執筆:野村證券株式会社フード&アグリビジネスビジネス・コンサルティング部
ヴァイス・プレジデント 中村 さやか(2025年6月18日)
はじめに
海外のスーパーマーケットに行くと必ずある日本の食材、それは醤油だ。醤油は、世界中の料理と相性が良く、現地の料理にかけても不思議と味が整う、まさに「万能調味料」[1]である。現地の顧客が、そのような「万能調味料」に手を伸ばす姿を見ると、日本人としてどこか誇らしくも感じられる。
さらに、近年では、「Miso Soup(味噌スープ)」、つまりは「味噌汁」が海外で流行しており、味噌の需要も高まりつつある。SNSでは、「Miso Soup(味噌スープ)」に、Soba-Noodle(そば)を入れたり、Pot Stickers(餃子)を入れたりと、日本人からすると一見個性的なアレンジを加えた「Miso Soup(味噌スープ)」レシピが溢れている。果たして、醤油・味噌等日本の調味料はどのようにして海外で受け入れられてきたのであろうか。
1. 日本の調味料の現況
人口減による需要減、和食から洋食への食習慣の変容が顕在化し始めていると言われる国内の食料品市場において、醤油、味噌も例外ではない。醤油の1人あたりの年間購入量は2023年で1.37ℓであったが、2013年で1.94ℓ、2003年で2.64ℓであったことから20年前と比べると約半分にまで減少している[2]。過去10年で見ても、醤油も味噌も1世帯当たりの購入金額は、微減傾向にある(図表1)。
また、生産拠点数も減少しており、2003年に1,509あった醤油の製造工場は、2023年に1,035まで減少した。醤油と同様、味噌の製造工場も2003年に957あったものの、2022年には759まで減少している[3]。
一方で、海外への輸出は絶好調で、醤油は2023年に年間輸出金額が100億円を、味噌は2022年に50億円をそれぞれ突破し、過去最高を記録している(図表2、図表3)。
図表1 醤油と味噌の一世帯あたりの消費額推移(二人以上世帯)

図表2 醤油の輸出金額・数量推移

図表3 味噌の輸出金額・数量推移

2023年度の輸出先をみてみると、醤油・味噌ともに1位が米国、2位が中国で、3位は醤油がオーストラリア、味噌は韓国となっている。近年、輸出金額が増加した背景には、輸出数量が増えた上に、円安および調味料の主原料である米・大豆・小麦粉の原材料の高騰・水道光熱費の高騰による価格転嫁が進んだ要因があると思われる。そして、輸出数量が増加した背景には、主に、①2013年に「日本食」がユネスコの無形文化遺産として登録され、海外における日本食ブームが起こったこと、②①に伴い、海外での日本食レストランが増加したこと[4]、③メーカー側の海外進出意欲の高まりによるマーケットインの商品開発がなされたこと(例:グルテンフリー醤油)、④政府の後押し(例:輸出拡大実行戦略に基づく具体的な施策の輸出重点品目28品目への醤油・味噌の選定)等が考えられる。今でこそ、醤油・味噌を始めとする日本の調味料が海外の小売店でも気軽に購入できることが可能となったが、果たして、日本の調味料メーカーはどのように海外進出を進めたのであろうか。
2. 昭和・平成時代の日本の調味料メーカーの過去の海外進出成功事例
1) 醤油メーカーの海外進出の成功事例
日本の調味料メーカーの海外進出のパイオニアといえば、キッコーマン株式会社(以下、「キッコーマン」、本社:東京都))[5]である。現在、キッコーマンの売上高の77.9%、事業利益の90.8%は海外事業が占めている[6]。キッコーマンの代表的な商品である醤油は世界100カ国以上で愛用され、今では、米国に2拠点(ウィスコンシン州・カリフォルニア州)、オランダに1拠点、台湾に1拠点、シンガポールに1拠点、中国に2拠点(江蘇省・河北省)、ブラジルに1拠点と海外に8つの生産拠点を持つまでになった。さらに、需要が旺盛な北米市場において安定的な供給体制を確立すべく、米国ウィスコンシン州に9つ目の生産拠点を建設中だ[7]。
キッコーマンが本格的に輸出を始めたのは、駐日米国人が増加し、醤油がポピュラーになってきた第二次世界大戦後であった。その当時、キッコーマンは醤油を海外に普及させるためには、和食自体を普及することよりも、現地の食材や料理に醤油をいかに利用してもらえるかが重要と考えていた。そして、サンフランシスコ講和条約が締結された1951年から6年後の1957年に、米国・サンフランシスコに販売会社である「Kikkoman International, Inc.」を設立し、まずは肉料理と醤油の相性のよさを伝えるべく、スーパーマーケットを中心に、醤油を肉につけて焼く試食販売を始めていった。その後、続々と現地の食材や料理になじむレシピを開発し、“Delicious on Meat”というキャッチフレーズで、積極的なプロモーションを行った結果、「醤油は肉料理にとてもよく合う調味料」である、という認知を獲得し、1961年に次のヒット商品である「Teriyaki Sauce(照り焼きソース)」の発売につながった。
米国での消費量の増加に伴い、日本で製造したものを輸出する体制から、コンテナ輸送後、現地でびん詰めする体制に移行した。販売会社を設立して16年後の1973年には、米国中西部にあるウィスコンシン州ウォルワースに初の海外生産拠点を設立し、“Made in USA”の醤油の出荷が始まった。現地生産が成功した背景には、①工場設立に際して、地域社会との共存共栄を目指し、出来る限り地元の企業と取引し、現地社員の登用も積極的に行ったこと、②日本から派遣された社員も進んで地域社会と接点をもち、よき市民たることをめざす等、「経営の現地化」を細部まで徹底した点にある。販売会社設立から41年後の1998年には、カリフォルニア州フォルサム市に米国第二工場もオープンしており、米国を中心とする北米での売上高は、順調に伸びていった。現在では、キッコーマンの海外売上高の65%を北米が占めるようになり[8]、北米市場におけるキッコーマンの醤油のシェアは過去10年間、毎年50%以上をキープしている。
図表4 海外における醤油販売(寿司につける小分けパック、瓶詰め)

キッコーマンが北米市場攻略後に進出した欧州市場への参入方法は、北米市場とは全く異なるものであった。1973年にドイツのデュッセルドルフで鉄板焼きレストランを開店し、肉や現地の食材と醤油の相性の良さを、鉄板焼きならではのオープンキッチンスタイルによって、五感で味わってもらう戦略に出たのである。この戦略の背景には、欧州は歴史が古く、国や地方によって多様な食文化が共存するうえに、自身の食文化への愛着やこだわりも強いため、安易に海外の味覚を取り入れない傾向があり、醤油を使った料理を一定程度フォーマルな場面で試してもらうなど時間をかける必要があった。そして、欧州市場への参入から24年後の1997年には、オランダのフローニンゲン州に初の欧州工場が完成し、欧州全域に加え、ロシアや中東への製造と流通の拠点を設立した。近年では、「Fermented Food (発酵食品)」ブーム等の健康志向の高まりや日本食への関心の高まりから、欧州の多くのトップシェフたちが積極的に醤油を用いるようになる等、順調に市場が拡大し、現在では、キッコーマンの海外売上高の約20%を欧州が占めるようになった[9]。
北米・欧州市場を攻略したキッコーマンは、さらにアジア市場開拓を試みた。まずは1983年に、東南アジア及びオセアニアへの輸出を目的としてキッコーマン・シンガポールを設立し、翌1984年にはシンガポール工場を稼働させた。そして、アジア市場本格進出から6年を経た1990年には、台湾最大の食品企業「統一企業グループ」と合弁で「統萬股份有限公司」を台湾に設立し、2000年には同企業グループとともに「昆山統万微生物科技有限公司」を上海近郊の江蘇省昆山市に設立し、2002年より出荷を開始した。そして、2008年、キッコーマンは北京および天津地区に本格参入するために、統一企業グループとともに河北省石家庄市に「統万珍極食品有限公司」を設立し、2009年より出荷を開始した。さらに、2014年には、「亀甲万(上海)貿易有限公司」を設立し、上海での醤油販売を本格化させた[10]。以上を踏まえると、アジア市場への参入の要諦は、北米市場や欧州市場とも異なり、台湾・中国両国で柔軟に事業展開が可能な現地のパートナーを選んで、単独で参入しない点だと思われる。そして、2020年代に入ってからは、ブラジルに現地工場を、インドに販売会社を設立する等、新興国の開拓も積極的に進めている。
各時代・各市場に適合する形で、商材(醤油、醤油関連調味料、日本食レストラン)を投入し、必ずしも単独参入に拘ることなく、必要であれば事業パートナーを迎え、現地経営を心掛けるとともに、地元の信頼を勝ち取りながら必要な設備投資を丁寧に実行に移すということがいかに大切か、多くの示唆が得られるケースである。
2) 味噌メーカーの海外進出の成功事例
一方で、味噌の海外進出は醤油よりも20年近く遅く、1970年代から輸出が始まった。そして、味噌の輸出開始から30年ほど経った段階で、国内売上高で首位を誇るマルコメ株式会社(以下、「マルコメ」、本社:長野県)が、2004年に初めて海外に販売会社「Marukome USA, Inc.」を設けた[11]。マルコメの初めての販売会社は、米国カリフォルニア州ロサンゼルス近郊(トーランス)に設立され、その3年後に販売会社に隣接した都市(アーバイン)に現地生産工場を設け、販売会社も同地に移転した[12]。米国工場では、現地の米と大豆を使って味噌づくりを行い、地産地消を心掛けた。しかしながら、現地の水は硬水であることに加え、高温で乾燥している南カリフォルニアで味噌づくりを行い、納得する味が出来上がるまで数年かかったそうだ。
その後、2013年にタイの販売会社である「Marukome(Thailand)Co.,Ltd.」と韓国の販売会社である「Marukome Korea Co., Ltd.」を設立し、日本食の普及が進んだ地域や家庭で味噌を使った料理が一般的になっている国にフォーカスして、海外事業を展開している。そして、2023年には、独資で中国の現地法人である「玛露蔻美(上海)贸易有限公司(Marukome (Shanghai)Trading Co., Ltd.)」を設立した。米国・タイ・韓国・中国のいずれの国も、販売会社を設ける経緯となったのは、日本食料理店、しかもチェーン店が多く、B2B需要が見込めた点が背景にある。
味噌の海外展開は、現地の日本食料理屋を中心とした業務用向けが大きく、マルコメの海外事業の売上高のうち約70%を業務用需要が占めている。そのため、今後、味噌の海外進出については、個人顧客ないしB2Cチャネルの開拓余地は多分にあると思われる。特に、米国・欧州を中心に、ウェルネスの文脈から発酵食品にスポットライトが当たっており、今こそ味噌のブランディングを再構成できるタイミングではないかと推察できる。
3. 令和における日本の調味料メーカーの海外進出成功事例
1) 「伝統と革新」―既成概念を覆す商品開発力とインバウンドを活用した海外進出事例―
キッコーマンが約70年もの間、積極的に海外展開を行い、「Soy Sauce(ソイソース/醤油)」の世界的な認知の獲得に成功した礎の上に、今一度、日本の伝統調味料であり「万能調味料」である「醤油」や「味噌」を再構築し、海外市場を攻略しようとチャレンジする中堅会社が熊本県に存在する。それは、創業156年の老舗企業である株式会社フンドーダイ(以下、「フンドーダイ」、本社:熊本県)だ。
元々、フンドーダイは、熊本の名家である大久保家が戦国時代末期から営んでいた両替商と造り酒屋であった。しかし、版籍奉還が実施され、大名が治めていた土地と人民を政府に返還した歴史的な年である1869年(明治2年)に、大久保家11代当主が醤油製造へと事業転換し、以降、熊本県を中心とした国内の顧客に愛される醤油及び味噌やドレッシング等の調味料を製造・販売してきた。しかし、人口減少等の醤油需要の減少に伴い、2014年、6次産業化を推進するベンチャー企業で冷凍食品製造販売を手掛ける株式会社五葉フーズ(以下、「五葉フーズ」)との経営統合を決断。現社長の山村社長は、2013年に五葉フーズに常務取締役として入社後、2018年にフンドーダイの代表取締役社長に就任した。
代表取締役社長への就任後、山村社長は「画期的な新商品の開発が、経営状態が良いとは言えない会社を上向きにする一番の近道。何か一つのことに、一丸となり取り組もう。」と考え、創業から150周年の節目である2019年に向けて、「これまでの醤油の枠に囚われない商品を作ろう」、さらには「国境を超える商品を作ろう」とし、「無色透明な醤油」の商品化に取り組んだ。
約1年の開発期間を経て、フンドーダイの「透明醤油」(図表5)は、今や国内のみならず世界32の国と地域から引き合いがくるほどの人気商品となり、2019年の発売以来、累計売上数150万本(2025年5月末現在)の大ヒットを遂げている。見た目はまるで無色透明の「水」であるのに、パッケージを開けると、濃く深い醤油の香りが広がる「透明醤油」は、もろみを絞った「生揚げ」から作る昔ながらの製法で製造されている。醤油のうま味を生かしながら食材本来の色を際立たせることができるため、フレンチやイタリアンのシェフが愛用するケースが急増した。このように味や食材の色彩を活かせる点はさることながら、顧客の着衣にはねても、シミが目立たないという点が評価され、グランドプリンスホテル新高輪等の一流ホテルでの導入も進んでいる。
図表5 透明醤油シリーズ

大ヒット商品である「透明醤油」はどのように生まれたのだろうか。ゴールとして目指した「これまでの醤油の枠に囚われない商品を作ろう」、「国境を超える商品を作ろう」という二点のうち、後者の可能性を最大限にするには、イスラム圏にも出荷が可能な商品スペックであるべきと考えた。しかしながら、フンドーダイの強みである「生揚げ」から作る昔ながらの製法は、大豆、小麦、食塩だけで作られたもろみを加熱処理やろ過処理を施さない製法であるため、微生物が活動している状態であり、発酵の過程でアルコールが自然に生成されてしまうため、宗教上の理由でアルコール類が忌避されるイスラム圏には適さなかった。フンドーダイは、自社が保有する製造特許により、アルコールを除去し、醤油の色味を完全に分離することに成功した。自社技術を応用して「透明」な「醤油」を発売し、「これまでの醤油の枠に囚われない商品を作ろう」という前者の点も達成したのだ。
そして、フンドーダイは、「透明醤油」に続く新たな画期的な商品を開発した。それは、「フォーム状の醤油」、「シート状の醤油」、「シート状の味噌」である。まず、「フォーム状の醤油」である「Foam」は、「透明醤油」を用いた白いフォームのものと、ほんのり甘い九州醤油味の2種がある。これらは、特許技術を用いて亜酸化窒素ガスを充填し、泡化(ムース化)されており、立体感の持続時間が30分程度と長く、料理人にとっても料理の提供時間にプラスに働く。また、ムースという特性を活かし、前菜・お寿司・ホームパーティー・バンケットフードを、華やかに演出することができる。
「シート状の醤油」と「シート状の味噌」である「Leaf」は、醤油・味噌を「かける」、「つける」、「塗る」という従来の概念から解き放ち、「乗せる」、「巻く」、「挟む」、「包む」等、新たな使い方が可能だ。また、好きな形に細工できるので、料理のデザインの幅を広げることも可能である。おにぎりやお寿司に巻いたり、クラッシュしてアイスに載せたり、クリームチーズに巻いたりといくらでも用途を変えられる。
これらの新商品も、和食の料理人はもちろんのこと、フレンチやイタリアンのシェフによって重宝されている。また、ホテルに勤務するシェフからの支持も厚く、今後、ビュッフェ・パーティー・バンケットフードで見る頻度が増え、国内旅行者のみならず、外国人旅行者(以下、「インバウンド観光客」)からも着目されることは容易に想像できる(図表 6)。
図表6フォーム状の醤油「Foam」、シート状の醤油「Leaf」の活用事例

更に、フンドーダイは、流通面でも令和時代の最先端を行く。2022年にオープンした東京のかっぱ橋道具街にあるアンテナショップ「出町久屋」は、口コミで「透明醤油」を求め、多くのインバウンド観光客が賑わっている。驚くことに、顧客数の70%がインバウンド観光客という。そして、「出町久屋」で販売されている「透明醤油」や「透明醤油でつくった柚子舞うぽん酢」等の代表的な商品には、キャップの上にNFCタグが搭載されている(図表 7)。NFCとは、「Near Field Communication(近距離無線通信)」の略であり、数センチの距離でデータをやり取りできる無線通信技術のことを指しており、最も身近なNFCはSUICA等の交通系ICである。NFCは、BluetoothやWi-Fiとは違ってペアリングの手間もない上に、QRコード[13]とは違ってカメラを起動する必要もなく、携帯電話をNFCの上にかざすだけで瞬時に通信が可能だ。
そのNFCをシール化し、顧客がNFCタグの上に携帯電話をかざすと、携帯電話にURLリンクが表示され、顧客がURLリンクから購入した調味料のレシピサイトに遷移することができる。レシピサイトは100か国以上の言語に翻訳することができ、インバウンド顧客が自国の言葉で、購入した商品のレシピを確認することができる。NFCタグはフンドーダイ側にもメリットがあり、NFCタグがどこで開封されたのか確認が可能である。NFCタグの導入は2024年3月から順次導入が始まった。NFCタグを読み取って、レシピサイトに遷移した顧客の内訳は、北米市場が45%、欧州市場が26%、アジア市場が15%(※日本国内を除く)であったという(「透明醤油」、2025年5月末時点)。当初、北米・欧州・アジア市場の顧客が大半であろうと思っていたところ、ポリネシア諸島、アフリカ大陸での開封が複数確認されており、「醤油」の需要の可能性に驚いたという。
NFCタグから集めたデータは、現地のB2Bビジネスの需要動向のテスティングペーパーとなり得るため、例えば、開封率が高いエリアの星付きレストランのシェフにサンプル品を送って、レシピ開発を進めてもらったり、その地域で著名なインフルエンサーを採用してレシピを紹介してもらったりと、様々な事業展開が考えられる。
インバウンド需要については、近年の円安の追い風に加え、インバウンド観光客を乗せる航空便の本数もコロナ禍前の水準に戻ったこともあり、各種報道のとおり、絶好調である。日本政府観光局によると、2024年1月から12月までに日本を訪れたインバウンド観光客は、コロナ禍以前の2019年の3,188万人を更新し、3,687万人と、過去最多を記録した。2025年1月から3月までに日本を訪れたインバウンド観光客は、既に1,053万人と過去最速で1,000万人を突破しており、2025年のインバウンド観光客数は4,000万人を突破するものと言われている。これらのインバウンド観光客に1つでも商品を購入してもらい、NFCタグを読み取ってもらうことで、商品とレシピを拡散してもらうと同時に、位置情報をもとに、飲食店向けのB2Bビジネスを拡大することができるかもしれない。これが令和ならではの戦い方だ。
図表7 NFCタグの活用

2) 「自社ブランドへの拘りを捨てる」 ―プライベートブランド商品として商品供給する形の海外進出事例―
キッコーマンがかつて、最初の本格的な海外進出先に選んだように、北米市場の魅力は半世紀以上経っても色褪せない。様々な食品製造業者が北米、とりわけ米国に販路拡大をしたいと考えている。しかしながら、米国の小売業は商慣習が独特かつ複雑で、現地の日系スーパー・アジア系スーパーであれば、JFC、西本Wismettac、共同貿易、セントラル貿易等の貿易商社に依頼するとワンストップで輸出手続きからアジア系の現地小売店への配送まで引き受けてくれるものの、その他の現地小売店に食い込むことは相当な難易度を伴う。というのも、米国市場においては、通常、UNFI(United Natural Food Inc.)とKeHEという二大ディストリビューターが、アジア系小売店以外の現地小売店のマーチャンダイザーの手前におり、製造業者はまずそのどちらかと付き合う必要があるためだ。しかしながら、2社しかいないディストリビューターの担当者も多忙であるため、まともに商品の導入は検討されず、自社の商品がアジア系小売店以外の現地小売店に並ぶことは容易ではない。
さらに、アジア系小売店以外の現地小売店に採用されたとしても、日本の食材は「アジア系食材」として、韓国食材や中華食材と同じ棚に陳列されており、「アジア系食材」の中での競争がある上に、近年の世界的なK-POPの流行等韓国文化の浸透に伴い、韓国食材に押され気味である。そのような競争環境の中でも、日本食材として棚割りがあるのは、醤油、照り焼きソース、みりん、すし酢、のり、わさび、そば程度である。その他「アジア系食材」以外の棚には、チルドであれば豆腐(ハウス食品グループが現地で販売している日本よりも堅い質感の豆腐)、冷凍であれば枝豆か餅アイス、お菓子であればハイチュウ等が陳列されている程度だ。
日本食材にとっては劣勢な状況が続く中、ある日本企業の調味料が、全米42州とワシントンD.C.で597店舗(2025年5月末現在)[14]を展開するTrader Joe’s(トレーダージョーズ)のプライベートブランド商品(以下、「PB商品」)として、2020年代に入り、新たに採用された。その商品は、白味噌ペースト、柚子胡椒、柚子出汁ポン酢だ。
Trader Joe’sは、米国ロサンゼルス発祥のスーパーマーケットで、米国内の多くの小売店がM&Aによって統廃合を繰り返している中で、独自路線を保っており、2024年も都市部を中心に34店舗新規出店するなど、出店数を伸ばしている。Trader Joe’sは、①ユーモア溢れる名前が付いた自社開発のPB商品や他の米国小売店と異なるヘルシー食品やサプリメント商品等のラインナップを持ち、②フレンドリーな接客、③魅力的な価格設定がなされている点で、他の小売店とは一線を画しており、熱烈なファンが存在する。Trader Joe’sの平均的な顧客像は、都市部に住む25-44歳で家族を持ち、80,000米ドル以上の年収がある層であると言われており[15]、通常Trader Joe’sが出店するエリアの世帯年収の中央値は100,000米ドル以上だと推定されている[16]。そして、1店舗あたりの大きさは1,100平米から1,500平米で、平均2,000~3,000SKUが取り扱われている。2018年には「米国消費者に人気のプライベートブランド」のトップに輝いており、多くの食料品製造業者が取引をしたいと考える有名小売チェーンであろう。
しかしながら、他の小売店と異なり、Trader Joe’sは、SKUの90%程度がPB商品であり、直接取引しか望まない。そしてPB商品を納品するベンダーに対しては、厳しい採用基準が存在する。キーとなる採用基準は以下の通りだ[17]。
- 1.人工香料、人工保存料、MSG[18]、添加されたトランス脂肪、rBST[19]由来の乳製品、遺伝子組み換え成分はNG。さらに、着色料の使用は自然由来のもののみOK。
- 2.FDA(Food and Drug Administrationの略称。米国食品医薬品局のこと。) またはUSDA (United States Department of Agricultureの略称。米国農務省のこと。) のライセンスと承認を受けた商業製造施設で製造されていること。GMP(Good Manufacturing Practiceの略称。適正製造規範のこと。) やHACCPなど、輸出する上での食品安全認証を取得していることが必須。また、納入する製品を加工、梱包、保管、または配布する製造拠点は、世界食品安全イニシアティブ(Global Food Safety Initiative。GFSIと略す。) のベンチマーキング要求事項の監査を受ける必要あり。
- 3.製品の栄養分析を、第三者機関の分析(AOAC法[20]のみ)または、栄養学や食品科学に訓練された有資格の専門家が、USDAの標準化された栄養素分析ソフトウェアデータベース(過去2年以内に更新されたもの)を使用して、コンピュータレシピ分析に提供すること。さらに、第三者機関による賞味期限データ分析を取得すること。
- 4.製品責任保険に加入すること。
ただし、1点目を除くと、2~4、そして本稿に記載していない他の採用基準を含めて、他の大手の現地小売業者が取り扱う米国向け輸出食品に課す基準とほぼ同程度とも言えよう。つまり、本格的に米国向け輸出を考えている食品製造業者は、製造設備や製造プロセスを米国輸出向けに整えれば、日本での実績はさておき、直接取引を望む小売店に採用される可能性はゼロではない。Trader Joe’sは明確に取引先を開示していないものの、白味噌や柚子胡椒という商品性およびTrader Joe’sの商品説明文から、西日本の中堅企業の製造業者が採用されたと思われる。PB商品に採用されると、同期間は他の小売店との契約は出来ないうえに、自社ブランドでの展開は出来ないものの、全米42州とワシントンD.C.で597店舗での販売という売上高へのインパクトの可能性を考えると、中堅企業にとっては夢がある話である。
おわりに
ひと昔前は、醤油、味噌、ポン酢などの伝統的な日本の調味料、さらには海苔や昆布などの乾物類は、「色が地味、テクスチュアがグロテスクで、食欲が湧かない。」と、海外の消費者から言われていた時代もあった。しかしながら、海外進出の先駆者であるキッコーマンの醤油を中心とした調味料類の地道なテイスティングの普及活動、ブランディング、生産の現地化、経営の現地化、そして2013年以降の世界的な日本食ブームの高まりとの相乗効果により、日本の調味料は世界中で市民権を得ることができ、他の日本の調味料の海外進出のハードルが劇的に下がった。そして、キッコーマンに続く形で、お酢のミツカン、味噌のマルコメと大手に海外進出の門戸が開かれ、近年では、インバウンド観光客、SNS、越境EC、NFCタグ等のテクノロジー、PB商品ブームによって、地方の中堅企業でも、以前に比べて初期費用が小さく海外進出できるようになったことは、他の中堅企業にとっても励みになる。
ただし、日本食ブームの到来により、必ずしも調味料メーカーを始めとする日本の食品製造業者が恩恵を受けているわけではない。海外の小売店で販売されている調味料は現地企業の「醤油風調味料」であったり、場合によっては、ワサビ、海苔、胡麻、梅干しは、中国、韓国、タイのアジア食材を製造する企業の商品であったりする。一方で、海外の大手小売店のマーチャンダイザーは、「本物志向」に変化しつつあり、可能であれば、日本のサプライヤーと付き合いたいと考えているため、日本企業にとってはかつてないチャンスが溢れている。筆者としては、あらゆる日本の調味料が、海を越え、更なる飛躍を遂げることを願っている。
[注釈]
[1] 1956年に米国『サンフランシスコ・クロニクル』紙に、「Kikkomanは、All-Purpose Seasoning(万能調味料)である」との紹介記事が掲載されて以降、海外で販売されるキッコーマンの醤油のパッケージにはこの” All-Purpose Seasoning”という文言が記載されている。本稿では、海外進出のパイオニアであるキッコーマンの醤油にリスペクトを込めて、「万能調味料」という表現を用いている。
[2]醤油情報センター 「醤油の統計資料 2023年度」より。
[3] 醤油情報センター 「醤油の統計資料 2023年度」、経済産業省「工業統計調査」、「経済センサス 2023年度確定版」より。
[4] 農林水産省「海外における日本食レストランの概数(推移)」によると、2013年には全世界に約5.5万店であった日本食レストランが、約18.7万店と3.4倍まで増加した。
[5]キッコーマンホームページ「海外への展開」 https://www.kikkoman.com/jp/corporate/about/oversea/,
一般社団法人 日本食品包装協会 https://shokuhou.jp/wp-content/uploads/2016/10/feaddedb754b42c29b4d30cfb69ce89a.pdf
[6] キッコーマン 2025年3月期 決算説明資料 P5 https://www.kikkoman.com/jp/ir/assets/info202503.pdf 事業利益に占める海外割合は、海外利益を全事業利益で除した数値である。
[7]キッコーマン2025年3月期 決算説明資料 P.25、P.58 https://www.kikkoman.com/jp/ir/assets/info202503.pdf
[8]キッコーマン2025年3月期 決算説明資料 P.56 https://www.kikkoman.com/jp/ir/assets/info202503.pdf
[9]キッコーマン2025年3月期 決算説明資料 P.56 https://www.kikkoman.com/jp/ir/assets/info202503.pdf
[10] キッコーマン FACTBOOK 2024 P.26~27 https://www.kikkoman.com/jp/ir/assets/factbook_2024_bi_j.pdf
[11]マルコメ株式会社 ホームページ https://www.marukome.co.jp/company/employment/about/history/
[12] 南カリフォルニア日系企業協会 会報 2019年3月号 JBA0319_WEB.pdf
[13] QRコードは株式会社デンソーウェーブの登録商標。
[14] https://www.traderjoes.com/home/announcements?category=store-openings
[17] https://www.traderjoes.com/home/contact-us/potential-vendor-requirement
[18]Monosodium Glutamateの略称。 「グルタミン酸ナトリウム」の略であり、一般的には、「うま味調味料」として知られている。
[19] 遺伝子組換え技術によって合成される乳牛用ホルモン剤を指す。
[20] AOAC とはAssociation of Official Analytical Chemists Internationalの略称。AOACは食品や医薬品などの分析に関する国際的な団体で、分析法の妥当性確認や標準化に携わっている。共同試験等を通じて分析法の精度や信頼性を評価し、正式な分析方法として公認しており、AOAC法が、各国における食品安全や製品品質の管理に利用されている。
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外国株式の売買取引には、売買金額(現地約定金額に現地手数料と税金等を買いの場合には加え、売りの場合には差し引いた額)に対し最大1.045%(税込み)(売買代金が75万円以下の場合は最大7,810円(税込み))の国内売買手数料をいただきます。外国の金融商品市場での現地手数料や税金等は国や地域により異なります。外国株式を相対取引(募集等を含む)によりご購入いただく場合は、購入対価のみお支払いいただきます。ただし、相対取引による売買においても、お客様との合意に基づき、別途手数料をいただくことがあります。外国株式は株価の変動および為替相場の変動等により損失が生じるおそれがあります。
野村證券株式会社
金融商品取引業者 関東財務局長(金商) 第142号
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