
ロシアのウクライナ侵攻が契機
2月にロシアがウクライナに軍事侵攻を開始したことを受けて、金融市場でも警戒が高まった。ロシアに対する経済制裁を背景に、原油や小麦をはじめとした商品価格の高騰が続いている。しかし、世界の株式、債券市場がウクライナにおける戦況を材料視する局面は減りつつある。市場の関心は、ウクライナ情勢よりも、米国の利上げの進捗や、都市封鎖など厳格な新型コロナウイルス対策を続ける中国の景況感にシフトしつつある。これは、5月9日の独ソ戦・戦勝記念日までにロシアがウクライナの国土を占拠したり、休戦の条件をウクライナに呑ませたりすることが出来なかった一方で、ロシアが、今のところ生物・化学兵器や核兵器を使用していないことから、軍事的緊張に対する市場の警戒感が薄れたことも一因だろう。
ただし、ウクライナ紛争の派生的な影響には注意したい。ロシアの軍事侵攻によって、ウクライナ以外のロシアの周辺国でも懸念が高まっているのは当然の帰結だろう。そして、ウクライナがロシアに攻撃されたのは、NATO(北大西洋条約機構)に加盟していなかったことが一因だとの見方は、ウクライナ自身も認める所である。NATOには集団安全保障が定められており、加盟国が武力攻撃を受けた際、全加盟国に対する攻撃と見なし反撃する仕組みになっている。核保有国で強大な軍事力を有する米国の他、核保有国の英国、フランスも加盟国になっていることが後ろ盾となっている。ソ連崩壊後、東欧諸国の多くや旧ソ連のバルト三国はNATO に加盟した。

一方、北欧のフィンランド、スウェーデンはEU(欧州連合)には加盟しているものの、東西冷戦時から軍事的には中立寄りの姿勢を示し、これまで、NATO には加盟していなかった。しかし、今回のウクライナ紛争を機に、両国は長年の安全保障政策を転換する決断を下した。フィンランド政府が5月15日、スウェーデン政府が5月16日にNATO 加盟申請を正式に決定した。早ければ、6月29、30日のNATO首脳会議において、NATO 側が正式加盟を承認する議定書に署名することが見込まれる。正式加盟までには、全加盟国が議会の採決などで議定書を批准することになる。
ロシアの軍事的牽制のリスク
プーチン・ロシア大統領は、5月16日にフィンランドとスウェーデンのNATO 加盟について、両国にNATO の軍事施設が設置されれば対抗措置を取る可能性を示唆し、加盟を牽制している。
問題は、フィンランドとスウェーデンが加盟申請を行っても、全加盟国が加盟の議定書を批准するまでは、両国はNATO の集団安全保障の適用外であり、ロシアの軍事的圧力にさらされる点だろう。ちなみに、北マケドニアの加盟時のケースでは、2019年1月にNATOに正式な加盟申請を行い、同年2月6日にNATO 側が北マケドニアの正式加盟を承認する議定書に署名した。その後、全加盟国の批准が終了し、北マケドニアが正式加盟したのは、20年3月27日だった。フィンランドとスウェーデンの場合も全加盟国の批准が完了するまでに最低でも1年程度が掛ると見られる。特に、NATO の一員であるトルコが、国内のクルド系過激派を支援していることを理由に、両国の新規加盟に消極的な姿勢を示しており、批准の遅れも考えられる。

このため、ロシア軍が、両国のNATO 加盟が完了するまでの間に、両国の領空や領海近辺で、航空機や艦船を出動させたり、軍事演習、弾道ミサイルなどの発射実験を行ったりすることも考えられる。その場合、金融市場では、フィンランドとスウェーデンに関するリスク回避の動きが高まることになるだろう。特に、スウェーデンはユーロではなく独自通貨であり、動揺が大きくなる点には注意が必要だろう。一方、フィンランドはユーロ加盟国であり、フィンランドの地政学リスクがユーロ圏全体に波及することになろう。フィンランド、スウェーデンの株式、債券が売られ、ユーロ、スウェーデン・クローナが主要国通貨に対して売られ、米国債やドル、あるいは金に資金が逃避する反応が考えられる。
もっとも、5月11日に、ジョンソン英首相が、スウェーデンとフィンランドを相次いで訪問し、両国が攻撃の脅威にさらされるなど有事の際には、英国が軍事面での支援を行うことで合意し、相互安全保障の文書に署名した。英国の決断を踏まえると、他のNATO加盟国も同様の軍事的支援を、NATO 正式加盟まで両国に行う可能性が高い。こうした支援は、ロシアによる軍事侵攻を回避することに繋がり、ロシアの軍事的挑発も政治的抗議を示すような象徴的なもの、小規模なものに留まらざるを得ないだろう。従って、市場のリスク回避の動きは一時的なものに留まろう。
(経済調査部 吉本 元)
※野村週報2022年5月23日号「焦点」より