ボルカーFRB議長時代の金融政策

 かつて、1973年の第一次オイルショック、1979年の第二次オイルショックなどから米国でインフレが深刻な問題となっていた時期に就任し、インフレファイターの異名をとったFRB(米連邦準備理事会)議長に、ポール・ボルカー氏がいました。

 ボルカー氏のFRB議長在任期間は1979年8月~1987年8月です。同氏は議長就任後、直ちに金融引締めに着手しました。その結果、政策金利であるFF(フェデラル・ファンド)金利は上昇しました。

 金融引き締めの効果は徐々に表れ、一時は前年比+15%を超えていたインフレ率は徐々に低下し、1983年には一桁台前半に鎮静化していきました。

 ボルカーFRB議長は社会問題となっていたインフレの鎮静化には成功したものの、金融引き締め策は景気を減速、後退させました。その結果、米国内では失業率も上昇し、1982年9月には10%を超え、10%台の失業率は1983年6月まで続きました。

 失業率は経済活動に遅れて表れてくる傾向があり、インフレが鎮静化し始めた辺りから上昇していることが見て取れると思います。

金融引き締めでインフレ率は徐々に低下も失業率は一時10%超へ

ボルカーFRB議長(1979年8月~1987年8月)は就任直後からインフレ退治の金融引き締めを実施

(注)データは月次で、1978年1月~1988年12月。CPI(消費者物価指数)は前年同月比。FF(フェデラル・ファンド)金利は米国の政策金利。
(出所)リフィニティブより野村證券投資情報部作成

 次に、この間における株式市場の動向をみてみたいと思います。ボルカーFRB議長がインフレ退治を進めていた1979年から1982年半ばにかけては、ダウ指数は上値が重く、頭打ちのような状態が続いていました。

 その後、インフレが鎮静化し、政策金利も引き下げられた1982年後半ごろから、ダウ指数は水準を切り上げ、その後、上昇傾向となっていたことが見て取れると思います。インフレ鎮静化で政策金利も引き下げられ、金利低下により景気が回復し、企業業績も回復に向かったと推察されます。

インフレ鎮静化後にダウ指数は上昇傾向へ

インフレ退治中は株価は上値が重く軟調に推移したが、CPIが落ち着いた後、上昇傾向へ

(注)データは月次で、1978年1月~1988年12月。FF(フェデラル・ファンド)金利は米国の政策金利。
(出所)リフィニティブより野村證券投資情報部作成

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