中国の国家の最高権力機関「全国人民代表大会(全人代)」が3月5日から11日にかけて行われました。今年の全人代のポイントや、全人代で言及があった政策や経済目標のほか、米国の対中関税引き上げへの対応などについて、野村東方国際証券の高挺(ガオ・ティン)チーフ・ストラテジストに聞きました。

全人代の役割とは?

――まず、全人代とは中国においてどういった存在なのかを教えてください。

高挺氏(以下、同)

全人代は中国の憲法で定められている国家の最高権力機関で、憲法改正、法律の制定と改正、国家主席・副主席の選出、国家主席の指名に基づく国務院総理の候補者の決定、国家予算の承認、その他の重要事項の決定を行う場です。

北京で毎年3月初めにおよそ1週間にわたって開催され、代表の任期は5年間とされています。

なお、全人代の主な役割は以下の3点に分類されます。

  1. 前年の経済および社会発展政策の実施状況を検証し、当年の国内経済発展の計画を決める。
  2. 前年の予算執行状況を確認し、当年の予算案を承認する。
  3. 政府機関の重要職員を決定・選挙する。

特徴的なのは閉会期間中でも「全人代常務委員会」という組織が立法権を行使できる点です。常務委員会は通常、100人以上の議員で構成され、法律や予算の詳細を決定しています。

今年の全人代の注目ポイントは

――今年の全人代で明らかにされた政策や目標で、注目すべき点はありましたか。

いくつか注目すべき点がありました。まず、「内容が網羅されている」という点が挙げられます。私たちのような金融機関やシンクタンクなどは全人代の内容を事前に予想し、それを公表しますが、今回は事前予想通りの内容が発表された印象を受けました。なお、私が「政府工作報告」を読んで注目したポイントは以下の4点です。

1.内需拡大方針が明確に
米国による対中関税の強化も影響し、内需の拡大が重要な課題として認識されていました。国内消費を推進するという明確な方向性が示されています。

2.技術革新への期待
新産業の育成をさらに推進する方針が打ち出されました。技術革新への期待が高まっています。

3.統一市場の構築を目指す
各地方間での非効率な産業保護を廃止し、国内市場を改革して統一市場を目指すという方針も示されました。

4.リスク認識を厳格化
特に不動産業に関するリスクへの認識が厳しくなっていることが分かりました。市場安定や土地使用権の売却収入に依存するなど、不動産市場とのかかわりが深い地方政府の財政問題の解消などが重要視されています。

野村東方国際証券チーフ・ストラテジスト 高挺氏

内需拡大・新産業育成施策の内容は

――内需拡大に関する政策はどのようなものでしたか。

今回の内需拡大政策の目玉は、政府の事業に充てられる「長期中央政府特別債」の年間発行額が約1.3兆元(約26兆円)になることです。その内訳として、以下の施策が挙げられました。

・消費財下取りキャンペーン
約3,000億元(約6兆円)を家電や新エネルギー車(EV)、スマートフォンなどの買い替え促進に充当します。過去の実績からも、消費喚起に効果的な施策と期待されます。

・企業向け設備更新補助金
約2,000億元(約4兆円)を企業の設備投資支援に充てます。これにより、企業の設備更新を促進し、間接的に消費の底上げを図ります。

・地方債務の借り換え
地方政府の「隠れ債務」を中央政府が設けた低金利の債券発行枠に切り替えることが可能になります。これにより、地方政府の金利負担が軽減され、インフラ投資への資金確保が容易になるでしょう。

――新産業育成についての施策というのは、生成AI「ディープシーク」のような新しいサービスの誕生や成長を狙ったものなのでしょうか。

政府活動報告ではAIや新エネルギー車の研究開発推進や産業の育成について触れられたものの、具体的な予算額などは示されませんでした。このため、施策の詳細については現時点では不明です。他の補助金枠(企業設備更新補助金など)に含まれていたり、税金還付や銀行融資を通じて企業支援が行われたりするのかもしれません。

全人代は年間計画を明示する場ですが、詳細な予算編成は政府の各部、例えば経済政策を担う工業情報化部や科学技術政策を取り仕切る科学技術部などに委ねられる傾向があります。今後、具体案が発表されることになるでしょう。

市場や株価には影響を与えたか

――内需拡大政策の公表やイノベーション推進のアナウンスなどは、株価に影響しましたか

全人代の期間中、中国の「A株市場」はやや上昇傾向を示しました。これは、事前予想通りの政策内容が発表され、「失望感を与えなかった」ことが市場心理を支えたと考えられます。

また、昨年9月以降の金融緩和や不動産対策が市場を下支えしており、これが好材料として作用しました。特に、不動産価格や主要経済指標が部分的に改善傾向を見せたことが投資家の安心感につながっています。

――今回の全人代が海外の市場や経済に与えた、あるいはこれから与える影響はありますでしょうか。

今年の全人代では経済の成長エンジンの転換が強調されました。生成AIやデジタルテクノロジーなどの推進を通じた経済成長の加速が注目される一方、為替市場や海外市場への影響は過去と比べて限定的といえそうです。

不動産市場の安定化や引き渡し保証、さらに大規模な建設プロジェクトも、資材価格の上昇を通じて海外との貿易に影響を与える可能性があります。具体的な影響は今後のプロジェクト進捗に依存するでしょう。

米国の関税引き上げへの対応は

――米国の対中関税引き上げに関連し、全人代で何らかの施策は打ち出されましたか。

今回、関税についての具体的な施策は打ち出されませんでしたが、李強首相が「保護主義が激化している」「関税障壁が増えている」などと発言したことから、政府が問題として認識している様子がうかがえます。

中国の最近の追加関税に対する報復措置は限定的で、米国からの総輸入額の20%程度の範囲にとどまっています。これは、事態の悪化を避けたいという政府の慎重な姿勢を示していると考えられます。

――中国が深刻なデフレに陥るのではないかとの指摘もありますが、全人代でデフレ対策について公表されましたか。

生産者物価指数(PPI)はすでに、2年以上にわたって前年同期比でマイナス成長となっています。

政府はデフレ回避を意識しつつ、内需推進を通じて需要拡大を目指していくでしょう。CPI(消費者物価指数)とPPIのバランスを注視しながら、慎重に対応していくものと思われます。

野村東方国際証券 チーフ・ストラテジスト
高挺(ガオ・ティン)

米ミズーリ州立大学助教授を経て、中国国際金融股份有限公司(CICC)でエコノミスト及びA株チーフ・ストラテジストを歴任。2010年にUBSアセットマネジメントに入社し、リサーチ部門ヘッド兼中国投資チーフ・ストラテジスト、UBSグループの香港アセットマネジメント・アジア太平洋地域のマクロ経済ヘッド、UBS証券リサーチ部門中国戦略ヘッドを務めた後、2019年8月より現職。主に中国市場のアセットアロケーション戦略、市場展望、A株市場戦略などのリサーチを担当。

※本記事は、投資判断の参考となる情報の提供を目的としており、投資勧誘を目的として作成したものではございません。また、将来の投資成果を示唆または保証するものでもございません。銘柄の選択、投資の最終決定はご自身のご判断で行ってください。

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