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04/19 16:00
食農体験型返礼品が切り拓くふるさと納税の可能性
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 コンサルタント 増子 桃子(2025年4月11日) 1. 拡大を続けるふるさと納税―その背景と発展 ふるさと納税は、2008年に総務省の主導で導入された制度であり、「地方で生まれ育ち、都会に移り住んだ人が、税制を通じてふるさとや応援したい地域に貢献する仕組みを作る」という想いのもと創設された。地域を支援する新たな選択肢として導入されたこの制度について、総務省は次の三つの意義[1]を提示している。 ① 納税者が寄付先を選択することで、税の使われ方を考えるきっかけとなる② お世話になった地域やこれから応援したい地域の力になれる③ 自治体が取組をアピールすることで、自治体間の競争が進み、地域のあり方をあらためて考えるきっかけとなる このように、「納税者と自治体が、お互いの成長を高める新しい関係を築いていく」という理念のもとで始まったふるさと納税は、2011年の東日本大震災を契機とする被災地支援への寄付が広がることで認知度が高まった。さらに、2012年には国内初のふるさと納税専門のポータルサイト「ふるさとチョイス」が開設されて利便性が向上したほか、2015年には控除上限の引き上げとワンストップ特例申請の導入によって手続きが簡素化されるなどで、利用者が一気に拡大した。この結果、寄付者数と寄付総額は急増し、2023年度には寄付総額が1兆円を超え、ふるさと納税利用者と言える住民税控除適用数も1,000万人を突破するなど拡大を続けている(図表1)。 現在では、ほとんどの自治体が寄付の「御礼」として返礼品を提供しているが、導入当初は、返礼品を送る自治体はごく一部であり、寄付金の使途を提示することで寄付を募ることが主流であった。2012年のポータルサイト開設以降、寄付する自治体を「返礼品で選ぶ」という文化が徐々に浸透し、返礼品の内容や形式も多様化している。こうした中で、寄付者の動機は「返礼品」が大半を占めるようになり、自分にゆかりがある「ふるさと」を応援するという当初の理念が十分に実現されているとは言い難い状況となっている。また、自治体間の寄付獲得競争が激化する中で、地域振興と直接結びつかない返礼品も見受けられるようになり、制度の在り方が問われる場面が増えている。 図表1 ふるさと納税受入金額と住民税控除適用者数の推移 (出所)総務省「令和6年度ふるさと納税に関する現況調査について」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 しかしながら、「返礼品」をきっかけに寄付先の地域やその魅力を知り、地域支援の輪が広がるというポジティブな側面も見逃せない。ふるさと納税の導入当初に掲げられた意義を再確認し、地域振興や地方創生へと繋げるためには、返礼品を単なる物品提供にとどめるのではなく、地域の持続可能な発展を促進する仕組みへと進化させることが求められる。筆者がその一例として注目したいのが、「食農分野」における返礼品の影響であり、この分野が地域経済に与える影響や課題を掘り下げていきたい。 2. 食農分野に見るふるさと納税の効果と課題 ふるさと納税返礼品の中でも、食品や農産物は人気の高いカテゴリであり、寄付件数の6割強が食農分野に関連している(図表2)。2023年度の寄付受入金額は1.1兆円であり、このうち返礼品調達額は約3割であるため、食農分野の返礼品調達額は1,980億円(1.1兆円×0.6×0.3)と推定される。農業・食料関連産業の国内生産額(概算値)が114兆円(2022年)[2]であることを考えると、規模は小さいものの、食農産業が主要産業となっている地方自治体では、非常に大きな影響力を持つと考えられる。 例えば、2022年および2023年にふるさと納税受入額が第2位となった北海道紋別市は、2022年に194億円の受入額を記録しており、このうち食農分野の返礼品調達額はおよそ35億円[3]と推計される。この金額は市の農業産出額(79.7億円[4])の44%に相当し、地域経済を支える重要な財源となっている。また、宮崎県都城市では、宮崎牛や豚肉、焼酎を返礼品として戦略的に活用し、寄付額全国1位を記録した。市では寄付金を子育て支援や教育施設の整備に充てるなど、地域経済の好循環を生み出している。 図表2 ふるさと納税 返礼品カテゴリ別寄付件数の推移 (出所)総務省「令和6年度ふるさと納税に関する現況調査について」および、ふるさと納税ガイド「ふるさと納税 人気返礼品 ジャンル(https://furu-sato.com/magazine/9440/)」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 一方で、現行の食農分野の「物品型返礼品」には以下のような課題が存在している。 ① 特産品の有無による寄付額格差特産品が地域間競争を左右する状況が続いており、特産品に恵まれない自治体では寄付が伸び悩む傾向にある。特産品の提供が難しい自治体では、寄付者を引き付ける手段が限られ、競争力の格差が拡大している。 ② 自治体と寄付者の繋がりの希薄化と「官製通販」化の懸念1章でも触れたように、寄付の主な動機が「返礼品取得」となっており、寄付先自治体への関心が薄れている。ふるさと納税の本来の目的である「ふるさとを応援する」という意義が薄まり、制度が「官製通販」化しているという批判も存在する。 こうした課題を解決していくために、筆者が注目しているのが、「体験型返礼品」である。近年、寄付件数が増加傾向にある旅行券やギフト券を軸とした体験型返礼品は、物品型返礼品の課題を解決する糸口となり得る。特に、人気の高い食品・農産物と組み合わせた「食農体験型返礼品」は、地域の持続可能性を高めるとともに、寄付者との繋がりを深める有効な手段となり得る。 3. 「食農体験型返礼品」の可能性 近年、消費者の価値観は「モノ消費」から「コト消費」へ移行している。物理的な商品を購入して得られる満足感よりも、心に残る体験や感情的な価値に重点を置き、形として残らない「経験」を求める傾向が強くなっている。この動きは、ふるさと納税返礼品の新しい選択肢として「体験型返礼品」の普及を後押ししている。また、レッドホースコーポレーション株式会社が実施したアンケート調査[5]によると、体験型返礼品利用者の9割が「寄付で訪れたまちにまた訪れたい」と回答しており、寄付者が地域に対して継続的な関心を持つきっかけとなり、体験型返礼品が地域の交流人口だけでなく、関係人口の創出に寄与することも示唆されている。 体験型返礼品の中でも、食農体験型返礼品は、地域独自の農業や食文化を活用し、寄付者が地域を訪問して体験することで、物品返礼品の課題を補完する可能性があると筆者は考える。図表3でまとめるように、食農「物品型」返礼品は、寄付者の利便性や地場産業の短期的な売上増加に繋がるという利点はある一方で、食農体験型返礼品は、返礼品に留まらず、寄付者が寄付先自治体へ訪問することでの地域経済への波及効果や地域住民との交流による関係構築・リピーターや関係人口の創出に繋がり、また、ふるさと納税返礼品以外への展開も可能性があると考えられる。 図表3 食農物品型返礼品と食農体験型返礼品の比較 項目食農物品型返礼品食農体験型返礼品提供内容地域の特産品(食品、農産物等)を寄付者へ送付地域に関連する農業や食文化等の体験やサービスを提供寄付者の利便性寄付手続き後、返礼品の発送を待ち、受け取るのみであるため、寄付者の利便性は高い寄付手続き後、寄付先自治体へ訪問するための交通の手配、宿泊予約が必要であり、手間と時間を要する地域への経済効果返礼品調達先である地場産業の売上増加に貢献寄付者が寄付先自治体へ訪問することで、体験・サービスを提供する地場産業の売上増加の他、宿泊・飲食業等の地域経済への波及効果寄付者との繋がり返礼品の提供後の、継続的な関係構築が難しく、短期的な繋がりとなる寄付先自治体を訪問し、地域住民との交流することで、地域との繋がりが生まれ、リピーターや関係人口を創出ふるさと納税以外への展開・波及地元特産品の知名度向上による販路拡大やブランド力強化食育への展開:都市部の学校のフィールドワーク・教育プログラム化。企業の福利厚生として農業体験導入インバウンド観光への展開:アグリツーリズムやグリーンツーリズム等の地域資源を活用した訪日外国人向けのプラン設計へ波及 (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 それでは、実際にはどのような体験やサービスが食農体験型返礼品として考えられるか。ふるさと納税のポータルサイトで紹介されている返礼品を例に整理を行った(図表4)。いずれの体験においても、地域の魅力や価値を向上させ、寄付者の地域や食農分野に対する理解醸成に繋がり、寄付者と地域の新たな関係性を構築する可能性がある。 図表4 食農体験型返礼品の例一覧 返礼品の種類 内容期待される効果 対地域期待される効果 対寄付者具体例農業体験野菜や果物等、地元特産品の収穫体験畑や田の区画、茶やオリーブの樹のオーナー制度等農業の魅力をアピールし、地域農業の理解と支援を促進休耕地や耕作放棄地等の有効活用普段口にしているものを自らの手で育て、収穫することで、食べ物の価値や生産者の努力を理解新潟県糸魚川市「農業体験+お米の定期便『米主』プロジェクト」愛知県安西市「レンコン掘り体験」漁業体験漁船に乗り、魚を捕る体験を行い、地域の海産物を楽しむ地域漁業の活性化地域の海産物の認知度向上漁業の魅力や海産物の価値を直接体験し、地域の海洋資源への関心が深まる高知県中土佐町「上ノ加江漁港の漁業体験」和歌山県串本町「沖釣り体験」酪農体験酪農現場で牛の飼育や乳搾り等を体験チーズやバター等乳製品の加工体験地域酪農の魅力を発信乳製品のブランド力を強化酪農の現場を知り、食品の生産過程を学ぶ 沖縄県大宜味村「自然の中で酪農&バターづくり体験」北海道広尾町「広尾町の魅力を楽しむ酪農漁業体験ツアー」地元食材を使った料理教室地元食材を使った料理や郷土料理を学びながら、地域の食文化に触れる体験地域の食文化や郷土料理の認知度を向上地元食材のブランド力向上地元食材の魅力や地域ならではの食文化や郷土料理を学ぶことで、地域の歴史も垣間見ることができる新潟県新潟市「新潟強度料理教室」千葉県四街道市「農家キレド 畑と野菜の料理教室体験」酒造り体験地元特産品である日本酒や焼酎等の製造工程を学ぶ体験 地域酒文化の発信観光資源としての価値向上日本酒や焼酎の製造過程を学び、地域の伝統的な酒文化を学ぶ長野県佐久市「KURABITO STAY 蔵人体験」奈良県大和郡山市「中谷酒造 酒造り体験」農村民泊体験農村に宿泊し、農作業や地元の日常生活を体験地域住民との交流を促進し、関係人口を創出地域の日常生活の体験を通じて、地域文化への理解が深まる宮崎県高千穂町「農村民泊」大分県宇佐市「安心院農村民泊」(出所)ふるさと納税ガイド(https://furu-sato.com/)およびふるさと納税なび(https://myfuru.jp/)より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 例示した以外にも、食農体験型返礼品の種類は多岐にわたっている。また、既存のサービスから展開も可能であり、肉や魚介類といった特産品がなくとも、各自治体の工夫次第で、魅力的な体験やサービスを企画することができる。各地域が持つ特性に応じた食農体験型返礼品を開発することは、地域の価値・魅力の再発見する機会に繋がる。 さらに、食農体験型返礼品は、クラウドファンディング型ふるさと納税と組み合わせることで、ふるさと納税の三つの意義を最大限発揮することができるのではないかと筆者は考える。クラウドファンディング型ふるさと納税とは、地方自治体が目標金額・募集期間等を定め、特定の事業・プロジェクトにふるさと納税を募るものであり、寄付者は共感・支援したいプロジェクトに対し、直接応援できる仕組みである。地域の食農産業の課題解決を目的としたプロジェクトも多数存在し、クラウドファンディング型ふるさと納税についても、返礼品を受け取れることがほとんどである。その返礼品をプロジェクトに関連した食農体験型返礼品とすることで、寄付者自らが支援したプロジェクトの現場を体験し、課題解決に寄与したという実感を得ることができる。結果として、寄付先自治体とのより深い関係性を構築し、地域への愛着や継続的な関心へと繋がるのではないだろうか。 おわりに ふるさと納税は、筆者が取り上げた課題以外にも、都市部の税収減少や公平性の問題、制度運営上の課題等、さまざまな課題が議論されている。それでもなお、地方が持つ独自の魅力や価値を再発見し、その魅力や価値を都市住民に向けて発信し、都市住民との関係人口や交流人口といった新しい関係性を築くきっかけとなるこの制度は、都市への人口集中が進み、地方の人口減少や経済的疲弊が進む状況下において、地方創生に繋がる重要な打ち手になると考える。 本稿で取り上げた「食農体験型返礼品」が、現行の制度の課題を解決する一助となり、本来目指している理念や意義を十二分に発揮できるような制度へ進化していくことを期待したい。 [1] 総務省「ふるさと納税ポータルサイト ふるさと納税の理念」(https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_zeisei/czaisei/czaisei_seido/furusato/policy/) [2] 農林水産省「令和4年 農業・食料関連産業の経済計算(概算)」(https://www.maff.go.jp/j/tokei/kekka_gaiyou/keizai_keisan/r4/index.html) [3] 194憶円の受入額のうち、返礼品調達額を3割、食農分野の返礼品の割合を6割と仮定し推計 [4] 農林水産省「令和4年 市町村別農業産出額(推計)」(https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/sityoson_sansyutu/) [5]レッドホースコーポレーション株式会社「【ふるさと納税に関するアンケート調査】“コト消費”返礼品が拡大。寄附者の90%が「また、訪れたい」と回答。」(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000385.000048395.html) ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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03/16 16:00
「日本ワイン」の持続成長と発展に向けて
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニア・アソシエイト 鈴木 拓実(2025年3月13日) はじめに 2024年は日本ワインにとって快挙の年であった。同年6月、イギリスで開催された世界最大級の国際ワインコンペティション「DWWA(デキャンター・ワールド・ワイン・アワード)」において、サントリー登美の丘ワイナリーが製造した「登美 甲州 2022」が日本ワインとして初めて最高賞(Best In Show)を受賞した。このワインには白ブドウ品種の「甲州」が原材料に使用されているが、甲州は日本独自の品種として、2010年に国際ブドウ・ワイン機構(以下、「OIV」と記載)に認定されている。この受賞は正に日本ワインがグローバルで認められた瞬間であり、グローバル展開に向けた黎明期を迎えたと筆者は考えている。本レポートでは、国内のワイン市場の現状を確認し、課題について考察する。 1.国内のワイン市場 本論を進める前に、まず、「日本ワイン」と「国内製造ワイン」の定義について述べる。2018年に国税庁は「果実酒等の製法品質表示基準」で日本ワインおよび国内製造ワインの定義を定めており、「日本ワイン」は国産ぶどうを原材料として、日本国内で製造された果実酒であり、「国内製造ワイン」は海外から輸入した濃縮ぶどう果汁等を使用して、国内で製造されたワインとしている。本論では両者を合わせて「国産ワイン」と表現する。 図表1に記載の通り、国内のワイン消費量は2010年ごろに安価で高品質なチリ産等のワインが輸入されたことや国産ワインの消費量が増えたことにより上昇傾向に転じ、2015年に過去最高の380千KLを記録した。それ以降は横ばい傾向で、2023年には363千KLと概ね360千KL台で推移している。そのうち、国産ワインの消費量も同様に、2015年に112千KLを記録した後、2023年に至るまで横ばい傾向である。 一方でワイナリー数は大幅に増加しており、2015年の国内ワイナリーは280箇所であったが、2024年には493箇所となっている。国産ワインの消費量が大幅に増加しているわけではないため、新規参入のワイナリーは比較的小規模事業者であると推測される。 国産ワイン消費量のうち、日本ワインと国内製造ワインの内訳は公表されてはいないが、国税庁の「酒類製造業及び酒類卸売業の概況(令和6年アンケート)」によると、日本ワインは14千KL、日本ワイン以外が67千KLと推計されている。そのため、国内のワイン市場のうち、日本ワインが占める割合は4%程度(14千KL/363千KL)である。国内ワイン市場における日本ワインの存在感はまだまだ薄いというのが現状であるが、換言すると、今後の“伸びしろ”は大きいと言える。 図表1 国内のワイン消費量推移 (出所)国税庁HP「統計情報」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 それではグローバルでみたときの日本ワインの存在感はどうか。OIVによると、2023年における全世界のワイン生産量は2,367万KLであり、日本ワインの生産量は14千KL程度であるため、全世界で生産されるうち日本ワインの生産量のシェアは僅か0.06%程度である。ただし、日本のワイン産業が発達していない理由を単純に「日本人のワイン消費量が少ないから」と片付けることはできない。事実として、日本のワイン消費量は世界で16番目に位置し、アジア地域では中国に次ぐ第2位の消費量を誇る。このことから、日本は世界的に見ても消費大国とまでは言えないものの、十分な市場規模を持つ国であることがわかる。 2.日本ワインの課題 本章では、日本におけるワインの消費量が少ない背景を原材料供給の観点から考察する。図表2は農林水産省が発表した「特産果樹生産動態等調査」に基づく、ぶどうの生食用品種および加工用品種ぶどうの栽培面積の統計値である。生食用ぶどうの栽培面積は年々減少しているが、醸造用ぶどうの栽培面積は増加している。 図表2 ぶどう栽培面積(加工用品種・生食用品種) (出所)農林水産省HP「特産果樹生産動態等調査」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 農林水産省の作況調査によれば、ぶどう全体の収穫量は16.7万トンに達しているが、生食用と加工用の仕分けは行われていない。仮に生食用と加工用の反収が同程度であると仮定し、前述のぶどう栽培面積(加工用品種・生食用品種)を基に計算すると、加工用ぶどうの生産量は約1.8万トンと推測される。また、OIVのデータによると、ワインの一大生産地であるフランスとイタリアのぶどう生産量はそれぞれ628万トンと590万トンである。このうち、生食用ぶどうはフランスで4.1万トン、イタリアで86万トンとなっており、日本とは正反対の状況が見受けられる。日本では生産されるぶどうの大半が生食用であり、フランスやイタリアでは生産されるぶどうの多くが生食以外の用途に使われている。 こうした事象は、日本古来のアルコール飲料である日本酒や焼酎等が愛飲されてきた背景もあるが、それ以上に日本の豊かな土壌と生産者の高い生産技術によって、ぶどうを加工することなく、生食用ぶどうとして高い価値を提供することができた表れであると筆者は考えている。 次に、生食用品種と加工用品種のぶどうにおける反収および取引単価について確認する。前提として、反収を論じる際には、栽培地域の気候、品種の特性、栽培方法(棚栽培や垣根栽培等)によって数値が大きく異なることに留意する必要がある。 山梨県農政部が公表した「仕立てや整枝・剪定方法の違いが白ワイン用ブドウ『シャルドネ』の特性に及ぼす影響」によると、日本で一般的な生食用ぶどうの栽培方法である「棚仕立て」の反収が1,930kgであるのに対し、欧州のワイナリーで一般的な加工用品種ぶどうの栽培方法である「垣根仕立て」の反収は1,168kgである。また、長野県農政部が公表した「作物別経営指標(一覧表)」によれば、生食用品種である巨峰の反収が1,700kgであるのに対し、加工用品種のぶどうの反収は1,000kgである。いずれのデータからも、加工用品種の反収は、生食用の6割程度であることがわかる。 また、取引単価であるが、加工用品種のぶどうは200円後半/kgで取引されることが多い(単価に糖度加算するケース等取引形態において異なる)。一方、生食用品種は、長野県農政部が公表している「作物別経営指標(一覧表)」に基づくと、露地のシャインマスカットは1,587円/kg、巨峰が780円/kgとなっている。もちろん、栽培している品種や労務、コスト等の要因により一概に比較することは難しい。しかし、取引単価だけを基に考えれば、生食用品種のぶどうの方が高い収益を見込みやすい傾向がある。そのため、新規にぶどう栽培に参入する者にとって、経済合理性を感じやすいのは生食用品種であると言えるだろう。 そのような環境において、国内ワイン製造事業者の調達環境は易しくない。国税庁の「酒類製造業及び酒類卸売業の概況(令和6年アンケート)」によれば、ワイナリーが国産生ぶどうを受け入れる形態の構成比は、契約栽培が最も高く50.0%を占め、次いで購入が29.3%、自営農園が18.2%、受託醸造が2.5%という内訳となっている(図表3)。 図表3 国内ワイン製造事業者による国産 生ぶどうの受入形態別の構成比 (出所)国税庁「酒類製造業及び酒類卸売業の概況」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 筆者の推測ではあるが、原材料のうち自社生産が約2割を占めるという水準は、他のアルコール飲料と比較しても高い割合であると推測される。反対に言えば、8割のぶどうは他社から調達されたものであり、ワイン製造におけるぶどうの供給が、ワイナリー自身の農園だけでは賄いきれないことがわかる。 さらに、農業従事者の平均年齢は69.2歳と高齢化が進行しており、加工用品種のぶどう農家への新規参入者が爆発的に増加する可能性は低いと想定される。このような状況を踏まえると、日本ワインを製造するワイナリーにとって、安定的に原材料となるぶどうを調達する仕組みを確立することは、喫緊の課題であると言えるだろう。これはひいては日本ワイン業界全体の持続可能性を左右する重要な要素であり、今後の業界発展において避けて通れない議論である。 3.日本ワインの持続成長と発展に向けて 前章で述べたように、日本ワインの主要な原材料である加工用品種のぶどうの供給量が急激に増加することは難しいと考えられる。そのため、長期的には日本ワイン全体の生産量が伸び悩む可能性が高い。また、少子高齢化が進む日本においては、ワインの生産・消費の両面から市場が縮小する未来も十分に考えられる。日本ワインを持続的な産業として発展させていくためには、地域が一体となってこの産業を支えることが不可欠である。 例えば、日本ワインの生産量が最も多い山梨県では、「醸造用甲州産地育成強化事業」として、醸造用品種である「甲州」を新たに植える事業者に対する補助事業が実施されている。この補助事業では、単に補助金を交付するだけでなく、醸造用ぶどうの安定的な取引を促進するために、情報交換や生産者とワインメーカーのマッチングを行う「醸造用ぶどう安定取引推進会議」等も設置されている。 また、山梨県甲州市では、公営事業として1975年から「甲州市勝沼ぶどうの丘」を運営している。この施設では、市内のワイナリーが手掛ける約100銘柄以上のワインを試飲でき、地域のワインに関する情報発信の重要な観光拠点となっている。甲州市は、日本初の民間ワイン醸造所が設立された地であり、創業100年を超える老舗企業が複数存在している。官民一体となって日本ワインを地域の産業として盛り上げた結果、令和5年12月末時点で山梨県内のワイナリー数は全国1位の89カ所に達している。 さらに、歴史ある山梨県においても新進気鋭のワイナリーが誕生している。例として、2010年代に設立した株式会社ショープルが手掛ける“ドメーヌヒデ”は、創業からわずか数年でDWWAの銀賞を受賞した。同社はSDGsを意識したぶどう栽培を心がけており、肥料はぶどうの搾りかすを堆肥として使用し、土壌の酸性を保つためにぶどうの枝を炭化させて畑に撒く取り組みを行っている。また、クラウドファンディングを積極的に活用しており、現代的な経営手法を試みる事業者でもある。 日本ワインは、供給面や消費面でいくつかの課題を抱えているが、それらを克服するための取り組みが地域ごとに進められている。特に山梨県を中心とした地方自治体や事業者の努力は、日本ワインの可能性を広げ、持続可能な産業としての基盤を築く重要な鍵となる。伝統と革新が共存する中で、地域コミュニティが一丸となり、ぶどう栽培からワイン醸造、観光や情報発信までを包括的に支える取り組みは、他地域へのモデルケースになると考えられる。 これからの日本ワイン産業の発展には、地域社会、官民の協力、そして消費者が一丸となり、その価値を守り育てていくことが不可欠である。日本ワインが持続可能な形で世界に広く認められるためには、伝統を大切にしながらも、常に革新に挑戦し続ける姿勢が求められる。未来に向けてさらなる業界の発展を願い、この文章を締めくくりたい。 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 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02/16 16:00
農業と福祉の連携が企業経営に与える示唆 - DEIの観点から-
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 担当部長 西山 政治(2025年2月13日) はじめに 本稿では、筆者の最近の取組分野の一つである農業と福祉の連携、所謂「農福連携」と、ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン(DEI)との関連性、それが企業経営に与える示唆について考察をしたい。また、近年の障害者雇用促進法における法定雇用率の連続的な引上げに伴い、多くの企業で雇用した障がい者向け事業や特例子会社で農福連携が活用されている一方で、福祉関係者から「障がい者雇用代行ビジネス」「雇用率ビジネス」と称される、一部問題視されているビジネスが台頭している。何が問題視されているのか、障がい者雇用で農福連携に取り組む場合の留意点として提示したい。 1.DEIと農福連携 DEIとは、ダイバーシティ(Diversity:多様性)、エクイティ(Equity:公平性)、インクルージョン(Inclusion:受容・包括性)の頭文字をとった言葉である。2021年頃までは企業の持続可能性を高めるための取組みの一つとしてダイバーシティとインクルージョン、すなわち「多様な人材を受け入れ、それぞれの持つ個性や能力を発揮すること」を意味するD&Iが用いられてきた。そしてコロナ禍における働き方の見直し、SDGsの浸透とそのゴール8に含まれるディーセントワーク(Decent Work)[1]「働きがいのある人間らしい仕事、より具体的には、 自由、公平、安全と人間としての尊厳を条件とした、 全ての人のための生産的な仕事」の探求機運の高まりを受け、近年では図表1のようなエクイティ、すなわち「多様な個性や状況に合わせた機会を提供し、公平に活躍できる仕組みを作る」概念を加えたDEIを掲げるケースが増えている。では、この機会を与えるべき「多様な個性」の範囲はどこまでと考えるべきだろうか。 図表1 Equality(平等性)とEquity(機会の公平性) (出所)Shutterstock インターネットで「ダイバーシティとは」と検索すると、様々なサイトが示され、その提示する内容も多様性に富む。検索結果の単語に注目してみると「性別、人種、年齢、国籍、信仰、趣味趣向など」が共通して挙げられており、「障がい」を明示している数が明らかに少ない。勿論「など」に含まれているケースも多いと思うが、障がい者のポテンシャルを制限的に考えるバイアスも否めないのではないかと推察する。障がい者が「全ての人のため」を掲げるディーセントワークの概念に含まれることは論を待たないが、社会的に見ても障がい者の労働参加は不可欠になりつつある。 図表2は我が国における障がい者数の推移とその内訳である。近年においては精神障がいを中心に障がい者の数は増加している。その要因は高齢化や社会環境など構造的なものが複雑に絡み合っていると考えられ、簡単に改善できる性質のものではない。 また、図表3は義務教育年次における在籍児童数と、同じ義務教育年次で特別支援学校及び特別支援学級並びに通級(以下「特別支援学校等」)で教育を受けている児童数の2013年度と2023年度の比較である。特別支援学校等で学ぶ児童の割合は最近10年間で2倍以上に増加している。 こうした障がい者の数や割合の増加には、社会における障がいに対する認知度の高まりや受容性の拡大というポジティブな要因が反映されている面もあるが、社会における働き手やその準備期間にある児童に障がいをもつ人が増えているのも事実である。企業経営において障がい者活用の必要性は、より一層高まっていると言える。 図表2 障がい者数の推移(万人)[左] 図表3 義務教育年次で特別支援教育を受ける児童の割合(万人) [右] [図表2](出所)文部科学省「文部科学統計要覧」及び「特別支援教育資料」より野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成[図表3](出所)内閣府「障害者白書」からの厚生労働省作成資料及び厚生労働省「令和4年生活のしづらさなどに関する調査」の推計値より野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 働き手という観点では、農業における担い手不足は深刻である。図表4は我が国の基幹的農業従事者数の推移であり、1990年の293万人から2024年には111万人にまで減少している。こうした担い手不足に悩む農業の現場では、実際に障がい者が働いて農業生産に貢献してもらう「農福連携」という取組みが10年ほど前から本格的に始まっている。農福連携は文字通り農業と福祉の連携を意味し、農林水産省や日本農福連携協会の掲げる参加対象者は、農家をはじめ障がい者、高齢者、ひきこもり、生活困窮者、受刑者など広範囲に及ぶ。 図表4 基幹的農業従事者数の推移(万人) (出所)農林水産省「農林業センサス」「農業構造動態調査」より野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 本稿では農福連携の対象を障がい者に絞るが、元来は上記のように多様な労働参加者の顔ぶれである点はご承知いただきたい。興味のある方は「農福連携」と検索すると様々な事例が出てくるので参照されたい。なお、官庁がまとめた農福連携のパンフレット には、農林水産省、厚生労働省、文部科学省、法務省の名前が並び、様々な省が農福連携を推進していることがわかる。 ところで、農業の労働内容においては、畑作だけでも種蒔き、間引き、施肥施薬、剪定、収穫など多種多様な作業で構成されている。他の産業に比べて労働負荷も高く、主に農業機械の取り扱いが主因ではあるが、図表5のように労働災害も多く、死亡事故の発生率は建設業の3~4倍、全産業に対しては14~17倍で推移している。 次章では、作業種別が多く労働災害の発生割合の高い農業で、どのように障がい者の「ディーセントワーク」を実現しているのか、その事例と示唆を見てみたい 図表5 農業、建設業、全産業の死亡災害数と発生割合の推移推計 (出所)農林水産省「農作業死亡事故の概要」、総務省統計局「労働力調査」、厚生労働省「労働災害発生状況」より野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2.農福連携の事例と得られる示唆 農福連携の分野では優れた実績を上げている事例が多く存在する。「ノウフク・アワード」などの表彰も行われており、優良事例は「農福連携」と検索すれば比較的容易に検索できる。本章では、筆者が実際に訪問した企業で、「ディーセントワーク」「エクイティ」という観点から印象に残っている2事例を紹介したい。その上で、障がい特性に基づく多様性が生む効用と、事例から得られる示唆についても記したい。 (1) 恋する豚研究所 千葉県香取市にある「株式会社恋する豚研究所」は、しゃぶしゃぶなどのレストランを運営すると同時に、ハムやソーセージの加工販売も営んでいる。香取市にある同じ敷地内には別会社と共に農場や木工所[2]を持ち、レストランと農場が一体感を持った景観でデザインされ、運営されている。使われている豚は香取郡の提携農場のもので、しゃぶしゃぶのたれに使われている醬油も香取市産と、地域産品を積極的に取り入れている。その食味に対するグルメサイト等の評価も高く、2024年12月22日に放映された日本テレビ「ザ!鉄腕!ダッシュ」で鍋の具材になる等、メディアにも度々取り上げられている。 筆者が特筆したいのは、恋する豚研究所の運営参加者の半数以上が障がい者である点である。実際にレストランを訪れても、ホームページを閲覧しても、スタイリッシュなデザインと軽やかな空気感、豚やハムへのこだわりを貫くメッセージが目立ち、障がい者や福祉を感じさせるものは見受けられない。 代表取締役社長の飯田大輔氏は、「障がい[3]のある方も地域の人々とふれあい、地域の風景の中に溶け込んで社会の一員となる」ことを目指して取り組んでおり、それが具現化されている。飯田氏は千葉市にある社会福祉法人「福祉楽団」の理事長でもあり、農食に限らず同様の姿勢に基づく様々な取組みをされており、興味のある方はホームページ[4]を参照願いたい。 図表6 恋する豚研究所における加工関連のマニュアル (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部撮影 レストランや加工品で高評価を得ている恋する豚研究所であるが、その現場では障がい者に誇りをもって働いてもらう機会を与えるための、様々な取組みが見られる。障がい者就労の現場で励行されているあいさつ、計量器具の色分け等による視認性確保、加工時の安全性確保などの施策は基本として導入されているが、特筆すべきは、精緻に定められたマニュアル(図表6)である。このマニュアルは、作業が細かく分解され、写真を多用しながら平易な言葉で文章内の漢字には全てルビを振り、わかり易く説明してある。清潔な控室には作業予定表が見易く掲示され、個人の障がい特性に合った作業分担が割り振られている。こうした数々の仕組みにより障がい者に配慮しつつも高品質な製品を作ることを目指した結果、労働参加者に対する分配、すなわち支払う賃金も、雇用契約の基づく就労が困難とされる就労継続支援B型[5]平均工賃の数倍は払われている。訓練を受けた職員による指導も当然必要であるが、障がい特性に合った作業を細かく割り振り、「言って聞かせ、やって見せる」ことに加えて、何度でも確認のため立ち戻れる原点を作って高いパフォーマンスを実現している点が注目される。 (2)Torch 島根県出雲市にある「合同会社Torch」は、椎茸栽培を主業としており、代表社員の松本頼明氏は、就労継続支援B型福祉事業所も運営している。椎茸栽培は「通年で収穫できるため収入が安定」「ハウス内の温度が通年で比較的安定しており作業者の負担が少ない」「作業が多岐にわたるが比較的軽めの単純労働(但し根気が必要)が多く、作業分解して業務分散することができる」といった特性を持つため、比較的障がい者向きの作業であると言える。一方で安定した品質を保つことは難しく、根気の必要な作業であることから、就労する障がい者の方にどれだけモチベーション高く安定的に働いてもらうかが重要となる。 図表7 Torchの外観(一部) (出所)会社より提示 Torchでは、あいさつや時間を守る生活リズムといった基本的な動作の励行に始まり、作業性を重視したレイアウトや場所の確保、音楽を流すなどの雰囲気づくりに加え、清潔で働きやすい休憩所の設置など、働きやすい工夫を随所に凝らしている。結果として障がい者一人当たりの月間就労回数が増加、継続的かつ安定的な就労関係を構築できている。 そして、最も特筆すべきは評価システムである。「軸切り」「計量」「袋詰め」などの時間当たりの作業量基準を設け、その達成毎に時間給を上げていく仕組みを設けており、その評価フィードバックは松本氏と一対一で、エビデンスを示しながら定期的に丁寧に為されている。この評価の仕組みを設けることで、働く障がい者のモチベーションも上がり、結果として高品質な椎茸の生産にもつながり、それが実績として就労継続支援B型平均工賃の数倍の工賃として返って来る仕組みである。目に見える労働成果と共に工賃が上がることで、本人の自尊心が満たされると共に家族が喜び、自分で稼得したお金を消費することで社会参加の機会も増える。 Torchがある島根県では農福連携が盛んにおこなわれている。繊細な扱いが要求され高級品であるシャインマスカットの農場での作業に障がい者が参加し、袋掛け、適粒、果穂整形(かすいせいけい)やジベレリン処理などの高度な作業を行いつつ、手掛けたシャインマスカットが県の品評会で県知事賞を受賞したこともある。島根県の農家や福祉関係者に理由を尋ねると、「人口減少と高齢化による農業の担い手不足が日本国内でいち早く課題となっているため、労働力確保の多様化に取り組んでいる」という回答をよく得るが、熱意と能力のあるファシリテーターの役割も見逃せない。島根県障がい者就労事業振興センターなどは、農福連携の積極的なマッチングに取組んでおり、地元福祉事業所や農家の協力を得ながら連携を推進している。当該センターの農福連携関係のホームぺージ[6]を閲覧すると、数々の実例掲示と共に実際の動画なども掲載してあるので、興味のある方は参照いただきたい。 (3) 障がい特性に基づく多様性が生む効用 農福連携の現場では、障がい特性と分解された作業特性のマッチングを上手く行うことによって、健常者に勝るとも劣らない、或いは支払い工賃に対して大きな超過付加価値を生んでいる事例が報告されている。例えば以下のようなケースがある。 コミュニケーションが苦手な反面、強いこだわりを持ち感覚が鋭敏になる自閉症スペクトラムの方の性質が、細密な再現を要する作業や検査に活かされてパフォーマンスをあげる事例常同行動[7]の傾向がある知的障がいを持つ方が、無農薬栽培農場の虫取りを丁寧に行い、健常者でも難しい虫害を根絶する事例 図表8 淡路式農作業分析表の一部分 (出所)兵庫県立大学大学院 緑環境景観マネジメント研究科/兵庫県立淡路景観園芸学校園芸療法課程 豊田正博著「2022年改訂版 農福連携 人と作業のマッチングハンドブック」より抜粋 上記のような農作業における作業分解と障がい特性のマッチングは学術的にも研究されている。兵庫県立大学大学院の豊田教授が開発した淡路式農作業分析表(図表8)は、農作業を「パターン化」「作業負担度」「巧緻性」「最多注意配分数」「危険度」「工程数」などに分け、各項目を評点化して分析を行う。さらに、「巧緻性」「最多注意配分数」の2項目から農作業難易度一覧表を作成して能力に応じた適切な作業割当てを行う。この手法は農林水産省主催の農福連携技術支援者育成研修でも教えられており、作業者の能力に応じた支援を行い、生産性向上と自己有用感向上を伴うマッチングの実用化は全国的に始まっている。こうした取組みは、多様な障害特性を高いパフォーマンスに結び付けるための重要な構成要素であると考えられる。 (4) 事例から得られる示唆 本章の事例から得られる、障がい特性という多様性を活用して、社会に関わる形で高いパフォーマンスを得るための示唆として、経営者側の以下の取組みの実践が挙げられる。 a. 挨拶の励行や生活リズムの観察を通じた、日常的なコミュニケーションと行動把握b. 上記aを通じた、障がい特性や環境への適合性に関するするアセスメントc. 従事する業務に対する、適切な作業分解とその多面的評価d. 分解した作業に対するわかり易い解説と指導、色分けや測定具を用いた作業し易い環境整備e. 実施した作業に対するわかり易く適切な評価と継続的なコミュニケーション そして上記a~eは、健常者を対象とした業務指示やチームビルディングに共通した内容と言える。つまり、多様性を活用して社会的にも付加価値の高いパフォーマンスを得るためには、コミュニケーションに基づく個性の把握、深い業務理解と業務内容の分解、環境整備、個性と業務内容の適合、適切かつ継続的な評価といった、基本的な事象を突き詰めることにあるのではないかと考える。 「多様性の尊重と活用」といったキーワードからは、「多様な人材でチームを構成し、自由な環境でフリーに働かせる」という方向性が想起される部分もあると考えられ、それはブレインストーミングなどでは有効な局面もあるであろう。一方で、コミュニケーションに基づく相互理解や、自分たちの拠って立つ業務に対する理解が無い状態で、単なる多様な個性から構成された人材グループが業務遂行を試みたり、プランを作るのは、多様性を謳いながらも閉鎖された、空虚なものになるのではないだろうか。すなわち、多様な個性や状況に合わせた機会を提供し、公平に活躍できる仕組みを作り、自由、公平、安全と人間としての尊厳を条件とした、 全ての人のための生産的な仕事(ディーセントワーク)を作っていくためには、基本的ではあるがより深い、相互理解や業務理解及び多様性に適合した環境整備が不可欠なのではないかと筆者は考える。 名言として伝わる「やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば 人は動かじ」という旧帝国海軍司令官・山本五十六の言葉は、多様性の活用においても適用できるのであろう。 3.障がい者を雇用して農業に取り組む場合の留意点 本稿の最後に、障害者雇用促進法の法定雇用率を順守するための障がい者雇用或いは特例子会社で農業を営む場合の留意点について記したい。そもそも障害者雇用促進法で法定雇用率を定め、障がい者に対して所得の公平性を担保しようという取組みの存在は、障がい者の雇用率や平均賃金が未だ低い現状を意味している。雇用される障がい者が有意義に活躍できるようにサポートするビジネスも、勿論あって然るべきであると考える。 一方で、多くの福祉関係者が指摘する「雇用率ビジネス」として語られる典型的な障がい者雇用形態として、例えば以下のようなものがある。 企業が障がい者を雇用、同時に栽培ハウスの地代と建設資金を雇用率ビジネス事業者に支払う雇用率ビジネス事業者は、土地を購入してハウスを建て、監督者を置く。そのハウス内に、企業が雇用した障がい者を受け入れ、野菜の栽培をさせるハウス内の株間や畝幅も広く、ゆったりと栽培されるが収量は少なく安定しない収穫された野菜は、障がい者が持ち帰るか、社員食堂で「当社が雇用している障がい者の皆様が作りました」と提供されるが、残りは少量であったり収穫が安定しないため、販路が確定せず、廃棄される この形態では単純に障がい者を社会から隔離しているだけであり、前述の「エクイティ」や「ディーセントワーク」を重視した障がい者就労形態と比較すると、社会で活躍するための機会を与えられることも、生産的な活動に寄与することもない。であるならば、障がい者を雇用したり特例子会社を保有する企業が、SDGsの目標に沿った施策として掲げる一方でこうした雇用率ビジネスを利用することは、矛盾しないだろうか。 本稿ではどのような企業がこうしたビジネスに携わっているか、或いはその実態はどうか等の解明を目的としていない。但し、第210回臨時国会(2022年10月3日招集)で障害者雇用促進法が改正された際、衆参両院の厚生労働委員会の付帯決議で「単に雇用率の達成のみを目的として雇用主に代わって障害者に職場や業務を提供するいわゆる障がい者雇用代行ビジネスを利用することが無いよう、事業主への周知、指導等の措置を検討すること」と明記されており、そうしたビジネスの存在が前提とされている。「雇用率ビジネス」については、一般社団法人 日本農福連携協会[8]や日本財団助成事業[9]からも研究報告書が出ているので、興味のある方は一読されたい。 時代が進むにつれ、社会的な意識も高まり、以前であれば問題視されなかった事象が大きく問題視される状況は、一定以上の年齢の方なら覚えがあるはずである。障がい者雇用や特例子会社で農業に携わるならば、専門家と相談した上でのフレームワーク策定や意識の高い社会福祉法人等と連携することも一案であると考える。 [注釈] [1] ILO(国際労働機関)において、1999年に開催された第87回ILO総会で提出されたファン・ソマビア事務局長の報告で初めて用いられ、その中でILOの活動の主目標と位置づけられた。その後も戦略目標が設定される等、取組みが強化されている [2] 株式会社日本農林耕社などと共に開発、一体化した農地として機能している [3] 飯田氏が就労機会を与えて地域と一体化させたい対象として、高齢者、受刑者等も含まれ、実際に就労されていることも付記しておく [4] URL:https://www.gakudan.org/ [5] 障害者総合支援法における福祉サービスの区分で、継続雇用が困難であるため請負契約が主体となる。2022年の就労継続支援B型事業所における月額平均工賃(賃金)は、17,031円である(厚生労働省データ) [6] URL:https://shimane-noufuku.net/ [7] 常同行動:外から見ると意図がわからない、繰り返しおこなわれる行動 [8] 「農園型障害者雇用問題研究会報告書 2024年2月」日本農福連携協会/日本農福連携協会HP: https://noufuku.or.jp/chosakenkyu/ [9] 「2023年度 サテライト型(農園型含む)障害者雇用に関する調査研究 実施報告」事業実施団体:社会福祉法人 生活クラブ/掲載元:日本財団図書館(http://nippon.zaidan.info/index.html) ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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02/15 16:00
日本産アルコール飲料の輸出促進に向けた課題と施策
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニア・アソシエイト 鈴木 拓実(2025年2月13日) はじめに 2013年、農林水産省は「農林水産物・食品の国別・品目別輸出戦略」において、農林水産物・食品の輸出金額を2020年に1兆円規模に拡大する目標を定めた。この目標に基づき、2021年には初めて輸出金額が1兆円を超えたが、その主因の一つに、アルコール飲料の輸出額増加が挙げられる。 現在、国はさらなる輸出拡大を目指し、農林水産物・食品の輸出金額を2025年までに2兆円、2030年までに5兆円にそれぞれ拡大する目標を掲げている。筆者は、引き続き、アルコール飲料がこれらの目標達成に大きく寄与するものと予想している。 本レビューでは、日本産アルコール飲料の中でも輸出金額が大きいウイスキー、清酒、ビールに絞り、国内需要および輸出状況を確認し、今後のさらなる輸出拡大に向けた主な課題と必要な施策について論じる。 1. アルコール飲料の国内消費数量および輸出動向 (1) アルコール飲料の国内消費量 アルコール飲料の国内消費量は、戦後の経済発展に伴い、1990年代後半まで拡大を続けた。しかし、近年では高齢化の進展や若者のアルコール離れの影響により、減少傾向が顕著となっている。消費量は1996年の9,657千キロリットル(以下、「KL」と記載)をピークとして、2022年には7,828千KLまで下落した。また、成人一人あたりの年間アルコール消費量も1996年の98.6Lから2022年には74.6Lに減少している。今後も、国内市場は断続的な縮小が予測される。 国内消費量の内訳を見てみると、清酒、ビール、発泡酒の消費量が著しく減少している一方で、リキュール類の消費量は増加している。かつては酒税が低い発泡酒の消費量が増加したが、その後、酒税がさらに低い「第三のビール(ビール、発泡酒とは別の原料・製法で作られたビール風味の発砲アルコール飲料の名称)」が台頭していることが伺える。アルコール飲料の課税額は1996年には約2兆円であったが、2022年には1.1兆円に減少しており、消費量が約2割減少したにもかかわらず、課税金額は半減している。このことから、より酒税の低いアルコール飲料が日本国内で消費されていることがわかる。 一方で、2017年の酒税法改正を受けて、ビール、発泡酒、第三のビールの税率は段階的に変更され、2026年10月にはビールの税率が下がり、発泡酒や第三のビールの税率が上がり、税率が一本化されることが予定されている。消費する酒類の種別が変動することが予想されるが、アルコール飲料の消費量が大きく増加するわけではなく、今後の環境は依然厳しいと言わざるを得ない。 図表1 国内アルコールの飲料消費量 (出所)国税庁HP「統計情報」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2) アルコール飲料が輸出全体に占める割合 日本のアルコール飲料は海外で高い注目を集めており、輸出金額は年々増加傾向にある。2013年に251億円であった輸出金額は、2023年には1,343億円に達し、10年で5.3倍に増加した。特に2020年から2021年にかけては、前年比61.4%(436億円)増という顕著な伸びを記録した。この時期はコロナ禍の影響もあり、在宅環境を充実させるための巣ごもり需要が活発化していた。国際的なコンクールにおける高い評価や、インバウンドによって日本のアルコール飲料の質の高さが認識されたこと等が要因となり、海外における「家飲み」需要を取り組むことができたのだと推測される。次章では、個別のアルコール類に分類した上で、現在の輸出動向について考察する。 図表2 アルコール飲料の輸出金額と全体(農林水産物・食品の輸出額)に占める割合 (出所)貿易統計より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2.ウイスキー、清酒、ビールの輸出動向 前章の通り、2023年のアルコール飲料の輸出金額は1,343億円であるが、輸出金額の上位はウイスキー497億円、清酒410億円、ビール179億円となっている。本章では輸出金額が大きいウイスキー、日本酒、ビールについての輸出動向を確認していきたい。 (1) ウイスキー 日本産アルコール飲料の輸出金額が大幅に増加した要因の一つとして、日本産ウイスキーの輸出の躍進が重要な役割を果たしたことは疑いの余地がない。2020年から2021年にかけて、日本産アルコール飲料の輸出金額は436億円増加したが、そのうち、ウイスキー単体の輸出金額は2020年の270億円から2021年には460億円に達し、わずか1年で190億円の大幅な伸びを記録した。この間の日本産アルコール飲料輸出金額の増加分の4割強は、ウイスキーの輸出金額の増加によるものである。 さらに、2023年時点におけるアルコール飲料全体に占めるウイスキーの輸出割合は26.3%に達しており、2013年の15.8%から伸長している。このように、日本産ウイスキーはその存在感を一層強めており、今後も日本の主力農林水産物・食品の一つとして重要な役割を果たすことが期待される。 図表3 ウイスキーの輸出金額・数量 (出所)貿易統計より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 まず、過去5年におけるウイスキー輸出の国ごとの実績を見比べてみる。比較対象として、2023年時点における輸出金額が多い上位5か国を挙げる。2023年時点で最も存在感が強いのは中国市場であり、輸出金額、輸出量、輸出単価のすべてにおいて上位5か国中最大である。中国向けの輸出が最初から最大市場であったわけではなく、2019年時点では輸出金額、輸出量、輸出単価はいずれも2023年時点と比較するとそれほどの存在感は示していなかった。ここまでの存在感を発揮したのは2020年から2021年にかけてのことであり、第1章でも述べた通り、コロナ禍において大きな躍進を遂げた。これは中国に限ったことではなく、米国、オランダ、フランスでも同様の現象が見られた。ただし、オランダはEU向け輸出の中継貿易の側面があるため、厳密な測定は困難である。 また、ウイスキーの中国輸出において、筆者が特に着目している点は「輸出単価」である。2019年時点での中国向けウイスキー単価は3,157円/Lであり、他の国と比較しても特に高い水準ではなかった。しかし、2021年から2023年にかけては8,500~9,000円/Lで推移しており、他の国と比較してもよりプレミアムな価格帯のウイスキーが中国で人気を博している。一方、2013年におけるフランス向けのウイスキー輸出単価は約2,007円/Lであり、現在の水準とほぼ変わっていない。この背景には、フランス国内でジャパニーズウイスキーが高級品として位置付けられるよりも、普段飲み用のウイスキーとしての考え方が多いことが考えられる。 2023年のウイスキーの輸出額は、世界的なインフレ圧力や中国国内の景気後退を背景に下落している。特に、中国向けの輸出は金額および数量ともに大きく減少した。これに対し、2023年のオランダおよびシンガポール向けの輸出額は増加しているものの、輸出量自体は減少している。このことから、プレミアムな価格帯の需要が下支えしていたと考えられる。また、フランス国内においては、普段飲み用としての利用が主流であると推測されるため、輸出金額および数量を大きく下げる結果となった。 この10年でみると、ウイスキーの輸出市場は急速に拡大している。ウイスキーのように熟成が必要な酒類にとって、このような急速な市場拡大に対して、売れる製品がないという原酒不足は非常に深刻な問題である。国内外問わず、多くの銘柄が終売や休売といった状況に追い込まれており、生産規模の拡大がウイスキー業界にとっての急務であると言えよう。 図表4 ウイスキーの輸出金額・数量・単価(上位5か国) (出所)貿易統計より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2) 清酒 清酒は諸説あるものの、日本を起源とし、発展し続けた伝統的なアルコール飲料である。2020年にはウイスキーに抜かれるまで、日本産アルコール飲料の中で最も輸出金額が大きく、長年にわたり日本産アルコール飲料の輸出において存在感を示していた。2013年の清酒の輸出金額は104億円であり、同年のアルコール飲料全体の輸出金額の41.8%を占めている。2023年にはその割合が30.6%に減少したものの、2013年から2023年にかけて清酒の輸出金額はおよそ4倍の増加を見せている。ウイスキーの13倍の増加には及ばないものの、清酒も輸出増加に一役を買っている。 図表5 清酒の輸出金額・数量 (出所)貿易統計より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 清酒の輸出金額は2013年から概ね右肩上がりを続けてきたが、輸出数量は2019年と2020年に減少する結果となった。この減少の要因を2023年時点における清酒の輸出金額が多い上位5か国で比較すると、特に韓国向けの輸出数量の減少が顕著である。具体的には、2018年には5,350KLであった韓国向けの輸出数量は、2019年には2,912KL、2020年には1,535KLと大幅に減少した。この背景には、日韓関係の悪化があると考えられる。また、アメリカや中国においても輸出数量は減少している。 図表6 清酒の輸出金額・数量・単価(上位5か国) (出所)貿易統計より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 一つの仮説として、日本酒の利用シーンが家庭等の日常的な飲用ではなく、日本食レストラン等で利用されることが多く、結果として2020年のコロナ禍においてロックダウン(都市封鎖)が実施されたことにより、飲食店の営業が制限され、大きな影響を受けたのではないかと考えられる。 (3) ビール 2023年におけるアルコール輸出量の内、ビールはウイスキー、清酒に次ぐ3番目の金額を占めている。輸出量で比較すると、ウイスキーは12,506KL、清酒が29,184KLに対し、ビールの輸出数量は137,882KLと数量だけでは最大のアルコール輸出である。一方で輸出金額自体は両者より低く、ビールは輸出においても安価なアルコール飲料である。2018年までは順調に輸出金額・数量が成長を遂げていたが、2019年から2022年にかけては大幅に下落している。これも、日韓関係の悪化が影響していると考えられる。 図表7 ビールの輸出金額・数量 (出所)貿易統計より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 図表8 ビール輸出金額・数量・単価(上位5か国) (出所)貿易統計より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 実際、ビールの最大の輸出先は韓国である。2023年の韓国向けの輸出金額は83億円でビール輸出金額の約46.3%を、輸出数量は79,545KLでビール輸出量の57.7%をそれぞれ占める。一方、輸出単価を比較してみると、韓国は104円/Lと上位5か国で最も低い。これは、輸送距離が短く輸送コストが比較的少額で済むため、国内と同程度の単価で輸出が可能な背景が考えられる。 3.アルコール飲料の輸出増加に向けた主な課題と施策 ここまで、ウイスキー、清酒、ビールの輸出動向を分析してきたが、本章では、各業界が輸出増加において直面している主な課題を明らかにするとともに、これらの課題に対する施策を考えていく。日本の伝統的な酒文化を世界に広めるためには、戦略的なアプローチとともに、国内産業の持続可能な発展を促進することが急務である。これにより、さらに多くの国々で日本の酒類が愛されることを目指すものである。 (1) ウイスキー 近年、日本産のウイスキーは急速に輸出市場が拡大しており、売りたくても原酒が不足する問題が生じている。ウイスキーは長期間の熟成が必須であり、将来の需要を見込んで生産量を一朝一夕に増加させることは困難である。 このような中、全国規模で小規模の蒸留所が相次いで開設されている。ウイスキーの蒸留所を開設するためには免許が必要である。2014年には年間1件の法人がこの免許を取得していたのに対し、コロナ禍以降の2021年は年間34件と大幅に増加している。免許取得者数が新規参入者の数と必ずしも一致しないものの、ウイスキー業界に注目を寄せる企業が増えていることは明らかである。また、筆者が2024年7月時点で確認できた蒸留所の数は92件あり、2010年代が10数件の蒸留所しかなかった点を踏まえると、ウイスキー業界が急速に発展していることは疑いがない。 新規参入者の増加は歓迎されるが、一方でいくつかの弊害も生じている。その一つが樽価格の上昇である。世界的なウイスキー需要の高まりと国内の新規参入者の増加により、樽価格はわずか数年で2~3倍に上昇している。ウイスキー事業は初期コストが高く、資金の回収にも時間がかかるため、こうした初期コストが増加する問題は、新規に参入した事業者および既存の事業者にとって重い課題である。 図表9 酒類等製造免許の新規免許取得件数 (出所)国税庁HP「酒類等製造免許の新規取得者名等一覧」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 さらに、急激に新規参入者が増加したことにより、国内向けのウイスキー市場は競争がより激化し、当初計画していた事業計画の実現が難しくなる可能性も挙げられる。新規免許取得状況を確認すると、2021年ごろに取得した事業者の多くが2024年ごろに3年熟成の商品を上市させることが予想される。 また、ブランド管理の観点から、日本で製造・熟成されたウイスキー「ジャパニーズウイスキー」の定義は急務だ。現状の酒税法では、ウイスキーの定義は定まっているものの、ジャパニーズウイスキーに関する定義は定まっていない。酒税法では、スピリッツ等が最大90%加えられて出来上がった代物でも「ウイスキー」を名乗ることが可能である。また、海外から輸入してきたウイスキー樽を国内で瓶詰めした商品を『ジャパニーズウイスキー』と名乗ることに対して、酒税法では罰則を設けていない。ジャパニーズウイスキーが国際的に注目を集めている中、法制度の隙間を悪用する事業者が出てくる可能性は高い。 現状のジャパニーズウイスキーの評判は、先人たちの努力によって築かれたものであり、法制度の抜け穴を活用し、こうした評判を悪用する事業者は排除しなければならない。特に、ウイスキーは欧州をはじめ世界各国で愛飲されている酒であり、清酒と違って新たに市場を開拓するための啓蒙活動が不要である点を考慮すると、「ジャパニーズウイスキー」という名前だけで市場に受け入れらやすい側面がある。このような状況を踏まえると、法的な枠組みをもってジャパニーズウイスキーを明確に定義する必要性が高まっていると筆者は考えている。 実際、日本を除く5大ウイスキーの生産国である、スコットランド、アイルランド、アメリカ合衆国、カナダでは品質を担保させるためウイスキーの定義を確りと法律で定められている。例えば、スコットランドのウイスキーの定義は、「国内で3年以上樽熟成されている」、「水とカラメル色素以外は足されていない」こと等が定義づけされている。また、アメリカ合衆国のウイスキーは、バーボンやコーンウイスキー、テネシーウイスキー等、それぞれ別の法律で定められている。 日本の自主規制機関における規制も、こうした法律を参考にして策定されていると考えられ、国がウイスキーを日本の基幹的な輸出産業として認識しているならば、悪質な事業者がジャパニーズウイスキーの評判を落とす前に法整備を進め、海外輸出を促進していく必要がある。また、地理的表示(GI)としてジャパニーズウイスキーを設定することも一つの手段だと考えている。すでに日本酒がGI登録されているため、ジャパニーズウイスキーも同様に登録が可能であると考えられる。 (2) 清酒 弊部では、中国の伝統料理である火鍋と清酒のペアリングを促進する取り組みを行った実績がある。この取り組みは、清酒と現地料理のペアリングを図り、輸出増加を目指すための良い参考になると考えている。 この取り組みは、具体的には、県内の一部酒蔵を取りまとめて、火鍋と清酒のペアリングの作成、プロモーション活動、現地バイヤーとの試飲会・商談会等の実施である。火鍋は中華料理であり、清酒は中華圏からみると異文化そのものあるため、その魅力を消費者に伝えることが重要である。そのため、弊部の取り組みでは、火鍋の多様な具材やスパイシーな味付けに合う清酒を選定し、消費者やバイヤーにその相性の良さを体験してもらう機会を提供した。 今後の課題として、火鍋と清酒の文化を定着させるために、教育やプロモーションの取り組みを強化することが重要である。定期的に火鍋とのペアリングイベントを開催し、消費者に直接その魅力を体験してもらうことができる。特に、高級レストランや専門店と提携し、火鍋と清酒のペアリングをテーマにした特別なイベントを実施することで、清酒への理解を深める機会を提供できる。また、現地の飲食業界のプロフェッショナル向けに、清酒の特性や火鍋との組み合わせについての研修を行うことで、専門知識を深めることも重要である。 さらに、マーケティング戦略の見直しも必要である。特に若年層や健康志向の消費者をターゲットにした広告展開を行い、清酒の健康効果や低アルコールの特性を強調することで、より多くの人々にアプローチできる。SNSを活用し、火鍋とのペアリングを紹介するコンテンツを作成し、InstagramやTikTok等で拡散することが効果的である。最後に、物流と供給チェーンの強化が求められる。輸送コストを見直し、現地での価格競争力を向上させることで、清酒のアクセスを容易にする。また、現地の流通業者による適切な清酒の管理も求められてくるため、現地業者への啓蒙活動が必須となってくる。 これらの取り組みを通じて、日本の清酒が火鍋をはじめとする現地料理とペアリングしやすくなり、輸出が増加する可能性が高まる。清酒と現地料理の文化を定着させる試みは一朝一夕には実現しないが、今後清酒の輸出量を一段階上に引き上げるためには、従来の日本料理との提案だけでなく、新たなアプローチが求められる。こうした現地料理との相互理解と協力を基にしたアプローチが、清酒の国際的な普及に寄与するであろう。 (3) ビール 日本のビール産業は、その優れた品質から国際的に高い評価を受けているが、輸出量の増加にはさまざまな課題が存在している。特に、輸送コストが販売価格に影響を及ぼし、現地のビールメーカーとの価格競争が難しくなることが大きなネックである。ビールは鮮度が重要な商品であるため、島国である日本からの長距離輸送による品質の劣化が懸念される。そのため、輸出の切り口ではなく現地生産や地場のビールメーカーを買収するケースが目立つ。このような状況では、一般的なビールの輸出だけでは限界があり、より革新的なアプローチが求められる。 その一つの施策は、独自商品の開発・展開である。近年では、「職人技のビール「手作りのビール」といわれるクラフトビールや、アサヒビールが展開する「生ジョッキ缶」等、ユニークな商品が注目を集めている。クラフトビールは特に海外の若年層に人気があり、日本の多様な地元産の素材を使った新しいビールのプロモーションを強化することで、輸出を促進することができる。また、「生ジョッキ缶」のような革新的な商品は、手軽に日本のビールを楽しむ方法として海外市場でのニーズに応えることが期待される。 このような商品で新たな市場を開拓するためには、当然、現地パートナーとの協力が不可欠である。現地のディストリビューターや小売業者との連携を強化し、販売チャネルを拡大することが求められる。また、現地の市場ニーズに応じたマーケティング戦略を共同で策定することも重要である。 結論として、日本のビール輸出を増加させるためには、輸送コストや価格競争を克服しながら、品質の高さを活かし、独自の商品展開を進めていくことが求められる。クラフトビールや「生ジョッキ缶」等の革新的な商品を通じて、海外市場での競争力を高め、持続可能な成長を目指す必要がある。もしくは早期に一定以上の規模獲得とそれに伴う現地生産(OEMを含む)の開始が必要であると考えられる。量当たりの単価が、今回紹介した清酒やウイスキーと比較すると安価であるため、輸出だけで量を増やすと物流コストが合わないことを念頭に戦略的な取り組みが求められている。 おわりに 本レポートでは、ウイスキー、清酒、ビールの輸出動向を中心に考察し、現状の主な課題と施策を明らかにした。しかし、輸出の現状だけでは捉えきれない複雑な課題も存在している。たとえば、国内外の消費者行動の変化や、環境への配慮、労働力の確保といった側面も考慮する必要がある。また、国際市場での競争が激化する中、他国の醸造技術やマーケティング戦略との比較も重要な視点となるだろう。 特に、個別企業の努力だけでは解決しきれない課題も多く存在する。市場の開拓や国際的なブランド力の向上には、業界全体の協力が不可欠である。これを実現するためには、国を挙げての体制整備が求められる。政府や関連機関が一丸となり、輸出促進のための政策や支援体制を整えることが、持続可能な成長を達成するための鍵となるだろう。 現在、順調に成長を遂げている日本のアルコール飲料の輸出であるが、ウイスキーに関して考えると、本場イギリスの輸出金額は2023年には56億ポンド(約1兆800億円、スコッチウイスキー協会調査)に達しており、イギリスのウイスキー単体で日本の農林水産物・食品の輸出金額に匹敵する金額となっている。 また、日本で清酒を「ソウルドリンク」とするならば、イタリアではワインがその地位を占めており、2022年の時点でワインの輸出金額は82億USドル(約1兆1,800億円)に達している。 このように、順調に成長を続けているアルコール飲料業界であるが、グローバルな視点から見ると、まだまだ規模が1周りどころか2周りも違うことを意識しなければならない。例えば、最も世界で飲まれているウイスキーブランドの「ジョニーウォーカー」のようにグローバルブランドの世界で定着している長い歴史と比べると、日本産アルコール飲料の輸出の「伸びしろ」は大きい。今後、さらなる成長を目指すためには、国際市場において競争力を高めるための戦略的な取り組みが求められる。 当然、アルコール飲料の輸出強化を考えた際には、本レポートの範囲を超えた詳細な検討が必要である。次回以降のレビューにおいては、これらの課題を深掘りし、具体的な解決策や戦略を提示していく予定である。業界全体の成長のためには、包括的な視点からのアプローチが求められることを再確認し、今後の取り組みに期待を寄せている。 ディスクレイマー 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外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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01/26 16:00
世界へ羽ばたくジャパニーズ・スナック ~サブスクリプション(定期購入)型お菓子の越境ECサービス~
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 ヴァイス・プレジデント 中村 さやか(2025年1月20日) はじめに 渋谷や新宿といった繁華街の小売量販店やドラッグストア等に入ると、棚を覆いつくす様々なフレーバーの「キットカット(製造元:ネスレ日本株式会社、本社:兵庫県)」や、季節ごとに新しいフレーバーが出る「アルフォート(製造元:株式会社ブルボン 、本社:新潟県)」等、日本でしか購入できないチョコレート菓子が、次々と訪日外国人観光客(以下、「インバウンド観光客」)に買われていく姿に、圧倒された読者も少なくないのではないか。また、日本を代表する空の玄関口である羽田空港国際線のお土産売り場では、インバウンド観光客から絶大な人気を持つ「ROYCE(製造元:ロイズチョコレート株式会社、本社:北海道)」や「白い恋人(製造元:株式会社石屋製菓、本社:北海道)」といった銘菓を、空港従業員の方がひたすら品出ししている人気ぶりである。インバウンド観光客に大人気の日本のお菓子は、この先どのような可能性を秘めているのであろうか。 1.日本の菓子業界の現況 あらゆる産業で人口減による需要減が待ち受けていると言われる国内市場において、菓子類は、コロナ禍の特殊要因を除くと、過去10年間で生産金額、小売金額、生産数量は小幅ながらも毎年増加基調である(図表1)。品目別では、特にチョコレート菓子、スナック菓子の貢献度が高い。また、総務省の家計調査を見ると、1世帯あたりの消費額はコロナ禍の巣ごもり消費の特殊要因はあれ、過去10年間で堅調に消費額が伸びている(図表2)。また、堅調な国内消費に加え、海外への輸出、そしてインバウンド観光客によるお土産需要といった「外需」主導の要因も貢献していると思われる。 まず、海外への輸出については、過去10年間で、数量ベースでは2013年の1.4万トンから2023年の2.8万トンと1.57倍に拡大し、同じく金額ベースでは同159億円から同430億円と2.7倍まで伸長するなど、2023年度[1]には輸出が、数量・金額ともに過去最高を更新した(図表3)。 (出所) 全日本菓子協会公表データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (出所)総務省 家計調査(平成25年~令和5年)より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (出所)全日本菓子協会公表データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 輸出品目(2023年度)をみてみると、1位がキャンディー類(ココアを有しないもの)、2位がチョコレート菓子(塊状、板状、または棒状。詰物なし)、3位があられ、せんべいその他米菓となっている。特に過去10年間では、キャンディー類(ココアを有しないもの)の増加幅が大きく、数量・金額ともに2倍以上の伸びとなっている。 輸出金額が過去最高を更新した背景には、輸出数量が伸びたほかに、円安およびお菓子の主原料である卵や小麦粉、カカオ豆等の原材料の高騰・水道光熱費の高騰による価格転嫁が進んだ要因もある。 輸出数量が増加した背景には、主に、①海外における日本食ブーム(例:スーパーフードとしての抹茶、人気なフレーバーとしての柚子関連食料品への支持拡大)およびインバウンド観光客増加による相乗効果を伴った消費者ニーズの高まり、②メーカー側の海外進出意欲の高まりによるマーケットインの商品開発(例:森永製菓株式会社の「ハイチュウ」の米国での躍進、カルビー株式会社・亀田製菓株式会社のローカライズ戦略)、③政府の後押し(例:輸出拡大実行戦略に基づく具体的な施策の輸出重点品目28品目の選定)等の事業環境の整備がある。 次に、インバウンド観光客によるお土産需要については、近年の円安の追い風に加え、インバウンド観光客を乗せる航空便の本数もコロナ禍前の水準に戻ったこともあり、絶好調である。日本政府観光局によると、2024年1月から11月までに日本を訪れたインバウンド観光客は推計で3,337万人となり、仮に2024年12月に2023年12月と同数の237万人が訪日した場合、2024年12月には3,574万人になる見通しである。この見通しは、コロナ禍以前の過去最多記録である2019年の3,188万人を更新することとなる。なお、国・地域別のインバウンド観光客数では、台湾、韓国、中国、香港、米国が上位5か国を占めている。 さらに、インバウンド観光客一人あたりの菓子購入額は、2023年に11,107円と過去最高を更新しており、2013年の9,583円から15.9%増加している(図表4)。2023年のインバウンド観光客一人あたりの菓子購入額である11,107円に、2024年のインバウンド観光客推計値の3,574万人を積算すると、なんと3,969億円超の菓子購入額となっており、もはや菓子類の国内市場の10.8%を占めていることが分かる。 図表4 インバウンド観光客一人あたりの菓子類購入額[2](2013~23年) (出所) 日本政府観光局公表データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2.越境ECの足元の状況 インバウンド観光客の増加は、旺盛なインバウンド消費に繋がっている。さらに、インバウンド観光客の消費行動は日本滞在時に限らず、本国に帰国しても、旅行時に購入したものを再度購入したいと考えるインバウンド観光客、そしてインバウンド観光客の旅行滞在中のSNS投稿やお土産等の影響に感化されて購買行動を起こす層が一定数いることから、日本から海外へモノやサービスを販売する越境EC(電子商取引の略称)の活況にも繋がっていると言われている。 経済産業省が実施した「令和4年度 電子商取引に関する市場調査」[3]によると、2021年の世界の越境EC市場規模は7,850億USドルと推計され、2030年には7兆9,380億USドルと10倍以上の拡大が予想されている。中でも、日本を訪問するインバウンド観光客のうち、5本の指に入る米国人観光客と中国人観光客の母国市場は巨大だ。同調査によると、令和4年度末において、日米間の越境BtoC-ECの市場規模は、1兆3,056億円、日中間の越境BtoC-ECの市場規模が2兆2,569億円となっており、今後の拡大が見込まれる。 越境ECは通常の商流と比較すると、出店コストの低さが圧倒的な利点として存在する。海外進出を希望する事業者からすると、海外に実店舗を展開する場合、現地で責任者を採用あるいは現地に責任者を派遣して市場調査や物件調査を行い、テナントを契約し、実店舗を完成・運営していくためには相当なリソースが必要である。また、販売する商品も、当初は日本から輸送する必要があると思われる。その点、越境ECサイトであればインターネット上に店舗を開設するのみで、手続きが遥かに容易となる。 一方で、越境ECであっても、食料品については、現地の顧客の食習慣や好みの味などニーズに合わせつつ、日本らしさを失わずにローカライズさせていく難しさがある。また、米国や欧州をはじめ食品の輸入規制が厳しく、小売販売向けの商品を開発するためには、添加物を含む原材料や輸出入に関する知識も必要となるため、日本の中堅・中小企業が個別に対応するには非常にハードルが高い。さらに、現地の物流事情は日本のように正確性が担保されていないうえに、輸送・保管時の温度帯の管理が洗練されていないこと等、自らの手ではコントロールできない様々な課題が存在する。従って、自社単体で越境ECに挑戦する決断はなかなかつかないというのが現状だ。 3.日本のお菓子に特化した越境ECスタートアップの先進事例 自社単体で、越境ECに挑戦する決断は、中堅・中小企業にはなかなかつかないという現状がありつつも、追い風となるスタートアップが続々と誕生している。その一つが、海外の顧客へ毎月、定額で日本のお菓子を届けるサブスクリプション(定期購入)型サービスを展開する越境ECスタートアップであり、先進事例として、株式会社ICHIGO(日本)とBokksu Inc.(米国)が挙げられる。 これらの越境ECスタートアップは、日本のお菓子の可能性に着目し、日本の中堅・中小企業が製造したお菓子を独自に選別し、海外輸出が可能かを調べたうえで、海外に輸出をしている。また、自治体や金融機関と協業し、積極的に日本の中堅・中小企業の菓子を発掘し、インバウンド観光客誘致の一助を担っている。 1)株式会社ICHIGO(日本)[4] 東京に本社を置く株式会社ICHIGOは(以下、ICHIGO)、2015年3月に近本あゆみ代表取締役(以下、近本代表)と共同創業者によって最初のサービス「Tokyo Treat」をローンチした。近本代表は新卒で株式会社リクルート(以下、リクルート)に入社。入社当初は「HOT PEPPER Beauty」の営業担当であったが、入社2年目から国内ECの新規事業の企画担当に就任し、競争環境が厳しい国内ECで成功を収めることは難しいことを学んだ。リクルート在籍中から起業を念頭に置く中で、インバウンド観光客が日本のお菓子を「爆買い」している姿を見て、国内ECは競争環境が厳しいものの、海外向けであればEC事業への参入機会があると考え、リクルートを退社後、 2015年に海外向けの通販事業を手がける「movefast」を創業。 その後、社名を「一期一会」を由来とするICHIGOに変更した。創業以来エクイティ調達は一切行っておらず自己資本経営を貫いている。 現在、ICHIGOは以下、日本のお菓子のサブスクリプション(定期購入)サービス2種、お菓子以外のサブスクリプション(定期購入)型サービス2種、越境ECサイト、オンラインクレーンゲームサービス等を運営しており、日本のお菓子を取り扱う越境ECのリーディングカンパニーだ。 <日本のお菓子のサブスクリプション(定期購入)型サービス> ①「Tokyo Treat」 「キットカット」等の大手メーカーの商品を中心に、15~20種類の日本のお菓子、スナック、ヌードル、飲料、菓子パン等の詰め合わせ。価格は毎月一箱$32.50~$37.50前後。商品のラインナップは、テーマを設けて、毎月変更されるサブスクリプション(定期購入)型サービス。各商品の説明等が書かれたパンフレットも含まれている。 ②「Sakuraco」 地方の中堅・中小企業である老舗和菓子メーカーによる日本の伝統的なお菓子を中心に詰め合わせ、和雑貨をプラスしている。商品のラインナップは、テーマを設けて、毎月変更されるサブスクリプション(定期購入)型サービス。各商品の説明やクローズアップされた都市や地域の紹介が書かれたパンフレットも含まれており、地域振興の一翼を担う。 図表5 ICHIGOの各サブスクリプション(定期購入)型サービス① (左:「Tokyo Treat」 、右: 「Sakuraco」 x 栃木県コラボレーションボックス)(出所)ICHIGOプレスリリースより抜粋 <その他日本関連のサブスクリプション(定期購入)型サービス> ①「Yume Twins(ユメツインズ)」 日本のキャラクター雑貨の詰め合わせ。商品のラインナップは、テーマを設けて、毎月変更されるサブスクリプション(定期購入)型サービス。 ②「nomakenolife.(ノーメイクノーライフ)」 日本と韓国のコスメグッズの詰め合わせ。商品のラインナップは、テーマを設けて、毎月変更されるサブスクリプション(定期購入)型サービス。 図表6 ICHIGOの各サブスクリプション(定期購入)型サービス② (左:「Yume Twins」ボックス例、右:「nomakenolife.」トップページ)(出所)「Yume Twins」、「nomakenolife.」 サービスホームページより抜粋 <その他サービス> ①「Japan HAUL」 日本の銘菓やお茶などの食料品に限らず、日本の工芸品や雑貨や美容用品も販売するECサイト。 ②「TokyoCatch」 クレーンゲームをオンラインで操作し、景品を手に入れるオンラインゲームアプリ。EC関連事業の物流倉庫に専用のクレーンゲームを設置し、海外顧客がアプリを通じて操作、獲得した景品を物流倉庫から配送。 ICHIGOは180か国、累計360万個以上の出荷実績を持ち、出荷実績上位3か国は米国、英国、カナダである。次いで、欧州各国が続いており、顧客の8~9割が欧米地域で占められ、残りが中国を除くアジア圏という構成だ。顧客の8割は女性で、「Tokyo Treat」は20~40代と比較的若い層が中心であることに対して、「Sakuraco」は30代以上が多いそうだ。顧客がICHIGOのサービスを利用するきっかけは、友人・知人やインフルエンサーによるSNSや動画サイトへの投稿であることが多く、マーケティングに力を入れている。 驚くことにICHIGOの正社員の8割は海外人材で、特に力を入れているマーケティングの担当者は全て外国人社員である。外国人社員が現地顧客の感覚を取り入れて運営しているため、成功を収めることができていると自負する。また、品質管理および利益率維持の観点から、梱包は日本で内製化して会社設立当初からブランド開発、デザイン、Webサイトの構築・運営、商品開発から梱包・配送に至るまで全て社内で内製化して行っている。 さらに、ICHIGOは自治体や地域金融機関との協業によるコラボレーションを積極的に推進しており、2022年から現在まで14の自治体・地域金融機関との協業実績を持つ。例えば、神奈川県とのコラボレーション企画では、「鎌倉の正月」をテーマにしたボックスや、神奈川県の名産品である「湘南ゴールド」という柑橘を原材料としたゼリーなどの開発を実施した。地方ならではの特色を生かした中堅・中小企業が製造する銘菓は、海外顧客にも好評で、商品のみならず、クローズアップされた都市や地域に興味を持ってもらう情報発信の役割を担っており、こうした動きはインバウンド観光客の増加にも繋がると思われる。 今後は、地域ごとの銘菓だけではなく、雑貨や工芸品まで取り扱う商品を広げていきたいと考えているそうだ。その一歩として、2023年にはサブスクリプション(定期購入)型サービスとECサイトを統合した英語版のアプリ「ICHIGO」をローンチし、販路や新規顧客の拡大を進めるとともに、海外の顧客から「ICHIGOなら、日本のものが何でも買える」と認知してもらえるようなサービスを目指していく。 図表7 ICHIGOによる自治体や地域金融機関とのコラボレーション事例 (左:「Sakuraco」 x 神奈川県コラボレーションボックス、右:「Sakuraco」 x 京都府・京都信用金庫コラボレーションボックス)(出所)ICHIGOプレスリリースより抜粋 ICHIGOの進化は止まらず、2024年10月にはGOOD IDEA COMPANY株式会社(本社:奈良県、以下GOOD IDEA COMPANY)の全株式を26億円で取得し、完全子会社化したと発表した。GOOD IDEA COMPANYは、いちごあめ専門店「Strawberry Fetish」やわたあめ専門店「TOTTI CANDY FACTORY」をはじめとした観光客向け飲食店事業を原宿、浅草、沖縄などの観光地を中心に全国で26店舗展開している。「Strawberry Fetish」のいちごあめや「TOTTI CANDY FACTORY」のわたあめは、SNS映えするインパクトが強い見た目で、インバウンド観光客のみならず国内の観光客からも非常に人気が高い。ICHIGOは自社で保有する総顧客数約560万人のグローバルな顧客基盤とGOOD IDEA COMPANYのインバウンド観光客の集客力を駆使し、オンラインとオフラインの両軸で、より多くの海外顧客に日本文化の魅力を伝える幅広い商品・サービスの提供を目指すそうだ。具体的には、既存の越境ECサービスで商品カテゴリーの拡充を図りながら、国内観光地への店舗展開でインバウンド観光客の需要を開拓し、各観光地との連携や中長期的には海外への店舗展開なども視野に入れ、日本発のグローバルスタートアップ企業として事業展開を推進していくとのことだ。 2)Bokksu Inc.(米国)[5] 米国ニューヨークが本社のBokksu Inc.(以下、Bokksu)は、2015年11月にアジア系(カンボジア/中国)米国人のダニー・タン(Danny Taing)氏によって設立された。ダニー・タン氏は、スタンフォード大学卒業後、Googleでマーケターとして勤務。その後、早稲田大学大学院に留学し、日本語を勉強して、卒業後に楽天に就職した。留学時や就職で日本に滞在している間に、様々な日本のお菓子と出会い、その味とバラエティの多さに魅了された。米国に帰国する際に、家族や友達にお土産として持ち帰ると、とても喜ばれるのにもかかわらず、米国から日本のお菓子を気軽に取り寄せるサービスがないということに気づき、Bokksuを起業した。Bokksuは、2022年1月には2,200万ドル(当時の為替レートで約25億円)のシリーズAの資金調達を実施。シリーズAではValor Siren Venturesが主導し、Company Ventures、株式会社サンクゼール、WiL、Headline Asia、Gaingels等が出資した。 現在、Bokksuは日本の菓子のサブスクリプション(定期購入)型サービスや越境ECサイト等の以下の3つのサービスを運営している。 ①「Bokksu Snack Box」 Bokksuの目利きによって月ごとに選別された日本のお菓子をボックス(=Box、社名のBokksuの由来)に詰め、サブスクリプション(定期購入)スタイルで世界中の顧客へ提供。各ボックスには日本の中堅・中小企業の菓子製造事業者のお菓子を中心に20種類以上の商品が含まれており、日本のお菓子のみならず、日本茶等のティーバッグやBokksuでしか手に入らない限定のお菓子、さらに各商品の由来等が書かれたパンフレットも含まれている。提供プランは、1年に1度届くプランで$39.99、4か月に1度届くプランで$34.99、2か月に1度届くプランで$32.99、毎月届くプランで$29.99と4プランがある[6]。 ②「Bokksu Boutique」 日本の銘菓やお茶などの食料品に限らず、日本の工芸品や雑貨や美容用品など比較的価格帯が高い「プレミアム品」を販売するECサイト。 ③「Bokksu Market」 醤油やみそなどの日本の調味料、麦茶・ほうじ茶・緑茶などの日本の飲料、「ポッキー」や「キットカット」などの量販店向けお菓子といった日持ちのする「日用品」を販売するECサイト。 Bokksuは、既に100か国・100万ボックス以上の出荷実績を持ち、米国とカナダを中心に3万人超の定期購入顧客[7]が存在する。その顧客の多くは30代から40代の「日本が好き」という親日派の顧客だ。 現在、ニューヨーク本社と東京支社の2拠点があり、ニューヨーク本社のチームは、東京チームから送られてくるお菓子の試食・選別、企画立案、Webサイトの構築・運営、物流・カスタマーサービスを担当し、東京のチームは新たなお菓子の発掘、契約先となる菓子製造事業者との契約管理、プライベートブランド商品の契約先管理を担当している。また、米国・ニュージャージー州に自社で倉庫を構え、物流を内製化することで、日本に比べて物流事情が劣る米国でのサードパーティーロジスティクスのコスト削減および品質維持に努めている。 月ごとのボックスは、テーマ決定の1年以上前から動いており、顧客満足度の向上に向けて相当な労力が注がれている。具体的には、まず、東京チームが発掘した100種類以上の候補品を、月ごとに決まったテーマと色に沿って40種類に絞り込んだ後、各メーカーと直接連絡をとって取り寄せた試食品をニューヨーク本社の20名程度のスタッフで試食会を行い、品評のうえ、最終化していくプロセスに3ヶ月ほどかけている。その後、ビジネスモデルの特徴となるBokksuの目利きによって、選別されたお菓子を製造するメーカー、とりわけ地方の中堅・中小企業と直接取引を行う。このような企業が自社で海外展開するのは難しいうえに、越境ECプラットフォームに乗ることさえハードルが高い。それらを全てBokksuにお願いすることができる。日本の中堅・中小規模の菓子製造事業者が、海外スタートアップと共同で商品開発を行う事例は聞いたことがなく、画期的な取り組みと言える。これは、Bokksuの主要顧客である20~30代の現地消費者の「スモールビジネス(中堅・中小企業)をサポートしたい」、「丁寧に作られた製品を取り入れたい」、「社会貢献がしたい」というニーズとも合致しており、Bokksuのビジネス方針に共感した強固なファン顧客がBokksuのサービスを支えている。 さらに、Bokksuは顧客のお菓子へのフィードバックを、直接、取引先である菓子製造事業者に共有し、菓子製造業者の商品開発をサポートしている。2023年6月には、Bokksuの日本法人が、JETRO(日本貿易振興機構)の「対日直接投資喚起事業費補助金」の事業者に採択されるなど、Bokksuの取り組みが日本の菓子製造事業者の海外販路拡大並びに地域経済への発展に貢献することが評価されている。 なお、Bokksuはスタートアップにも関わらず、同業者の買収も試みている。2023年9月には、日本を代表するポップカルチャーと共に、日本のお菓子を届けるサブスクリプション(定期購入)型サービスを展開しているJAPAN CRATE合同会社(本社:東京都)を買収し、①10代後半から30代前半のBokksuよりも若い顧客層、②アウトレット店舗を含む5,000店以上の店舗を持つ米国内の小売パートナーとの取引関係を手に入れ、小売店チャネルでの展開も図っていくと発表した。この買収により、Bokksuは日本のお菓子のサブスクリプション(定期購入)型サービスを展開する企業において最大規模となり、実店舗とオンラインショッピングを通して、顧客により差別化した体験を提供していくとのことで、益々の成長が期待される。 これまでみてきたように、ICHIGO、Bokksuは、共に外国から見た日本のお菓子の多品種・季節性というユニークポイントやインバウンド観光客の「爆買い」需要から、日本のお菓子の可能性に商機を見出し、中堅・中小の菓子製造業者の銘菓を含めたスナックボックスをサブスクリプション(定期購入)型サービスという形で提供している。そして、両社の商品に、銘菓の背景やクローズアップされた都市や地域をまとめた冊子同封することで、日本への興味を深めてもらい、インバウンド観光客を増やす情報発信の一翼を担っている。 さらに、顧客からのお菓子へのフィードバックを、菓子製造事業者にフィードバックすることで、菓子製造業者の商品開発の意思決定をサポートしており、日本の中堅・中小企業にもメリットがある形の事業運営を推進している。また、日本のお菓子に限らず、日本の工芸品や雑貨や美容用品にまで販路を提供している点においても、総合的に地域振興に寄与していると言っても過言ではない。 菓子製造事業者としても、ICHIGOやBokksuのサブスクリプション(定期購入)型サービスのスナックボックスの中に、自社のお菓子が採用されることは、自社のみで闇雲に海外進出を行うのではなく、自社のお菓子がどのように海外の方に受け取られるのか、テスト・マーケティングとしても非常に参考になり、自社の商品開発の方向性や海外進出をはじめとする事業戦略を見直す好機になっているという。 おわりに 日本には大手メーカーが製造する量販店で販売されているお菓子や地方の中堅・中小企業が作っている銘菓、どちらも豊富な種類が存在する。また、季節ごとにフレーバーが変わるないしそもそも季節限定でしか販売していないお菓子もある。一方で、海外は、昔から存在する定番のお菓子が、1年中同じフレーバーで販売されている。バレンタイン、ハロウィン、クリスマス時は、イベントに応じて包装が変わることがあっても、原則、フレーバーは同じである。従って、日本に居住しているとなかなか気づきにくいことではあるものの、春になれば、チョコレート菓子や飲料を「桜」フレーバーや「桜」色に変えたり、夏になれば、ゼリー類に金魚が浮いていたり、飲料を「ラムネ」フレーバーに変えて「涼」を楽しんだり、秋になれば、チョコレート菓子やスナック菓子の素材に「カボチャ」や「焼き芋」を用いたり、冬になれば、「雪」を模した「ホワイトチョコレート」商品を楽しんだりといった「季節を味わう」ことができるのは日本のお菓子ならではであり、事業上の唯一無二の強みなのである。 また、海外は国土が広いからか、都市部であっても、日本の都市部のように、徒歩圏内にいくつもコンビニエンスストアやスーパーマーケットがあるという環境ではないため、定期的に自宅まで物品を届けてくれるサブスクリプション(定期購入)型サービスは、顧客にとって非常に利便性が高く、2013年ごろから物販系・サービス系を含むあらゆる種類のサブスクリプション(定期購入)型サービスが広がった。 さらに、海外にも、日本でいう「10時のおやつ」や「15時のおやつ」のようなスナッキング(Snacking:おやつを食べること)文化があることが多く、文化的にも、お菓子に特化したサブスクリプション(定期購入)型サービスはマッチしたのだ。 時流と文化的背景に対して日本の強みがフィットした結果、ICHIGOやBokksuは目覚ましい事業成長を遂げたのである。そして、両社は日本のお菓子のサブスクリプション(定期購入)型サービスに始まり、日本の日用品、美容品、工芸品等カテゴリーを増やして越境ECサイトを運営し、オフラインチャネルの拡充を狙ったM&Aを実施する事業戦略を展開し、急速なスピードで事業を推進している。 今後は、いかなる消費者向けビジネスにおいても、リアルな体験と越境ECにおける統合的な体験設計が求められるはずだ。お菓子を製造・外食等で提供する企業にも、インバウンド観光客の滞在時の体験設計と帰国後のフォローアップ体験の統合を視野に入れて商品開発・店舗開発・マーケティング企画を行うと、海外での事業機会がさらに拡大し、売上増・利益増に貢献するのであろう。 筆者としても、今後もユニークで美味しい日本のお菓子が、国境を越えてその価値を認められる、日本を訪れるインバウンド観光客が増え、さらに日本のお菓子の消費が増えるという良い循環が益々強化されることを切に願い、越境ECスタートアップの事業成長を見守りたい。 [1] 全日本菓子協会 菓子データ 令和5年度 https://anka-kashi.com/images/statistics/r05.pdf [2] https://statistics.jnto.go.jp/graph/#graph–average–spending–per–capita–by–category より各年の「全体」の金額を参照 [3] 令和5年8月 経済産業省 商務情報政策局 情報経済課 https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/statistics/outlook/230831_new_hokokusho.pdf [4] 「日本のお菓子のサブスクで世界中に笑顔を届けたい ICHIGO代表・近本あゆみ【2024年度入学記念号】 – 早稲田ウィークリー 」 https://www.waseda.jp/inst/weekly/news/2024/04/05/116665/参照 「サブスクサービスの新機軸。「海外越境EC」との掛け合わせで日本のお菓子が大ヒット」https://www.dentsu-pmp.co.jp/contents-bae/subscription_ichigo参照 [5] 【#112】五感すべてを満足させるお菓子を提供。日本のお菓子を通して日本文化を世界中に届けたい|CEO Danny Taing(ダニー・タン)(Bokksu Inc.) – ベンチャー.jp、参照 [6] 2024年12月末時点 [7] 2023年時点。会社発表。コロナ禍では、巣籠需要をとらえて4万人超の定期購入顧客がいたものの、コロナ禍は落ち着いた模様である ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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01/25 16:00
食品メーカーによる原材料生産者との取引におけるポイント
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 コンサルタント 李 元(2025年1月17日) はじめに ここ数年、スーパーやコンビニで買い物をすると農産物、食品の価格が明らかに高くなったと感じる。実際、2024年12月公表の帝国データバンク「「食品主要195社」価格改定動向調査」」によると、2022年から2024年の間に値上げした食品は70,000品目超で、1回あたりの平均値上げ率は14%、15%、17%と年々増加傾向にある。また、2025年1~4月に値上げが予定されている食品は6,121品目、1回あたりの予定値上げ率も18%と食品値上げの流れはしばらく続きそうである。(図表1)。値上げの要因は、「原材料高」が「エネルギー(電気・ガス含む)」、「円安」等を凌ぎ1位となっている。 それでは、値上げを行う食品メーカーは、調達、製造、販売という商流の中でのコスト増をどの程度価格に転嫁できているのだろうか。中小企業庁「価格交渉促進月間(2024年9月)フォローアップ調査結果」をみると、2024年9月時点で食品製造の価格転嫁率は55.3%と十分に価格転嫁できていないことが分かる。 このような状況下において、筆者は、食品メーカーが販売以外のバリューチェーン(主に調達と製造)を自社でコントロールすることで、中長期の視点において、価格転嫁が不十分な中で「原材料高」を起点とした課題を和らげることができると考える。 本稿では、食品メーカーの調達に焦点を当て、原料調達における生産者との取引におけるポイントを論じる。 図表1 2022~25年の食品値上げ品目数、平均値上げ率(左)と24年の食品値上げ要因(右) (出所)帝国データバンク「「食品主要195社」価格改定動向調査」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 1.食品メーカーの原材料調達における課題と直接取引 食品メーカーの調達課題を考える際、「価格」はもちろん重要だが、当然、「量」と「品質」を無視するわけにはいかない。つまり、(1)安定的な価格での調達、(2)必要量の安定的な確保、(3)原材料に適した一定品質の確保の3つの課題を同時に満たすことが食品メーカーにとっては重要である。 また、食品メーカーによる原材料の調達方法としては、「間接取引」と「直接取引」に大きく分類することができる。なお、本稿での間接取引とは食品メーカーが食品卸売業者等を介して原材料の調達を行うこと、直接取引とは食品メーカーと生産者が直接取引を行うことをそれぞれ指す。 以下、食品メーカーの調達における上記3つの課題を、間接取引と直接取引の2つの調達方法との比較で整理していく。 (1)安定的な価格での調達 間接取引の場合、一般的に食品卸売業者等の中間業者が取扱う農産物の規模は食品メーカーと比較して大きく、生産者に対して価格交渉力を持つことが期待できる。その一方で、中間業者を介す分の価格への上乗せが生じるデメリットがある。加えて、市場価格が変動した際は食品メーカーの調達価格に影響が生じる。量が確保できる市況では一般的に安く調達できるが、量が確保できない市況では基本的に高い価格で取引せざるを得ない。 直接取引であれば、中間業者を介すことによる価格への上乗せは行われず、全量買取り等の条件を付すことで事前に決めた一定の価格で取引することも可能になる。但し、食品メーカーの規模によって価格交渉の強弱が決まるため、小規模食品メーカーは高い価格での調達となってしまう可能性がある。 (2)必要量の安定的な確保 間接取引の場合、気候変動等により農産物が不作であったとしても、食品卸売業者等が有する各地域とのネットワークで、別の地域から農産物を調達できる。但し、そのような需給がひっ迫した状況では、高い市場価格で調達することが多くなるだろう。 直接取引の場合、食品メーカーは生産者と予め取り決めた量を調達できるメリットがあるが、食品メーカーが求める必要量が増える際は、複数の生産者や地域と直接取引を行う必要がある。また、直接取引だけでは気候変動等による不作が要因となり必要量を確保できないリスクもある。 (3)原材料に適した一定品質の確保 間接取引の場合、気候変動等の外部要因により食品メーカーが求める品質の農産物の調達が困難な時は、食品卸売業者等が有する各地域とのネットワークで、外部要因の影響を受けづらかった地域等から類似品質の農産物を調達することができる。一方で、食品メーカーが求める品質が高くなればなるほど、高い品質の生産物を調達できるとは限らなくなる。 直接取引であれば、食品メーカーが求める品質の農産物を生産している特定の地域や生産者からの調達が可能となり、品質改善への要望を直接伝えることもできる。但し、気候変動等により農産物の品質が悪化した際、別の地域から類似品質の農産物を確保できないリスクは残る。 上記をまとめると図表2の通りとなる。3つの課題から調達方法を比較すると、「価格」と「品質」においては、一定価格で中間業者による価格への上乗せもない点や食品メーカーが求める品質の農産物を生産している特定の地域や生産者と取引しながら双方の意見交換が可能な点で直接取引に優位性がある。その一方で、「量」においては必要量を安定的に確保できる可能性が高い間接取引に優位性がある。 その上で筆者は、今後の農業界の構造的な変化を踏まえると、直接取引の重要性が一層高まるものと考える。周知のとおり、日本の農業界は高齢化と共に特に個人農家が断続的に減少しており、その代役として法人を中心とした大規模農業経営が主流になり始めている。彼らは一般的な個人農家と異なり、資金やネットワーク、そして経営者マインドを持ち合わせる傾向が強い。彼らが規模を拡大する中で、また営利企業として再生産・再投資可能な利益を求める中、海外を含めて少しでも条件の良い販売先へ農産物を卸すようになることは自然である。これにより食品メーカーは「価格」等で好条件を提示する必要が出てくる。また、彼らが規模を拡大する中では、販売先となる食品メーカー等が求める「量」や「品質」を確保する農業経営を志すこととなり、仮に販売「量」の確保を自社で満たすことができない場合、既に一部で始まっているが、同様な大規模農業経営者との横連携(産地リレー)の仕組みを構築していくことであろう。食品メーカーからすれば直接取引でも「量」や「品質」を確保し易くなることに繋がるはずだ。 それ以外でも、足元のグローバル経済の動向を考慮すると、今後も不透明さが漂う。農産物の価格は引き続き乱高下しよう。昨年の米不足に伴う需給のひっ迫、米価格の高止まりは記憶に新しい。今年の調達価格は安いが、来年は「倍増」することも頻繁に起こるであろう。生産者、食品メーカー共に、それらに振り回されていては事業計画の実効性はもちろん、持続可能なビジネスとは言えなくなる。 このような時代が早晩訪れた際、量の課題を克服した直接取引のメリットは大きくなる。どのビジネスにおいても長年の信頼関係が重要となる。その時を見据えて、今からそのような大規模農業経営者と関係を構築することには大きな意義があろう。 次章では、長きに渡り大規模に直接取引を実施してきたカルビーと伊藤園を事例に取り上げ、食品メーカーが直接取引を導入、拡大するに当たって筆者が考えるポイントを論じる。 図表2 食品メーカーの原材料調達の主要課題と調達方法の特徴 (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 2.大手食品メーカーによる直接取引の先進事例とそのポイント 直接取引の歴史は古く、早いものだと明治時代初期からビール麦等で行われていた。その背景には原材料の安定確保という目的があったようだ。本章で直接取引の先進事例として取り上げるカルビーと伊藤園も、昨今のような不安定なグローバル経済が訪れる以前から、同様の理由で直接取引を開始している。 生産者との直接取引は長い歴史を有するが、カルビーや伊藤園のように、成功事例として挙げられるのは筆者が知る限り、数えるほどしかない。成功事例が少ない理由は多々あるが、食品メーカーと生産者が「Win-Win」の関係を持続的に構築することが難しい点に集約できる。食品メーカーの側でいえば、前章でも触れたように、必要量の安定的な調達が難しい点であろう。 その理由として、日本の農家は個人単位の小規模農家が多く、食品メーカーが必要とする量に対応できなかったことが挙げられる。また、地球温暖化による気候変動をはじめとした外部要因による不作等が障害となった可能性も高い。そうなると解決策として複数の産地や生産者と連携する重要性が増してくる。 筆者が考える直接取引を導入、拡大する際のポイントは、(1)契約栽培による全量買取りと栽培技術指導等の実施、(2)自社での種苗等の研究開発と契約農家への技術提供、(3)地域との連携拡大の3つであり、以下、カルビー、伊藤園の成功事例を通してレビューしていく。 (1)契約栽培による全量買取りと栽培技術指導等の実施 1つ目のポイントは、契約栽培による規格品の全量買取りと生産者に対する栽培技術指導等の実施である。カルビーは1980年前後に契約栽培を導入している。1970年代、流通するジャガイモの大半は糖分が多い生鮮用であり、ポテトチップス等のスナック菓子を主力とするカルビーは、糖分が少なく高温で揚げても変色しにくい加工用のジャガイモを確保する必要があった。そのため、個別農家や農協に対して生鮮用とは異なる品種の栽培について交渉を実施し、調達・生産に直接関わり始めた。現在は約40名の「フィールドマン」と呼ばれるスタッフが栽培技術指導を実施した上で、収穫されたじゃがいもは生産者の状況やでんぷんの含有量に合わせた単価等で買取っている。また、栽培技術指導の中には、自社で開発した新品種の提供も含まれている。地道な努力の結果、現在の契約農家数は、北海道の約1,000戸を中心に1993年比で2倍超の全国約1,700戸まで拡大している。 一方、伊藤園では1976年に契約栽培を始め、生産者が生産に集中できる環境作りを心掛け、茶葉の全量買取り、栽培技術指導に加えて、自らが集めた市場や消費者ニーズ等に関する情報を生産者へ提供している。多様な品種を栽培できる地区では、飲み手の嗜好に合った品種への植え替えや、有機栽培への転換も積極的に推奨している。2021年時点で同社の全国各地の契約農家による生産量は合計8,517tであるが、国内の茶葉生産量が106,600t(2023年)であることを考えると、伊藤園は契約農家から全国生産量の約8%分を調達していることになる。 このように、契約栽培は必要量を安定的な価格で確保できるだけでなく、栽培技術指導等によって品質の維持、向上にも貢献している。 (2)自社での研究開発と契約農家への技術提供 2つ目のポイントは、自社での研究開発と契約農家への技術提供である。カルビーは、2017年に約10年の研究開発期間を経て開発した「ぽろしり」というじゃがいもを品種登録している。「ぽろしり」は芽が浅いため皮が剥きやすく、糖度が低いので焦げにくいというポテトチップスに適した品種である。また、栽培面では病害虫等に強く、多収が期待できる。量と品質が安定するため、カルビーはもちろん、契約農家にも嬉しい優れた品種である。また、2019年には「なつがすみ」を品種登録に出願しているが、これは関東で問題になっている「そうか病」に耐性があり、関東地区での普及を想定しているようだ。 一方の伊藤園も、有機栽培技術の構築など、茶農業における技術開発に取組んでおり、そこで確立されたものを契約農家へ提供している。また、茶農業の技術開発と普及に向けたロードマップも作成しており、最終的には自社開発した茶農業の技術を契約農家へ普及させることを目的としている。 このように、自社で研究開発を実施、契約農家へノウハウ等を提供することで、品質の向上や安定化に結び付く。 (3)地域との連携拡大 3つ目のポイントは自治体やJAなど地域との連携を拡大することである。カルビーとホクレンは近年、じゃがいもの調達等で協業するようになり、新商品の発売や農家支援等でも連携している。背景には時代の変化が影響している。2017年にカルビーは前年の台風等の影響でじゃがいもが不作となり、ポテトチップスの一部販売休止に追い込まれ、更なる国産じゃがいもの確保が必要になった。一方、ホクレンは、2010年代に入り、消費者需要の変化と共に、じゃがいもの消費が生鮮用から加工用へと大きく動いたことで、加工用販路の安定確保の必要性が生じた。こうした時代の変化が、双方を協業へと向かわせたのだが、結果的に生産者の農業所得向上など、地域の活性化にも繋がる取り組みとなり今日に至っている。 伊藤園は2001年より「新産地育成事業」を開始した。当事業は地域自治体やJAと連携して耕作放棄地を活用した茶葉生産を推進するものである。他の農作物同様、茶葉生産も衰退の一途を辿っており、国産の茶葉にこだわる伊藤園としては将来を見据えて取組んでいるのだが、結果的に足元でも契約農家の拡大に寄与している。耕作放棄地の増加は日本各地の課題ともなっており、当事業が受け入れられやすい環境にもあるのだろう。 このように、地域の課題を解決しながら自社の調達力を拡大していくことは、食品メーカーが必要量を安定的に調達する上で、必要な戦略である。 以上、食品メーカーによる生産者との直接取引における3つのポイントを述べたが、(2)と(3)は時間もかかることが想定される。そのため、食品メーカーが直接取引を導入する際にまず取り掛かるべきものは(1)であろう。(1)の導入で生産者、地域から信頼を勝ち取り、直接取引が安定してきたら、次は直接取引の拡大フェーズへと移る。(1)を継続しつつ、品質の向上、安定化と量の拡大に向けて新たに取り掛かるべきものが(2)及び(3)となる。 もちろん、(1)を実施することで、「全量買取り」のリスクと「栽培技術指導」員のコスト負担や人手の確保という課題が生じる。前者については、自社の製造・販売計画との擦り合わせが必要となるだろう。後者については、栽培技術指導員のコスト分を中長期的に考えた場合、市場での調達価格との差でどこまで埋められるかを考えていく必要があり、人手の確保という点では自社の中から人手を探す他に、地域の農業従事者を栽培技術指導員として迎え入れることで地域に入り込む、地域との連携を拡大するという方法も考えられる。 図表3 カルビーと伊藤園による生産者との直接取引における主なポイント (出所)各社公表資料等をもとに、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 おわりに 本稿では、まず、食品メーカーの立場から原材料調達で抱える農産物の「価格」、「量」、「品質」における課題に触れ、その課題から考える調達方法の特徴について述べた。その上で、直接取引を導入・拡大する際の筆者が考えるポイントについて、先進的なカルビーと伊藤園の事例を交えて整理した。 本稿で述べた内容は、食品メーカーを起点に調達面での課題を簡易的に捉えてアプローチしたため、本稿から外れる成功事例も多くあると思われる。特に農業分野では、取り扱う農産物の種類や立地するエリアによっても状況が大きく異なるだろう。それでも、マクロとミクロ両方の要因による昨今のグローバルベースでの不安定な原料の調達環境を考慮すると、農産物の種類や立地を問わず、食品メーカーの原料調達戦略はより重要度を増している。 第三章で紹介したカルビーと伊藤園の先進事例だが、もちろん、一朝一夕で両社の調達戦略を取り入れることは不可能である。両社ともにゆるぎない長期の事業・調達面でのビジョンがあったことはもちろんのことだが、そもそもとして、生産者の立場から彼らの悩みや利点を追求したことが出発点のように思える。 もし、多少でも直接取引による調達がある食品メーカーにおいては、常日頃調達している取引先の生産者がどの様な点に悩んでいるか、どの様な利点を取引の中で与えられるかについて考えることで、また新しい独自の調達ポイントが生まれるように思える。 2024年は予期せぬ米不足やキャベツなど農産物の価格高騰等が起こったが、2025年以降も思いもせぬ事態が発生する可能性は十分に考えられる。本稿では間接取引、直接取引で二分して話を進めたが、食品メーカーの事情に応じて、間接取引の中に直接取引を加えるなどの独自の調達戦略を構築することで、「価格」、「量」、「品質」の課題に対応できるものと考える。 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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2024/12/15 16:00
水稲メタン削減の将来性と課題
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 ヴァイス・プレジデント 石井 佑基(2024年12月10日) はじめに 二酸化炭素の25倍の地球温暖化係数(GWP[1])を持つメタン(CH4)は、近年削減が求められている温室効果ガス(GHG)である。このうち、昨今報道されるようになったのが家畜由来(げっぷと糞尿発酵)のメタン排出であるが、水稲からのメタン排出も無視できない状況になりつつある。それは、イネがコムギとトウモロコシに並ぶ主要穀物であり、人口増加や所得向上による消費拡大が見込まれるアジア・アフリカ地域での主要食糧であることによる。今後、人口増加や経済発展によって需要の増加が予想され、生産の拡大に伴って水稲からのメタン排出量が増加する懸念がある。 本稿では、世界中で動き始めた水稲メタン削減とそのビジネス化やカーボンクレジットの動向や展望、日本における取り組み可能性について述べる。 1.水稲栽培におけるメタン排出原理と削減手法 (1) 水稲栽培におけるメタン発生メカニズムと発生量 天然ガスの主成分でもあるメタンは、自然界では有機物の嫌気発酵によって排出されるアルカンの一種であり、火力発電や都市ガスなどに利用されている。メタンは2021年には人類の活動によるものだけで6.4億トン(二酸化炭素換算179億トン(GWP-100=28))が排出されている。GHG全体の排出量が590億t-CO2/年であること、過去20年に排出量が10%以上増加しているなど、短期的に気候変動への影響が大きなGHGである。メタンの主要な排出源としては、農業分野が約40%と最も大きく、石油・ガス(23%)、廃棄物処理(20%)、石炭採掘(12%)など、一般に排出が多いとイメージされる産業を上回る。 メタン発生のメカニズムは嫌気発酵である。メタン細菌は酸素がない条件(嫌気条件)でエネルギーを生産し、メタンを副産物として作り出す。ウシなどの反芻動物の消化管内発酵や、家畜糞尿からのメタン排出はこうしたメカニズムによって起こっている。実は、ウシのげっぷメタンと水田からのメタン発生は同じメタン細菌によるものである。似た例として生物による独立栄養生産があり、植物の光合成の場合はエネルギーの副産物として酸素を排出する。 それでは、なぜ水稲からメタンが発生するのか。水田は湛水された状態であり、嫌気発酵する条件が整っているためである。実は、自然界でも湿地などから排出されるメタンが少量存在し、それらも嫌気発酵に由来している。自然に発生するものであるのにも関わらず水田からのメタン排出が問題視されているのは、それが人為的な活動によるものであることと、灌漑設備の普及などで稲作の生産性が改善したことの副作用であるからである。 (2) 世界的な米の増産とメタン発生量増加 米はアジアを中心に主要な穀物であり、人口増加により需要が増加している。このような背景から収量の改善が大きなテーマとなっていたこともあり、灌漑設備の普及や化学肥料の投入、品種改良(緑の革命)が続けられてきた。イネは大きく分けてインディカ種(Oryza sativa subsp. indica)とジャポニカ種(Oryza sativa subsp. japonica)の2亜種があるが、いずれの亜種でも陸稲と水稲がある。陸稲は畑で生産可能な手軽さや水使用量が少ないメリットはあるが、収量が低い。水稲は水田設備が必要なことと水使用量が多いデメリットがあるものの、収量が高い。そのため、灌漑設備の普及によって水稲栽培が広がれば収量が増加するが、負の側面として水稲では水田からのメタン発生を伴う。 (3) 水稲栽培におけるメタン発生抑制法 解決策として、①日本を中心に進んでいる水田中干(AWD: Alternate Wetting and Drying:図表1参照)、②水稲種から陸稲種への切り替えなどがある。AWDでは収量を落とさずにメタンの発生を3割程度削減できるが、削減量の変動が環境や地域で大きいデメリットが存在する。削減量が環境や地域で大きく変動してしまうと、GHG削減効果の検証の際に重要となるMRV(測定、報告及び検証)に影響を与えるという問題がある。AWDでメタンの発生が少なくなる原理は、水田の水を抜く中干によってメタン細菌の働きが抑えられるためであるが、メタン細菌の活動抑制効果が外部環境の影響受けやすいため、前述のように削減量が変動しやすくなる。AWDについてはもう一つメリットとして、水使用量の削減効果がある。農業生産の拡大にとって必要不可欠な水資源だが、FAO(国連食糧農業機関)の「 AQUASTAT」によると、世界の水資源の75%は農業用水として利用されている。AWDを使うことで水資源利用量も削減でき、農業生産者は灌漑コストの低下というメリットも享受することが可能である。 水稲種から陸稲種への切り替えではメタン発生量は大きく減ることと、削減量が安定しているが、収量が低下するデメリットが存在する。この収量の低下を省力化で補うことで普及を促す動きもある(後述)。 図表1 水田中干(AWD)の概要 (出所) 各種資料より、野村證券フード・アグリビジネス・コンサルティング部作成 2.水稲栽培におけるメタン削減の事業化 (1) 国際的な取組状況とビジネス展開 水田中干は日本の農林水産省が早くから注目して研究し、2023年3月にJ-クレジットの方法論として認められた。これに伴い、農林水産省はフィリピンやベトナムなどの東南アジア諸国のJCM(日本の炭素クレジット二国間取引制度)を通じた拡大を模索している。日本では、クレアトゥラ株式会社(東京)が東京ガス株式会社およびクボタ株式会社と連携して、株式会社フェイガー(東京)がヤンマーアグリ株式会社とそれぞれ連携して、フィリピンでのAWDのJCM創出に乗り出している。Green Carbon株式会社(東京)はベトナム北中部農業科学研究所と連携して、同国でのAWDのJCM創出を始めている。 陸稲種への切り替えでは、種子メジャーを中心とした推進がみられる。農薬と種苗などの農業ソリューションを手掛けるドイツのBayerは、同社の零細農家支援プログラム「DirectAcres」を通じ、2030年までにインドの水田100万ヘクタールに直播栽培(陸稲への切り替え)を導入し、零細農家200万人以上を支援する計画を実施している。同社は2023年10月16日、コメ生産で、移植栽培(田植え)から乾田直播に移行することで、米農家でのGHG排出量を最大45%、水使用量を同40%、手作業も同50%削減できると発表した。今後、同社は農薬などを組み合わせたソリューション・ビジネスの展開を計画している。 (2) 水稲栽培におけるメタン削減の課題 先にも述べた通り、AWDは削減効果の変動が大きいことが課題であるが、他にも測定手法や検証方法の簡素化が挙げられる。MRVはサンプル測定の結果を元に計算で求められることが一般的だが、削減効果の変動が大きいAWDはカーボンクレジットの正確性に課題がある。そこで、アグリテックを利用してAWDの正確性を向上させようという動きが出てきている。日本のリモートセンシングスタートアップであるサグリ株式会社(兵庫県)は、自社が持つリモートセンシングとAI解析を活用してベトナム政府と共同で実証事業を開始している。 AWDは、国連が主導した炭素クレジットの認証機関であるGold Standardでも方法論として採用されるなど、国際的にも注目されている。しかし、ボランタリークレジット最大の認証機関であるVERRAはMRV算出に課題があるという理由で方法論として採用していないなど、認証機関ごとに対応が異なっている点も課題である。 AWDで課題となっている正確性や低コストでの測定は、日本を中心にリモートセンシングや土壌分析の技術開発が行われているため、技術革新によって正確性が向上していくことを期待する。また、統計的にはAWDの利用面積が増加すれば、それだけ測定データも蓄積されて正確性が改善される。AWDの推進は、正確性の向上にも寄与するであろう。 陸稲種は水稲種よりも収量が低くなるため、陸稲種への切り替え時には最適な農薬との併用などによって農業生産者に省力化を提供できる対策が必要である。そのため、種苗開発と農薬開発などのソリューションを提供してきた種子メジャーが、技術開発と普及を行っている。種苗開発と農薬開発を組み合わせたソリューションは、かつて遺伝子組換え作物の普及の要因となった生産性向上と同じ戦略であり、陸稲種普及の課題を解決してくれると期待している。 3.日本における取り組みの可能性 (1) J-クレジットへの採用と企業の参入状況 先にも述べた通り、クレアトゥラ株式会社、株式会社フェイガー、Green Carbon株式会社、そして株式会社バイウィ(東京)などが国内外の水田におけるAWD事業に参入している。大企業では三菱商事株式会社が2023年にJ-クレジットにプロジェクトの登録を行っているほか、株式会社鈴生は、クミアイ化学工業株式会社と連携し、静岡県でプロジェクトを開始するなど、地域での取り組みも始まっている。2024年8月現在、AWDの国内プロジェクトはJ-クレジットに14,996 t-CO2登録されており、これはバイオ炭の農地施用1,033 t-CO2、家畜糞尿処理146 t-CO2よりもはるかに大きい。 日本国内の水田だけでは市場規模は小さいものの、東南アジア諸国でのJCM制度を活用してより大きなビジネス規模に拡大していくことが可能であることから、いち早く大企業の参入が見られたのも特徴である。 (2) AWDカーボンクレジットの想定市場規模と普及に向けた課題 水田からのメタン排出量について、日本の排出量は1,307万t-CO2と見積もられている。AWDによってこの3割が削減できるとすると、削減量は392万t-CO2となり、現在J-クレジットに登録されているプロジェクト1.4万t-CO2と比較すると大きなポテンシャルがある。直近落札価格(2023年5月入札)の1,551円/t-CO2で見積もると、日本の水田における想定市場規模は約60億円/年である。 また、世界の水田からのメタン排出量は25Tg/年(2021年 IPCC報告書)と見積もられている。2022年以降の数値は公表されていないが、このデータに着目すると25Tgは2,500万tであり、二酸化炭素換算(GWP-100=28)では7億t-CO2となる。AWDで3割のメタンが削減できるとすれば、クレジットの単価を10ドル/ t-CO2とすると、21億ドル/年の市場規模が見込まれる。 このように、AWDカーボンクレジットは十分な市場ポテンシャルを持つが、環境や地域によって削減量が変動しやすいことがMRV上での課題となっている。一方、技術革新は進んでおり、衛星データの活用や、水田に設置するタイプの測定器なども開発されている。MRVの正確性はカーボンクレジットの質に影響する(正確性が高いカーボンクレジットは価値が高い)。そのため、カーボンクレジットの買い手である削減義務者にAWDによるカーボンクレジットが受け入れられるよう、正確性をより向上させる技術革新は不可欠である。 おわりに 日本の畑作地は197.3万haと非常に小さいが、実は、全耕作地の54%を占める水田のAWDによるメタン削減は日本が先行している。そのため、日本企業がJCMの仕組みを活用することで東南アジアでのGHG削減とクレジットビジネスの創出に動いており、注目される分野である。また、Gold Standardを活用すればボランタリークレジット市場にもアクセスが可能である。このように、日本の実情に即した独自のカーボンファーミングや農地関連脱炭素技術を探求できる可能性が、我が国には残されている。 AWDの仕組みを通じて、日本は脱炭素化とビジネス化、そして国際貢献の「一石三鳥」を狙うことを考えていくことが重要である。 [注釈] [1] GWPは温室効果係数。二酸化炭素を1として、その物質がどの程度温室効果が高いかを示す。ただし、物質は分解することもあるので、100年間での温室効果を示すGWP-100、20年間の温室効果を示すGWP-20など種類がある。一般的に温室効果を測る場合はGWP-100を使用する。メタンの場合はGWP-100が28、GWP-20が84であり、短期的な影響が大きい。 ディスクレイマー 本資料は、ご参考のために野村證券株式会社が独自に作成したものです。本資料に関する事項について貴社が意思決定を行う場合には、事前に貴社の弁護士、会計士、税理士等にご確認いただきますようお願い申し上げます。本資料は、新聞その他の情報メディアによる報道、民間調査機関等による各種刊行物、インターネットホームページ、有価証券報告書及びプレスリリース等の情報に基づいて作成しておりますが、野村證券株式会社はそれらの情報を、独自の検証を行うことなく、そのまま利用しており、その正確性及び完全性に関して責任を負うものではありません。また、本資料のいかなる部分も一切の権利は野村證券株式会社に属しており、電子的または機械的な方法を問わず、いかなる目的であれ、無断で複製または転送等を行わないようお願い致します。 当社で取り扱う商品等へのご投資には、各商品等に所定の手数料等(国内株式取引の場合は約定代金に対して最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料、投資信託の場合は銘柄ごとに設定された購入時手数料(換金時手数料)および運用管理費用(信託報酬)等の諸経費、等)をご負担いただく場合があります。また、各商品等には価格の変動等による損失が生じるおそれがあります。商品ごとに手数料等およびリスクは異なりますので、当該商品等の契約締結前交付書面、上場有価証券等書面、目論見書、等をよくお読みください。 国内株式(国内REIT、国内ETF、国内ETN、国内インフラファンドを含む)の売買取引には、約定代金に対し最大1.43%(税込み)(20万円以下の場合は、2,860円(税込み))の売買手数料をいただきます。国内株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。国内株式は株価の変動により損失が生じるおそれがあります。 外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。 野村證券株式会社 金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号 加入協会/日本証券業協会、一般社団法人 日本投資顧問業協会、一般社団法人 金融先物取引業協会、一般社団法人 第二種金融商品取引業協会
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2024/12/14 16:00
国内の薬用植物の現状と生産拡大に向けた方策
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 シニア・コンサルタント 髙田 健(2024年12月10日) はじめに 薬用植物(生薬)は、古来、漢方薬や医薬品の原料として用いられ、近年は、漢方製剤市場の拡大に伴い、その需要が増加している。しかし、国内で使用される生薬の80%以上は中国から輸入されており、輸入価格の高騰や供給の安定性が課題となっているため、国内での安定供給を求める声が高まっている。農林水産省や関連団体も支援を行い、薬用植物の国内生産拡大に向けた取組を進めているが、未だ生産拡大や安定供給には至っていない状況にある。 本稿では、一般的に知られていない国内の薬用植物の現状と課題について一連の情報を提供しながら、薬用植物の国内生産拡大に向けた方策を考察することを目的とする。 1.薬用植物の定義 日本で使用される医薬品の品質や規格を定める厚生労働省監修の「日本薬局方」では、生薬を「動植物の薬用とする部分、細胞内容物、分泌物または鉱物など」と定義している。 生薬は植物由来のものが大部分を占めるため、平易な言葉で表すと、薬用植物の全部または一部に乾燥や加工を施したものが生薬となる。また、複数の生薬を組合わせたものが漢方製剤等になる。 生薬は医薬品に該当するため、薬用植物の全部または一部を乾燥・加工する際は、日本薬局方の規格に基づかなければならない。一方、薬用植物は、医薬品以外にも健康食品や化粧品などの原料にも用いられるが、その利用は薬用植物の部位毎に区分されており、厚生労働省ではこれを「食薬区分」としてリスト化している。 具体的には、①専ら医薬品として使用される成分本質(原材料)リストと、②医薬品的効能効果を標ぼうしない限り医薬品と判断しない成分本質(原材料)リストの2つがあり、リスト①には約270種類の植物が含まれ、リスト②には約800種類の植物が納められている。つまり、リスト①に該当する薬用植物等の部位は医薬品として扱われるため、健康食品等の原料としては使用できない。一方、②に該当する薬用植物等の部位は、医薬品的な効能や効果を標ぼうしない限り、健康食品等の医薬品以外に活用できる。 なお、本稿で表記する薬用植物は、上記リスト①の医薬品(生薬)の原料となる薬用植物のことを指し、生薬の原料以外に用いる薬用植物について説明する場合は、その旨を別途記載する。 2.国内の薬用植物の現状 (1)国内の薬用植物の栽培状況 国内では、東京と神奈川を除く全ての道府県で薬用植物が栽培されている。農林水産省の資料によると、図表1に示すように、薬用植物の生産者の戸数は2010年に1,791戸だったが、2015年には2,065戸に増加した。しかし、その後は生産者の高齢化などの影響により、2022年には1,306戸にまで減少している。 一方、栽培面積は多少の変動はあるものの、ほぼ横ばいで推移している。2022年の薬用植物の栽培面積は494haであるが、そのうち北海道の栽培面積は224haとなっており、国内全体の約45%を北海道での栽培が占めている状況にある。背景には、大手製薬会社の生薬の生産・加工・保管施設が北海道に多く存在することが影響している。 薬用植物の特徴の一つに、栽培期間が比較的長いことが挙げられる。しかし、国内で栽培されている薬用植物の栽培面積上位10品目を見ると、ミシマサイコ、センキュウ、トウキなど、栽培期間が1~2年と比較的短い品目が多く栽培されている(図表2参照)。また、一戸当たりの栽培面積は1ha以下の生産者が多いという特徴もある。これは、薬用植物が野菜などに比べて栽培期間が長く、収益が上がるまでに時間がかかるため、生産者の多くは、薬用植物を複合栽培経営の一品目として栽培しているためと推察される。 図表 1 薬用植物の栽培面積・生産者戸数推移 (出所)農林水産省「薬用作物(生薬)をめぐる情勢」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 図表 2 薬用植物の栽培面積上位10品目 (出所)農林水産省「薬用作物(生薬)をめぐる情勢」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (2)薬用植物の国内需要 近年、漢方製剤等の生産金額は増加傾向にある。厚生労働省の「薬事工業生産動態統計調査」によると、2015年の漢方製剤等の生産金額は1,671億円であったが、その後も増加が続き、2022年には2,332億円に達した(図表3参照)。この傾向は、漢方製剤等への需要が高まっている証拠であり、健康志向や自然療法への注目が影響していると考えられる。特に、2020年以降の伸びは、新型コロナウイルスの影響により、健康への意識がより一層高まったことが要因である。 図表3 漢方製剤等の生産金額の推移 (出所)厚生労働省「薬事工業生産動態調査」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 漢方製剤等の生産金額の増加は、そのまま生薬の需要の増加につながる。日本漢方生薬製剤協会の調査によると、当協会の会員(漢方製剤・生薬製剤・生薬の製造業者/製造販売業者等)62社が漢方製剤等に使用した生薬の種類と総使用量は、2019年度は273品目で27,240tであったものが、2020年度には276品目で27,997tとなり、品目、使用量ともに増加している。 図表4に、2020年度の276品目の内、使用量上位30品目における使用量と原料供給国を示している。それによると、国内での使用量が最も多い生薬はカンゾウである。カンゾウは、グリチルリチンという成分を含み、その甘さは砂糖の約150倍で、喉の炎症を和らげる効果がある。これにより、風邪や咳の症状を緩和するための主要な成分として幅広く使用されている。また、他の生薬との相性が良く、苦みが強い生薬を甘くして飲みやすくする役割も持つ。こうした特性により、カンゾウは漢方製剤等の原料として多く使用されるが、寒冷かつ乾燥した地域を原産とするため、高温多湿な日本の気候では栽培が難しい。そのため、使用量2,019tのうち、国産供給量はわずか0.1tで、多くが中国からの輸入に頼っている。 次に国内での使用量が多いブクリョウは、利尿作用に優れ、体内の余分な水分を排出するため、むくみの解消に効果がある。また、消化器系の働きを助ける作用を持ち、食欲不振や消費不良の改善などに活用されるが、ブクリョウもカンゾウ同様に国内ではほとんど栽培されていない。数値で見た場合、国内使用量1,950tのうち、約100%にあたる1,949tを中国からの輸入に依存している。 特異な存在としては使用量5位のコウイがある。コウイは主成分がマルトースで、その他にグルコースやマルトトリオースを含み、滋養効果や止痛・止咳効果がある。コウイは水分を好むため、日本の湿潤な気候がコウイの水分要求に合致し、国内で多く栽培されている。そのため、2020年度の使用量1,031tの全てを国産で賄っている。 しかし、コウイのように国内供給が可能な生薬がある一方で、多くの生薬は中国からの輸入に依存している。具体的には、上位30品目の生薬の総使用量21,685tのうち、国内供給量はわずか9.0%であり、80%以上が中国からの輸入に頼っている状況にある。 図表4 2020年度 上位30品目の生薬使用量と生産国 (使用量単位:t) (出所)日本漢方製剤協会「日本における原料生薬の使用量に関する調査報告」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 図表5 カンゾウ・ブクリョウ・コウイの特徴 (出所)公益社団法人 東京生薬協会「新常用和漢薬集」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 (3)生薬の中国への依存リスク 財務省の貿易統計データで、過去10年間の中国からの生薬の輸入状況を見ると、2014年の輸入量は13,733tであった。その後、輸入量は増加し、2020年には17,013tに達した。2021年には一時的に16,535tに減少したが、翌年から回復し、2023年には18,697tに達している(図表6参照)。 一方、輸入額の推移を見ると、直近の数年間は、輸入量の増加率を上回るペースで輸入額が増加している。これは円安の影響もあるが、中国国内では乱獲により自生の薬用植物が減少していること、そして、経済発展に伴って自国での生薬需要が増加し、価格が上昇していることが要因である。 さらに、中国では環境保全を目的に、一部の野生薬用植物について採取規制や輸出規制等を行っている。特に高い需要を持つカンゾウについては、輸出総量枠が定められている。2008年~2012年の輸出総量枠は毎年3,600tの枠が設定されたが、それが2013年~2014年には4,000t台へと緩和された。しかし、2021年にはこの枠が2,900tに引き締められ、その後、2022年は3,400t、2023年は3,800tと再度緩和されたものの、依然として規制は継続されている。こうした輸出総量枠によっても輸入価格が影響を受け、中国からの生薬の安定的確保が難しくなることが懸念されている。 このため、生薬の原料となる薬用植物の国内での栽培拡大の重要性が高まっている。国内栽培を推進することで、輸入依存度を減らし、供給の安定性を確保することが必要である。 図表6 中国産の生薬・カンゾウの輸入状況 (出所)財務省 貿易統計より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 3.国内の薬用植物の課題 中国からの生薬の安定的な調達が難しくなることが懸念される中、国内での薬用植物の栽培拡大が重要となるが、その実現には多くの課題が存在する。ここでは、薬用植物の課題を生産面と流通面から考察する。 (1)薬用植物の生産面の課題 ①栽培期間の長さとその影響 薬用植物の栽培では、栽培期間が大きな課題となる。例えば、シソのように5ヵ月程度で収穫が可能な植物もあるが、多くはセンキュウやサイコのように1年以上の期間を要する。国内で最も使用されているカンゾウに至っては、栽培期間が3~5年にも及ぶ。これは、カンゾウの根に含まれる有効成分(グリチルリチン酸)の含量を高めるためである。日本薬局方では、カンゾウのグリチルリチン酸の含量が2.0%以上であることが基準となっており、その含量を満たすために根を十分に成長させる必要があり、栽培に長い期間が必要になる。長期間の栽培は、生産者が収益を得るまでに長い期間を要することを意味し、資金繰りや労働力の確保を含む経営リスクを高めることになる。 ②作業の効率性に関する課題 薬用植物は地上部の茎や葉ではなく、主に根や地下茎を収穫するため、特定の機械が必要となる。しかし、現状では薬用植物専用の農業機械がほとんど存在しない。これは、薬用植物が一般的な農作物と比べて市場が限定されているため、農業機械メーカーが専用機械を販売していないことが要因である。そのため、生産者は既存の農業機械を使用し、工夫しながら作業を行っている。専用機械の欠如は収穫作業の効率を低下させ、作業時間が増えることで生産コストが上がる要因となる。また、薬用植物を生薬として出荷するには、収穫後に根や地下茎を洗浄・乾燥し、ひげ根の除去などを行う調整作業が必要となり、これにも手間がかかる。 (2)薬用植物の流通面の課題 ①流通の限定とその影響 生薬は一般の農作物のような流通市場が存在しない。そのため、多くが特定の製薬会社との契約に基づいて取引される。この契約栽培の形式は、生産者にとっては販売先が確保されている利点がある一方で、日本薬局方の基準に加え、製薬会社が独自に設定する厳格な出荷基準を満たさなければならず、常に高い品質を維持するための生産・管理技術が求められる。 ②産地化の必要性 製薬会社との契約栽培においては、製薬会社は一定の数量を求めるため、単独での生産や少量出荷の生産者とは契約が行われないことが多い。このため、薬用植物の栽培には生産者や自治体、企業などが連携し、生産性や流通効率を向上させる産地化が必要になる。産地化は共同で事業を行う手間を伴うが、その一方で、知識や技術の共有、作業プロセスの標準化、資源の最適化、問題の早期発見・対応などを通じて、品質の向上やコスト削減が可能となる。 なお、薬用植物の産地化事例として、高知県超知町と岡山県高梁市の例を以下紹介する(図表7)。 図表7 薬用植物の産地化事例 (出所)農林水産省「薬用作物の産地化事例集」より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 4.薬用植物の国内生産拡大に向けた方策 薬用植物の栽培を拡大するため、国内では様々な取り組みが進められている。農林水産省や関連団体は、薬用植物の産地化を推進している。千葉大学と富士通株式会社はICTを活用して薬用植物や機能性植物の栽培技術を確立するための実証実験を実施しており、国立研究開発法人医療基盤・健康・栄養研究所と株式会社プランテックス、ロート製薬株式会社は、3社で薬用植物の植物工場栽培に関する共同研究を行っている。これらの研究や取り組みを通じて、生産拡大や路地以外での栽培方法、栽培期間の短縮化等が模索されている。一方、市場環境を見た場合、これら以外の視点として、高需要品目に着目した薬用植物の栽培拡大と、医薬品以外の薬用植物の活用についての可能性が高まると筆者は考える (1) 高需要品目に着目した薬用植物の栽培量の拡大 国内の薬用植物の栽培を拡大するための一つの戦略としては、高需要の生薬の栽培を増加させることが挙げられる。具体的には、図表5で示した、漢方製剤等の原料としての使用量が多い生薬をターゲットにする。つまり、カンゾウ、ブクリョウ等に注力して栽培の拡大を図ることが考えられる。 カンゾウは寒冷で乾燥した地域を好み、ブクリョウは高温で乾燥した地域での栽培が適している。そのため、高温多湿な日本の気候では上手く育たず、国内ではあまり栽培が行われていない。しかし、過去に寒冷地での栽培が適し、日本の気候では育てるのが難しかったケールが品種改良を経て国内で栽培が可能になった例や、気温や日照時間に敏感で栽培管理が難しいとされたパプリカが、温室栽培や栽培管理技術の向上によって国内でも栽培が行われるようになった例もある。カンゾウやブクリョウも、生産者と行政や研究機関が協力して栽培方法の確立や技術の向上に努めれば、国内栽培の可能性も高まると考えられる。 安定した供給体制が整えば、製薬会社との契約栽培が可能になる。また、新製品・治療法の研究・開発も進展することが期待され、更なる需要が見込まれる。2020年でカンゾウは2,019t、ブクリョウは1,949tも国内で使用されているが、国内からの供給はどちらも0.1%にとどまっている。このことから、拡大の余地は非常に大きいと言える。 (2)医薬品以外での薬用植物の活用 これまでは漢方製剤等の原料を中心とした生薬や薬用植物について述べてきたが、もう一つ重要な展望として、医薬品以外での薬用植物の活用を拡大させていくことが考えられる。国内には多くの薬用植物が存在し、これらの多様な利用方法を探ることは重要である。特に、サプリメントを含む健康食品の市場は、近年拡大している。健康産業新聞によると、2021年の国内の健康食品市場は1兆2,700億円、2022年は1兆2,900億円(前年比1.6%増)、2023年は1兆3,150億円(同1.9%増)と推計されており、これらの分野での更なる活用が期待される。例えば、薬用植物をベースとした新しい製品の開発や、地方の特産品と組み合わせた商品化が進めば、地域経済の発展にも寄与する。 また、薬用植物を活用した健康・美容イベントやワークショップを実施することで、その知識や価値を広める手段となる。観光業との連携を図れば、地域の活性化にも貢献する。 こうした取り組みから始め、生産者同士の連携を強化し、量の確保を図ることができれば、健康食品会社等との契約栽培の可能性も生まれる。国内での薬用植物の拡大については、生産体制の強化だけでなく、薬用植物の活用にも目を向け、需要を喚起していくことが重要になる。 おわりに 薬用植物(生薬)は、漢方薬や医薬品の原料として重要な役割を果たしており、健康志向が高まる現代において注目されている。しかし、多くの生薬が中国から輸入されており、輸入価格の高騰や供給の安定性が課題となっている。 国内の薬用植物生産者が直面している課題は多岐にわたり、その詳細については本稿では触れなかったが、今後は新しい栽培方法や技術の進展により、国内栽培が拡大することが期待されている。また、高い需要の薬用植物を国内で栽培できるようになれば、国産の原料を使った医薬品や健康食品等の開発も促進される。 新しい市場が開かれることで地域経済の活性化が進み、若い世代が農業に参入するきっかけになる可能性もある。日本の農業は高齢化や担い手不足に悩まされているが、薬用植物が農業の発展を促す一因となることを期待したい。 ディスクレイマー 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2024/11/17 16:00
企業の農業参入と都市農業ビジネス - 曲がり角を迎える企業の農業参入と新たな参入機会 -
執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部 エグゼクティブ・ディレクター 佐藤 光泰(2024年11月8日) 1.曲がり角を迎えた企業の農業参入 企業の農業参入は、2003年の構造改革特区制度による「農地リース方式(企業が自治体経由で農地を賃借して農業を行う方式)」が一部エリアで解禁されて以降、急増した。2005年に同制度が全国ではじまり、その後、2009年には農地法が改正され、同制度に依ることのない企業の農業参入が全国で認められるようになった。IT化や効率化が遅れている農業セクターに注目する企業は業界を問わず多く、2003年以降、同方式による企業の農業参入数は一貫して増加し、2022年度末には過去最高の4,202法人となった(図表1)。 図表1 農地リース方式で農業参入した法人数累計の推移 (出所)農林水産省経営局データより、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 しかし、2023年度末の企業の農業参入数は4,121法人となり、2003年以降初めての前年比マイナスとなった。2023年の調査より集計方法が若干変更した影響があるかもしれないが、およそ20年に渡って企業の農業参入を調査・支援してきた筆者の肌感覚としても、前年比マイナスに特段の違和感はない。その要因は主に、「競争の激化」と「設備投資・運営コストの高止まり(による損益分岐点売上高の大幅上昇)」で説明がつく。前者は、これまで企業の農業参入が、運営効率の良い大規模施設園芸によるトマト栽培に集約する傾向が強く、新規参入が相次いだ影響で供給が過剰になりつつある面は否めない。これは栽培品目をはじめとするビジネスモデルの変更で対応可能であるが、問題は後者である。コロナ禍が終息した2022年以降の世界的な資源高などにより、設備投資・運営コストは目を疑うほどに高止まりしている。例えば、トマト栽培を行うための園芸施設への設備投資コスト(建屋と栽培設備を含む)は、15年前に10a(300坪)・1,000万円程度であったが、現在は同4,000~5,000万円に上昇している。また、エネルギー費や人件費、農薬・肥料・種苗費、物流費などの運営コストも軒並み上昇していることは周知のとおりである。 その一方で、トマトをはじめとする農産物の販売価格は15年前と比べて、品目により多少の上昇はあるものの、さほどの変化はみられない。つまり、売上高は大きく変わらないものの、総原価(原価+販管費)が急激に上昇している状況であり、事業継続が困難になりはじめている企業も少なくない。 撤退する企業の農業施設を譲り受ける「居抜き型」での参入は別としても、これまでの企業の農業参入の王道であった「地方で大規模園芸施設を新設する農業参入」は、ここにきて曲がり角の局面を迎えている。 2.今後の参入機会として都市農業ビジネスに注目 (1) 都市農業ビジネスの相対的に高い収益性と本業への副次的効果 このような環境の中、筆者は都市農業ビジネスに注目している。都市農業は、「市街地内の農地(都市計画法上の市街化区域[1]内にある生産緑地[2]など)、もしくはその周辺地域で行われる農業」を指す。 企業の農業参入として都市農業に注目する理由は2つある。一つ目は、産地と消費地が一体の都市農業では、相対的に収益性の高い農業ビジネスが実践可能な点である。都市農業が日本農業全体に占めるシェアは、農地面積では1.3%に過ぎないが、農家戸数では12.4%、販売金額では6.6%と小さくない。また、全国の農家(農業経営体)の平均販売高・耕作面積は年836万円・3.99haであるのに対し、都市農家(同)はそれぞれ443万円・0.4ha(4,360㎡)となっている。つまり、10aあたりの年間販売高は全国平均が20.9万円に対して都市農家は101.6万円であり、都市農家は全国平均のおよそ5倍の収益性を誇っている(図表2)。 図表2 都市農業の概況(全国平均との比較) (出所)農林水産省、全国農業会議所資料等より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 この背景には、ビジネスモデルの違いがある。全国の農家は稲作を中心とする農産物の販売を系統もしくは卸に依存するのに対して、都市農家は青果物を中心とする農産物や農産加工品、もしくは市民農園などの関連サービスを、自ら消費者や実需者へ直接販売・提供している。いわば「6次産業化」の実践である。それを実践できる最大の要因は、消費地に産地を有する「地の利」である。さらに、農業を専業として、かつ一定規模で事業を営む都市農家はそれほど多くなく、ビジネスの観点からみても競合環境は穏やかである。 都市農業のもう一つの注目理由は、都市農業の多面的な機能や役割を提供・享受することで、参入企業の社員や顧客へのシナジーが副次的に期待できる点である。都市農業は、消費地に近い利点を生かした新鮮な農産物を都市住民へ供給する機能だけでなく、都市住民への農業体験の場の提供のほか、災害に備えたオープンスペースの確保、「やすらぎ」や「潤い」といった緑地空間の提供など多様な役割を果たしている。国や自治体による都市農業の支援が手厚い理由として、このような都市農業の多面的な機能・役割がある。農業参入を検討する企業の多くは都市に本社を置く企業であり、従業員の多くは都市に居住し、また、本業における最終顧客の多くも都市の消費者であろう。そのため、参入企業が都市に農園を持つことで、従業員や都市の消費者との接点を通じたシナジーが期待される。従業員とのシナジーでは、プライベートで従業員同士が自然なかたちで交流できる場の提供を通じて、コロナ禍以降に定着した在宅ワークによるコミュニケーションの希薄化を補う効果などが期待できる。消費者とのシナジーでは、本業の製品やサービスにおける都市消費者へのマーケティングや販促の場としての活用だけでなく、日々の農園運営や定期的に開催する農園イベントなどを通じて、企業のミッション(会社の存在意義)やビジョン(会社の中長期目標)、バリュー(会社の価値観や行動指針)などを伝える場にもなるかもしれない。 これまでの企業の農業参入は、大半の従業員や最終顧客(都市消費者)からみると、「何となくやっている」認識はあるものの、それらに「実感」と「影響」を及ぼすものではない。従業員や最終顧客の日々の生活エリアに存在する都市農園を運営する企業への副次的効果は小さくない。 (2) 規制解除により都市農地の賃借件数と面積は増加中 それでは、都市で企業の農業参入が進まなかった要因は何か。主因の一つに、都市農地を代表する生産緑地の賃貸規制があった。生産緑地に指定されると、固定資産税の農地課税(本来は宅地並み課税)や相続税の納税猶予などの租税措置が適用される。ただし、その条件として、所有者による30年間の営農が義務付けられ、営農目的であっても、第三者への賃貸は認められていなかった[3]。しかし、いわゆる生産緑地の「2022年問題」[4]を背景に、「都市農地の賃借の円滑化に関する法律(都市農地賃借法)」が2018年9月に成立・施行し、生産緑地の所有者が第三者へ賃貸した場合でも、租税措置が継続されることとなった。 同法は奏功し、本来は2022年に営農期限を迎える生産緑地の所有者の大半は、同法に基づく10年の期限延長を選択したことで、懸念されていた生産緑地の「2022年問題」は顕在化しなかった。また、生産緑地の賃貸件数は同法施行以降、急増している。2018年度末の賃借件数(累計)44件に対して、2020年度末に292件、2022年度末には618件に拡大している。現状、生産緑地を賃借して都市農業を開始する新規就農者の大半は個人事業主(それに準する企業やNPO法人などを含む)と推察されるが、今後、前項の注目理由などから、中堅・大企業などへ徐々にすそ野が拡がりはじめるものと予想する。 図表3「都市農地賃借法」による賃貸件数の推移 (出所)農林水産省資料より、野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部作成 3.都市農業ビジネスの要諦は消費者を対象とするサービス事業 都市農業のビジネスモデルは、事業内容と顧客でそれぞれ2つに分類できる。事業内容は農産物の生産・販売事業と市民農園/農園カフェ・レストランなどのサービス事業であり、顧客は小売・外食などの実需者向け(B2B)か消費者向け(B2C)かである。それらを組み合わせた合計4つの選択肢の中で、企業が都市農業ビジネスで採るべきモデルは、消費者を対象とするサービス事業である。 もちろん、農園から近い中小外食・小売事業者へ青果物を直送し成功している都市農家も大勢いる。しかし、卸売ビジネスは、「定時・定量」供給が基本であり、農業参入初期の生産力が伴わない段階ではリスクが高い。また、都市の立地を最大限に生かした高い付加価値(粗利)と、前章で述べた企業の副次的効果を得るには、都市住民を対象としたサービス事業が都市農業ビジネスのベースとなる。 サービス事業の軸は、都市の消費者へ多面的な機能と役割を提供できる市民農園が相応しい。市民農園は農家でない消費者が小さな面積の農地を利用して自家用の野菜や花を栽培する農園であり、欧州では「クラインガルテン(小さな庭)」と呼ばれ古くから存在する。日本では1989年の「特定農地貸付に関する農地法等の特例に関する法律」、1990年の「市民農園整備促進法」の施行以降、主に自治体や農協、一部の農家が中心となって開設され、2022年度末時点で、全国4,308の市民農園が運営されている。 市民農園は、住民のレクリエーション、高齢者の生きがいづくり、生徒・児童の体験学習などの多様な目的で利用されるが、特に、農業と触れ合う機会の少ない都市住民による需要は高い。農林水産省の調査によれば、2022年の市街化区域内(都市農地)の市民農園の応募倍率(応募区画数/募集区画数)は1.15倍と需要が供給を上回る。同じく東京都の2023年の調査では、島しょを含む東京都全域の応募倍率は1.4倍、東京都区部(23区)では1.8倍となっており、都市部になるほど需要が高くなる傾向にある。 都内の市民農園で有名な施設は、小田急グループが経営する「アグリス成城」である。小田急線・成城学園前駅から徒歩1分の場所に、約5,000㎡の敷地に307区画(約3.0~7.5㎡/区画)を備える。利用料金は区画の大きさで異なり、月5,745~15,175円である。自治体や農協が運営する地方の市民農園と比較すると決して安くないが、常に空きがないほど人気を博している。その秘訣は、立地もさることながら、主に充実した施設と充実した付加サービスにある。施設は休憩ができるラウンジやトイレ、シャワー、冷暖房を完備したクラブハウスがあり、ジム感覚で通う住民も少なくない。また、農具や農業資材(堆肥・農薬・種苗など)はすべて提供され、常駐の管理人による栽培指導・代行サービスもある。さらに、フラワーアレンジメントなどのカルチャースクールやイベントが定期的に開催されるなど、利用者を飽きさせない仕組みを構築している。 図表4 小田急グループが経営する都市型市民農園「アグリス成城」 (出所)アグリス成城HP このように市民農園自体の需要は都市で高いが、それに派生する有望なビジネス形態を2つ紹介したい。まず一つは、ユニバーサル農園である。農業の多面的な機能の一つに、農作業を通した疾病の予防やリハビリ、精神・肉体的な症状の治癒・緩和などがある。ユニバーサル農園は、このような機能を提供する目的で、「障がい者や高齢者、ひきこもり、触法者などの多属性の利用者のほか、子どもから高齢者までの多世代の利用者の様々な態様に配慮した受入可能な農園」である。障がい者などの多属性の住民は都市部に集まりやすいが、都市は社会復帰や症状の緩和を促す取り組みを提供できる場が少ない。農業参入を検討する企業が都市でユニバーサル農園を経営する意義は大きく、関連ビジネスはもちろん、SDGsの観点からも大義の立つ取り組みとなる。農林水産省では、農福連携対策として市民農園におけるユニバーサル農園の開設を支援し、それら整備における補助金(農山漁村振興交付金)で積極的に後押ししている。 もう一つのビジネス形態は、クロスセル(追加サービス)事業である。市民農園を通して利用者やエリア住民が常時来園する仕組みを構築することで、クロスセルの機会が生まれる。有望事業は、農園カフェ・レストラン事業である。生産緑地の固定資産税は農地課税のため、同じ市街地区域内にある宅地化農地[5]とは桁違いに低い。例えば、東京都世田谷区成城の成城学園前駅から徒歩10分にある生産緑地の相続税評価額(農業投資価格[6])は、隣接する宅地化農地の評価額(相続税路線価)の実に512分の1である[7]。生産緑地の賃借料は固定資産税をもとに計算するケースが多く、生産緑地以外の地目で経営する近隣のカフェやレストランと比較すると、賃料固定費は相対的に小さくなる。これまで、生産緑地内でこのような飲食施設を設置することはできなかったが、2017年6月の「都市緑地法等の一部を改正する法律(改正生産緑地法)」の施行により、生産緑地地区内で農産加工品の製造施設や直売施設、農家カフェ・レストランなどの飲食施設の設置が可能となった。賃料負担が小さいため、低い損益分岐点で飲食経営ができるだけでなく、食材調達をエリア内の幅広い農業者と連携することで、経済的利得をエリア内の都市農家にも分かち合える利点もある。 4.都市農業ビジネスの収支シミュレーションと事業ビジョンの肝要性 本稿の最後に、都市農業ビジネスの収支シミュレーションを行いたい。なお、当シミュレーションは、都市農業ビジネスの収支イメージを共有する目的で、様々な前提(仮定)を置いて、筆者が独自に推計したものである。実際には参入企業のビジネスモデルや立地、都市農地の賃借面積・条件、運営方法などにより、個々の収支は大きく異なる点に注意してほしい。 シミュレーションの主な前提として、都市農地は生産緑地とし、賃借する農園面積は300坪(1,000㎡)と仮定する。実施する事業は、①市民農園事業(500㎡:10㎡/区画×50区画)、②農園カフェ・レストラン事業(200㎡[8])とする。市民農園事業の月額利用料は、栽培代行などの付加サービス込みで月額利用料金を1万円、稼働率を9割、事業粗利益率を80%とおく。農園カフェ・レストラン事業は、農園内とエリア内で栽培された農産物などのブッフェ形式のメニューを軸[9]とし、席回転率を平日2回転、休日4回転、事業粗利益率を60%と置く。その他の主な前提は図表5の通りである。このような事業規模・内容の都市農園を、2年に一度、新たに開設していく事業展開を想定する。 図表5 都市農業ビジネスの収支シミュレーション(参考) (出所)野村證券フード&アグリビジネス・コンサルティング部 上記シミュレーション結果をみて気づくのは、都市農業ビジネスは売上高や利益などの事業規模が限定的な点である。都市農業はまとまった農地を確保できず事業規模の制限を受ける。そのため、特定エリアに複数の農園を確保・運営する「ドミナント戦略」が基本となるが、それでも農業参入で5年後に売上高30億円、10年後に同100億円といった急速な事業展開を企図する企業には向かない。サービス事業が主体の都市農業といえども、農業ビジネスに変わりはなく、エリアに密着した「地に足のついた」事業運営が何より求められる。加速度的なビジネスモデルを採ると、必ずどこかにしわ寄せがいき、レピュテーションリスク(企業の信用やブランド価値が低下し損失を被るリスク)を生む。新規事業として再生産可能な利益を残すことは大前提としつつも、都市農業ビジネスは、地域住民とのふれあいを通じた本業とのシナジーの発揮や、従業員(とその家族)のふれ合いの場の構築、ステークホルダーである最終顧客(都市住民)の憩いの場の提供など、都市農業が有する多面的な機能や価値に目を向けた企業に合致する。つまり、都市農業ビジネスを通して、企業として中長期に成し遂げるゴールやあるべき姿を明確にする「農業参入ビジョン」が、何よりも肝要となる。 [1] 都市計画の区域内で、既に市街地となっている区域と、およそ10年以内に優先的かつ 計画的に市街化を図ることになっている区域。 [2] 生産緑地法で定められた市街化区域内にある「保全すべき農地」であり、良好な生活環境の確保に効用があり、公共施設等の敷地として適している農地が生産緑地として指定される。都市農地の2割強を占める。 [3] 生産緑地の指定を受けて、営農期間30年内に賃貸もしくは売却(市街化区域内の農地転用は農業委員会の許可などは不要)した場合、固定資資産税は宅地並み課税となり、相続税の納税猶予は打ち切られる。農民運動全国連合会によると、東京都で1農家が受けている相続税の平均猶予税額は約2億2,000万円であり、納税猶予が打ち切られると、これに年3.6%の金利を加えた額が支払う合計納税金額となる。 [4] 1991年の改正生産緑地法により最初に生産緑地に指定されたのが1992年であり、30年間の営農期間が終了する2022年に多くの生産緑地が解除され、住宅地として大量供給されることで地価の暴落が懸念された問題(筆者レポート:「生産緑地の『2022年問題』と都市農業(2018年6月)参照」 野村アグリプランニング&アドバイザリー 生産緑地の「2022年問題」と都市農業 (PDF) (nomuraholdings.com)) [5] 市街化区域内にある生産緑地以外の農地 [6] 農地等が恒久的に農業の用に供されるとした場合に通常成立すると認められる取引価格として国税局長等が決定した価格をいい、相続税や贈与税を課税するときの財産を評価する基準である「財産評価基準」の一つに数えられる。 [7] 筆者レポート「生産緑地の『2022年問題』と都市農業(2018年6月)」の図表7参照(レポートURLは本稿P3の脚注4) [8] 「改正正生産緑地法(2017年6月)」では、生産緑地に設置できる飲食施設は全体面積の10分の2以下であることが定められている。 [9] 同法の飲食施設では、当該生産緑地またはエリア内(市区町村等)で生産された農産物等を原材料等に5割以上使用する必要がある。 ディスクレイマー 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