文/斎藤 健二(金融・Fintechジャーナリスト) 写真/竹井俊晴
2023年以降、TOB(公開買付け)、MBO(経営陣が参加する買収:マネジメント・バイアウト)が増加しています。自分が保有する銘柄がTOB、MBOの対象になったら、どのように考えればよいでしょうか。TOB、MBOが増える背景と個人投資家にとっての影響について、元証券ディーラーの個人投資家たけぞうさんに、QUICK社中山桂一さんが聞きます。
TOBとは、企業の発行する株式を保有する不特定多数の人に対して、あらかじめ買付「期間」「数量」「価格」を提示し、通常の市場売買でなく市場外で一括して買い付けることを言います。公開買付けの対象となる会社の取締役会の賛同を得ないで、買付者が公開買付けをおこなう場合を同意なき買収(敵対的TOB)といいます。
MBOとは、会社の経営陣が、金融支援(=買収をしようとする企業の資産や将来のキャッシュフローを担保として投資ファンド等からの出資・金融機関からの借入れなどをおこなうこと)を受けることによって、自ら自社の株式や一事業部門を買収する手法のことです。
中山桂一さん(以下、中山)
最近、TOBやMBOが増加傾向にあるように感じています。QUICKのデータで他社へのTOBの件数を集計すると、リーマンショック前の2007年には年間100件程度ありました。その後、一旦減少しましたが、近年は再び増加傾向にあります。2024年に関しては、5月中旬までの時点で既に28件発生しています。TOBには季節性はなく、案件ごとに発生するという特徴があるので、このペースが続けば過去最高の件数になるかもしれません。
MBOについても、2023年度の株式取得額が過去最高となったと報じられています。
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TOBは2023年に79件と多く発生
出所:QUICKデータベース 2024年5月28日までの集計
たけぞうさんは、TOBの件数増加の背景にはどのような日本市場の変化があるとお考えでしょうか。
たけぞうさん(以下、たけぞう)
今後もTOBは増加すると予想されます。その主な要因は、東京証券取引所(以下、東証)がPBR(株価純資産倍率)1倍割れの企業に対して改善を要請していることと、金融庁が打ち出した政策保有株の縮減方針だと考えています。企業は、政策保有している株式を売却するのか、一部をTOBにより株式を取得し、子会社化するのか等の判断を迫られるでしょう。
中山
東証による要請は大きな影響を与えていますね。マーケットではどのような反応が見られましたか。
たけぞう
東証が本格的に動き出したのは、2022年1月にPBR1倍割れ企業に対して改善を要請する方針を打ち出した頃で、続いて2023年3月に「資本コストと株価を意識した経営の実現に向けた対応」を要請しました。2023年のTOB件数が79件に上ったのは、こうした東証の要請が影響していると考えられます。
すでに投資家の間では、PBR1倍割れ企業はTOBの標的になりやすいと見られ始めています。そういった企業が、決算発表を遅らせるなどの変化がある際には、「TOBがあるのではないか」との憶測が広がり、株価が大きく変動することもあるほどです。
中山
東証による要請により、経営のあり方そのものを見直すきっかけになればと期待しています。
たけぞう
おっしゃる通りだと思います。東証の本質的な目的は、PBR1倍割れ企業を減らすことではなく、企業に資本コストを意識した経営方針を示すよう求めることだったでしょう。実際、企業の姿勢にも変化が見られるようになりました。株主還元の強化や自社株買いなどに動く企業が増えています。
中山
一方で、プライム市場とスタンダード市場では、要請への対応に違いがあるようにも感じます。プライム市場の企業の方が、積極的に取り組みの開示を進めているというイメージがあります。
たけぞう
その通りですね。要請に対して、2024年5月末時点でプライム市場の約72%の企業が開示(検討中を含む)を進めています。一方、スタンダード市場での開示はあまり進んでいません。
背景として、スタンダード市場の企業では、取り組みの開示に必要な人材が不足していることなどが考えられます。ただし、スタンダード市場であっても、ステークホルダーに対する説明責任を果たすことは重要です。今後、徐々に開示姿勢に変化が表れてくるかもしれません。プライム市場とスタンダード市場の違いは、注目すべきポイントの1つだと思います。
TOB、MBOの増加から学ぶべきこと
中山
TOBやMBOの増加という観点から見ると、最近の事例で個人投資家が学ぶべき点はどのようなところでしょうか。具体的な企業の例などがあれば、ぜひ教えてください。
たけぞう
1つの象徴的な事例は、大正製薬ホールディングスのMBOです。金額的にも7,000億円強の巨額案件で、消費者からも名前がよく知られている企業だけにニュースになりました。大正製薬ホールディングスは、もともと創業家が多くの株式を保有していたのも特徴です。
もう1つの事例は富士ソフト(9749)です。同社は子会社4社を上場させていましたが、TOBを実施してこれらを非公開化しました。背景には、”物言う株主”(注1)といわれる投資ファンドから、同社が株主提案を受けていたことがあると考えられます。
(注1)株式を一定程度取得した上で、その保有株式を裏づけとして、投資先企業の経営陣に積極的に提言をおこない、企業価値の向上を目指す投資家のことをアクティビストという。いわゆる「物言う株主」。
TOBやMBOは、創業家の意向や株主との関係性などが密接にかかわっています。個人投資家としては、株式の所有構造や機関投資家などの株主との対話の状況(注2)など、企業ガバナンスの観点からも企業を見る必要があるでしょう。
(注2)機関投資家等が投資先企業や投資を検討している企業に対して行う「建設的な目的をもった対話」のことをエンゲージメントと言う。日本では、2014年に制定されたスチュワードシップ・コード(責任ある機関投資家の諸原則)に基づき、機関投資家はエンゲージメントを通じて投資先企業の持続的な成長を実現していくことで、顧客や受益者の中長期的な投資リターンの拡大を図ることが求められている。
中山
一般の人にとって身近な企業のMBOも目立っていますね。2024年にMBOが成立したベネッセホールディングスもそうで、金額も大規模でした。同社も、創業家が多くの株式を保有していた企業です。そうした企業がMBOやTOBを選択するようになったということは、企業経営者のマインドにも変化が起きているのでしょうか。
たけぞう
経営者の考え方に変化が生じていると感じます。創業家が株式の多くを保有する企業では、株主から経営方針とは異なる要求を受けるなら、経営の自由度を高めるために非公開化を選択する、という流れは今後も増えていくでしょう。
上場を維持するには、社外取締役の登用やIR活動の強化など、ガバナンス体制の整備が求められます。こうした対応が負担となることもあるでしょう。投資家としては、創業家など経営陣の動向を注視することが重要だと考えます。
中山
2023年には、エムスリー(2413)のベネフィット・ワン買収に対抗して、第一生命ホールディングス(8750)がTOBを表明しました。同意なきTOBや対抗TOB(カウンターTOB)など、新しい事例も増えてきています。これは日本市場にどのような変化をもたらすのでしょうか。保険会社が事業会社のTOBに名乗りを上げたことの意味合いも気になるところです。
たけぞう
第一生命の事例は、保険会社の成長戦略を模索する中での投資として、ベネフィット・ワンに注目したのでしょう。成長性への投資として対抗TOBを行った点が象徴的でした。
会社に潤沢な資金がある場合、自社株買いなどの手もありますが、成長戦略の一環として他の企業を買うのも企業価値を高める重要な方法です。
保険会社だけでなく、事業会社同士のTOB合戦も増えてくるかもしれません。政策保有株の売却で得た資金を成長投資に振り向けると明言している企業も多く、M&A(企業の合併・買収)は有力な選択肢になるでしょう。
自分の保有銘柄がTOBの対象になったら
中山
TOBが増加傾向にある中で、個人投資家がTOBを投資機会ととらえるべきなのか、それとも慎重になるべきなのか。この点について、たけぞうさんのお考えをお聞かせください。
たけぞう
例えば、PBR1倍割れで、親会社が50%以上の株式を保有している銘柄などは、TOBの可能性があります。しかし、実際にTOBが実施されるかどうかは、予測が難しいのが実情です。TOBの可能性がある銘柄を絞り込むことはできても、それが実現に至るかは予想が難しいですね。
個人投資家は、TOBを当てにするのではなく、企業の本質的な価値に注目してほしいと思います。割安な株価水準にあり、業績の改善が見込める銘柄を選ぶことが重要だと考えます。
中山
なるほど。TOBが増えれば、保有銘柄が対象になる個人投資家も増えるでしょう。その際、個人投資家はどのような点に注意すべきでしょうか。
たけぞう
開示資料をよく読み、TOB価格と買収予定の株式数の割合を見てください。一般的にTOB価格は、市場株価にプレミアムが載せられて高く設定されることがほとんどですが、市場価格よりも低く設定されるディスカウントTOBもあります。
全株式を対象とするTOBの場合は、応募すれば基本的には買収価格で売却できます。市場での株価がTOB価格に近づいて上がる傾向があり、TOBの手続きをするより市場で売却するほうが楽だと考える人もいるでしょう。TOB価格よりも株価が上昇することもありますが、競合する買い手が現れなかったり、TOBが不成立となり株価が急落するようなことも考えられます。TOBが成立したら最終的には上場廃止になるので、投資家はそれまでに株価を注視しながら市場で売るか、TOBに応募するかを決めるのが妥当です。
一方、買収予定数が50%程度の場合は、連結子会社化が目的だと考えられます。その場合、上場廃止になるケースは少なく、TOB価格までは株価が上昇しない可能性があります。
いずれにせよ、TOBが開始されたら開示書類を丁寧に確認して、マーケットに注目することが重要ですね。
中山
TOB開始後、株価はTOB価格に近づいて上がる傾向があるとのことですが、TOB価格よりも若干低い水準で推移することが多い印象を持っています。例えばTOB価格が1,500円なのに、株価は1,450円前後で推移するといったケースです。なぜこのようなギャップが生じるのでしょうか。
たけぞう
TOBがなにごともなく進行していけば、決済の開始日(注3)にはTOB価格での売却ができます。それまでには、TOB価格以上に株価が上昇しないケースも多いので、TOB価格より時間分、また不成立や撤回のリスクの分だけ少し安く取引されることも多いと思います。
(注3)TOB成立後、買付者が応募株主に対して株式の引き渡しをし、買付者に代金が支払われる日。20営業日以上の公開買付期間後に設定される。
成功可能性を市場が見極めようとしている面もあると考えられます。仮に競合他社からの対抗TOBなどがあれば、買収価格が上振れする可能性もあるため、様子見の投資家もいるのだと思います。TOBの期間や撤回条件など、よく確認しておくことが大切ですね。
グロース市場の見直し
中山
プライム市場では改革が着実に進む一方、グロース市場の見直しが注目されていますね。東証の市場区分の見直しについては、フォローアップ会議で議論が行われています。
プライムとスタンダード市場については一定の方向性が示されていますが、現在議論の焦点となっているのがグロース市場です。グロース市場の上場維持基準を厳格化すべきという意見がある一方で、一律に厳しくするのは適切ではないという意見もあり、意見が分かれている状況だと聞いています。
たけぞう
現在、グロース銘柄には、新規上場から10年経過しても時価総額が40億円に満たない場合、上場廃止になるという基準があります。この基準の厳格化が検討されており、存続期間を10年から3〜4年に短縮することや、時価総額基準を100億円に引き上げることなどが議論されています。
仮に基準が厳しくなれば、多くの銘柄が上場廃止になるかもしれません。上場廃止を避けるために、一時的に株主優待を充実させるなどで、時価総額を引き上げる企業も出てくる可能性があります。株価を上昇させ、時価総額の基準をクリアしようとする動きですね。
ただし株主優待は廃止することができるので、投資家は注意が必要です。優待を充実させて上場維持の基準をクリアしたとしても、その後優待を廃止すれば株価は下落し、本質的な問題は解決しません。
中山
グロース市場の見直しは、新興企業の成長をサポートする一方で、投資家保護の観点からも重要な論点ですね。バランスの取れた市場運営を目指す必要がありそうです。
たけぞう
その通りだと思います。スタートアップ企業の支援は重要ですが、放漫経営を助長するようでは本末転倒です。一定の規律を求めることで、グロース市場の信頼性を高めていくことが求められます。市場の公平性・透明性を維持しつつ、企業の成長を後押しする。そのためのルールづくりが問われているのだと思います。
中山
変化の方向性を理解した上で、投資判断に生かしていくことが重要ですね。個人投資家の皆さんには、市場の変化を意識しながら銘柄選択をしていただきたいと思います。
たけぞう
投資において大切なのは、変化を恐れることなく、機会を見出す姿勢だと思います。TOBやMBOの増加は、日本企業の構造的な変化を反映したものだと考えます。個人投資家の皆さんには、こうした変化を前向きにとらえ、企業の成長力やガバナンスの状況などの分析を欠かさないことが何より大切だと考えます。
個人投資家
たけぞうさん
1988年に証券会社へ入社し約30年間勤務し、独立。証券会社勤務時には、20年間以上証券ディーラーとして活躍した。現在は個人投資家である傍ら「誰にでも、わかりやすく」にこだわりラジオ、セミナーなどで投資手法を伝える。メールマガジン「たけぞうの50億稼いだ男のメルマガ」(パンローリング社)を毎日配信。午前4時前に起床し国内の主なニュースや株価に影響のある記事を新聞4~5誌からまとめ、早朝に終わるNY市場の動向も配信している。
QUICK ナレッジコンテンツ本部 コンテンツグループ 副部長
中山桂一さん
2008年QUICKに入社。2013年に日本経済新聞社商品部(当時)に出向し記者職に就く。日経QUICKニュース社への2度の出向を経てQUICKデリバティブズコメント、エクイティコメントでマーケット記事の執筆業務に携わる。
※本コラムで取り上げられた投資に関する基本的な考え方などについては、あくまで個人の見解によるものであり、野村證券の意見を代表するものではございません。