024年11月からは、カンボジア・プルサット州にてAWDの実証実験を開始し、農家の所得向上と持続可能な農業の実現を目指している。さらに2024年も、VCやCVC、事業会社等から約10億円を調達し、これを背景に海外展開を加速させており、GS諸国での事業強化を進めている。「グローバルサウス補助金」や「JICA Biz」も活用し、中南米地域にて日系移民社会での営農最適化、肥料コストの削減、そしてカーボンクレジット創出による所得向上にも取り組んでおり、日本発ベンチャー企業として世界に飛び出し、農業の環境負荷低減や持続的社会の実現に向けて取り組んでいる。 図表4-2 現地の「共創」パートナー達と坪井代表 (出所)サグリ株式会社提供 (3)現地の植生を活かしたバイオ燃料開発 日本植物燃料株式会社は、2000年に設立され、アフリカ・モザンビークにて電子農協[18]基盤「Agroponto」の開発・運営を手掛け、小規模農家の組織化と農家の市場アクセス改善、生計向上を図ってきた。さらに同社は、農作物取引の電子化により公正で記録可能な取引プラットフォームを構築し、NFC[19]カードを用いた電子バウチャー事業で物資配布や購入補助金管理の効率化を図り、地域の農業基盤強化に貢献してきた。 同社は、20年以上に渡りモザンビークにて、ジャトロファ[20]を活用したバイオ燃料の研究開発と生産にも取り組んでおり、現地の農業発展と環境保全を両立させる持続可能なバイオ燃料事業を推進している。ジャトロファは乾燥や過酷な環境に強い非可食作物であり、食料生産と競合せずに栽培可能であることから、地域の荒地緑化やフェンス植樹、剪定枝や搾油残渣のバイオ炭活用による土壌改良等、多角的な用途・機能がある。研究を重ね、在来種と比べて約50倍の収量を誇るジャトロファ品種の開発に成功している。 現在、同社は、「グローバルサウス補助金」も活用しながら、モザンビーク北部のナカラ港からマラウイ、ザンビアへと繋がるナカラ回廊沿いにて、高収量品種のジャトロファを栽培し、バイオ燃料として供給している。それにより海事海運産業の脱炭素化、農家の所得向上、そしてアフリカ地域の社会経済基盤の強化を推進している。年間40万トンのバイオ燃料生産を目指しており、この生産量は、日本国内で1年間に回収される廃食油の総量に匹敵する。さらに、同社は、搾油後の残渣等のバイオマスを活用してカーボンクレジットの創出も目指しており、これにより年間最大800万トンのCO₂排出削減・除去が可能となる。 図表4-3 現地の社員と対話する合田代表 (出所)日本植物燃料株式会社提供 5. 日本企業がGS諸国にて持続的なフード&アグリ分野の事業展開を実現するための考察 最後に、これまでの内容を踏まえて、筆者が考える、日本企業がGS諸国に進出し、持続可能かつ効果的な事業展開を実現するための要諦として、以下の3点を提言したい。 (1) GS諸国を対等なパートナーとして捉えた「共創」に基づく事業モデルの構築 現地の文化や慣習、ニーズを深く理解し、信頼関係を築ける適切なパートナーの発掘・連携が不可欠である。GS諸国は文化・社会・経済環境が多様であり、スケジュール感や根回しといったビジネス上の慣習やSNSやメール等のコミュニケーション手段の違いから、日本流の考え方や仕事の進め方がそのまま通用しない場合が多い。特に、日本国内でよく見られる「阿吽の呼吸」による暗黙の了解や非言語的な意思疎通は、文化や言語の異なるGS諸国では通用しづらいため、一層明確かつ丁寧なコミュニケーションが求められる。したがって、一方的に日本のやり方を押し付けるのではなく、GS諸国を対等なパートナーとして捉え、その歴史や文化、慣習、価値観を十分に理解し、相手の視点やニーズに立脚した現地化された事業モデルの構築が求められる。 特に、フード&アグリ分野においては、現地パートナーは地域の文化・慣習、農業技術、気候条件、市場環境を熟知しているだけではなく、行政機関や農家団体、流通業者等との強いネットワークを有しており、これらを活用することで市場参入や事業拡大が迅速に進められる。前章で紹介した各企業も、現地の研究機関や政府機関と連携し、社会課題とニーズに適合した技術実証と事業展開を進めることで、地域に根ざした課題解決に挑戦している。こうした双方向の対話を通じて、現地パートナーと信頼関係を築き、ともに課題解決や価値創出に取り組む「共創」による事業展開こそが、持続可能で実効性の高い成果を生み出す鍵である。 (2) GS諸国の「サンドボックス」としての活用とリバースイノベーションの展開 GS諸国ではイノベーションへのニーズが高く、先進国に比べて法律や制度が十分に整備されていないため、規制の制約をあまり受けることなく先端技術の実用化が比較的早期に進みやすい。また、現地の労働コストや運営コストが先進国と比較して相対的に低い点も大きな特徴である。フード&アグリ分野の先端技術は、研究開発から商業化に至るまでに規制当局や利害関係者との調整、高額な資金調達が必要となることから、一般的には約10年以上、早くとも5年程度の期間がかかる。このため、日本企業はGS諸国を「サンドボックス」[21]として活用し、先端技術の実証や大規模なフィールドテストを実施することで、日本国内や他の先進国と比較して、比較的少ない資金かつ短期間での商業化や事業拡大を実現できる。さらに、多様な現地の課題やニーズに適合させて実用化した社会課題解決型の技術・製品・サービスは、他のGS諸国への横展開にとどまらず、「リバースイノベーション」として、規制が厳しい日本を含む先進国にも導入可能であり、新たなイノベーションの種を生み出すことができる。前章で紹介したサグリ社も、衛星データやAI技術を活用してGS諸国の農業効率化と持続可能性の向上に取り組むと同時に、そこで得られたノウハウや知見を日本国内の持続可能な農業モデルの創出に活かしている。このように、GS諸国は技術実証の場としてだけでなく、グローバルなイノベーション創出の重要な拠点であり、日本企業にとっては競争力強化と事業成長を加速させる戦略的な舞台であると言える。 (3) 公的支援制度の効果的な活用による事業推進 「グローバルサウス補助金」や「JICA Biz」等の公的支援制度は、支援金額や対象企業、負担率、コンサルティング支援の有無等、支援内容に違いがあるため、応募企業は自社の事業規模や戦略、資金状況を踏まえ、これらを含む多様な公的支援制度を適宜活用・乗り換えながら、最適な制度を選択することが重要である。また、公的支援の利点は金銭面にとどまらず、現地の日本国大使館やJETRO事務所、JICA事務所が有する人的なネットワークも活用できる点も強調したい。これらの機関は、GS諸国のフード&アグリ分野に関連する政府機関や民間企業と関係を築いており、信頼できる現地パートナーや事業推進に必要なキーパーソンの紹介を通じて、現地での事業の認知度向上や規制対応、ネットワーク形成を後押しすることが可能である。さらに、フード&アグリ分野では、農林水産省、経済産業省、JETRO、JICAをはじめとする公的機関が、毎年企業派遣ミッションを通じて、現地パートナー企業とのマッチングの機会を提供している。前章で紹介した各企業もまた、GS諸国で出会った人や課題に対する原体験をきっかけに、GS諸国との「共創」の事業に取り組んでいる。GS諸国への進出を目指す日本企業は、このような機会を積極的に活用しつつ、公的支援制度による資金面でのメリットを享受するとともに、各機関が有する豊富な人的資源を効果的に引き出すことが、事業展開を円滑に進めるうえで極めて重要な成功要因となる。 おわりに 日本の食料自給率は、カロリーベースで40%を下回っており、また労働者人口も年々減少しており、食料安全保障のみならず、日本という国を存続させるためにはGS諸国を含めた他国との共存が不可欠となっている。そのような中、日本がGS諸国から「選ばれる」ためには、一方的に日本のやり方を押し付けるのではなく、相手国の内なる声に耳を傾け、日本発の技術をGS諸国に展開していくことが重要である。今回事例として紹介した3社に加えて、フード&アグリ分野で先進的にGS諸国と「共創」に取り組む日本企業は多く存在する。また、日本企業がGS諸国で持続的に事業を展開していくためには、数年単位の事業への投資コミットメントが必要となるため、あらゆる角度から公的支援制度を効果的に活用しながら、継続して事業に取り組むことが必要と考える。 [1] 「グローバルサウスの台頭とフード&アグリビジネスの可能性(前編) - グローバルサウス諸国のフード&アグリ分野の課題 -」野村證券HP (https://www.nomuraholdings.com/jp/sustainability/sustainable/fabc/data/20250618_2.pdf) [2] 「グローバルサウス諸国との新たな連携強化に向けた方針 概要」内閣官房HP (https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kaigai_business/pdf/gsc_summary.pdf) [3] 「インフラシステム海外展開戦略2030」首相官邸HP (https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keikyou/dai58/siryou6.pdf) [4] 「実証」は設備や装置の導入を伴うもの、「FS(フィージビリティ・スタディ)」は伴わないものという区分けになっている。 [5] 「大規模実証」は、さらに対東南アジア諸国連合(ASEAN)[5]加盟国と対非ASEANに分けられる。 [6]また、令和6年度補正予算から、ウクライナ現地及び周辺国の破壊されたインフラ再建やエネルギー供給等による復興を支援するために、「ウクライナ復興支援・中東欧諸国等連携強化」スキームも追加されている。その他、委託事業として、対象国・地域の長期的な発展を計画的に進めるための包括的な計画「マスタープラン」の策定事業も実施している。 [7] 「農林水産分野GHG排出削減技術海外展開パッケージ 概要」農林水産省HP (https://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/kankyo/attach/pdf/250530-9.pdf) [8] 途上国等への優れた脱炭素技術等の普及や対策実施を通じ、実現したGHG排出削減・吸収への我が国の貢献を定量的に評価するとともに、我が国の国別削減目標(NDC)の達成に活用する制度。 [9] 化石燃料中心の社会から脱炭素社会に向けて再生可能なクリーンエネルギーに転換していく取り組みのこと。 [10] 水田で稲の収穫後に他の作物を栽培する農法。 [11] 廃棄物等を単にリサイクルするのではなく、元の素材や製品よりも高い価値や品質のある新しい製品や材料に変換・再利用すること。 [12] 熱帯地域を中心に自生・栽培される植物で、種子に含まれる油脂からバイオディーゼル燃料を生産できることから、再生可能エネルギー資源として注目されている。 [13] 生ゴミや農業廃棄物、落ち葉等の有機廃棄物を微生物の働きで分解・発酵させて、土壌の肥沃度を高める肥料(堆肥)に変える自然循環の技術。 [14] 植物の成長を促進し、ストレス耐性や栄養吸収効率を高めるために使用される天然由来の物質や微生物製剤。 [15]「 宙炭」は、TOWINGの独自前処理技術と微生物培養技術を農研機構の技術と融合して開発した土壌改良資材である。土壌の健康を改善し、化学肥料削減や有機転換を促進するとともに、作物の品質・収量向上に寄与する。一般的なアルカリ性バイオ炭とは異なり中性に近いため、単独使用でも作物が良好に育つ特徴を持つ。さらに、地域の未利用バイオマスのアップサイクルや農地での炭素固定を通じて温室効果ガス削減を可能とし、環境再生型(リジェネラティブ)農業の推進に貢献する革新的なソリューションである。 [16] バイオ炭の研究・開発・普及を推進するアメリカの非営利団体。 [17] 水田に水を張る湛水(たんすい)と、水を抜く落水を繰り返す農法で、栽培期間中に土壌を適度に乾燥させることで、水の使用量を削減するとともに、田んぼからのメタン排出を抑制する農業技術。 [18] 「電子化された農業協同組合」のことであり、農業協同組合(農協)の業務やサービスをデジタル技術やICT(情報通信技術)を活用して効率化・高度化した仕組みや組織を指す。 [19] 近距離無線通信技術の一つで、数センチ程度の近距離でデータの送受信を行うことができる規格。スマートフォンやICカード等の間で非接触にて通信が可能で、決済や認証、情報交換等、幅広い用途に使われている。 [20] トウダイグサ科に属する耐乾性の高い非食用の植物で、主に熱帯・亜熱帯地域で栽培されている。種子には高い油分を含み、持続可能なバイオ燃料の原料として注目されている。 [21] 新規事業や革新的なサービス・技術を、既存の規制や制約を一定期間・限定的に緩和した環境下で試験的に実施できる制度や仕組み。 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
-
07/19 15:00
生物多様性と今後の企業の在り方(後編)
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニアコンサルタント 遠藤 暁(2025年7月15日) 前編では、ハーマン・デイリーのピラミッドを用いて社会全体における自然資本の位置づけを確認し、生物多様性に関する歴史を概観した後で、一つの分かりやすい例として、森林・林業・木材産業と生物多様性の関連を取り上げた。後編では、企業側の視点、つまり企業の社会的責任の変遷からスタートし、国際的な枠組みの例としてエクエーター原則や世界銀行EHS(環境・衛生・安全)ガイドラインなどを概説し、非財務情報開示の関心の高まりに触れて、今後の企業経営における生物多様性の重要性を述べる。 1.企業の社会的責任(CSR)と生物多様性 1) 生物多様性を企業の社会的責任とした提言の系譜 戦後、日本経済の再建・復興を目的に設立された日本経済団体連合会(以下、「経団連」という)は、1973年に企業の社会的責任について、「福祉社会を支える経済とわれわれの責任」という提言を行っている。企業は経済活動だけでなく、社会全体に責任を負うという考え方を示したもので、以後のCSR活動の第一歩となった。その後、1991年に「経団連地球環境憲章」を発表し、前編で述べたハーマン・デイリーのピラミッドにおける自然資本の位置づけにつながる基本理念がうたわれている。 経団連地球環境憲章基本理念(一部抜粋) 「企業の存在は、それ自体が地域社会はもちろん、地球環境そのものと深く絡み合っている。その活動は、人間性の尊厳を維持し、全地球的規模で環境保全が達成される未来社会を実現することにつながるものでなければならない。」 さらに、2003年に「日本経団連自然保護宣言」が発表され、ここで生物多様性の保全ということが明確に示された。考え方としては、20年以上前に示されており、ここ数年で出てきた言葉ではないことが分かる。 日本経団連自然保護宣言(一部抜粋) 「私たちは、私たちを取り巻く大気圏や生物圏、あるいは水の循環圏などについて、一層理解を深めるとともに、人類にとって多様な生物が共存することが、豊かな生活環境をもたらすものであることを改めて認識し、生物多様性の保全を重視した自然保護活動を推進する必要がある。」 企業の社会的責任は、1990年代にはメセナ(文化貢献活動)と結び付けられてきたが、2000年代に入り、ESG(環境・社会・ガバナンス)という考え方が台頭してくる。その起源は実際には古く、1920年代に宗教上の理由からタバコ、アルコール、ギャンブルなどの業界への投資を禁止したことが始まりと言われている。その後、国際金融公社(IFC)が2004年に発表した「Who Cares Win」という報告書の中で用いられたことで広く知られるようになり、2006年の国連の責任投資原則(PRI)で一般化した。図表1の通り、責任投資を行う際に考慮すべきESG課題の環境分野に生物多様性が含まれている。 図表1 責任投資を行う際に考慮対象となるESG課題 (出所)国際連合「責任投資の入門ガイド」 ESG投資は、投資家が投資先の財務情報以外にESGの取り組みを評価して選別し、さらにその継続を促していくもので、ESGに取り組む企業は、取り組まない企業に比べて長期的なリターンを大きいとする評価が多くされてきた。生物多様性あるいは自然資本と直接関係するのは、上記ESG課題のうち環境の部分であるが、それを実践していく中では、多様性の確保や社会課題の解決意識の醸成、ガバナンスの強化などのESG課題全てが企業価値を押し上げていると言える。 2)プロジェクトファイナンスにおける生物多様性の保全の考え方 次に、プロジェクトファイナンスにおいて金融機関に課されるエクエーター原則を取り上げる。まず、プロジェクトファイナンスとは、発電や鉱物資源開発などの個々の「プロジェクト」に対して、その事業性に依拠してファイナンスを行う取引を指す。通常の事業法人向け融資取引と大きく異なる点は、一般的に第三者保証は求めず、プロジェクトが保有する資産以外の担保も求めない点である。大規模なプロジェクトファイナンスでは、複数の国際金融機関が協調して融資を行うケースが多く、その際にプロジェクトの事業性を財務的な観点から定量的に審査することに加えて、エクエーター原則に則った定性面の審査も行われる。 エクエーター原則では10の原則が定められており、その中の原則2「環境・社会アセスメントの実施」に、生物多様性の保護と保全が潜在的な問題の一つとして挙げられている。一例として、北海道の天然記念物であるオオワシやオジロワシの生息が確認されている地域における風力発電所建設プロジェクトを挙げると、風車へのバードストライク防止などの措置がされていない場合は、融資を行わないといった対応がされる。当然ながら、資材搬入用の道路建設などでも森林伐採への配慮が求められると同時に、先住民族であるアイヌ民族への配慮も必要となる。 また、プロジェクトファイナンスでは、世界銀行グループ環境・衛生・安全(EHS)ガイドラインに従うことが求められるケースが多い。特に、各国の輸出信用機関や政府系金融機関と協調融資を行う際は、EHSガイドラインを遵守することが必須である。EHSガイドラインは、環境、衛生、安全に関する技術文書であり、一般的事項とセクター別事項に分けられており、プロジェクトの内容によって、従うべき環境汚染基準などが定められている。このガイドラインの中では、生物多様性について明確には述べられていないが、大気汚染や水質汚染の基準値や対策手法、モニタリング手法などが記されており、間接的に生物多様性の保護を求めている。こういったガイドラインを工場の新設などにおいて参考にすることも、企業の社会的責任を果たす手段として考えられる。 3) SDGsにおける生物多様性保全活動 2015年に国連で採択されたSDGsは、かなり一般にも浸透してきた。17の原則のうち、14「海の豊かさを守ろう」と15「陸の豊かさも守ろう」の二つが生物多様性に直接関係しており、各企業においても、例えば海洋プラスチック問題解決のために脱プラスチックを進める、あるいは、社有林における生物種の調査を行うなどの動きが見られ、CSR報告書で開示する例も増えてきている。幼稚園や小学校でもSDGsに関する教育が行われており、環境保護への高い意識が醸成されて大人になった新しい世代が10年後あるいは20年後に、商品開発や経営企画などの分野で、当たり前のように生物多様性に配慮したビジネス活動をしていくように変わっていくだろう。 企業の社会的責任という観点からの生物多様性は、PRI、ESGからSDGsに至り、個人レベルの意識まで浸透してきた。社会全体をより良い方向へ変えていこうという動きの根本には、自然資本という考え方が明示的、非明示的に含まれている。誰もが感じる便利なモノが売れる時代はとうに過ぎ去っており、生活を豊かにするモノ、あるいは社会にとって良いモノが売れる時代へ変化している中で、自然資本を重視し、生物多様性に配慮することは、ヒトとして当然であり、企業活動においても根本となっていくと考えられる。 2.生物多様性に配慮したこれからの企業の在り方 1) 自然資本をベースとした経済活動原則 本稿で繰り返し述べてきた通り、人々の生活やビジネスなどあらゆる活動は、自然資本の上に成り立っている。温室効果ガスの増加など人為的な影響による洪水や大雨などの自然災害が顕在化したことで、ようやく自然資本あるいは生物多様性の保全の重要さが理解されてきた。これからの企業の在り方としては、この重要性を改めて認識し、ビジネスを組み立てていく必要性がある。日本の企業は、2度の石油ショックなどから、省エネを中心としたノウハウや技術の蓄積が他国に比べて多い。また、プラスチック製品や金属缶をはじめとする原材料として用いられる素材のリサイクル比率も高い。こういった取り組みは国内では当たり前のように理解されているが、他国と比較すれば、大きなアピール材料になる。日本企業の強みとして真摯にアピールすることはもっと行ってよいのではないかと筆者は考える。 生物多様性に配慮することは、その他の社会的責任とも密接に関係する。自然資本という共通の土台があること、また異質なものへの共感や自然への畏敬と言った点で、人権擁護やLGBTQ+の理解などにもつながっていく。生物多様性を出発点として、自らを取り巻く全方位への感謝や他者の尊重という意識を醸成する効果がある。生物多様性への配慮から、自然に触れ合うことに興味、関心が高まり、森林浴やハイキングなどを通じて、メンタルヘルスやストレス軽減へ役立ち、退職者の減少や定着率の向上など、経営にとって具体的なプラスの影響も期待できるだろう。 2) 商品・サービスへの新たな付加価値となる生物多様性 また、消費行動の大きな変化にも対応が必要である。大量生産大量消費の時代では、顧客は企業が生産する製品・サービスを受け取るだけであったが、様々な製品・サービスが普及してくると、今度はその内容や充実ぶりに目が向くようになり、さらに最近では、パーソナライズされた製品やサービスが求められるようになってきている。そして、製品やサービスが多様化し飽和する中で、顧客が企業を選ぶ時代に入ってきている。このような環境下で、重要となってくるのが、どういった価値を提供するか、という点である。機能やデザインといった点は、既に差別化できる要素ではなくなりつつあり、社会的な価値、つまり自然資本の重要性や生物多様性への配慮といった、ある意味でより高次元な価値を提供していかなければならない。これまでは、企業から顧客への一方向へのコミュニケーションであったが、これが双方向になり、今後は逆に顧客から企業へのコミュニケーション、あるいは選択といった動きが出てきている。特に消費者に近い企業であればあるほど、顧客の期待値の一歩先を行く意識を高くもつ必要がある。例として、アパレル業界では、スニーカーにリサイクル素材を使ったことをうたった製品が増えてきている。また、ジーンズでも、綿花の生産国、紡績工場、織物工場、縫製工場をジーンズ一本一本のポケット裏に印刷し、トレーサビリティを明示しているケースがある。 SNSにより、企業と顧客のコミュニケーションコストが大きく低下している現在、戦略的にマーケティングを行っていく必要がある。変に取り繕った映像などは、すぐに見破られ、企業イメージを破壊することにつながりかねない。大々的なCMや作られたイメージではなく、企業の真の姿をありのまま伝えることが必要だろう。そして、ありのままの状態でしっかりと生物多様性あるいは社会的責任を果たしていることが重要である。 図表2 企業と顧客のコミュニケーションの変化 (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 3) 企業への共感を呼ぶ非財務情報の開示 社会的責任の取り組み状況のような、財務諸表に数値として現れにくい情報は非財務情報と言われ、企業価値を多角的に評価する上で、その重要性が注目されている。上場企業のみではなく、非上場、中小企業についても、広く非財務情報の開示を促していく動きが出てきている。メガバンクや地銀が中心となって2023年8月に設立された一般社団法人サステナビリティデータ標準機構は、中小企業向けの非財務情報の開示の羅針盤を提供する目的で、2024年2月に「非上場・中小企業向けサステナビリティ情報の活用ハンドブック」を発表している。この中では、企業が段階的に取り組みやすいように、入門、基本、応用の3区分で開示する情報の例示や、モデル事例集などを示している。非上場、中小企業であっても、例えば経済産業省の地域未来牽引企業に選定されている企業などは、非財務情報を開示することで、よりステークホルダー全体へのアピールとなり、従業員の満足度向上や取引拡大による地域経済のさらなる活性化など、企業内外へプラスの影響を及ぼすことが出来る。 3.おわりに 生物多様性については、言葉が先行し、何をどうしたらよいか、分かりにくいと考えている人が多い。しかし、前編で取り上げたハーマン・デイリーのピラミッドの通り、全ての企業活動は自然資本の上に立っている、と考えれば、自社のビジネスにおいて自然と接点をもつあらゆるプロセスにおいて、自然資本を尊重することが必要だということは自明だろう。出来るところから始めて、定期的にPDCAを行い、アップデートし、可能であれば外部の有識者やコンサルタントを入れることで透明性を確保することも検討すべきである。 本稿では、様々な基準や企業の社会的責任という観点と生物多様性の関係を考えてみた。既にいくつかは取り組んでいる企業も多いと思う。その中で、新しく生物多様性という観点を入れるだけで、ステークホルダー全体への企業イメージの向上、ひいては企業価値が向上していくと筆者は考える。森林・林業・木材産業は一つの分かりやすい例として前編で取り上げたが、企業が森林を保有し、利活用あるいは保護するという活動でも生物多様性の保全に大きく貢献できる。日本の森林は、その多くが収穫時期が来ているものの放置され、手入れがされていないといった問題点は何年も前から指摘されている。そのような放置林を利活用するアイディアを他産業の企業が持ち寄ることで、生物多様性の保護と林業の問題解決の両方を満たすことができる。 日本は、世界でも例を見ないほど、一つの国に様々な生物種が存在する貴重な国である。日本企業としては、自国の豊かな自然を活かせることは、一つの大きなアドバンテージになる。21世紀は間違いなく気候変動への対策が最重要となる中で、企業活動は温室効果ガス削減だけではなく、より高い視点から、生物多様性の保護を含めた持続的な事業活動へ変化していくことに対応する必要がある。 以上 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
-
06/22 15:00
世界を魅了する日本の調味料 ~醤油・味噌等の海外進出最前線~
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 ヴァイス・プレジデント 中村 さやか(2025年6月18日) はじめに 海外のスーパーマーケットに行くと必ずある日本の食材、それは醤油だ。醤油は、世界中の料理と相性が良く、現地の料理にかけても不思議と味が整う、まさに「万能調味料」[1]である。現地の顧客が、そのような「万能調味料」に手を伸ばす姿を見ると、日本人としてどこか誇らしくも感じられる。 さらに、近年では、「Miso Soup(味噌スープ)」、つまりは「味噌汁」が海外で流行しており、味噌の需要も高まりつつある。SNSでは、「Miso Soup(味噌スープ)」に、Soba-Noodle(そば)を入れたり、Pot Stickers(餃子)を入れたりと、日本人からすると一見個性的なアレンジを加えた「Miso Soup(味噌スープ)」レシピが溢れている。果たして、醤油・味噌等日本の調味料はどのようにして海外で受け入れられてきたのであろうか。 1. 日本の調味料の現況 人口減による需要減、和食から洋食への食習慣の変容が顕在化し始めていると言われる国内の食料品市場において、醤油、味噌も例外ではない。醤油の1人あたりの年間購入量は2023年で1.37ℓであったが、2013年で1.94ℓ、2003年で2.64ℓであったことから20年前と比べると約半分にまで減少している[2]。過去10年で見ても、醤油も味噌も1世帯当たりの購入金額は、微減傾向にある(図表1)。 また、生産拠点数も減少しており、2003年に1,509あった醤油の製造工場は、2023年に1,035まで減少した。醤油と同様、味噌の製造工場も2003年に957あったものの、2022年には759まで減少している[3]。 一方で、海外への輸出は絶好調で、醤油は2023年に年間輸出金額が100億円を、味噌は2022年に50億円をそれぞれ突破し、過去最高を記録している(図表2、図表3)。 図表1 醤油と味噌の一世帯あたりの消費額推移(二人以上世帯) (出所)総務省 「家計調査 (2015年~2024年)」 より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 図表2 醤油の輸出金額・数量推移 (出所)財務省 「貿易統計(2003年~2023年)」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 図表3 味噌の輸出金額・数量推移 (出所)財務省 「貿易統計(2003年~2023年)」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2023年度の輸出先をみてみると、醤油・味噌ともに1位が米国、2位が中国で、3位は醤油がオーストラリア、味噌は韓国となっている。近年、輸出金額が増加した背景には、輸出数量が増えた上に、円安および調味料の主原料である米・大豆・小麦粉の原材料の高騰・水道光熱費の高騰による価格転嫁が進んだ要因があると思われる。そして、輸出数量が増加した背景には、主に、①2013年に「日本食」がユネスコの無形文化遺産として登録され、海外における日本食ブームが起こったこと、②①に伴い、海外での日本食レストランが増加したこと[4]、③メーカー側の海外進出意欲の高まりによるマーケットインの商品開発がなされたこと(例:グルテンフリー醤油)、④政府の後押し(例:輸出拡大実行戦略に基づく具体的な施策の輸出重点品目28品目への醤油・味噌の選定)等が考えられる。今でこそ、醤油・味噌を始めとする日本の調味料が海外の小売店でも気軽に購入できることが可能となったが、果たして、日本の調味料メーカーはどのように海外進出を進めたのであろうか。 2. 昭和・平成時代の日本の調味料メーカーの過去の海外進出成功事例 1) 醤油メーカーの海外進出の成功事例 日本の調味料メーカーの海外進出のパイオニアといえば、キッコーマン株式会社(以下、「キッコーマン」、本社:東京都))[5]である。現在、キッコーマンの売上高の77.9%、事業利益の90.8%は海外事業が占めている[6]。キッコーマンの代表的な商品である醤油は世界100カ国以上で愛用され、今では、米国に2拠点(ウィスコンシン州・カリフォルニア州)、オランダに1拠点、台湾に1拠点、シンガポールに1拠点、中国に2拠点(江蘇省・河北省)、ブラジルに1拠点と海外に8つの生産拠点を持つまでになった。さらに、需要が旺盛な北米市場において安定的な供給体制を確立すべく、米国ウィスコンシン州に9つ目の生産拠点を建設中だ[7]。 キッコーマンが本格的に輸出を始めたのは、駐日米国人が増加し、醤油がポピュラーになってきた第二次世界大戦後であった。その当時、キッコーマンは醤油を海外に普及させるためには、和食自体を普及することよりも、現地の食材や料理に醤油をいかに利用してもらえるかが重要と考えていた。そして、サンフランシスコ講和条約が締結された1951年から6年後の1957年に、米国・サンフランシスコに販売会社である「Kikkoman International, Inc.」を設立し、まずは肉料理と醤油の相性のよさを伝えるべく、スーパーマーケットを中心に、醤油を肉につけて焼く試食販売を始めていった。その後、続々と現地の食材や料理になじむレシピを開発し、“Delicious on Meat”というキャッチフレーズで、積極的なプロモーションを行った結果、「醤油は肉料理にとてもよく合う調味料」である、という認知を獲得し、1961年に次のヒット商品である「Teriyaki Sauce(照り焼きソース)」の発売につながった。 米国での消費量の増加に伴い、日本で製造したものを輸出する体制から、コンテナ輸送後、現地でびん詰めする体制に移行した。販売会社を設立して16年後の1973年には、米国中西部にあるウィスコンシン州ウォルワースに初の海外生産拠点を設立し、“Made in USA”の醤油の出荷が始まった。現地生産が成功した背景には、①工場設立に際して、地域社会との共存共栄を目指し、出来る限り地元の企業と取引し、現地社員の登用も積極的に行ったこと、②日本から派遣された社員も進んで地域社会と接点をもち、よき市民たることをめざす等、「経営の現地化」を細部まで徹底した点にある。販売会社設立から41年後の1998年には、カリフォルニア州フォルサム市に米国第二工場もオープンしており、米国を中心とする北米での売上高は、順調に伸びていった。現在では、キッコーマンの海外売上高の65%を北米が占めるようになり[8]、北米市場におけるキッコーマンの醤油のシェアは過去10年間、毎年50%以上をキープしている。 図表4 海外における醤油販売(寿司につける小分けパック、瓶詰め) (出所) Getty Images キッコーマンが北米市場攻略後に進出した欧州市場への参入方法は、北米市場とは全く異なるものであった。1973年にドイツのデュッセルドルフで鉄板焼きレストランを開店し、肉や現地の食材と醤油の相性の良さを、鉄板焼きならではのオープンキッチンスタイルによって、五感で味わってもらう戦略に出たのである。この戦略の背景には、欧州は歴史が古く、国や地方によって多様な食文化が共存するうえに、自身の食文化への愛着やこだわりも強いため、安易に海外の味覚を取り入れない傾向があり、醤油を使った料理を一定程度フォーマルな場面で試してもらうなど時間をかける必要があった。そして、欧州市場への参入から24年後の1997年には、オランダのフローニンゲン州に初の欧州工場が完成し、欧州全域に加え、ロシアや中東への製造と流通の拠点を設立した。近年では、「Fermented Food (発酵食品)」ブーム等の健康志向の高まりや日本食への関心の高まりから、欧州の多くのトップシェフたちが積極的に醤油を用いるようになる等、順調に市場が拡大し、現在では、キッコーマンの海外売上高の約20%を欧州が占めるようになった[9]。 北米・欧州市場を攻略したキッコーマンは、さらにアジア市場開拓を試みた。まずは1983年に、東南アジア及びオセアニアへの輸出を目的としてキッコーマン・シンガポールを設立し、翌1984年にはシンガポール工場を稼働させた。そして、アジア市場本格進出から6年を経た1990年には、台湾最大の食品企業「統一企業グループ」と合弁で「統萬股份有限公司」を台湾に設立し、2000年には同企業グループとともに「昆山統万微生物科技有限公司」を上海近郊の江蘇省昆山市に設立し、2002年より出荷を開始した。そして、2008年、キッコーマンは北京および天津地区に本格参入するために、統一企業グループとともに河北省石家庄市に「統万珍極食品有限公司」を設立し、2009年より出荷を開始した。さらに、2014年には、「亀甲万(上海)貿易有限公司」を設立し、上海での醤油販売を本格化させた[10]。以上を踏まえると、アジア市場への参入の要諦は、北米市場や欧州市場とも異なり、台湾・中国両国で柔軟に事業展開が可能な現地のパートナーを選んで、単独で参入しない点だと思われる。そして、2020年代に入ってからは、ブラジルに現地工場を、インドに販売会社を設立する等、新興国の開拓も積極的に進めている。 各時代・各市場に適合する形で、商材(醤油、醤油関連調味料、日本食レストラン)を投入し、必ずしも単独参入に拘ることなく、必要であれば事業パートナーを迎え、現地経営を心掛けるとともに、地元の信頼を勝ち取りながら必要な設備投資を丁寧に実行に移すということがいかに大切か、多くの示唆が得られるケースである。 2) 味噌メーカーの海外進出の成功事例 一方で、味噌の海外進出は醤油よりも20年近く遅く、1970年代から輸出が始まった。そして、味噌の輸出開始から30年ほど経った段階で、国内売上高で首位を誇るマルコメ株式会社(以下、「マルコメ」、本社:長野県)が、2004年に初めて海外に販売会社「Marukome USA, Inc.」を設けた[11]。マルコメの初めての販売会社は、米国カリフォルニア州ロサンゼルス近郊(トーランス)に設立され、その3年後に販売会社に隣接した都市(アーバイン)に現地生産工場を設け、販売会社も同地に移転した[12]。米国工場では、現地の米と大豆を使って味噌づくりを行い、地産地消を心掛けた。しかしながら、現地の水は硬水であることに加え、高温で乾燥している南カリフォルニアで味噌づくりを行い、納得する味が出来上がるまで数年かかったそうだ。 その後、2013年にタイの販売会社である「Marukome(Thailand)Co.,Ltd.」と韓国の販売会社である「Marukome Korea Co., Ltd.」を設立し、日本食の普及が進んだ地域や家庭で味噌を使った料理が一般的になっている国にフォーカスして、海外事業を展開している。そして、2023年には、独資で中国の現地法人である「玛露蔻美(上海)贸易有限公司(Marukome (Shanghai)Trading Co., Ltd.)」を設立した。米国・タイ・韓国・中国のいずれの国も、販売会社を設ける経緯となったのは、日本食料理店、しかもチェーン店が多く、B2B需要が見込めた点が背景にある。 味噌の海外展開は、現地の日本食料理屋を中心とした業務用向けが大きく、マルコメの海外事業の売上高のうち約70%を業務用需要が占めている。そのため、今後、味噌の海外進出については、個人顧客ないしB2Cチャネルの開拓余地は多分にあると思われる。特に、米国・欧州を中心に、ウェルネスの文脈から発酵食品にスポットライトが当たっており、今こそ味噌のブランディングを再構成できるタイミングではないかと推察できる。 3. 令和における日本の調味料メーカーの海外進出成功事例 1) 「伝統と革新」―既成概念を覆す商品開発力とインバウンドを活用した海外進出事例― キッコーマンが約70年もの間、積極的に海外展開を行い、「Soy Sauce(ソイソース/醤油)」の世界的な認知の獲得に成功した礎の上に、今一度、日本の伝統調味料であり「万能調味料」である「醤油」や「味噌」を再構築し、海外市場を攻略しようとチャレンジする中堅会社が熊本県に存在する。それは、創業156年の老舗企業である株式会社フンドーダイ(以下、「フンドーダイ」、本社:熊本県)だ。 元々、フンドーダイは、熊本の名家である大久保家が戦国時代末期から営んでいた両替商と造り酒屋であった。しかし、版籍奉還が実施され、大名が治めていた土地と人民を政府に返還した歴史的な年である1869年(明治2年)に、大久保家11代当主が醤油製造へと事業転換し、以降、熊本県を中心とした国内の顧客に愛される醤油及び味噌やドレッシング等の調味料を製造・販売してきた。しかし、人口減少等の醤油需要の減少に伴い、2014年、6次産業化を推進するベンチャー企業で冷凍食品製造販売を手掛ける株式会社五葉フーズ(以下、「五葉フーズ」)との経営統合を決断。現社長の山村社長は、2013年に五葉フーズに常務取締役として入社後、2018年にフンドーダイの代表取締役社長に就任した。 代表取締役社長への就任後、山村社長は「画期的な新商品の開発が、経営状態が良いとは言えない会社を上向きにする一番の近道。何か一つのことに、一丸となり取り組もう。」と考え、創業から150周年の節目である2019年に向けて、「これまでの醤油の枠に囚われない商品を作ろう」、さらには「国境を超える商品を作ろう」とし、「無色透明な醤油」の商品化に取り組んだ。 約1年の開発期間を経て、フンドーダイの「透明醤油」(図表5)は、今や国内のみならず世界32の国と地域から引き合いがくるほどの人気商品となり、2019年の発売以来、累計売上数150万本(2025年5月末現在)の大ヒットを遂げている。見た目はまるで無色透明の「水」であるのに、パッケージを開けると、濃く深い醤油の香りが広がる「透明醤油」は、もろみを絞った「生揚げ」から作る昔ながらの製法で製造されている。醤油のうま味を生かしながら食材本来の色を際立たせることができるため、フレンチやイタリアンのシェフが愛用するケースが急増した。このように味や食材の色彩を活かせる点はさることながら、顧客の着衣にはねても、シミが目立たないという点が評価され、グランドプリンスホテル新高輪等の一流ホテルでの導入も進んでいる。 図表5 透明醤油シリーズ (出所)フンドーダイ提供 大ヒット商品である「透明醤油」はどのように生まれたのだろうか。ゴールとして目指した「これまでの醤油の枠に囚われない商品を作ろう」、「国境を超える商品を作ろう」という二点のうち、後者の可能性を最大限にするには、イスラム圏にも出荷が可能な商品スペックであるべきと考えた。しかしながら、フンドーダイの強みである「生揚げ」から作る昔ながらの製法は、大豆、小麦、食塩だけで作られたもろみを加熱処理やろ過処理を施さない製法であるため、微生物が活動している状態であり、発酵の過程でアルコールが自然に生成されてしまうため、宗教上の理由でアルコール類が忌避されるイスラム圏には適さなかった。フンドーダイは、自社が保有する製造特許により、アルコールを除去し、醤油の色味を完全に分離することに成功した。自社技術を応用して「透明」な「醤油」を発売し、「これまでの醤油の枠に囚われない商品を作ろう」という前者の点も達成したのだ。 そして、フンドーダイは、「透明醤油」に続く新たな画期的な商品を開発した。それは、「フォーム状の醤油」、「シート状の醤油」、「シート状の味噌」である。まず、「フォーム状の醤油」である「Foam」は、「透明醤油」を用いた白いフォームのものと、ほんのり甘い九州醤油味の2種がある。これらは、特許技術を用いて亜酸化窒素ガスを充填し、泡化(ムース化)されており、立体感の持続時間が30分程度と長く、料理人にとっても料理の提供時間にプラスに働く。また、ムースという特性を活かし、前菜・お寿司・ホームパーティー・バンケットフードを、華やかに演出することができる。 「シート状の醤油」と「シート状の味噌」である「Leaf」は、醤油・味噌を「かける」、「つける」、「塗る」という従来の概念から解き放ち、「乗せる」、「巻く」、「挟む」、「包む」等、新たな使い方が可能だ。また、好きな形に細工できるので、料理のデザインの幅を広げることも可能である。おにぎりやお寿司に巻いたり、クラッシュしてアイスに載せたり、クリームチーズに巻いたりといくらでも用途を変えられる。 これらの新商品も、和食の料理人はもちろんのこと、フレンチやイタリアンのシェフによって重宝されている。また、ホテルに勤務するシェフからの支持も厚く、今後、ビュッフェ・パーティー・バンケットフードで見る頻度が増え、国内旅行者のみならず、外国人旅行者(以下、「インバウンド観光客」)からも着目されることは容易に想像できる(図表 6)。 図表6フォーム状の醤油「Foam」、シート状の醤油「Leaf」の活用事例 (出所)フンドーダイ提供 更に、フンドーダイは、流通面でも令和時代の最先端を行く。2022年にオープンした東京のかっぱ橋道具街にあるアンテナショップ「出町久屋」は、口コミで「透明醤油」を求め、多くのインバウンド観光客が賑わっている。驚くことに、顧客数の70%がインバウンド観光客という。そして、「出町久屋」で販売されている「透明醤油」や「透明醤油でつくった柚子舞うぽん酢」等の代表的な商品には、キャップの上にNFCタグが搭載されている(図表 7)。NFCとは、「Near Field Communication(近距離無線通信)」の略であり、数センチの距離でデータをやり取りできる無線通信技術のことを指しており、最も身近なNFCはSUICA等の交通系ICである。NFCは、BluetoothやWi-Fiとは違ってペアリングの手間もない上に、QRコード[13]とは違ってカメラを起動する必要もなく、携帯電話をNFCの上にかざすだけで瞬時に通信が可能だ。 そのNFCをシール化し、顧客がNFCタグの上に携帯電話をかざすと、携帯電話にURLリンクが表示され、顧客がURLリンクから購入した調味料のレシピサイトに遷移することができる。レシピサイトは100か国以上の言語に翻訳することができ、インバウンド顧客が自国の言葉で、購入した商品のレシピを確認することができる。NFCタグはフンドーダイ側にもメリットがあり、NFCタグがどこで開封されたのか確認が可能である。NFCタグの導入は2024年3月から順次導入が始まった。NFCタグを読み取って、レシピサイトに遷移した顧客の内訳は、北米市場が45%、欧州市場が26%、アジア市場が15%(※日本国内を除く)であったという(「透明醤油」、2025年5月末時点)。当初、北米・欧州・アジア市場の顧客が大半であろうと思っていたところ、ポリネシア諸島、アフリカ大陸での開封が複数確認されており、「醤油」の需要の可能性に驚いたという。 NFCタグから集めたデータは、現地のB2Bビジネスの需要動向のテスティングペーパーとなり得るため、例えば、開封率が高いエリアの星付きレストランのシェフにサンプル品を送って、レシピ開発を進めてもらったり、その地域で著名なインフルエンサーを採用してレシピを紹介してもらったりと、様々な事業展開が考えられる。 インバウンド需要については、近年の円安の追い風に加え、インバウンド観光客を乗せる航空便の本数もコロナ禍前の水準に戻ったこともあり、各種報道のとおり、絶好調である。日本政府観光局によると、2024年1月から12月までに日本を訪れたインバウンド観光客は、コロナ禍以前の2019年の3,188万人を更新し、3,687万人と、過去最多を記録した。2025年1月から3月までに日本を訪れたインバウンド観光客は、既に1,053万人と過去最速で1,000万人を突破しており、2025年のインバウンド観光客数は4,000万人を突破するものと言われている。これらのインバウンド観光客に1つでも商品を購入してもらい、NFCタグを読み取ってもらうことで、商品とレシピを拡散してもらうと同時に、位置情報をもとに、飲食店向けのB2Bビジネスを拡大することができるかもしれない。これが令和ならではの戦い方だ。 図表7 NFCタグの活用 (出所)フンドーダイ提供 2) 「自社ブランドへの拘りを捨てる」 ―プライベートブランド商品として商品供給する形の海外進出事例― キッコーマンがかつて、最初の本格的な海外進出先に選んだように、北米市場の魅力は半世紀以上経っても色褪せない。様々な食品製造業者が北米、とりわけ米国に販路拡大をしたいと考えている。しかしながら、米国の小売業は商慣習が独特かつ複雑で、現地の日系スーパー・アジア系スーパーであれば、JFC、西本Wismettac、共同貿易、セントラル貿易等の貿易商社に依頼するとワンストップで輸出手続きからアジア系の現地小売店への配送まで引き受けてくれるものの、その他の現地小売店に食い込むことは相当な難易度を伴う。というのも、米国市場においては、通常、UNFI(United Natural Food Inc.)とKeHEという二大ディストリビューターが、アジア系小売店以外の現地小売店のマーチャンダイザーの手前におり、製造業者はまずそのどちらかと付き合う必要があるためだ。しかしながら、2社しかいないディストリビューターの担当者も多忙であるため、まともに商品の導入は検討されず、自社の商品がアジア系小売店以外の現地小売店に並ぶことは容易ではない。 さらに、アジア系小売店以外の現地小売店に採用されたとしても、日本の食材は「アジア系食材」として、韓国食材や中華食材と同じ棚に陳列されており、「アジア系食材」の中での競争がある上に、近年の世界的なK-POPの流行等韓国文化の浸透に伴い、韓国食材に押され気味である。そのような競争環境の中でも、日本食材として棚割りがあるのは、醤油、照り焼きソース、みりん、すし酢、のり、わさび、そば程度である。その他「アジア系食材」以外の棚には、チルドであれば豆腐(ハウス食品グループが現地で販売している日本よりも堅い質感の豆腐)、冷凍であれば枝豆か餅アイス、お菓子であればハイチュウ等が陳列されている程度だ。 日本食材にとっては劣勢な状況が続く中、ある日本企業の調味料が、全米42州とワシントンD.C.で597店舗(2025年5月末現在)[14]を展開するTrader Joe’s(トレーダージョーズ)のプライベートブランド商品(以下、「PB商品」)として、2020年代に入り、新たに採用された。その商品は、白味噌ペースト、柚子胡椒、柚子出汁ポン酢だ。 Trader Joe’sは、米国ロサンゼルス発祥のスーパーマーケットで、米国内の多くの小売店がM&Aによって統廃合を繰り返している中で、独自路線を保っており、2024年も都市部を中心に34店舗新規出店するなど、出店数を伸ばしている。Trader Joe’sは、①ユーモア溢れる名前が付いた自社開発のPB商品や他の米国小売店と異なるヘルシー食品やサプリメント商品等のラインナップを持ち、②フレンドリーな接客、③魅力的な価格設定がなされている点で、他の小売店とは一線を画しており、熱烈なファンが存在する。Trader Joe’sの平均的な顧客像は、都市部に住む25-44歳で家族を持ち、80,000米ドル以上の年収がある層であると言われており[15]、通常Trader Joe’sが出店するエリアの世帯年収の中央値は100,000米ドル以上だと推定されている[16]。そして、1店舗あたりの大きさは1,100平米から1,500平米で、平均2,000~3,000SKUが取り扱われている。2018年には「米国消費者に人気のプライベートブランド」のトップに輝いており、多くの食料品製造業者が取引をしたいと考える有名小売チェーンであろう。 しかしながら、他の小売店と異なり、Trader Joe’sは、SKUの90%程度がPB商品であり、直接取引しか望まない。そしてPB商品を納品するベンダーに対しては、厳しい採用基準が存在する。キーとなる採用基準は以下の通りだ[17]。 1.人工香料、人工保存料、MSG[18]、添加されたトランス脂肪、rBST[19]由来の乳製品、遺伝子組み換え成分はNG。さらに、着色料の使用は自然由来のもののみOK。2.FDA(Food and Drug Administrationの略称。米国食品医薬品局のこと。) またはUSDA (United States Department of Agricultureの略称。米国農務省のこと。) のライセンスと承認を受けた商業製造施設で製造されていること。GMP(Good Manufacturing Practiceの略称。適正製造規範のこと。) やHACCPなど、輸出する上での食品安全認証を取得していることが必須。また、納入する製品を加工、梱包、保管、または配布する製造拠点は、世界食品安全イニシアティブ(Global Food Safety Initiative。GFSIと略す。) のベンチマーキング要求事項の監査を受ける必要あり。3.製品の栄養分析を、第三者機関の分析(AOAC法[20]のみ)または、栄養学や食品科学に訓練された有資格の専門家が、USDAの標準化された栄養素分析ソフトウェアデータベース(過去2年以内に更新されたもの)を使用して、コンピュータレシピ分析に提供すること。さらに、第三者機関による賞味期限データ分析を取得すること。4.製品責任保険に加入すること。 ただし、1点目を除くと、2~4、そして本稿に記載していない他の採用基準を含めて、他の大手の現地小売業者が取り扱う米国向け輸出食品に課す基準とほぼ同程度とも言えよう。つまり、本格的に米国向け輸出を考えている食品製造業者は、製造設備や製造プロセスを米国輸出向けに整えれば、日本での実績はさておき、直接取引を望む小売店に採用される可能性はゼロではない。Trader Joe’sは明確に取引先を開示していないものの、白味噌や柚子胡椒という商品性およびTrader Joe’sの商品説明文から、西日本の中堅企業の製造業者が採用されたと思われる。PB商品に採用されると、同期間は他の小売店との契約は出来ないうえに、自社ブランドでの展開は出来ないものの、全米42州とワシントンD.C.で597店舗での販売という売上高へのインパクトの可能性を考えると、中堅企業にとっては夢がある話である。 おわりに ひと昔前は、醤油、味噌、ポン酢などの伝統的な日本の調味料、さらには海苔や昆布などの乾物類は、「色が地味、テクスチュアがグロテスクで、食欲が湧かない。」と、海外の消費者から言われていた時代もあった。しかしながら、海外進出の先駆者であるキッコーマンの醤油を中心とした調味料類の地道なテイスティングの普及活動、ブランディング、生産の現地化、経営の現地化、そして2013年以降の世界的な日本食ブームの高まりとの相乗効果により、日本の調味料は世界中で市民権を得ることができ、他の日本の調味料の海外進出のハードルが劇的に下がった。そして、キッコーマンに続く形で、お酢のミツカン、味噌のマルコメと大手に海外進出の門戸が開かれ、近年では、インバウンド観光客、SNS、越境EC、NFCタグ等のテクノロジー、PB商品ブームによって、地方の中堅企業でも、以前に比べて初期費用が小さく海外進出できるようになったことは、他の中堅企業にとっても励みになる。 ただし、日本食ブームの到来により、必ずしも調味料メーカーを始めとする日本の食品製造業者が恩恵を受けているわけではない。海外の小売店で販売されている調味料は現地企業の「醤油風調味料」であったり、場合によっては、ワサビ、海苔、胡麻、梅干しは、中国、韓国、タイのアジア食材を製造する企業の商品であったりする。一方で、海外の大手小売店のマーチャンダイザーは、「本物志向」に変化しつつあり、可能であれば、日本のサプライヤーと付き合いたいと考えているため、日本企業にとってはかつてないチャンスが溢れている。筆者としては、あらゆる日本の調味料が、海を越え、更なる飛躍を遂げることを願っている。 [注釈] [1] 1956年に米国『サンフランシスコ・クロニクル』紙に、「Kikkomanは、All-Purpose Seasoning(万能調味料)である」との紹介記事が掲載されて以降、海外で販売されるキッコーマンの醤油のパッケージにはこの” All-Purpose Seasoning”という文言が記載されている。本稿では、海外進出のパイオニアであるキッコーマンの醤油にリスペクトを込めて、「万能調味料」という表現を用いている。 [2]醤油情報センター 「醤油の統計資料 2023年度」より。 [3] 醤油情報センター 「醤油の統計資料 2023年度」、経済産業省「工業統計調査」、「経済センサス 2023年度確定版」より。 [4] 農林水産省「海外における日本食レストランの概数(推移)」によると、2013年には全世界に約5.5万店であった日本食レストランが、約18.7万店と3.4倍まで増加した。 [5]キッコーマンホームページ「海外への展開」 https://www.kikkoman.com/jp/corporate/about/oversea/, 一般社団法人 日本食品包装協会 https://shokuhou.jp/wp-content/uploads/2016/10/feaddedb754b42c29b4d30cfb69ce89a.pdf [6] キッコーマン 2025年3月期 決算説明資料 P5 https://www.kikkoman.com/jp/ir/assets/info202503.pdf 事業利益に占める海外割合は、海外利益を全事業利益で除した数値である。 [7]キッコーマン2025年3月期 決算説明資料 P.25、P.58 https://www.kikkoman.com/jp/ir/assets/info202503.pdf [8]キッコーマン2025年3月期 決算説明資料 P.56 https://www.kikkoman.com/jp/ir/assets/info202503.pdf [9]キッコーマン2025年3月期 決算説明資料 P.56 https://www.kikkoman.com/jp/ir/assets/info202503.pdf [10] キッコーマン FACTBOOK 2024 P.26~27 https://www.kikkoman.com/jp/ir/assets/factbook_2024_bi_j.pdf [11]マルコメ株式会社 ホームページ https://www.marukome.co.jp/company/employment/about/history/ [12] 南カリフォルニア日系企業協会 会報 2019年3月号 JBA0319_WEB.pdf [13] QRコードは株式会社デンソーウェーブの登録商標。 [14] https://www.traderjoes.com/home/announcements?category=store-openings [15] https://web.archive.org/web/20220729141501/https://www.msn.com/en-us/foodanddrink/foodnews/meet-the-typical-trader-joes-shopper-a-younger-married-college-educated-person-earning-over-dollar80000/ar-AANYIUn [16] https://web.archive.org/web/20200809134536/https://www.mcall.com/business/mc-biz-why-trader-joes-hasnt-opened-lehigh-valley-store-20190828-7icd2wpj25ezblyaci6ocoxsy4-story.html [17] https://www.traderjoes.com/home/contact-us/potential-vendor-requirement [18]Monosodium Glutamateの略称。 「グルタミン酸ナトリウム」の略であり、一般的には、「うま味調味料」として知られている。 [19] 遺伝子組換え技術によって合成される乳牛用ホルモン剤を指す。 [20] AOAC とはAssociation of Official Analytical Chemists Internationalの略称。AOACは食品や医薬品などの分析に関する国際的な団体で、分析法の妥当性確認や標準化に携わっている。共同試験等を通じて分析法の精度や信頼性を評価し、正式な分析方法として公認しており、AOAC法が、各国における食品安全や製品品質の管理に利用されている。 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
-
06/22 10:00
グローバルサウスの台頭とフード&アグリビジネスの可能性(前編)- グローバルサウス諸国のフード&アグリ分野の課題 -
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 コンサルタント 中村 圭吾(2025年6月18日) はじめに 昨今のニュースなどでグローバルサウス(以下、GSと呼ぶ)という言葉を耳にする機会が増えた。GSには明確な定義があるわけではないが、いわゆる新興国・開発途上国を指し、多くの新興国・開発途上国が地球の南半球に位置していることに由来している。近年、欧米などのいわゆる先進国に属さない第三勢力のGS諸国が、国際的な影響力を高めている。本レビューでは、GS諸国を今後の世界経済を牽引する新興国・開発途上国の総称と定義し、その台頭の背景と、特に同地域のフード&アグリ分野の可能性に関して、2回にわたりシリーズ化する。 前編にて、フード&アグリ分野にて、台頭するGS諸国が共通して直面する課題を整理するとともに、それらの課題の解決に挑むスタートアップを数社紹介する。 その上で、後編にて、GS諸国間の文化・社会的な違いから生じる課題やニーズに対する解決策が求められる中、グローバルな食料安全保障や環境問題の解決に挑戦する日本企業の事例と、それらの取組を支える日本政府、政府系機関、自治体のスキームなどを取り上げ、GS諸国を対等なパートナーとして捉え、共同で新たな価値を創出していく「共創」のあり方を考察する。 1. 国際社会の混乱とグローバルサウス諸国の台頭 GSに括られるアジア、アフリカ、ラテンアメリカの多くの国々は、豊富な天然資源や人口増加を背景とした経済成長を続けており、2050年には、GS諸国の人口は、世界人口の3分の2を占めるとも言われている(図表1-1)。また、経済面でも、既にG7[1]を上回る規模となっており、その後もその経済規模はさらに拡大していくと見込まれている(図表1-2)。 GS諸国では、イノベーションへのニーズが大きく、先進国に比べて法律や制度も十分に整備されていないことから、規制を受けることなく新技術の実用化が比較的早く進む点も特徴である。そのため、多くのGS諸国は、最先端技術を導入することによって、既存技術で成長を遂げてきた先進国よりも更なる発展を遂げる現象、いわゆるリープフロッグ型に経済発展する可能性を秘めている。 図表1-1(左) 人口予測 図表1-2(右) GDP対世界比(購買力平価換算)シェア (出所)国際連合「World Population Prospects 2024」(左)、IMF「世界経済見通し」(右)の各統計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 一方、GS諸国の歴史的・文化的な背景は多様であり、経済的には一定程度発展しているものの都市化や高齢化などの社会課題に直面する国、インフラ、公衆衛生や教育に問題を抱える国、食料や医療の不足に苦しむ国、難民の発生や気候変動の影響等に苦しむ国など各国に共通する課題とその国・地域特有の課題が存在する。GS諸国のニーズが、経済成長だけでなく社会課題の解決にシフトする中で、この地域の企業を「共創」のパートナーとして日本企業が捉え、グローバルな課題を共に解決することが重要になっている。 2. グローバルサウス諸国のフード&アグリ分野における課題 GS諸国では、それぞれフード&アグリ分野のおかれている自然条件や社会条件は様々であり、各地域の特性に応じた課題を把握することが重要である。本章では、その中でもGS諸国(及び一部の先進国)で共通する課題として5つの分野を取り上げたい(図表2-1)。 図表2-1 GS諸国(及び一部の先進国)で共通する5つの課題 (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (1)食料安全保障の脆弱性 国連食糧農業機関(FAO)は、食料安全保障を、「すべての人がいかなる時も、活動的で、健康的な生活に必要な食生活上のニーズと嗜好を満たすために、十分で安全かつ栄養ある食料を、物理的、社会的及び経済的にも入手可能であるときに達成される状況」と定義[2]している。この食料安全保障を構成する4つの要素として「供給可能性」、「安定性」、「適切な利用」、「物理的・経済的入手可能性」が挙げられるが、GS諸国は、これら4つの不安定さにより、食料不足や飢餓に苦しみやすい。例えば、ウクライナからの輸出品のうち、特に小麦は、一部のアジアおよびアフリカ諸国にとって極めて重要で、これらの国々は、ロシアによるウクライナ侵攻前の2016年から2021年まで、ウクライナで生産する小麦の約9割を輸入していたが、ロシアによる黒海港の封鎖により、小麦の供給減少と価格高騰で大きな食料安全保障上の危機に直面した。現在は、世界的に良好な小麦の収穫量を背景に、一時期に比べると価格は安定しているが、今後もウクライナの世界市場への穀物の輸出能力が回復しなければ、GS諸国を中心とした穀物の供給力は不安定な状態が続くと予想される。 このように食料不安は経済的に脆弱な国々への負荷が大きい。「世界の食料安全保障と栄養の現状(SOFI)2024年報告」によると、2023年の栄養不足人口は、中央値で7億3,300万人と推定されており、2019年に比べて、2023年には飢餓に直面した人が1億5,200万人増加している(図表2-2)。また、同年の栄養不足人口を地域別で見ると、アジアとアフリカが、それぞれ3億8,450万人と2億9,840万人を占めており(図表2-3)、多くのGS諸国では、気候変動や自然災害、経済的制約などを背景とした農業生産性の低下や不安定な食料供給を背景に、食料安全保障が確保されていない状況が続いている。 図表2-2(左) 世界の栄養不足人口の推移 図表2-3(右) 地域別の栄養不足人口 (出所)FAO等「SOFI2024年報告」の統計データより野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2)温室効果ガス排出と気候変動への対策不足 多くのGS諸国では、経済成長の進展にともない、大気汚染、水資源の枯渇、生態系の喪失などの問題が表面化している。これらの国々は、経済発展を優先するために、環境問題への対策を後回しにする傾向にあり、これにより温室効果ガス(GHG)排出量が増加し、結果としてインフラ整備や新技術導入が遅れ、災害に対する回復力・耐久力が乏しいGS諸国において気候変動による被害が特に深刻化している。実際に、1990年には、温室効果ガスの累積排出量は先進国が41%、開発途上国が42%でほぼ同じ割合であったが、2022年にはGS諸国がGHG総排出量のうち65%を占めている(図表2-4)。一方で、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)では、開発途上国が先進国に対して、現在進行する地球温暖化の主な原因を作ったのは、環境対策を無視して経済発展を遂げてきた先進国だとして、率先してGHG排出を減らすことや開発途上国への巨額の資金支援を求めている。このことで、開発途上国と先進国の間で対立が生じ、今後のGHG排出の目標やエネルギーの発電、消費方法等に関して交渉が難航する場合が多い。 図表2-4 先進国とグローバルサウスのGHG排出量の割合 (出所)「Climate Watch[3]」の統計データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 私達人類は、産業革命以後、大量の化石エネルギーを消費し、GHGを発生させてきた。しかし、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)[4]によると、現在のままGHG排出が継続すると、地球の温度は2030年前後に、産業革命前から比べて1.5度上昇する危険性が指摘されている。さらに、2025年1月の欧州連合(EU)の気象情報機関「コペルニクス気候変動サービス」の報告[5]では、すでに2024年の平均気温は産業革命前と比べて約1.6度高かったと報告されている。2015年のCOP21にて採択された、気候変動対策の国際枠組み「パリ協定」では、上記の1.5度の気温の上昇幅は、単年の数字ではなく、複数年の平均で判断するとされているが、地球温暖化への対策は一刻の猶予も許されない状況である。 GHGは、大気中に存在するCO2やメタン、フロンなどのガスの総称で、世界のGHG排出量は、CO2換算で590億トンあると推定されている(図表2-5)。このうち、農業に起因するGHG排出は、排出全体の約11%で約65億トンを占める。農業は数千年にわたり人類文明の中心的役割を果たしてきたが、これらに起因するGHG排出も、今後のGS諸国を中心とした人口増加と食料需要の高まりに伴い、適切な対策を講じない限り、更に増加すると予測されている。このように、GHG排出と気候変動は、開発途上国の経済発展と密接に繋がっており、国際的にGHG排出削減が求められていることを背景に、近年、GHGの削減量や排出権を企業間で売買できるカーボンクレジットの市場が成長してきている。しかし、クレジットの制度設計や認証体制等に関してグリーンウォッシュ[6]として非難されるなど、発展途上期でもあり、現在のところ、先進国を含め気候変動に対して十分な対策は講じられていない。 図表2-5 世界の農業由来のGHG排出量 (出所)IPCC第6次評価報告書第3作業部会報告書(2022)及びFAOSTATより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (3)労働力と人的資源の制約 2050年には、GS諸国の人口は、世界の人口の3分の2を占めると予想されており、農業関連市場は高いポテンシャルがある。一方、広大な国土を有する一部の国を除き、GS諸国の多くの農家は1ha未満の面積で農業を営む小規模農家であり、かつ不毛な土地で灌漑などの設備もなく、低賃金かつ厳しい労働環境下で働いている。農業労働の人口比率は、東南アジア・大洋州54.4%、南アジア50.5%、サハラ以南アフリカ56.5%[7]となっており、特に低所得国で高い傾向にある。 また、インド、タイ、ブラジル、サハラ以南アフリカ、東南アジア諸国を中心に、農業従事者の高齢化問題も深刻化している。これら国・地域では、農業が地域経済の中心である一方で、若者の都市部への流出や農業離れなどを背景に、若年層の農業従事者が減少しており、高齢者が農業の担い手として中心的な役割を担っている。そのため、開発途上国では、先進国同様もしくはそれ以上に、農業分野での後継者不足が深刻で、新たな技術や知識を持った人材育成が急務とされている。 農業分野におけるジェンダー不平等もまたGS諸国の農業生産の低い成長率の要因の一つとされている。例えばアフリカ諸国では、女性は農業労働人口の大部分を占めているが、土地の配分に関しては多くの障壁に直面している。また、女性は男性に比べて金融サービスやそれに付随する支援サービスへのアクセスも厳しい傾向にある。 (4)技術導入のための資金力不足 GS諸国の農業の近代化を阻害する要因として資金的および技術的な制約も存在する。多くのGS諸国に共通する課題として、農業に関する教育や技術が不足しているため、農家が最新の農業技術を学びそれらを実践する機会が限られている。また、金融機関などから資金調達することも困難であるため、新たな技術の導入や農業の効率化が進みにくい。 さらに、アフリカや中東では、水不足による干ばつ被害が深刻で、効率的な灌漑技術の導入が進まない状況にある。広大な土地があるラテンアメリカでは、土地所有権が複雑で、農業技術の導入が進まない要因となっており、技術に関しても、最新技術にアクセスできる大規模農家とそうでない小規模農家との間での技術格差が広がっている。東南アジアやラテンアメリカで行われているプランテーション・モノカルチャーは、砂糖、コーヒー、ゴムなどの単一作物を大規模に栽培する農法で、効率的な生産が可能である一方、土壌劣化や害虫繁殖を招きやすく、また周辺地域の生態系への悪影響や労働環境の問題も指摘されている。 (5)市場アクセスの困難さ 多くの開発途上国では、農産物の流通システムが近代化されておらず、多段階で複雑な構造であるため、農家は市場へのアクセスが難しく、生産コストを回収できる価格での販売が困難となっており、低賃金の要因の一つになっている。例えば、多くの東南アジア諸国では、経済発展に伴い、中間層の拡大と若年層の消費増加により食品市場が拡大しているものの、輸送インフラやコールドチェーンは未整備な部分が多く、生産者は高品質で安全な農産物を栽培しても、サプライチェーンの途中におけるフードロスも大きい。さらに、農家共同体による共同販売や生産体制も未確立な場合が多く、中間流通業者に対する農家の価格交渉力が低いという課題もある。 3. グローバルサウス諸国のフード&アグリテック市場とスタートアップ ここまで、GS諸国の可能性と同地域の農業分野に関連した課題について整理した。このような成長著しいGS諸国では、多くのフード&アグリテック系スタートアップが、農業分野における課題の解決を目指して、食料増産、農家の生計向上、金融アクセスの改善などの事業を展開している。 本章では、リープフロッグ的に経済発展を遂げているGS諸国のフード&アグリテック分野におけるスタートアップ市場の概況と代表するスタートアップをいくつか紹介したい。 (1)グローバルサウスのフード&アグリテック市場 世界のスタートアップへの投資額は、2010年代半ばから2021年にかけて、各国の金融緩和政策による余剰資金の増加と、2015年の「持続可能な開発目標」(SDGs)の採択を背景に、増加の一途を辿ってきた。しかし、その投資額は、2021年をピークに、2022年、2023年と大幅な減少に転じ、2024年は復調の兆しは見せたものの3年連続で減少している。なお、グローバルなフード&アグリテック業界と日本企業のビジネス機会に関する詳しい考察は、NOMURA フード&アグリビジネス・レビュー Vol.2[8]をご参照いただきたい。 一方、2024年のGS諸国におけるフード&アグリテック分野のスタートアップへの投資額は、増加に転じている(図表3-1)。米国・AgFunder[9]によると、2024年の世界のフード&アグリテック市場の資金調達額は、160億米ドルと、前年同期比で4%減少する中、GS諸国の同分野への投資額は、37億米ドルと、2023年と比較して63%増加している。長期的にみても、2015年当時10%強であったGSの全世界投資に対する割合は2024年度には23%と上昇しており、GS諸国のシェアが拡大している。また、欧州や中国での市場減退を背景に、2024年の世界全体での投資件数は、前年同月比で22%減となっている中、GS諸国の投資件数は前年同期比で8.4%の減少にとどまっている。 図表3-1 フード&アグリテック市場での全世界及びグローバルサウスへの投資状況 (出所)AgFunder「Developing Markets AgriFoodTech Investment Report 2025」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2)事例紹介 ここからは、日本の公的機関や民間企業との間で接点がある、または今後協業が考えられるGS発のフード&アグリテック系のスタートアップを5社紹介する。これらの企業は、GS諸国の課題を解決するソリューションをそれぞれ有する事例であり、日本企業が「共創」を考えるうえで有益なスタートアップと考えられる。 1)自動化された農産物の生産システム Agrilogiq社(アグリロジック社)[10]は、2017年に南アフリカ共和国にて設立されたアグリテック企業であり、農業バリューチェーン全体の最適化を目指し、アグリテック分野における先進的なソフトウェアとハードウェアの開発を通じて、生産者と栽培施設を結びつけるプラットフォーム事業を展開している。具体的には、リアルタイムで取得したデータをクラウドベース上でのソフトウェアプラットフォームと連携させ、自動化されたシステムにより、各地域の気候に最適化した温室での農産物栽培に関する管理システムを提供している。同社は、国際協力機構(JICA)が、2024年に南アフリカ共和国で実施したNext Innovation with Japan (NINJA) [11]アクセラレーター・オープンイノベーションプログラムで採用された、ICTソリューションのアフリカの主要なインテグレーターである。日本電気株式会社(NEC)のアフリカ・サブサハラにおけるグループ会社であるNEC XON社とマッチングし、3か月にわたる実証実験(PoC)を経て、2025年に、NEC XON社の公式ベンダーとして正式に採用されている[12]。これから、NECのAI・データ分析技術や国際的なネットワークを活用することで、更なる国際的な展開が期待されている。 図表3-2 各気候に最適化した温室栽培システム (出所)Getty Images 2)中間流通を介さないマーケットプレイス index01Zowasel社(ゾワセル社)[13]は、2017年に設立されたナイジェリアのアグリテック系スタートアップであり、小規模農家の課題解決に特化している。ナイジェリアの農業市場において農家が直面する課題として、マーケットアクセスがある。創業者自身も小規模農家出身であり、その経験を活かして農家と企業を結ぶプラットフォームを立ち上げた。 Zowasel社のビジネスモデルは、農家(売り手)と企業(買い手)を直接結ぶマーケットプレイスを中心に展開しており、農家は中間業者を介さずに直接取引を行うことができる。同社によると、このアプローチにより、農家の平均収益をおよそ3割向上させることに成功している。その他にも、主な事業として、作物栽培に関する栽培指導や農機器のレンタル、クレジット・スコアリングサービスが含まれている。同社は、200万人以上の小規模農家と約5,000社の企業とのネットワークを有しており、主なパートナーにはシンガポールのOlam社、南アフリカのPromasidor社、アイルランドのGuinness社などが含まれている。また、Zowaselはナイジェリア三菱商事やJICAとの連携を通じても、農機導入や金融アクセスの向上を図っており、同社のビジネスモデルは、ナイジェリアの農家の「マインド変革」を通じて、農業の効率化と持続可能性の向上に貢献し、同国の農業関連の状況を根本から変える可能性を秘めている[14]。 図表3-3 収穫した農産物の情報を入力する農家 (出所)Getty Images 3)農業労働者の貧困撲滅とフェアトレード Endiro Coffee社[15]は、2011年に子どもたちの未来を奪う児童労働を終結させるというビジョンのもと、ウガンダの女性起業家によって設立されたウガンダ最大のコーヒー企業である。同社は、単純に利益だけを考えずに、貧困削減やフェアトレードを重視し、地元農家から調達した高品質でオリジナルなコーヒーを特徴としている。現在は、ウガンダ・ケニア・米国で17のコーヒーショップを運営している。2021年にウガンダで実施されたNINJA アクセラレータープログラムに参加し、日系企業との事業連携にも成功し、日本での販売経験も持つ。同社は現在、ウガンダだけではなく、他のアフリカ諸国のコーヒー農家と世界中のバイヤーを直接つなぐコーヒーEコマースプラットフォームの運営も計画している。 図表3-4 ウガンダ産のコーヒー豆 (出所)Getty Images 4)多面的な収益機会の提供 AGRO AGAPE社(アグロアガぺ社)[16]は、2018年に設立されたカンボジア発のスタートアップである。 「Farm to Table, Table to Farm(農場から食卓へ、食卓から農場へ)」をモットーに、カンボジアのコーヒー農家への質向上のための研修や機器の提供、質の高い豆の買い取りや卸売販売、カフェでの提供、そしてコーヒー豆の残渣からできるバイオ炭の肥料製造や販売等を行っている。カンボジアでは、多くの農産物を輸入に頼っており、コーヒーに至っては9割が輸入品となっている[17]。カンボジアでは、コーヒー豆が大量にベトナムに輸出され、ベトナム企業がコーヒー粉末を作り、ベトナム産コーヒーとして、カンボジアに再度輸出する不均衡な構造となっている。創業者で女性起業家のSreypouv Tan氏は、彼女の叔父の経営するコーヒー農園において、市場がないためにコーヒー豆が収穫されず、破棄されている現実を目の当たりにし、農家を支援するために本ビジネスを立ち上げた。また、Sreypouv Tan氏は、起業家として様々な障壁に直面しながらも、他の女性零細企業家を支援することにも情熱を注いでおり、女性起業家への支援プログラムにも参加している。同社は、2024年に開催された特定非営利活動法人ARUN Seed主催のCSI チャレンジ5に参加し、デロイトトーマツ賞金賞を受賞している[18]。 図表3-5 コーヒー農園 (出所)Getty Images 5)バイオスティミュラントによる農業生産性の向上 M4Life社(“Microbes For Life”(エムフォーライフ社)[19]は、2023年にアルゼンチンで設立されたバイオテクノロジーのスタートアップであり、微生物を活用した持続可能な農業改善を目指している。微生物の専門家と投資銀行出身者が共同創業しており、両者の専門性を活かして、農業の生産性向上に寄与する独自の技術を開発している。同社の主な特徴は、ストレス環境下で育つ植物の根から隔離した微生物を選択し、バイオ・トレーニング技術を用いて、気候変動や干ばつなどの非生物的ストレスに対する耐性を高めることにある。この独自の技術により、従来のバイオスティミュラントの効果を飛躍的に向上させることに成功しており、農業の生産性向上に寄与している。 図表3-6 土壌から微生物を単離する様子 (出所)Getty Images 同社は、すでに世界各地で圃場試験を実施しており、多くの実験で、当初の期待を超える高い成果を出しており、グローバル企業とのパートナーシップにも積極的で、大手企業と共同で新たなビジネスチャンスを模索し、付加価値を高めるソリューションを展開している。シリコンバレーの著名なベンチャーキャピタル投資家であるTim Draper氏が立ち上げた起業家育成プログラムで優秀賞を受賞したことで、国際的な知名度も上がり、将来の成長が大いに期待されている。 おわりに GS諸国は、豊富な資源、起業家精神が旺盛な国民性そして革新的技術の導入を背景に、リープフロッグ的に経済発展を遂げている。一方で、気候変動や地球温暖化の影響や地政学的なリスクを背景に、GS諸国はまだまだ社会課題が山積している。混沌とする現在の世界情勢において、日本が引き続き経済発展を遂げていくためには自社、自国の成長のみを考えるのではなく、GS諸国の企業をパートナーとして「共創」していくことが重要だ。 後編では、フード&アグリ分野において、日本の強みや個性を活かし、実際にGS諸国をパートナーとして捉え、海外展開を行っている日本企業を紹介するとともに、これら活動を後押しする日本政府や政府関係機関、そして各自治体の支援メニューについて紹介、考察したい。 [注釈] [1] フランス、米国、英国、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7か国及び欧州連合(EU)が参加する枠組み。 [2] 「食料安全保障」FAOHP (https://www.fao.org/fileadmin/templates/faoitaly/documents/pdf/pdf_Food_Security_Cocept_Note.pdf) [3] Climate Watch HP (https://www.climatewatchdata.org/) [4] 「IPCC 第 6 次評価報告書 第 3 作業部会報告書の概要」環境省HP (https://www.env.go.jp/content/000155004.pdf) [5] 「2024年は産業革命前の平均気温を1.5℃以上上回った」コペルニクス気候変動サービスHP (https://climate.copernicus.eu/2024-track-be-first-year-exceed-15oc-above-pre-industrial-average) [6] 環境に配慮したかの様に見せかける、 実態が伴わない行動や表現 [7] 「JICAグローバル・アジェンダ(課題別事業戦略) 5. 農業・農村開発(持続可能な食料システム)」JICAHP (https://www.jica.go.jp/Resource/activities/issues/agricul/ku57pq00002cubgq-att/agricul_text.pdf) [8] 「フード&アグリテック・スタートアップのグローバル事業環境と今後の展開シナリオ - 国内大手企業の新規グローバル参入機会 -」野村證券HP (https://www.nomuraholdings.com/jp/sustainability/sustainable/fabc/data/20240611_2.pdf) [9] 「Developing Markets AgriFoodTech Investment Report 2025」 AgFunder HP (https://agfunder.com/research/agfunder-global-agrifoodtech-investment-report-2025/) [10] 会社HP (https://www.agrilogiq.com/) [11] JICAによる開発途上国のビジネス・イノベーション創出に向けたスタートアップエコシステム構築支援プログラム [12]「南アフリカ初のNINJAアクセラレーターの成果として、スタートアップ2社がNEC XONの公式ベンダーに」JICA HP (https://www.jica.go.jp/activities/issues/private_sec/project_ninja/news/2024/20250317.html) [13] 会社HP (https://www.zowasel.com/) [14] 「デジタル農協化」するアフリカ×アグリテック・スタートアップ」新潮社Foresight HP (https://www.fsight.jp/articles/-/49333) [15] 会社HP (https://www.endirocoffee.com/about-us-1) [16] 会社HP (https://agro-agapecambodia.com/) [17] 「【女性起業家の挑戦】起業を通じた社会課題解決 第二回 – カンボジア産コーヒーにかける思い」笹川平和財団HP (https://www.spf.org/gender/women_entrepreneurs/20231124.html) [18] 「CSIチャレンジ5最優秀企業は、侵略的外来植物のランタナから象のアートを製作するインドのスタートアップに決定」ARUN HP (https://www.arunseed.jp/info/20240517.html) [19] 会社HP (https://www.microbesforlife.com/) ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
-
06/21 15:00
生物多様性と今後の企業の在り方(前編)
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニアコンサルタント 遠藤 暁(2025年6月18日) 1.はじめに 2023年9月に自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)が正式なフレームワークを公表したことを受けて、上場企業における非財務情報の開示に、生物多様性が盛り込まれるようになってきた。今後、この動きは、投資家はもとより、社会全体からの要請により、加速していくと考えられる。 生物多様性と言ったときに大前提となるのは、企業活動は自然資本(Natural Capital)の上に成り立っているという考え方である。これは、図表1のハーマン・デイリーのピラミッドの通り、水や空気、土壌などの自然を利活用してビジネスが成り立っており、それら全体を自然資本として尊重していかなければならないということである。現代社会に欠かせない電気ひとつをとって見ても、発電に自然資本が使われていることは明白である。公害などは言うまでもなく、自然資本をないがしろにする企業経営は、自社のレピュテーション低下や利用できる社会資本を傷つけ、回りまわって業績が悪化し、自社の企業価値を毀損することになり、逆に、自然資本を尊重し、利活用する企業は自社の企業価値を持続的に上げていくことができるのである。 その考えを自社の経営においてどのように落とし込んでいくのか、あるいは何を開示すべきなのか、についてTNFDでは、LEAPアプローチという手法で、自然関連の課題を特定して評価することを推奨している。LEAPは、Locate(発見)、Evaluate(診断)、Assess(評価)、Prepare(準備)の各ステップを表している。自社のサプライチェーン/バリューチェーンの全てを一気にということではなく、まずは少数の重要性の高いプロダクトやサービスに限定してLEAPアプローチを取ることが可能であり、また、LEAPの一部を取り上げて開示することも可能である。例えば、キリンホールディングスのTNFD報告では、自然関連への事業の依存度と事業が自然に与えるインパクトから、コーヒー豆、ホップ、紅茶葉、大豆が優先対象として選ばれ、その中で具体的な活動が行えるスリランカの紅茶葉農園にフォーカスし、2023年度はLocate(発見)とEvaluate(診断)について、2024年度はAssess(評価)とPrepare(準備)について開示を行っている。 なお、TNFDは、2015年に設置され既に多くの企業が対応している気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の4つの柱(ガバナンス、戦略、リスクとインパクトの管理、測定指標とターゲット)と11個の開示提言に自然特有の3つの開示提言を追加(ガバナンス、戦略、リスクとインパクトの管理の各々に1つずつ)したものとなっている。TCFDからTNFDへ拡張していく、という考え方で開示内容を検討すると、実務的に取り組みやすく、且つ投資家にとっても分かりやすいだろう。 図表1 ハーマン・デイリーのピラミッド (出所)2014年6月18日旭硝子財団「2014年(第23回)ブループラネット賞受賞者」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2.生物多様性に関する歴史 15世紀以降、大交易時代(大航海時代)を迎え、世界各地の交易が盛んになると、新たな土地への外来種の侵入や珍しい動植物の乱獲も同時に進み、多くの種が絶滅した。これは、生態系内で行われる生存競争や災害などによって起こる自然由来の種の絶滅とは根本的に異なる人為的なもので、そのスピードは早い。最も有名な例の一つとして、乱獲によって絶滅したドードーが挙げられる。ロンドンの自然史博物館に全身骨格のレプリカがあるが、既に全身標本は失われており、わずかに頭部と左脚のみ標本がオックスフォード大学に残されている。ニホンオオカミも、1905年に絶滅したと言われており、これが現在のシカによる農作物等の食害の拡大につながっているとも言われている。人為的な自然破壊は、回りまわって自らに跳ね返ってくるのである。 1892年に米国でシエラクラブ、1895年にイギリスでナショナル・トラストが設立され、産業革命によって引き起こされた自然破壊に対する保護運動が始まった。また、1872年には、米国のイエローストーンが世界初の国立公園として指定され、その保護が開始されている。二度の世界大戦を挟み、1948年には、国際NGOとして、スイスのグランに本部を置く国際自然保護連合(IUCN)が立ち上がり、さらに1961年にIUCNの資金調達部門として世界自然保護基金(WWF)が設立された。その後、1962年にレイチェル・カーソンによる「沈黙の春」が著され、環境問題は市民の間でも広く知られるようになる。欧州で国立公園が設置されるのは、大半が第二次世界大戦後のことである。 また、国際的には、1971年に、湿地とその上に生息する動植物の保全等のために、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(いわゆる「ラムサール条約」)が採択された。ラムサール条約の対象となる日本国内の湿地数は徐々に増え、現在、53か所が指定されている。加えて、1972年には、米国政府とIUCNが主体となって、「絶滅のおそれがある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(いわゆる「ワシントン条約」)が採択されている。 日本国内では、1949年に尾瀬原ダムによる尾瀬の自然破壊を止めるために「尾瀬保存期成同盟」が立ち上がり、1951年に日本自然保護協会へ名前を変え、1960年に財団法人化しIUCNに加入、2011年に公益認定された。また、公害問題を機に1971年に環境庁(現 環境省)が発足し、環境行政と自然保護行政を担うこととなった。 これらの20世紀半ばから後半にかけての国内外の動きは、現在の生物多様性保護につながるが、どちらかというと公害や都市化などによる自然破壊を食い止める動きであった。一方で、20世紀末からの自然保護活動は、保護だけではなく、より積極的に生物多様性を増加させていこうという動きと捉えることができる。その先駆けとなるのが、1992年に採択された生物多様性条約(CBD)である。2025年3月現在、194か国と欧州連合、パレスチナが締結しているが、米国は遺伝情報の保護に関して不十分であることを理由に、未締結となっている。 CBDは、ワシントン条約とラムサール条約を補完する形の内容となっており、3つの大きな目的を定めている。一つ目が生物多様性の保全、二つ目が生物多様性の構成要素の持続可能な利用、三つ目が遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分である。この三つ目の目的に関連して、2010年に名古屋議定書が採択されている。また、CBD第8条(生息域内保全)及び第19条(バイオテクノロジーの取扱い及び利益の配分)第3項に関連して、「バイオセーフティに関するカルタヘナ議定書」が2001年に採択され、さらに世界目標として「昆明・モントリオール生物多様性枠組」が2022年12月に採択されている。これらの条約等の関係は、図表2の通りである。 図表2 生物多様性条約と関連する条約等の関係 (出所)外務省および環境省HPの情報により、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 図表3 自然保護・生物多様性に関する国内外の主な出来事 (出所)公開情報により、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 3.生物多様性と森林・林業・木材産業 生物多様性を考える際に、分かりやすい例の一つが森林生態系である。森林は、様々な動植物が一定の生息域に存在し、相互作用によって成り立っている。生態系内のプレーヤーは、無機物から有機物をつくる植物を中心とした生産者、生産者が生産した有機物を取り入れる消費者、消費者のうち有機物を無機物に分解する過程に関与する分解者の大きく3つ分けられる。植物(生産者)が光合成によって生み出したエネルギーにより葉や枝が生長し、それらを食べる昆虫が集まり、さらに昆虫を食べる鳥類や小型哺乳類が集まり、それらを捕食する、より大型の哺乳類が生息域に存在する。昆虫や鳥類、哺乳類の死骸や落ち葉などは、微生物や細菌類によって分解された後に、植物が根から養分として吸収し、枝葉が生長するサイクルに戻る。生産者から消費者、分解者そして生産者へ戻るサイクルが健全に維持されることで、有機物生産が豊富な森林では自ずと生態系も豊かになる。 日本では、古くからこの森林生態系の豊かさに畏怖の念を抱き、山岳信仰が根付いてきた。今でも、マタギたちは、山に入る前に山の神に祈りを捧げ、山言葉を用いる。山は神聖な地であり、汚れた里の言葉を使わないためとされている。これらの信仰は、自然保護的な考え方に基づいており、むやみに獲物を獲らないことを徹底していることは、その考え方を端的に表している。山岳信仰は、北海道から沖縄まで日本全国に存在しており、アニミズム的信仰に基づいているため、起源は縄文時代初期までさかのぼると考えられている。氷河期に覆われた欧州では樹種が少ないことは言うまでもなく、動物種においても、日本と比較すると少ない。万物に神が宿ると考える日本人の精神性と自然保護あるいは生物多様性というのは、元来馴染みがあると言える。 生物多様性が木材の生産量にどう影響するのかを明らかにしたのは、カナダの森林生態学者のスザンヌ・シマード博士である。2023年に日本語版が出版され、ベストセラーとなった「マザーツリー―森に隠された「知性」をめぐる冒険」(ダイヤモンド社)の著者である。シマード博士は、様々な樹種の間で、根から土壌中の菌類を通じて生態系内にネットワークが張り巡らされており、様々な樹種間でコミュニケーションが行われていることを、放射性同位体を用いた実験により実証した。特に、森林生態系内に存在する高樹齢の「マザーツリー」が、幼木へ栄養分などを送ったり、食害に対する警告を送ったりしていることが分かっている。そして、様々な樹種が存在することで、このようなコミュニケーションが活発になり、最終的な樹木の生長にもプラスの影響があることを明らかにした。 また、九州大学の榎木勉准教授の「長期間にわたる下層植生の除去が森林生態系の機能に及ぼす影響の評価」においても、下層植生の除去がカラマツ人工林の成長量減少につながる結果を示している。さらに、ミズナラ二次林とカラマツ人工林を比較した影響調査では、下層植生の変化に対する生態系機能への影響は、ミズナラ二次林よりもカラマツ人工林において大きいことが分かり、人工林における下層植生の重要さを示唆している。さらに、国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所、地方独立行政法人北海道立総合研究機構森林研究本部林業試験場、アメリカ地質調査所の研究グループは、北海道のトドマツの人工林の中で、少量の広葉樹をトドマツ伐採時に残すことで、鳥類の個体数が増加することを実証した。haあたりわずか20~30本の広葉樹を維持することで、皆伐よりも鳥類の個体数が統計的に優位に維持できるとしており、経済性を少しだけ犠牲にすることで、生態系が保全できることが分かっている。カーボンクレジットのように、この生態系保全による得られる様々な効果を証書化して経済価値として見える化し、木材価格に折り込む、あるいは証書だけを取引できるようになれば、この経済性の犠牲に関しても外部化して、コスト負担をサプライチェーンの下流側でも負ってもらうことが考えられる。 具体的な生物多様性を保全した森林の構想として、愛媛県久万高原町の「黄金の森プロジェクト」を前編の最後に紹介したい。プロジェクトをリードする久万造林は、創業1873年の150年以上に亘って、久万高原町で林業を営んできた。創業者である井部栄範がスギの苗木を植樹したのが、この地の林業の始まりとされている。今では、久万高原町はスギの名産地として知られ、愛媛県の林業研究センターが設置されるなど、県内の林業の中心地の一つとなっている。 黄金の森プロジェクトでは、皆伐した見晴らしの良い南向き斜面に、100年後を見据えた多様性を確保した森づくりを行っている。特徴的なのは、植樹する樹種の選定や植え付け場所などに、庭師の考えを取り入れていることである。日本庭園は、自然の美を狭い範囲に再現することを目的としており、元々は、自然の山の植生から何をどこに植えるかなどの技術が生まれている。その庭師の技術を逆輸入する形で、山に適用したのが、黄金の森プロジェクトである。スギやヒノキといった造林樹種だけではなく、広葉樹を含めた幅広い樹種を植栽している。 また、80年生を超えるスギが生えている林分(樹種や樹齢などが同じ森林を指し、森林管理の最小単位)では、下層植生の生育を促す間伐を定期的に行い、森林セラピーやキャンプ場として利用する計画、間伐や施業を直接見ることが出来るエリアを設ける計画など、林業関係者以外の人々が森に親しみを持ってもらうことも考えられており、オープンイノベーションが生まれる場を提供しようと考えられている。黄金の森プロジェクトが実施されているエリアは、全てドローンによるレーザー計測が終わっており、山全体の3Dデータや施業実績が整備されていることから、どのような施業を行うとどういった状態になるのか、というバックデータがあることも強みである。 後編では前編の内容を踏まえた企業の社会的責任と生物多様性に配慮した今後の企業の在り方について、まずはメセナ、ESG、SDGsといった企業の社会的責任の変遷を追う。そしてプロジェクトファイナンスにおける国際的なコンセンサスであるエクエーター原則や世界銀行EHS(環境・衛生・安全)ガイドラインなどを取り上げ、生物多様性保全の考え方を解説した上で、投資家の間で関心が高まっている非財務情報の開示にも触れて、今後の企業経営における生物多様性の重要性を強調したい。 以上 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
- 1
- 2
-