• 「気候変動対策のトリレンマ」に直面して脱炭素政策の加速は期待しにくい
  • 企業によるカーボンニュートラル目標への取り組みが脱炭素に貢献することを期待
  • 日本企業がROEの継続的な改善で企業価値向上に本格的に踏み出せるかに注目

2024年は様々な国、地域で選挙が行われる予定です。各国内の政治情勢が優先される結果、脱炭素への政策的後押しが弱まらないかには注意をしておく必要があります。

IMF(国際通貨基金)は、「気候変動対策はトリレンマ」、つまり気候目標の達成・財政の持続可能性・政治的実現可能性を全て同時に満たすことはできない、と指摘しています。脱炭素政策のために財政赤字を際限なく増大させるわけにもいかないし、その負担を家計に負わせ過ぎると政権基盤に影響しうる、といったことを考慮する必要がある、ということです。

既に欧米では家計負担への配慮を名目に、エンジン車の販売禁止時期を先送りしたり、電力料金引き上げ回避のため洋上風力発電への補助金積み増しを見送ったり、といった動きが出ています。こうした動きが選挙対策に関連して結果的に脱炭素への政策的な後押しを弱めることになるのではないか、と懸念されます。

とはいえ、異常気象やその被害が頻発する状況を前にして脱炭素政策自体が打ち切られるわけではない、ということはできるでしょう。

国際的な政治イベントとしては、2024年11月5日の米国大統領選挙が最も注目されます。米国では、民主党と共和党の政治的対立が、脱炭素と関連した反石油・ガス産業への立場や、所得格差など社会問題への考え方と絡み合う形で「反ESG」的な動きが政治情勢と連動しやすくなっています。

議会選挙も合わせた結果次第では米国の脱炭素政策への加速期待が失われるだけではなく、パリ協定からの脱退など国際的に脱炭素に向かう政治的な求心力が弱まることにもなりかねません。

欧州でも2024年6月にEU(欧州連合)議会選挙が予定されています。2023年11月のオランダ下院選挙で反EUを掲げる極右政党が第一党となりました。脱炭素政策とも関連する燃料費・光熱費の家計負担増加が一因とされています。オランダはEU内で環境政策の先陣を切ってきました。それだけに、今後反ESGの動きと連動してEU議会の勢力図が変わるようだとEUの政策運営に影響が出る可能性もあります。

またイギリスでは2024年内に総選挙が行われる可能性が高いとされています。スナク政権が脱炭素政策を修正して政権維持を図っていますが支持率低迷が続いており、今後の対応を含めて注意が必要です。

日本では、2024年に国政選挙の予定はありませんが、同年9月の自民党総裁任期をにらんで政局流動化リスクには注意が必要です。特に、日本が脱炭素政策を推進するにあたって、再生可能エネルギー(再エネ)発電比率が上昇してくるまでの間に化石燃料による火力発電の依存度を下げようとすると、現実的には原子力発電所の再稼働数を増やす必要があります。ただし、そのためには強力な政治的指導力が必要と考えられます。

一方、これまで太陽光および風力で再エネ導入を牽引してきた中国では、景気自体への懸念がある中で、過剰生産能力への懸念を一因に再エネ設備関連企業の業績悪化が指摘されています。財政赤字の問題などから再エネに限らず政策的なサポート余地が狭まっている点には注意しておきたいところです。

このように、各国の政策の追い風が強まることにはあまり期待できない状況ですが、多くの企業は2050年カーボンニュートラル目標を掲げています。そして、気候変動が企業活動に与えるリスクと機会、それらへの対処方針についての情報開示とその実行を求められています。水素関連やCCS(二酸化炭素の回収・貯留)関連などの新技術が実装され商業ベースに乗る見通しが高まるかどうか、という企業の貢献に注目して脱炭素の進展を見極める必要があります。

話題を日本企業に移します。2023年3月に東京証券取引所(東証)が上場企業に対して「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応等に関するお願い」(以下、「要請」)を行いました。この「要請」では、上場企業に自社の企業価値の向上を求め、向上策についての情報開示と実行を求めるものです。当初はPBR(株価純資産倍率)1倍割れの企業に対する要請と受け取られたこともあって、そうした企業の株主還元が一段と注目されました。

しかし、東証としては①「要請」を受けて企業価値向上策を開示する企業が依然として少ないこと、②PBR1倍が企業価値向上のゴールではないという考え方に基づいて、「要請」を受けて開示した企業のうち、PBR1倍超の企業の開示が相対的に少ないこと、に問題意識を持っているようです。2024年1月以降、向上策を発表した企業の開示事例や発表数を公表する方針で、積極的な開示を促しています。

こうした企業価値向上への方針の開示や実行を後押しするために機関投資家による企業への働きかけ(エンゲージメント)の重要性も高まると考えられます。

2023年には日本の機関投資家が、女性取締役比率や政策保有株の保有比率を基に取締役選任議案への賛否を決めるといった議決権行使基準を設定し、それが企業の対応を変化させました。この流れは今後も続き、2030年に3割という目標に向けて女性取締役の増加は続き、政策保有株の削減も続くでしょう。

こうした数値基準に比べるとPBRは株価次第という面もあって同列には扱いにくいです。しかし、例えば株価がPBR1倍割れとなっている企業が十分な改善策を策定しない場合、取締役選任議案に賛成しないといった議決権行使基準が検討され、設定されることもありうるため、企業の対応が促されることになるでしょう。

PBR1倍を超えてさらに企業価値を向上させていくためには株主還元に加えて利益をどのように上げていくかについての戦略が必要でしょう。そもそもPBRはROE(株主資本利益率)とPER(株価収益率)の掛け算です。足元の利益率であるROEが継続的に改善することによって先行きの期待を反映するとされるPERも上振れし、PBRが上昇すると整理できます。ところが、下図にある通り、過去10年ほどコーポレートガバナンスコードなどで企業価値の向上を要請されてきた日本企業は、全体としては株主還元を大きく増やしたもののROEの継続的な改善には至っていません。これではPBRの上昇は期待しにくいと言えるでしょう。

2024年に注目すべきは、ROEの継続的改善とその結果としての企業価値向上につながる、中長期的な経営方針を打ち出す企業が増加するかどうかでしょう。脱炭素やデジタル化などの事業機会を踏まえ、それぞれの強みを活かして利益を伸ばすのか、新たな挑戦をするのか、各企業の戦略がカギを握ります。そうした戦略が投資家の理解・後押しを得られれば、PBR上昇にもつながりやすくなると期待されます。

(野村證券エクイティ・リサーチ部 若生 寿一)

※野村週報 2024年新春合併号 「ESG」より

※こちらの記事は「野村週報 2024年新春合併号」発行時点の情報に基づいております。
※掲載している画像はイメージです。

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