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プラザ合意とは…

「歴史は繰り返さないが韻を踏む」とは米国の作家マーク・トウェインの言葉とされています。トランプ政権は、貿易赤字削減と製造業の国内回帰を掲げ、米ドル高の調整に言及してきました。このため市場では、「プラザ合意」のように、米ドル安誘導策(プラザ合意2.0などと呼ばれる)を講じるのではないか、との懸念が根強く残存しています。

プラザ合意とは、1985年9月に発表されたG5(日・米・英・西独・仏)の協調行動に関する合意です。「参加国が外国為替市場で協調介入し、米ドルに対して、参加国の通貨を切り上げる」というもので、調整幅は10~12%程度が想定されていたようです。

第1次レーガン政権は米ドル高を放置

1981年に誕生した第1次レーガン政権は「小さい政府」と「市場主義」を標榜し、経済政策の4本柱として、①政府支出の削減、②減税、③規制緩和、④金融引き締めを掲げました。結果、財政赤字は急拡大し、金融引き締めで金利が大幅に上昇、米ドル高を招きました。

図表1:国際的な為替政策と米国金融市場の動向

(注)データは月次で、直近値は1995年12月。FF(フェデラル・ファンド)金利誘導目標は上限金利で、1971年1月以降。
ニクソンショックはニクソン大統領(当時)による米ドルの金兌換の停止の発表。クリスマス合意はG7による為替レート安定化に関する緊急声明。
(出所)BIS(国際決済銀行)、FRB、LSEGより野村證券投資情報部作成

これが貿易赤字の増大にもつながり、米国では「双子の赤字」問題が深刻化しました。レーガン政権は「米ドル高は強い米国の象徴」として放任したことから、国民の不満が高まり、保護主義が急速に高まっていきました。

図表2:米国の双子の赤字(経常収支・財政収支)

(注)データは四半期で、直近値は財政収支が2025年4-6月期、経常収支は同年1-3月期。
財政収支は原系列、経常収支は季節調整済み。見やすさを優先して縦軸を制限している。
(出所)米商務省、米財務省資料より野村證券投資情報部作成

米国経済政策のかじ取り役の二派

米国の経済政策のかじ取り役を巡っては、資本重視派と通商派の二派があります。前者の典型例はウォールストリート出身者であり、金融資本市場の調整力を重視し、小さな政府や規制緩和を志向する傾向にあります。一方、後者は産業界出身者を中心に、米国産業界の利益を重視し、政府の介入も辞さない政策姿勢が特徴です。

かじ取り役のシフト、保護主義圧力の強化

1985年に発足した第2次レーガン政権では、財務長官が資本重視派から、通商派のジェームス・ベーカー氏へと交代し、経済政策を主導していきました。

米国の貿易赤字の増大は本来、円高・米ドル安を喚起し、貿易赤字の削減につながるという、為替の調整メカニズムが働きます。しかし、当時の市場ではこの調整メカニズムが機能せず、主要通貨に対する米ドル名目実効為替レートは上昇傾向にありました(図表1)。

こうした中、米国では対日貿易赤字拡大の主因を、日本の輸出偏重の経済構造や非関税障壁などの閉鎖性に求める見方が広がり、1985年3月、米上院本会議は大統領に対日報復措置を求める決議を全会一致で可決し、同年4月には米上院財務委員会が議会決議に法的拘束力を持たせるための対日報復法案を可決するなど、保護主義圧力が高まりました。これにより日米間では米ドル高是正に向けた通貨調整と経済政策調整協議が水面下で進展していきました。

プラザ合意から資産バブルへの経路

プラザ合意に向けた協議は主に日米財務省(大蔵省)主導で行われ、日銀総裁に伝わったのはプラザ合意の4日前でした。G5の介入で米ドル安が十分に進まず、調整の負荷が介入から各国の金融政策へと移り、特に日銀への利下げ圧力が強まりました。米国は日本の内需拡大による貿易赤字の削減と円高を求めたことから、日本政府は日銀に対する金融緩和圧力を強めていきました。プラザ合意前に5.0%だった日本の公定歩合は、1987年2月には2.5%まで引き下げられました。

日本では1987年には株高と地価高騰が問題視されていましたが、日銀が利上げに転じることができなかった背景には、米国の非難を恐れた日本政府からの圧力があったと言われています。

図表3:日本の金融政策と日米株価指数の動向

(注)データは月次で、直近値は1995年12月。ニクソンショックはニクソン大統領(当時)による米ドルの金兌換の停止の発表。
クリスマス合意はG7による為替レート安定化に関する緊急声明。
(出所)LSEGより野村證券投資情報部作成

プラザ合意の教訓

トランプ大統領はまさに通商派を地で行く人物です。FRBに対して連日のように強力な利下げ圧力を掛け、FRB人事にも積極的に関与しています。米国では1986年2月にレーガン大統領(当時)が送り込んだFRB理事が副議長と手を組み、ボルカーFRB議長(当時)の意見に反して4対3で利下げを決定するといった事件が発生しました。このような展開を見ると「歴史は韻を踏む」との言葉の重みが増して聞こえます。

プラザ合意の舞台裏を見ると、市場を人為的にコントロールすることは容易ではなく、実態とかけ離れた過度な金融緩和策は過剰流動性を生み、それが市場のユーフォリア(陶酔感)と結びついた場合、資産バブルを生みかねない、そのような教訓が得られます。

野村證券投資情報部 シニア・ストラテジスト
尾畑 秀一

1997年に野村総合研究所入社、2004年に野村證券転籍。入社後、一貫してエコノミストとして日本、米国、欧州のマクロ経済や国際資本フローの調査・分析に従事、6年間にわたり為替市場分析にも携わった。これらの経験を活かし、国内外の景気動向や政策分析、国際資本フローを踏まえ、グローバルな投資戦略に関する情報を発信している。

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